こうやって日々、WEBの中で文章を書いていると、時々、おそらく京都移住に興味がある人なんだろうけど1時間近く何ページも読んでくれる人がいる。

Google Analyticsを使うと、だいたいどこのエリアで(市レベル)で何ページ、何分くらい読んでる人がいるのかがわかるのだ。

外国の人もいれば、昔の知り合いもいるようだし、初めての人も毎日やってくる。

このブログにはいろんな人がやってくるけど、今日は「京都に憧れていつか移住したい」と言う人に向けて書いてみたい。

 

 

先日、京都タワーの地下を歩いてたら若い女性二人組(おそらく旅行客)の一人が「歳取ったら、京都移住したい」と言ってるのがすれ違いざまに聞こえた。

きっと、彼女にとってはいつかの遠い夢なんだろう。

 

 

私は5年前、当時金沢に住んでいた。

その秋に、京都のトレイルランの大会にやってきて、あまりに京都の北の山の水が綺麗なことに驚いた。

そして、この街の何やってる人かわからん人たちがたくさんいる独特のキラキラ感に胸を貫かれた。

それが移住のきっかけだ。(死ぬ前になにするか考えたら、京都にいたいと思った。)

 

 

20年前に1年だけ住んでいた京都。

四季の変化のエッジがすごくって、いろんなことに疲れ切っていた心の置き場所を見つけた場所。それが京都。

 

 

19歳の頃に京都を離れて東京に進学した後も、ずっとどこかでこの街を探していたような気がする。

奥さんと付き合い始めたばかりの頃に、初めて旅行に行ったのも京都だった。

 

前述の「年取ったら移住したい」と言ってた彼女もきっと京都に何かを求め、重ねてるんだろう。

それは好きな神社の景色に焦がれる気持ちかもしれないし、この街の空気感そのものかもしれない。

「京都に行きたい」と思って行く時のあのなんとも言えないワクワクした感じと淡い期待感。

 

 

 

京都には積み重なった歴史があり、優れたアーティストや、若い学生、外から来た外人さんや旅行客がたくさんいる。

そこには微熱のような情熱があり、この街の空気を常温より少し高い温度にする。

 

移住はうまく行ったんだと思う。夢は叶った。

でも、それで全てが終わるわけではない。

悩みもあれば、この先について考えることもある。

だけど、夢を叶えて、なおかつ家族がみな元気であることは僥倖(ぎょうこう)だろう。

 

この街には夢があり、そして普通の現実がある。

夢を追いかけてやってきて、そこには今まで通りのそして、今でとは違う現実があることに驚いた。

普通だと思っていたことが貴重なことだったんだと気づき、移住したことによって、今までの未熟さがもたらす危うい現実もやってきた。

 

今日も年間5000万人が訪れるこの街のことを思っていろんな人が移住について語ってる。

 

 

 

 

 

 

 


5年前に思い描いていた場所に自分がいることの幸運に感謝したい。

 もし、京都に移住したいという人がこれを読んだならば、大変なこともあるけど、きっとやってみるといいよ、と伝えたい。

うまくいかなきゃ、元いた場所に帰ればいいし、やり直しなんていくらでもきく。

そして、この街には特別な空気がある。

それは住んでみても思うのだ。

 

 

でも、住んでるだけじゃあいつか、飽きてしまう。そのためには何か自分が主体的にできることがあるといい。

消費から生産へという感じ。

私の場合は、こうやってブログを書くことを軸にして生活をしている。

これも、京都に来てから身についた習慣。

「作ること」の喜びは、この膨大な歴史の詰まった町ではその巨大さに埋もれないための、わずかばかりの抵抗。

そんな感じで今日は寝ます!!