相手の心にエネルギーを与える言葉を選ぶ
「ごめんなさい、心にもないことを言ってしまいました。本当にごめんなさい」。平謝りする私に「心にもないことが、口から出るはずないじゃないか」。そう言うなり、相手はますます不機嫌に。私は言葉を失いました。
相手の言うことは、もっともなのです。失言や勘違い発言、暴言のたぐいが、ふってわいたように口から出るはずなどありません。少なからずそう考えている、認識しているから、物事の良し悪しは別として自分の思いが言葉になるわけで、「心にもないことを言ってしまいました」は、余計なひと言や残念な発言を謝罪する言葉にはならないのです。まずは、そのことを理解してくださいね。
もちろん、相手の気分や状況によって、同じ発言でも「余計なひと言」にならない場合もありますし、伝える人との関係や声のトーン、表情で、気にならないこともあります。その意味では「言葉は生(なま)もの」。コミュニュケーションをはかる際には、「相手にふさわしいとびきり新鮮なものを与える」という視点を持ちましょう。「与える」とは、明るさ、あたたかさ、優しさ、応援、やる気、勇気、思いやり、尊敬の念、愛情など、受け取った人は明確な自覚はなくても、「何となくいい気分になる」ということです。それは「相手の心にエネルギーを与える」という意味でもあります。日ごろからそんな意識を持っていると、「余計なひと言」はなくなっていきます。
そうはいっても、つい口がすべる。悪気はないものの、かんに障る発言をしてしまうことはあります。先に記した「ごめんなさい、心にもないことを言ってしまいました。本当にごめんなさい」は、仕事でめきめき成果をあげ、信頼感を増してきた知人男性に「貫禄が増してきましたね」と、ほめ言葉の意味で言ったのが、「やせないと出世できないぞ」「欧米では肥満している成功者はいない」などと、体形を上司に指摘され神経質になっていた直後のタイミングに重なってしまったことから生じた出来事だったのです。
「貫禄」とは、体つきや態度などから感じる重みや風格。身に備わった威厳。ですから「貫禄が増してきましたね」という、言葉自体は悪い印象を抱くものではありませんが、「見かけは貫禄たっぷりだけどね」「体つきは貫禄があるけれど」などと、太っていることをからかったり、ばかにしたりして使うことがあるので、体形に悩みがある人は不快感を覚えることがあるのです。
私はそのあたりの配慮が足りず、相手を傷つけてしまったというわけです。「貫禄が増してきましたね」も、「風格が増してきましたね」や「威厳を感じます」。ちょっとくだけて「オーラを感じます」「やる気がみなぎっていますね」と伝えたら、彼は、いい気分になっていたかもしれません。