November 2011

November 27, 2011

December 17, 2007 完済人になろう

Directed by Chris Cunningham

こんなんが気になりだしてる時点で完全に終わってる
しっかりしろ俺
気合いを入れろ
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November 26, 2011

December 16, 2007 完 全 に 堕 落 し て い る

何   も  進   ま   な  い

代理鍵盤を設置したので、鍵盤でも弾こうかな。
鍵盤1個破壊してもまだ鍵盤のあるウチは、非常に恵まれている。なのに何だこの醜態は。
正午に起きたのにもう既に眠いアホだろアホだ。

アホ繋がりで、小学生のとき、登校中、誰かアホ女にアホって言ったら「アホだから学校に行って勉強してるんです」とか言い返された。「でもいつまで経っても相変わらずアホなのね」って言い返した。
その時は単純に筋が通って無いと疑問に思っただけだったけど、今になって考えると、「アホだから、いつまで経ってもアホのままの学校で勉強してる」って意味なのか。
賢いやつは最初から学校なんてとこを選ばないってことなのか。中々鋭い事を言いやがる。
でもそう考えると、あのアホ女は何をムキになって自分はアホだと主張していたのかますます分からない。
それも学校で勉強するという事がアホだと気付きながら、相変わらず学校に通ってやがる。やっぱりアホだ。


November 23, 2011

ピアノ即興演奏

亡くなる3日程前、娘(彼の姉)の前で弾き出したピアノの即興演奏です。

娘が言うには、「録音してもいい?」と了承を得て、
自分の携帯電話で録ったものだそうです。
音質は全く良くありませんが、どうぞ聴いてやって下さい。

幼い時から本当に仲のよい姉弟でした。

https://youtu.be/FHto-JgJASM

December 15, 2007 気がついたら二次元にも恋人がいなくなったよ

慣性でアニメとか全然見ていないや。鍵盤も壊れたまんまだ。
こういうの切り替えが下手なんだよね。
なにかがおかしい。いつもと生活が何かずれてきて現実感が無い。
体が2cmぐらい浮いてる。ドラえもんに勝ってる。


 小児性愛者特有の幼少への回帰願望により、酒とタバコとセックスと自動車免許取得は一生しないと心に決めた。
 ↑新規に書いたプロフィール文の最後に使おうと思ったがあまりにひどいので削った1文

プロフィール文を毎回書き下ろしするのって良いかも。書く機会があればだけれども。

November 13, 2011

December 14, 2007 初音ミクブーム評における3つの間違い

とかとりあえず先にセンセーショナルなタイトルを付けた。
いまから頑張って3つ考える。いや、別に3つじゃなくていいや。
別に間違ってる事でなくても良いや。初音ミクでなくてもいいや。あーもうタイトル全然関係ないです。
いっその事モンゴル相撲の話でもしようかなあ。
とりあえずタイトルみたいな事を切っ掛けにして、適当にモヤモヤと考えたことを箇条書き。


・ミクブームや、それらに類似するニコ的二次作品群は、同人系自主制作界からの、商業主義な大衆音楽や、「糞J-POPリスナー」という仮想敵への反発としてとらえられる事も少なくないが、むしろ構造は典型的に大衆音楽的だ。
 この事は一部の間では当然のように言われきってるのだが、そういったバイアスを客観視される事が無いまま、相変わらず「歌詞と見た目だけの糞J-POPよりずっと良い曲」などという言葉を見かけるのはどうしたものか。
 音楽を取り巻く環境や価値の変化であって、合成音声を使用した事による音楽単体の新しさ等はほとんどないし、環境や価値の変化についても、個々の要素の趣向が入れ変わっただけで、大きな革命があるようにも思えない。
 両者が全く同じ理由で馬鹿にしあっているというのは滑稽でしかない。どっちも馬鹿なんだからどっちも仲良く楽しくやってくれ。音楽が音楽以外でも評価されるのは自覚さえしていれば何も恥じる事ではない。むしろ楽しい事でもある。

・ネットアニメを含む個人制作が、創作活動全体の活発化によって世の中の創作物のクオリティー上げると素直には思えない。
 大衆娯楽作品は、多人数による分業化によって効率的にクオリティーを上げてきた。
 何でもそこそこ出来て形にはなるが、何をやっても中途半端な個人が、プロとなって何が出来るのか。わざわざ一人でやってこれらに勝てるわけが無い。自分も。
 これに対抗できる個人制作作品の面白さというのは、「誰かが一人でやっている」という事そのもののキャラクター性である。これ無くして個人制作作品の面白みは無い。
 作者の頭がおかしいMADしかり、Lasse Gjertsenしかり。金銭だけで繋がった不明な集団ではなく、ある個人の思いによる作品という親近感しかり、これには自己表現としての芸術も含まれる。

・individualityのあるpersonality、送り手の人格、キャラクター性。
 originalityという言葉は、独創性としてではなく、キャラクター性として解釈されるべきではないか。
 それぞれの作品に独創性があってもあまりに表現が雑食なクリエイターからは、逆にoriginalityの魅力を感じられなくなるのでは。

・ミクブームで注目するべきなのは多数のプロシューマーでは無く、多数のプロシューマーを勘違いさせたクリプトンの凄さであり、そのメタ作品性である。ハルヒしかり。
 音楽論としてではなく、メタ作品によるマーケティング論として語られるべきである。
 それ自体がキャラクター性を持っていて、なおかつ、そのキャラクター性に追記をする事が可能で、その行為そのものにもキャラクター性が感じられる事か。

・コミュニケーションツールとしてのJ-POPも当てはまる。結局、人間は人間的コミュニケーションを求めているのか。ヒットするのはコミュニケーションを活性化するもの。
 淡泊、冷静、無思想な芸術は、仮に正しくても受け入れられない。何らかの感情的な切っ掛けが必要。
 極端には、敢えてでも無茶なイデオロギーを発しまくったぐらいの方がヒットする。

・偉大な芸術家というのは往々にして、実体の無い思想に必要以上に酔ってたりするもんだ。シュールレアリズムとか。
 個性的だの独創的だのばかりを重視して、とりあえず変だったら良いというような、今の日本人の妙な「アート」観というのは、岡本太郎の発言の影響がかなり大きいんでないかとふと思った。根拠は無い。
 ある特定の分野で優れた仕事をした人の発言が、必ずしも全ての状況において正しいとは言えない、なんて文章にすれば至極当たり前の事が、実際の思考には適用されてないのは困った事だ。

・そもそも個性という言葉と個性的という言葉は全く意味が違うはずだ。personalityとoriginalityが不完全な言語に操られてしか思考できない所為で混同されている。
 personalityの尊重をすればそれぞれのoriginalityが生まれるわけがない。大抵のpersonalityなんか似たり寄ったりで、クラスの8割がサッカー選手になりたかったりどう考えても割に合わなかったりするもんだ。
 必要以上にoriginalityを強調する人々の作品は、自分にはどうしてかどれも同じように見える。同じようなpersonalityによって作られた単一のoriginalityという偶像か。

・きちんと役割を分担する(originalityを生む)には、むしろpersonalityを殺した方が上手くいくかもしれない。現にほとんどの大人がそうやって社会を動かしている。
 普通は社会にとっても本人にとっても、個性というのは邪魔なものだ。みんな平均的な方が都合が良い。

・芸術においての個性の重要性というのは、数多い競争相手の中で自分の立ち位置を確保するための、一種のビジネス的戦略として解釈すべきなんではないだろうか。
 芸術家は何か真理の様なものを孤高に追い求めているようで、それが評価されるかどうかは、「社会に置ける個人の役割」と全く同じ。
 自分の個性の強調は、動物としての競争や、単に送る側の人間のエゴであって、必ずしもそれが価値に結びついていたとは限らないのに、それ「だけ」でも、もはや評価基準になってしまってもう何が何だか。

・創作行為における思想というのは、あくまで単にきっかけや一つの方法論でしかなく、必ずしもその結果物から可逆的に思想を読み取れるとは限らないというのが、最近の僕の考え方。
 そうやって割り切った上で、敢えて偏った思想を創作の道具として使用する。
 これぐらいの考え方が一番自分には合っていて、一番自由で気楽かつ創作的にもなれると思うのだけれど、多様性を楽しめる分、どれにも自分にとっての真実を見いだせないという問題点も出てきた。
 曖昧で刹那的な嗜好だけに頼るしか無いので、安定感が無い。

・クリエイターをクリエイトする、という方法論。多人数のクリエイターによる分業化と、敢えて思想を制限する事によるキャラクター性の付加。
 思えばレコード会社というのはとっくにこれをやっている。我々がoriginalityを感じているクリエイターには、こういった作為が含まれている可能性が多分にあるはず。

・これらへの同人系自主制作界的な回答は、一定のコンセプトを設定した架空のクリエイターを作り出す事かなあ。
 現実とは別に偶像化されているアイドルという虚構的存在への回答としての二次元美少女。虚構が虚構である事を敢えて肯定した自由な存在。
 これのクリエイター版。


思いついたまんま書いてるので恐らく矛盾がいっぱいだと思うのだけれど、とりあえず一つの切り口として読んでいただきたい。言い切り口調だからといって自分でも正しさに自信を持っているわけでもないです。
今まで本も1冊もロクに読んだ事が無いのだけれど、似たような事言ってる人っているのかな。それに対する反論ってどんなんなんでしょうか。

「個性」という言葉の定義は自分の中でも混同があるかなあ。自分が一番嫌ってるはずの定義と定義に対しての言及を同時にやってしまってるかも。
やっぱ言語による思考は不完全だ。という思考を言語によって行う皮肉。

ウジュムチン!ウジュムチン!バドマンヤンブーウジュムチン!続きを読む

November 06, 2011

December 13, 2007 曇り空、曖昧な夕日が美しい。

距離感の無い空間そのものの投影。
日が沈むのってこんなに早いとは知らなかった。

普段は窓もカーテンも完全に閉め切った部屋に籠っておるのですが、カーテンを洗浄中なので、中からも外からも完全オープンです。恥ずかしい事できません。
こんな中でラップトップを叩いておると、何だか凄腕建築デザイナーの気分です。なんかありませんか、ガラス張りでやたらと自信に満ちあふれたオープンなクールな家で、なんかそういうイメージ。観念を上手く具体化できません。


真のラップトップミュージックって、真にラップトップだけで完結すべきなんじゃないかと思う。
即ち、制作から再生までアンプラグドなラップトップという楽器のみ、それ自体の小さくてしょぼいスピーカーから奏でるのに適した音楽。
MBPのスピーカーがショボすぎて、音をつめこんだ音楽を聴くと、シャリシャリうるさい割に、中低域から下が濁りきって和声感が全く掴めない、辛うじて電話声でボーカルだけ聞こえるというひどい状態、ケータイで大衆的な価値観では普通なのかもしれんが、そうはいかん。
試しに3和音チップチューンを流してみたが、これぐらいの情報量の方がやはり綺麗に鳴る。

アタックを強めたパーカッシブなサイン波、インパルスに近いシンプルなクリック音が、筐体の共鳴のおかげで、妙なアコースティック感を持ってなってくれたり、そういうクリーンなスピーカーやヘッドホンには無い面白みを生かしたい。
アコースティックな楽器としてのラップトップ。スピーカーのインパルスをトリガーとして筐体を鳴らす。

とか、ここまでで止めとけば、気取った音楽雑誌みたいに筆者を含めた大半の人間は騙せるものの、じゃあ真のギターロックはバンド使っちゃいけないのかとか、冷静な自己指摘が欠かせないよ。


いつも髪切りに行ってる美容院みたいとこで、何か変なゲームにはまってしまった、という切り口で、レナがどうとか魅音と詩音がどうとか、今やってる沙都子編みたいな話も好きだとかどうとか、そんな単語を連発された時はどうすればいいのかな。
ビューティフル・ドリーマーは見た方が良いとか、一度は見てみたいけど、うる星やつらの基本系を全く知らないので、いきなりそれを見るのはどうとか、TV版を今改めて見直すのも大変だからなんだかとかいう話をしました。
待ち時間に椅子に座ってると、右斜め上に置いてある魔女キキのフィギュアが常にパンチラしてる。田舎は不思議だ。


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imoutoid◆u2zN8etdHw
イモウトイド
imoutoid is musicoid creatoroid

このブログは、'09年4月に亡くなった imoutoid こと私の息子が書いていた記事を、少しずつ再掲しています。
時々、私が息子の思い出などを書いております。(imoutoid の父)

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