久しぶりにブログを更新します。

お盆休みは、敢えて税務調査の立会いに当てて、その後の8月19日と20日に京都からは若干遠い四国の道後温泉に家族で行ってきました。近場は、どこも行ったことのある場所ばかりになり、行ったことのない場所となるとどうしても遠方になってしまいます。GWには、これも若干遠いですが、合掌造りの白川郷へ行き、今回は道後温泉です。道後温泉には、これまた行ったことのないルートを選択し、尾道今治を結ぶしまなみ海道をぐるりと回りました。道中では大三島、大島に立ち寄り、瀬戸内海を見渡しました。私の趣味としては道中にある平山郁夫美術館にも立ち寄りたかったのですが、まあ、時間もありませんし、今回は見送ることになりました。

さて、大島の亀老山展望公園で絶景を眺め、売店ではおいしい塩サンプルを舐め、その塩を使って作ったらしい塩ソフトクリームを食べた後、今治から道後温泉を目指しました。実はそのまま道後温泉に直行する予定だったのですが、妻が今治のタオルに興味を持っており、どこかタオルを販売している場所はないかと聞いてきたので、急遽、タオル美術館に立ち寄ることにしました。もう夕方4時前後だったでしょうか。

タオル美術館に到着して驚いたのは、結構立派な5階建ての建物で美術館と呼ぶに相応しい外観だったことと、盆明にも関わらず駐車場もほぼ満車に近いほどの人気スポットだったことです。私は、正直もっとこじんまりした田舎の美術館を想像していました。

美術館に入ると、これはもう想定内ですが、タオル製品の山、その工程が見学できるようになっています。私たちは、あまり時間もなかったので、とりあえず示された見学ルートにしたがい、5階までエスカレーターであがりました。

5階にあがり、数メール進むと、見慣れた絵画が展示されているではありませんか!!

そう我らがたけさんの絵画です。今年は15周年ということで特設コーナーになっているのか常設コーナーなのかは分かりませんでしたが(そのうちたけさん本人に確認してみます)、たけさんの個展と遜色ないほどの規模で絵画が10点ほど飾られていました。たけさんの出身地は四国ですが、徳島だったよな…なんて思いながら、四国つながりで今治のタオル美術館に進出?なんて想像しておりました。実は、以前からタオル美術館に作品を置いてもらっているという話は聞いていたのですが、実際にこの目で見ると何かしら嬉しいもので、感慨深い思いでぼんやりとたけさんの作品を眺めて歩きました。

私の事務所にはたけさんの世界に一つだけのオリジナル作品が飾ってあるんですけどね(笑)。ちょっと誇らしげな気分で、今治タオル美術館を後にしました。



表現者たけさんに画いてもらった絵が事務所に飾ってありますが、どっしりと重みを増して、堂々とした光を放っています。

たけさんは、ご自身で詩と絵を画く画家なんですが、私が無理を承知で、「好きな詩に合った絵を画いてくれ」と昨年暮れから年始にかけてお願いをしてみました。すると、本当なら大変失礼な依頼かもしれないところを、当然のようにオリジナル原画の制作に前向きな返事をくれたのでした。相変わらず心の広いたけさんです。

でも、好きな詩と言っても著作権とかがあるから勝手には画いてもらえないだろうと、さらに質問してみたのですが、死後50年を超えた作者の詩なら著作権が切れている?という回答をもらい、高村光太郎も大丈夫という結論に至りました。

では、何故、高村光太郎なのか?

実は、私は、中学3年生くらいから、大切な言葉や自分の決意などをノートに書き留める習慣が出来つつあったのですが、高校になっても一向に国語の成績が上がらず、高校一年の秋だったか、国語力をつける方法を親友の家庭教師に相談したところ、「日記を書け」というアドバイスをもらいました。普通ならこんな不純な動機で始めた日記なんて続かないはずなのに、書くことを欲していたのか、不思議と国語力アップが動機で始めた日記はずっと飽きることなく続きました。というか、最初は何を書いて良いのか分からなかったのが、いつしか手記のように自分の思いや感情を長文で書き綴るようになっていました。今でもたまに読み返すことがありますが、「これが本当に俺??」というほど、毎日を真剣に生きていた自分自身の軌跡がそこにはあります。当然、青春時代特有の友人関係や恋愛など、悶々とした日々が綴られているのですが、そんな毎日の日常の中にも、今読んでもキラキラ輝く魂が読み取れる文章があります。

それはさておき、大学時代まで万年筆で綴っていた日記ですが、そのうちワープロが活躍するようになりました。その次はパソコンですね。で、ワープロやパソコンで日記を綴る場合、データを保存する必要があります。そのときファイル名で思いついたのが「道程」だったわけです。

なぜ高村光太郎の「道程」なのか?

実は、中学時代だったと思うが、国語の教科書の巻頭にカラーページがあり、山の写真を背景にしたそのページに高村光太郎の「道程」が載っていたのです。で、普通は不要になった教科書は廃棄するのでしょうけど、何故かこのページを切り取って大切に保管していたのです。先ほど書いた中学時代から始めたノートに挟んだまま今もこのページが残っています。

その時感じた思いと、もう7年前になりますが、今は亡き父を常に意識しながら生きている自分を重ね合わせると「道程」がずっと自分を支えてくれていた気がするのです。

生き難い人生を、自分なりに切り開いて今日まで生きてきた、その自分をこの年齢になって振り返ってみると、まさに僕の後ろに道はできていたのだと、しみじみ思うわけなのです。

僕にとって大切な「道程」をたけさんの絵の中に表現してもらい、目に見える形で残したいと強く思ったのです。

「道程」からイメージできる絵を画いて欲しい、こんな難題にたけさんは果敢に取り組んでくれました。案画を見てくれと頼まれましたが、「サプライズ」が欲しいし、たけさんのセンスは信頼しているから、案画はいらないと伝えました。そうして画かれた絵が今事務所に飾ってあります。

この絵にはもう一つの思いがあります。それは、…

いつか息子に贈りたいと。

私の思いを受け継いで欲しいと。

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