05   之れに依つて 謗法の衆生国中に充満して適仏事をいとなみ 法華経を供養し追善を修するにも念仏等を行ずる
06
 謗法の邪師の僧来て法華経は末代の機に叶い難き由を示す、 故に施主も其の説を実と信じてある間 訪るる過去の
07
 父母夫婦兄弟等は 弥地獄の苦を増し 孝子は不孝謗法の者となり聴聞の諸人は 邪法を随喜し悪魔の眷属となる、
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 日本国中の諸人は 仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず

 これによって、謗法の衆生が国中に充満し、たまたま仏事をいとなんで法華経で追善供養しても、念仏などを行じている謗法の邪師の僧が来て、「法華経は末法の人々の機根にあわない」という。そのため、法華経で追善供養しようとしている施主も邪師の説を真実であると信じて、法華経を捨ててしまうので、弔われる亡父母・夫婦・兄弟などは、さらに地獄の苦しみが増し、追善供養をする孝子も不孝・謗法の者となってしまう。そして邪師の説法を聴いた者は邪法を随喜して悪魔の眷属となるのである。日本国中の人々は仏法を行じているように見えて、実は仏法を行じていないのである。

 ここでは念仏者が「智者の由をして法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申」して法華経によって故人を追善しようとしている人々を法華経から念仏者へとすかし落とした結果、追善供養を志す者も謗法となり、また追善供養を受ける死者も地獄の苦を受けることが述べられている。
 追善供養とは、先亡者の成仏を願って生存者が行う供養をいい、追善とは先亡者の衆苦を除いて、菩提の道を得さしめるために善根を修することである。供養とは『供給奉養』の義で、報恩のために真心から仏の前で経文を読んだり、諸物をささげて回向することである。
 この追善供養について、日蓮大聖人はあくまでも法華経の正法によらなければならないことを御書の随所に強調されている。
 たとえば光日上人御返事には「
烏竜と云いし者は法華経を謗じて地獄に堕ちたりしかども其の子に遺竜と云いし者 ・法華経を書きて供養せしかば親・仏に成りぬ」(093318)と仰せられ、また盂蘭盆御書には「目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う」(143003)と述べられている。
 そして、乗明聖人御返事に「
但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし」(101207)と仰せのように、謗法による供養を禁止されている。
 ここで述べられているように、本抄御執筆当時、専修念仏が急速に勢力を拡大しつつあり、「理深解微」の邪説によって、人々の法華経信仰が堀り崩されていく状況が顕著に見られた。こうして法華経を離れて念仏に走る人々に対し、大聖人は「不孝謗法の者」「悪魔の眷属」として、地獄に堕ちることを深く哀れんでおられるのである。