昼間に、「やってられん!」的なことがあっても、比叡山と一面に広がる広い空の見える我が家に帰ってくるとなんだか、いろいろどうでもよくなる。

今日も、家に遅く帰ってきて、風呂に入り、山を見にいくとなんだかもう全て水に流せるような角度30度くらいの下り坂の勾配的な気持ちになって、感情の沈殿物はするすると流れて行った。

そうか、死ぬ前に何をするか考えて京都に来たので、こんな感じになるのもいつのまにか当たり前になったけど、これはすごいことだな。

もちろん全てが解決しているわけではないし、やりきれないこともある。

でも、やはりなんだかんだで「まあ、いっか」と思えてしまうのは死ぬ前の前日を想定して、その想定を現実に移せたからだろう。

ある意味、プロセスをすっ飛ばしてゴールにたどり着いた。

 

 

ただ、その「やりきった感」がまあいっか!という微妙な妥協を生み、その妥協が勝ち癖から自分を遠ざけていた。

今日は、いろんな人と関わって、場所を作り、人をつなぎ、コミュニケーショを取っていくという仕事をした。疲れる。

でもね、やりきった感がある。目指すポイントには到達できたので今日はOKだ。

 

 

「目指す場所に到達する」という意識が「まあいっか!」と思えてしまう、今の快適な環境によってなくなりかけてた。

だけど、心地よく暮らしながらも到達すべきところにはしつこくアタックをかけて攻めていこう。

この二律背反的なもの。こいつをうまく飼いならすのだ。二匹のケモノ。

 

この場所は恨みとか、怒りがとても気持ちよく抜け落ちていく気がする。

もちろん、時々どうしてもうまく人を許せなかったり、恨んでしまうことはまだある。

でも、随分とその黒い力の維持時間は短くなった気がする。

それは場所の力なのか、自分がうまくコントロールできるようになったのかは分からない。

 

まあ、いっか。どっちでも。