昨日で東日本大震災から8年。

まだまだ避難生活を続けられてる方もいるし、本当は終わってないんだなと思います。と、言いながらも被災していない自分からすると遠い記憶。

これって忘れちゃいけないことなので、記憶を手繰ってみます。

 

 

九州にいた 

当時、ぼくは北九州に住んでて、大分から引っ越してまだ半年くらいでした。

仕事がめちゃくちゃ忙しくなって、これはたまらん、回らんわ。ということで3.11の当日から朝、5時くらいに出社して仕事をするようにしたのを覚えています。

寒い朝、自転車をこいで10kmくらい離れた会社までぶっ飛ばしていき、まだ誰もいない会社の電気をつけて、寒々しい気持ちと焦燥感のなかで仕事をしていました。

 

 

圧倒的なものたち

なんだかなあ、これはなんだろう?この圧倒的な巨大なものが降りかかってくる恐怖感ってなんだこれ?

今考えてみると、一人でやるような仕事量じゃなくって、うわあ、破綻するかも。。。という個人的なものと日本全体のヤバイ感じがシンクロしていました。

 

大分の知り合いにも、太平洋側は川が逆流して、危険な可能性があるということで、メッセージした記憶があります。

血液検査の仕事をしていたので血液を東京に送って検査して、結果が配信されるのですが、計画停電の影響できちんと結果が来なくって、「タイミングを見て、結果を打ち出す。」みたいなことをやっていました。

今まで経験したことのない圧倒的にどうしようもない感じ。

持っていき場所のない焦燥感。

 

 

ただちに影響はありません

原発はメルトダウンし、「ただちに影響はありません」と民主党のえらい人たちは繰り返し、でもそれがなんなのか、本当なのかは誰にもわからず、というか誰も信じず、デマと本当が飛び交う中で寒々しい思いをみんな抱えていました。

 

 

しばらくして、東京に行って、放射能を測る会社(ベクミルという会社)に話を聞きに行ってみました。

普通に公園で子供が遊んでいるような場所の土も危険すぎて直接計測できないような状況と言われ、何がなんだかわからなかった記憶があります。

当時は、音楽を作ってる人たちの間でも、電源をなるべく切って、節電しようみたいな動きもあったし、日本中が非常事態宣言と喪に服した状態で、空気はどこか灰色のもやがかかった状態でした。

 

自衛隊が福島第一原発の上からヘリコプターで水をかけている映像が流れて、意味あるのかなあと思ってたけどあれは明らかにパフォーマンスなんでしょうね。。ヘリに乗ってた人は大変だったろうけど。

 

 

時は経った 

我が家の子供達は当時、幼稚園に行ってた長男も今年から中学生だし、娘も小学校高学年。

時間は経った。でも、全てが終わったわけじゃない。というか当時の圧倒的な非常事態感、「節電していこう。被災した人たちを支援しよう。」という気持ちを無にしちゃいけない。

忘れることは悪いことばかりじゃないけど、日本全体がどうしようもなく追い詰められて、混乱し、考え、反省したり、誰かを非難したり、助け合おうとした日々のことを忘れちゃいかんのだろう。

昨日は仕事の合間にビルの間で少しだけ黙祷しました。8年も経つんやなあ。普通の日々を大切にして、当時のことを子供達にも伝えていきたい。

 

追記

ちきりんさんのブログに当時のことが克明に描かれています。(世界中で翻訳されたらしい)読んでみると当時の混乱と日本人のすごさがめちゃくちゃ伝わってきます。

 

参照:大惨事とミラクル