最近、少しづつ暖かくなってきたんだけどなかなか早起きできなかった。

でも、10時までに眠ると5時台に起きれるようだ。

そんなわけで、子供達も嫁さんもまだ寝てる中、5時過ぎ起床。

 

つながり

今日は「つながり」というやつについて書いてみたい。

 

今年の6月で京都に来て3年経つ。

実は、つい最近までどうしても朝の寝覚めが悪かった。

微妙な不安感。

仕事のことや、いろいろ原因はあるんだけど、その一つに「つながり」があると思った。

普段、普通に生活してると意識しない「つながり」。

 

生まれた時に誰かとつながる

生まれて、最初に繋がるのは母親であり、父親や、家族。

それから、親戚、ご近所さん、友達と少しづつそれは増えて行く。

 

意識せずとも、いろんな人に成長過程で出会い、つながりを作る。

つながりの中で、自分が得意なことや、評価されることをやっていくとそれは満足感や、自己肯定感につなり、安心感をいだく。

 

移住と転勤の違い

「移住」というやつは、転勤とも違う。

転勤は「会社」というフレームワークの中で、だれかとつながり、指示を受けて移動し、同じ業務を知ってる人と仕事をする。

そこには「同じ会社の社員」というつながりがある。

わたしは京都という場所が好きでやってきた。

誰かと特に繋がりがあるわけではなかった。

しかし、3年間仕事をすることで少なからず知り合いができ、時に自分がやったことが評価され、感謝されることがあった。(逆もあった)

 

 

音のある場所

来たばかりの頃と今を比べると「音のない、静かな場所」から「随分にぎやかな人の声がする場所」に出て来たなという実感がある。

その賑やかな場所で聞こえる周りの声や、体温、自分の行動で跳ね返って来るものこそが「つながり」なのかもしれない。

朝の寝覚めも随分と良くなった。

 

 

おそらく、誰かの「評価」が欲しかったんだと思う。移住後はつながりの数が随分と減ったせいで。

 

だからいろんなことをやった。

そして、その不安をベースに学んだことが仕事で生きたり、こうやってブログを書き続けてることにつながってる。

不安のベクトルを内側に向けて、掘り進むことで、外の世界は幸運にも随分変わった。

 

今、そんなことを感じる。

 

つながりを求めない人

少し前に「やりたいことのために、つながりを作る」ことが死ぬほどいやだという人に会うことがあった。

 

その人は本当の深いつながりを求めていることがわかった。

 

それは多分、親や家族とのつながりのねじれや不足が起因しているように見えた。

「死ぬほどつながりたくない」っていうのは「死ぬほどつながりたい」に置き換わる。

 

 

考えてみる 

わたしの死ぬほどやりたいこと、繋がりたいことはなんだっただろう?と考える。

 

そうか、京都に暮らすことだった。

家族と。そこでやりたいことをやって行くことだった。

 

 

 

それはこうやって実現されている。幸運のおかげで。

 

 

朝目を覚まして、比叡山に挨拶に行く。

 

つながり。

 

不思議なものだな。