振り返ってみると、あの一年は特別な年だったんだなという時期って誰しもあると思う。

 

 

ぼくの場合は、30歳の頃だった。

30歳になった時は奥さんとまだ大分で二人暮らしで、線路沿いの小さなアパートでケーキを買って来て祝ってもらった記憶がある。

「20代を生き延びたぞ!よっしゃ。ざまあみろ。死なんかった。」ピースサインでケーキとカニを前にして奥さんに写真を撮ってもらいながら、なぜかそう思った。

 

 

それからすぐに上の子が産まれた。

そして、次の年の夏に初めて京都に演奏をしにやってきた。

2007年の夏。

ライブハウス拾得。日本で一番古いと言われる酒蔵を改造したライブハウス。

 

 

二条城の前のバス停で降りた時に、うるさいくらいに鳴く蝉しぐれとそのあたりの風景が10代の頃に住んでた時の空気感と変わらなくって驚いた記憶がある。

その近辺に10代の頃、住んでたのだ。堀川丸太町近く。

当時の仲間がそのまま現れそうな暑い夏の日だった。

 

 

なぜか前から、そのライブハウスで演奏したら何かが変わる気がしてた。

今でも覚えてる。

 

 

演奏して大分に帰って来た後に何年も使えなかったMTR(多重録音機)がいきなり使えるようになって、おまけに簡単なギターリフが作れるようになって驚いたことがある。

あれは妄想じゃなかったんだ。

何かを超えたという感覚。

 

 

その年の秋にmy spaceという音楽をアップしたり、ブログを書けるwebサービスを見つけて家で曲を作り、アップし、ブログを書きはじめた。

そうこうしてるうちに、ネット上で音楽を聞いてもらい、いろんなところでライブをさせてもらえるようになった。

アルバムは完成し、ツアーのようなものができるようになった。

 

 

しかし、30代って仕事が一番忙しい時期で、子供はすくすく育ち、いつの間にか手の間から音楽はすり抜けていった。

どんどん魅力を感じなくなる音楽。だけど、幸い家族は元気で、大きな問題もなかった。

生活を力強く回転させ、心は少しづつすり減って、だけど走ることを始めたおかげで体は強くなった。そんな感じの30代。

 

 

でもね、子供達がすくすくと育ってくれたことは何にも増してよかった。

十年間は成功だった。

夢がすり減って、その分現実がたくましく育った時代。

 

 

 

京都で三年間ブログを書いて来て、「日々、手を動かしていけばこの世界でまた夢は育つんじゃないだろうか」と思うようになってきた。

特別だった30歳の頃に抱いていた音楽に対する夢。膨らんで小さくなった夢。

 

それが日々こうやってブログを書いたり、音楽を作ることで育ってまたもっと大きな花が開くような気がする。

それは妄想かもしれない。

 

12年前、2007年に降り立った二条城前のバス停の蝉しぐれ、永遠に通じるかのような憧れの向こう側。

手を動かしてるうちに、音楽がどんどん出来上がるワクワクした感じ。

あの感じを近くに感じる。

 

何かが変わっていく気がする。着々と日々手を動かし、心を磨こう。