昨日は久々に会う友達と大文字山の火床まで登った。

その景色は圧巻で、西の向こうの「大」の文字や「舟」の文字もうっすら見えて、まさしく京都の街が一望できる絶景ポイント。

 
 
 
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大文字山の火床まで来た!吸い込まれそうな壮大な景色。#ランニング #京を走ル #running #kyoto #kyotorun #nikerunningmen

youichi okudaさん(@youichi6966)がシェアした投稿 -2017年11月月24日午後10時39分PST

 

この街が一望できるポイントに登った翌日。

改めて、京都は最高なのかどうなのか?

移住して4年目に入った今の視点で書いてみたい。

 

日常になる

京都駅に行くと、いつでも嬉しそうにテンションが高くてキラキラした目の人たちをたくさん見ることができる。

ぼくもきっと昔はそうだった。

しかし、今は京都の生活は日常になった。

いいこと、悪いことは日々の生活の中にあって、それはどこにいても変わらないんだという当たり前のことを身にしみて感じる。

 

 

生活の質を高める

移住した直後は生活の質を高めるためにいろいろなことをやった記憶がある。

「移住」という行為そのものが「生活の質を高める」ための行為だったから。

こうやってブログを書くこともそうだし、本をたくさん読み、学びを増やした。

「ああしなきゃ、こうしなきゃ」という気持ちがたくさんあった気がする。

それは、移住後の不安感も関係していた。

だけど、それも時間が経つと、そんな強迫観念なんてアホらしいと気がつく。

 

 

人生最後の日を思い描いて

移住前に考えたこと。

それは死ぬ前日に何がしたいかを真剣に考えると「京都御所に行って、ライブハウス拾得で歌って、家族でのんびりしたい」という答えが出た。

それは今は普通にできることで、なんともありがたいし、最高だと思う。

しかし、まだ死なないのだ!それが問題だった。

死ぬまで時間がある。

京都に来て何をするんだ?というのがイマイチ明確じゃなかった。

 

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生産者になる

 

町や山を走るのが好きなので、それはいつでもこの街ではできる。

それから、ライブハウスもたくさんあるので創作活動にもフィットする。

でもね、「日常の中でなにをやるか」というのが明確じゃなかった。

走ることや音楽で生活ができるほど熟達しているわけではない。

京都という歴史的、人的なコンテンツにあふれる街で「消費者」という受け身な姿勢で生活し続けることは辛い。

「生産する側」にいないと、面白くない。

こんなに刺激にあふれた街に住んでさえそうなのだ。

それは大きな身をもっての発見だった。

 

探せば見つかる

先ほど書いたように、この街に来てから「自分の価値を高めなくては」とか、 「何かをしなくては」という強迫観念にかられることが多かった。

でも、日々の暮らしの中で、そんなの関係なくって「自分を踊るんだ」ということに気が付いたり「本当に追いかけるべきビジョン」に出会うことができた。

参照:自分を踊れと言われた日 

やはりこの街は日常の場になりながらも、特別な何かが眠っている場所だった。

死ぬ最後の日まではおそらくまだまだ時間があり、やるべきことがある。

今現在の結論は自分のままで踊り、2016年12月30日に京都御所付近で見た自分の「追いかけるべきビジョン 」を追って行くことが最優先事項だ。

参照:ビジョンに出会う 

京都はフラットなコンパクトシティー

京都はバスや地下鉄の他にも自転車での移動も簡単にできる。

鴨川があり、京都御所のような広いスペースが都会的な場所の近くにある。

東京とは大きく違う。

暮らしやすいと思う。

そんな素敵な場所もただ、受け身で生き続けるにはしんどい。

 

結論

話をまとめてみたいと思う。

 

もしこれを読んでくれている人が京都への移住を考えているなら、日々手を動かして作る何かをもっていたら最高だと思う。

移住したら生産者になろう。そして自分のままで自らの「最高のビジョン」を追い求めるのだ。

京都移住論4年目編でした。

ではでは!