御述作の年代について
 この守護国家論がいつ著されたかについては、古来さまざまな説があり、決定的なことはいえない。
 しかし本文中に「正嘉元年には大地・大に動じ同二年に大雨大風苗実を失えり定めて国を喪うの悪法此の国に有るかと勘うるなり」(006009)とあり、更に「正嘉元年に大地大に震い同二年に春の大雨苗を失い夏の大旱魃に草木を枯し秋の大風に菓実を失い飢渇忽に起りて万民を逃脱せしむること金光明経の文の如し」(006110)とあるところから、少なくとも正嘉元年(1257)の大地震、同2年(1258)の大雨・大旱魃・大風の後に著されたことは確かである。
 だが、これでは具体的な年時を明らかにできないので、更に同時期の災難を記した著作をあたってみると、例えば安国論御勘由来には「正嘉元年
太歳丁巳八月廿三日戌亥の時前代に超え大に地振す、同二年戊午八月一日大風・同三年己未大飢饉・正元元年己未大疫病同二年庚申四季に亘つて大疫已まず万民既に大半に超えて死を招き了んぬ」(003301)とある。すなわち、正嘉元年(1257)同2年(1258)の災難の後、正嘉3年(1259)には大飢饉、正元元年(1259)には大疫病、同2年(1260)には、四季にわたる大疫病、と続いていることが分かる。
 しかしながら、この守護国家論には、正嘉元年と2年(125758)の災難は記されているが、正嘉3年とそれが改元された正元元年(1259)の災難については全く触れられていないので、おそらく正嘉2年と同3年・正元元年(125758)の間の御述作されたと推測してよいであろう。
 諸説あるなかで、この書を正元元年(1259)の著述とするのが一般的であり、妥当のようである。
御述作の由来と題号について
 さて、正元元年(1259)といえば、日蓮大聖人は御年38歳であらせられた。周知のとおり、日蓮大聖人は建長5年(1253428日に安房の清澄寺で立教開宗をされた。その後、鎌倉の松葉ヶ谷の草庵を拠点に妙法の弘通を展開されたが、その間にも前述の立正安国論御勘由来の御文のとおり、疫病・飢饉・大地震など、時の人々にまさに世の末を予感させるような、異常ともいうべき災難が立て続けに起きていたのである。
 この諸現象を見聞された大聖人は、何ゆえにこのような災害が起こって民衆を苦しめるのかという原因を究明し、かつ真に民衆が安住しうる平和で安穏な社会・国家を建設するための方途を世の人々に示そうとされて、一切経の閲覧のために駿河国の岩本実相寺の経蔵に入られたのであった。正嘉2年(1258)、37歳の時のことである。
 その結果、2年後の文応元年(1260716日、立正安国論をもって第1回の国主諌暁をなされるという、あまりにも有名な出来事として実を結ぶのである。
 それはともかく、岩本実相寺の経蔵で、大聖人は一切経5000余巻の閲覧、検索をされながら、次々と著述されていたのである。
 その代表的なものとして、一代聖教大意、一念三千理事、一念三千法門、十如是事などがある。
 この間、入蔵中の正嘉2年(1285214日には、安房の故郷で大聖人の慈父・妙日が死去されている。
 大聖人は岩本実相寺にあって、この悲報を受けられたが、帰郷されることもなく、ひたすら一切経の閲覧に打ち込まれたのである。
 それほど大聖人にとって、打ち続く災難の原因を究明し解決法を明かすことが最重要の課題であったことが分かるのである。
 更に、忘れられてはなられない出来事としては、この岩本実相寺において、この当時、近くの天台宗四十九院で修学中であった13歳の日興上人が大聖人に御給仕し、その威容に接して大聖人の弟子となられたことが挙げられよう。
 こうして、岩本実相寺での閲覧を終えられた大聖人は、翌正元元年(1259)には鎌倉にお帰りになり、立正安国論を完成されるに先立ち、守護国家論を著述されたのであろう。
 すでにみられるように、一切経を閲覧されながら著された一代聖教大意、一念三千理事などの著作は、釈尊一代の聖教を浅きより深きへと整頓されて、法華経こそ釈尊の出世の本懐であり、一代聖教の最高位の経であることを論証されるとともに、法華経に基づいて構築された中国の天台大師の一念三千の法門について、大聖人の立場から批判的に継承することを鮮明にされたもので、その意味では、入蔵の本来の目的であった災害の原因とその解決策についての大聖人の結論は、この段階まではまだ明らかにされていなかったといえよう。
 守護国家論は、本来の目的であった災難の原因究明を理論整然たる叙述形式に収めて展開された、最初の著述といえるのである。
 結論の一端を端的に述べられた一文として、「此の経文を見るに世間の安穏を祈るとも而も国に三災起らば悪法流布する故なりと知る可し而るに当世は随分国土の安穏を祈ると雖も去る正嘉元年には大地・大に動じ同二年に大雨大風苗実を失えり定めて国を喪うの悪法此の国に有るかと勘うるなり」(006008)が挙げられる。
 ここでは、悪法が流布し、それによってどれほど世間の安穏を祈っても、かえって国に穀貴・兵革・疫病や火災・水災・空災が起こる、との金光明経の経文に依って、当時の日本が国中挙げて国土の安穏を祈りながら、ますます大地震や大雨・大風が起こっているのは、国を喪失させる悪法が日本国にあるからであると結論せざるをえない、と述べられている。
 では、その「国を喪うの悪法」とは何か。大聖人ははっきりと法然の撰択本願念仏集であると断定されている。
 すなわち「中昔・邪智の上人有つて末代の愚人の為に一切の宗義を破して選択集一巻を造る」(003611)と、法然の撰択集一巻こそ、悪法・悪義であると指摘されている。
 「亦多くの書有り所謂・浄土決義鈔・弾選択・摧邪輪等なり、此の書を造る人・皆碩徳の名一天に弥ると雖も 恐くは未だ選択集謗法の根源を顕わさず故に還つて悪法の流布を増す」(003701)と仰せのように、たしかにこの法然の邪義を破るために、伝統仏教である日本天台宗・園城寺の公胤、延暦寺の仏頂房隆真、華厳宗の明恵などの碩学が、それぞれ浄土決義鈔・弾撰択・摧邪輪を著したけれども、これらの書は、いまだ撰択集の邪義性、謗法性の根源を徹底して顕しきっていないため、かえって悪法を増長させる結果にしかならなかった、と位置づけられている。
 そこで「予此の事を歎く間・一巻の書を造つて選択集謗法の縁起を顕わし名づけて守護国家論と号す」(003704)と仰せのとおり、大聖人は法然の撰択集が何ゆえに正法誹謗としての謗法にあたるかという縁起を明かすために、この「守護国家論」を著したのであると仰せられている。
 守護国家とは、日本の国家・国土を守護する、という意味である。ここで国家とは、後に詳説するように、奈良・平安朝仏教が「鎮護国家」として意図したような王朝国家に限定されたものではない。
 あくまで、人々が安心して生活を営んでいけるための“社会環境”としての「国家」であり、そこには衆生の住む自然環境としての国土をも包み込んでいるものであることに留意しておきたい。
 なお、本書の御真筆は身延山にあったが、明治8年(1875)に焼失して、現在は写本のみが存在する。

本書の大意について
 前述のように、本書は第一回国主諌暁としての立正安国論上呈の前年に著述されたとされている。
 そこから、安国論御執筆のための準備段階として述作されたものと捉えられるが、単に安国論の草案といった程度のものではなく、大聖人御自身、題号を立てられ、内容を自ら七つの部門に分かち、更に細かくそれぞれの部門に科文を施さたりしているところから、大聖人御著作のなかでも最も整った体栽をもったものの一つである。
 したがって、本書の大意はこの七つの部門とそれぞれの科文をたどることによって、おのずから明らかになっていくであろう。
 まず初めに序文が置かれ、本書御述作に至った由来と背景とが、大聖人自らの筆によって明らかにされている。
 その後に「分ちて七門と為す、一には如来の経教に於て権実二教を定むることを明し、二には正像末の興廃を明し、三には選択集の謗法の縁起を明し、四には謗法の者を対治すべき証文を出すことを明し、五には善知識並に真実の法には値い難きことを明し、六には法華涅槃に依る行者の用心を明し、七には問に随つて答うることを明す」(003707)となっている。
第一門 釈尊自身が一代の経教のうちで権教と実教を区別したことを明かされているのは、権教を拠るどころとする法然の誤りを明確にされるためである。
 ここでは、一往、法華経・涅槃経・大日経等の真言三部経が実教であることが明かされ、これ以外の経教は権教とされている。
 涅槃経も「実教」とされたのは、天台の一代五時の立て分けで「法華涅槃」が第五時とされたことに関連しているが、真言三部経も実教とされたのは、とくに法然の念仏の教義の破折を目的おされたためであり、また当時の叡山天台宗が、法華とともに真言三部を用いており、この相違を明確にするのは、時期の到来を待たれたためである。
第二門 どの経教が末法今時における正法であるかという課題を設けられ、権教と実教とが如来滅後の正法・像法・末法というそれぞれの時代に興廃してきた推移を示され、末法今時は実教が流布して人々を潤していく時代であると決定されている。
第三門 末法今時は実教が流布すべきことを明かされた後、これに背いて権教を弘めている法然の撰択集が謗法の縁起を明らかにされるのである。
第四門 法然の念仏が謗法と決定したからには、謗法の者を対治すべきことを勧めた如来の教えを証文として挙げられ、謗法対冶こそ仏弟子の義務であることを示されるのである。
第五門 人々を正しく成仏に向かわしめる善知識や真実の法に出あうことがいかに難しいことであるかを論じられ、法華経こそが善知識であり、真実の法であるかを示されるのである。
第六門 ただ法華経の名字のみを唱えるだけで三悪道を離れることができることを明かされるとともに、日本は法華有縁の国であることを明かされ、法華経を持つ行者が住んでいる所こそ真実の浄土であることを明かされている。
第七門 質疑応答によって、実教である法華経の信行に対する権教諸宗からのさまざまな疑難を一つ一つ破られて、正法への信を勧められ、本書を終えられている。