「こんなことをやろう思う。」と言うと、「きっとこんな悪いことが起こるからやめたほうがいい」とか「こんな、まずい噂が立つから変えたほうがいい」ということを言われることって結構ある。
暗い奴って、悪いことが起こることへの空想の豊かさが半端じゃない。
頭の良さには感心するばかり。
もちろん、そういう悪いことが起こる可能性はゼロではないし、きちんとリスクを読み取れるのは悪いことではない。
ただ、一つ気をつけるべきは、その忠告をしている人が実際に関わるのかどうかということ。
悪いことを回避するためにその人自身が行動を起こすのかということだ。
野次馬か、当事者かの違い。
前者(野次馬)の場合は、火が大きくなるのを見て喜んでるだけなので、スルーすべき。
それは目を見ればわかるはずだ。
善意か、呪いか
「悪いことが起こるよ」ということを誰かが言った時は、「善意で注意喚起してくれてる」場合と、「悪いことが起こりますように」という呪いの2パターンがある。
「そんなことをすると、こんな悪いことがありますよ」と繰り返し言う人がいた。
その人には実際に大変なことがたくさん起きてる。言霊的な。
逆にぼくは手を打つのが早いので(考える前に動く。よく言えば直感的。悪く言えばあまり考えない)トラブルも事前に回避したり、困ったことが起こっても小さいレベルで消せる。
決定的なものにはならない。
悪いことへの空想力が強い人はきっと、恐怖心がでかい。そのため、足がすくんで頭で考えて、先手が打てなくなり、実際に悪いことが起こる。自分の呪いが自分にかかっているのだ。
そして、軽やかな行動力は、小賢しい黒い妄想に勝る。
心配してますと連呼する人
「あなたのことを心配しています」と久々に会った時に繰り返し言う人がいた。
その人はどう見ても「あなたのことに心配事が起こりますように」というまじないにしか見えなかった。
そして、その人は後日、SNS上で「心配しています」と人に言うのはある意味呪いなので、信頼しています、とメッセージしようみたいなことを書いてて、「人って不思議なもんだな♪」と思った。
当事者を信じる
野次馬ではなくて、当事者を信じたい。
黒いものへの恐れを伴う空想よりも、軽やかな希望を胸にフットワーク軽く生きていこう。
「心配してます」とか、「そんなことしてるとこんな悪いことがありますよ」的な小さな呪いはそこかしこにある。そして、その外し方は簡単だ。
呪いの外し方
呪いは家族と笑って話したり、好きなことをして体を動かして汗かくと外れる。
要するに気分良く好きな人と、好きなことをしてると呪いは外れるのだ。
だから、今日もこうやって好きなブログを淡々と家で書くことで小さな呪いを外した。
きっとうまくいくさ。
フットワーク軽く、さわやかに、気分良くいこう。
好きな人と好きなことを、自由に軽やかにやり続けるのだ。
Your life is yours. My life is mine. Design our lives by our own will .
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