興味ないといえば、
それに対する無知を恥じることを
免除される。

そんな傾向を感じてしまう。

知らなくていいこと
というカゴにそれを入れ込んでしまえば
全くこの世に存在しないこと
のような扱いにできて、

また、自己評価を下げるタネになることもない。

アホの子が
私バカだしわかんなーい
と言っているのと同様の効果が得られる。




僕もJ-POPやドラマ、俳優や女優などについて、
「興味ないんで」と言うことで
それに詳しい人たちからの
ダセーなおい、という視線を防御することに成功している。

ファッションなどに対しても
同様のワザを使っている。




一方の、知的好奇心はないんかい?
とか
無知は恥だぞ
という攻勢をかけてくる相手に対して
どうすれば良いのだろう。

そもそも、なんで興味がないんだろう。

他人から「で?」となるものへの
強い好奇心や知識の量、思い入れなどが
もしかしたら、
人生を幸せに過ごすためにとても重要なのでは?

という考えを最近持っているが、

好奇心無く、
自己防衛にばかり努めることは、
それとは真逆の反応だと言える。



もちろん、何にでも興味を持つ必要はないので、
オタク的にとにかく好きなものへの知識を拡充していく
というのが良いのではないかと思う。

だから、「興味ないので」という盾を装備して、
本当に価値を感じないものを知らなくていいという自己防衛をしながら、

「好奇心」という万能の剣によって
知識をどんどん開拓していけば良いと思う。



面白いことに、
その剣の種類がなんであれ、

例えが面倒なのでやめるとして、

どんなジャンルへの知識を深めたとしても
知的好奇心が強い人は
自分の知らないことを知りたいと思っているので、

へー、教えてよー
となることが多い。

つまり、
1つ自分の中に知識の多い分野があれば
類友の理論かもだけど、

知識を多く持った人たちとの親交が進むということが多くみられるのである。




だから何でもいいから、
まずは好奇心を持っているジャンルに対して、
何でもいいから道具を与えて
その知識を拡充させていく
ということが

子育てにおいても重要になる。

ドラゴン桜に出てくる東大医学部にすら入れてしまう天才レベルのイケメン学生は

ウルトラマンへの興味が強く
片親だったけどお母さんはそこに投資をしてくれたのだそうな。
図鑑買ってくれたり。




僕はビックリマンシールと、コロコロコミックを与えてもらった。

教育の根本は
自発的な好奇心である。

無理やりやらされ感のある知識拡充には
大した意味は…

いや、あるんだよね。

とにかく、回路を脳内に自力で作れた人勝ちということ。



好奇心と知識拡充。
これが人生を豊かにする。

でも価値を感じないものには
興味を持つ必要はない。

そんな感じだろうか。
何かに興味があれば、ね。