15       何に況や此の経を信ぜざる謗法の者の罪業は譬喩品に委くとかれたり 持経者を謗ずる罪は法師品にと
16
 かれたり、 此の経を信ずる者の功徳は分別功徳品・随喜功徳品に説けり謗法と申すは違背の義なり随喜と申すは随
17
 順の義なりさせる義理を知らざれども一念も貴き由申すは 違背随順の中には何れにか取られ候べき、 又末代無智
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 の者のわづかの供養随喜の功徳は 経文には載せられざるか如何、 其の上天台妙楽の釈の心は他の人師ありて法華

0005
01 経の乃至童子戯・一偈・一句・五十展転の者を爾前の諸経のごとく 上聖の行儀と釈せられたるをば謗法の者と定め
02
 給へり、 

 まして、法華経を信じない謗法の者の罪業は譬喩品に詳しく説かれている。また法華経の持経者を誹謗する罪は法師品に説かれている。更に法華何経を信じる者の功徳は分別功徳品・随喜功徳品に説かれている。
 謗法というのは、正法に違背するという意味であり、随喜というのは、正法に随い順ずるという意味である。法華経の教理がそれほど分からなくても、法華経が貴いことを少しでもいうことは違背と随順の中ではどちらに取るべきであろうか。また、末法に無智な者がわずかに供養し随喜する功徳は経文で説かれていないということであろうか。

 その上、天台大師や妙楽大師の釈の本意は、戯れに砂を集めて仏搭を作り、指で仏像を描く童子、法華経の一偈・一句をきいて随喜する者、五十展転の者について、爾前諸経に見られるような機根の勝れた聖者の修行でると解釈しているのを、謗法の者と定められたのである。

 ここで、正法への誹謗と随順という行為がもたらす罰と功徳が法華経の中に明確に説かれていることを挙げられ、そうした罰と功徳は末法の衆生にもあてはまることを述べられている。
 最初に、法華経を信じない謗法の罪について説かれているものとしては譬喩品、同じく法華経を謗ずる者の罪については法信品、また法華経を信ずる功徳については分別功徳品と随喜品があることを指摘されている。
 譬喩品第三では法華経を信ぜず誹謗する罪について、次のように説かれる。
 「
若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則一切、世間の仏種を断ぜん、或は復ヒン蹙して、疑惑を懐かん、汝当に、此の人の罪報を説くことを聴くべし、若しは仏の在世、若しは滅度の後に、其れ斯の如き経典を、誹謗すること有らん、経を読誦し書持すること、有らん者を見て、軽賎憎嫉して、結恨を懐かん、此の人の罪報を、汝今復聴け、其の人命終して、阿鼻獄に入らん、一劫を具足して、劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して 無数劫に至らん、地獄より出でては、当に畜生に堕つべし」
 更に譬喩品は、法華経を誹謗した者が畜生あるいは人と生まれた場合の罪報の姿を述べ「斯の経を謗ぜん者、若し其の罪を説かんに、劫を窮むとも尽きじ」と、その罪がいかに深く大きいかを強調している。
 次に法師品には法華経の行者を謗ずる罪について次のように説かれている。
 
「若し悪人有つて、不善の心を以つて、一劫の中に於いて、現に仏前に於いて常に仏を毀罵せん、其の罪尚軽し。若し人一の悪言を以つて、在家出家の法華経を読誦する者を毀シせん、其の罪甚だ重し」
 更に偈においては次のように説かれる。
 「若し一劫の中に於いて、常に不善の心を懐いて、色を作して仏を罵らんは、無量の重罪を獲ん、其れ、是の法華経を読誦し持つこと有らん者に、須臾も悪言を加えんは、其の罪報彼に過ぎん」
 以上の二つの文とも、不善の心をもって一劫という長遠の間仏を罵しる罪よりも、法華経を持つ者に瞬時の間でも悪言を加えた罪の方が重いとして、法華経の行者を誹謗する罪の重さを説いたものである。
 また、分別功徳品第十七で説かれる法華経を信ずる者の功徳としては、現在の弟子に約した「五品」がある。
 「四信」とは、一念信解、略解言趣、広為他説、深信観成であり、「五品」とは、初随喜品、読誦品、説法品、兼行六度品、正行六度品でる。
 現在の四信の最初の一念信解については、次のようにある。
 
「其れ衆生有つて、仏の寿命の長遠是の如くなるを聞いて、乃至能く一念の信解を生ぜば、所得の功徳限量有つこと無けん。若し善男子・善女人有つて、阿耨多羅三藐三菩提の為の故に、八十万億那由他劫に於いて、五波羅蜜を行ぜん。檀波羅蜜・尸羅波羅蜜・・提波羅蜜・毘梨耶波羅蜜・禅波羅蜜なり、般若波羅蜜をば除く。是の功徳を以つて、前の功徳に比ぶるに、百分・千分・百千万億分にして其の一にも及ばず。乃至算数・譬喩も知ること能わざる所なり」
 一念信解とは、法華経の法理を聞いて一念に信解を起こすことで、信心修行の最初をいうが、その一念信解の功徳であっても、これを八十万億那由他劫の間、布施・持戒・忍辱・精進・禅定の五波羅蜜の功徳は一念信解の功徳に対して百千万億分の一にも及ばないというのである。
 次に、滅後の五品のうち最初の初随喜品については次のように説かれている。
 「又復、如来の滅後に、若し是の経を聞いて、而も毀シせずして随喜の心を起さん。当に知るべし、已に深信解の相と為す」
 随喜品とは、法華経を聞いて随喜の心を起こすことであり、その境地はすでに深く信解した相になると説かれている。
 現在の四信の初位の一念信解も、滅後の五品のはじめの初随喜も、ともに法華経を信じたというだけの位であるが、その功徳は無量無辺であると述べられているのである。
 更に随喜功徳品第十八に説かれる法華経を信ずる者の功徳とは、いわゆる「五十展転の功徳」である。
 五十展転については次のように説かれている。
 「世尊滅度の後に、其れ是の経を聞くこと有つて、若し能く随喜せん者は、幾所の福をか得為き、爾の時に仏、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、阿逸多、如来の滅後に、若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷及び余の智者、若しは長、若しは幼、是の経を聞いて、随喜し已って、法会より出でて余処に至らん。若しは僧坊に在り、若しは空閑の地、若しは城邑・巷陌・聚落・田里にして、其の所聞の如く、父母・宗親・善友・知識の為に、力に随って演説せん。是の諸人等、聞き已って随喜して、復行いて転教せん。余の人聞き已って、亦随喜して転教せん、是の如く展転して、第五十に至らん。阿逸多、其の第五十の善男子・善女人の随喜の功徳を、我今之を説かん、汝当に善く聴くべし」
 このように仏の滅後に法華経を聞いて随喜して人に伝え、第五十番目に伝え聞いた人の功徳について随喜功徳品では、
 「我今分明に汝に語る、是の人、一切の楽具を以つて、四百万億阿僧祇の世界の、六趣の衆生に施し、又、阿羅漢果を得せしめん。所得の功徳は、是の第五十の人の法華経の一偈を聞いて、随喜せん功徳には如かじ。百分・千分・百千万億分にし、て其の一にも及ばじ。乃至算数譬喩も知ること能わざる所なり。阿逸多、是の如く第五十人の展転して、法華経を聞いて随喜せん功徳、尚無量無辺阿僧祇なり」
 と説かれている。
 すなわち、一切の娯楽の具をもって無数の世界の六道の衆生に施し、そしてまた小乗の最高位である阿羅漢果を得せしめることによって得る功徳さえも、法華経を五十展転して伝え聞き、わずかに随喜する功徳に比べ百千万億分の一にも及ばなというのである。
 このように法華経では法華経を誹謗する罪と、その反対に、行じて随喜する功徳がかに大きいかが説かれている。しかも、これらの罰と功徳は果報として現実相の上に顕われるとされる。寿量品において釈尊の本国土は現実の「娑婆世界」であると説き、また薬草喩品で「現世安穏・後生善処」と現世の功徳を強調いていることからも明らかなように、法華経はあくまでも仏法の正邪が現実の上に「実証」として顕われるものと見ているのである。
 次に「謗法と申すは違背の義なり随喜と申すは随順の義なり」の御文では「謗法」と「随喜」の本質を示されている。
 「謗法」とは「誹謗正法」の略で、正法を信ぜずに誹謗することをいう。妙楽大師が法華経譬喩品の文をもとに「十四誹謗」を分類して示しているように、謗法の態様はさまざまであるが、要するに謗法の本質は「法に背く」ことにある。すなわち、浅はかな己義や劣る法に執着して、正法に背を向けて信受しないことが謗法の本質といえる。
 逆に「随喜」は、身心ともに正法に随順することである。御義口伝に「
随順とは信受なり」(0739第十四随順是師学の事)と仰せのように、浅はかな己義や劣る法に執着するのではなく、正法を信受し、これに随順することで、それにより、その生命は歓喜に満たされていくのである。
 人が正法に接する場合、そこに生まれる態度としては、根本的には「随順」か「違背」かのいずれかに分かれる。それ故に答者は問者に対して「させる義理は知らざれども一念も貴き由申すは違背随順の中には何れかに取られ候べき」と、ほんの一瞬でも法華経を賛嘆する行為は違背・随順どちらに当たるのかと、詰め寄っているのである。
 次下の「
又末代無智の者のわづかの供養随喜の功徳は経文には載せられざるか如何」の御文の本意は、いうまでもなく、法華経に説かれる功徳と罰の法理が、普遍的な法理として末法においてもあてはまることを言われるところにある。それは、念仏宗では、末代の衆生は法華経では救われないとして「理深解微」などと言っているが、法華経では、そうした「解」を持たない無智の者がわずかに供養・随喜するだけでも偉大な功徳があると説かれている事実を取り上げられることによって、念仏宗の言い分を打ち破り、法華経が本来“義理を知らない名字即の凡夫”のための経典であることを示されているのである。
 次に、法華経方便品で説かれる童子戯、あるいは法師品に説かれる一念随喜や分別功徳品で説かれる五十展転は聖人の修行であると解釈して、末代の凡夫にはあてはまらないなどと言う人師は謗法であると天台・妙楽が定めていることを明かされている。
 この「童子戯」は方便品に次のように説かれているのを略したものである。
 「童子の戯れに、沙を聚めて仏搭と為れる 是の如き諸人等皆已に仏道を成じき」
 「童子の戯れに、若しは草木及び筆、或は指の爪甲を以って画いて仏像を作せる。是の如き諸人等、漸漸に功徳を積み 大悲心を具足して、皆已に仏道を成じき」
 また「一偈・一句」とは法師品に、
 「仏薬王に告げたまわく、又如来の滅度の後に、若し人有って、妙法蓮華の、乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せん者には、我亦
阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く」
 と説かれているのを指す。
 これらの経文はいずれも、法華経が偉大であるがゆえに、わずかな「善行」も成仏への因となることを説いたもので、したがってこの童子戯、一念信解などについて「上聖の行義」と位置付けること自体、いかに経文の趣旨を歪曲した邪説であるかが明らかである。それ故に、天台・妙楽は、そうした説をなす人師を謗法の者と破折しているのである。
 この「天台・妙楽の釈」は法華文句にあり、方便品の童子戯の文について地論宗の人師の釈を破しているところである。
 「地師解して云く、童子は是れ童真地にして、二乗凡夫の二辺の欲心無し、砂を聚めて搭と為す。砂は是れ無著、搭は是れ衆行なり、積集して正覚の心を含蔵すと、彼は謂く、義は無生に会す、以て深詣と為すと、今謂く文に乖き豎狭なり、何となれば登地は自ら応に成仏うべし、修羅の海を渡るが如し、何ぞ奇と為すに足らん、今童稚の戯砂の乱心の歌詠、微を指すに即ち著なるを以て、凡夫の海を渡るが如く不可思議なり。
 「地師、童真地と言うは、地に童真の名を立つ。但古人の云く住を能住と為し、地を所依と為す。故に住の名を以て地と名づく…故に今謂くの下、責して文に乖くというは文中に但童子という故なり」
 ここで、天台大師が地論師の説を「文に乖く」くものであると一言に打ち破っているように、まさにこの地論宗の解釈は法華経の文意を恣意的に歪曲したものである。謗法の本質は正法への違背であることから、童子戯を高位に位置付ける説は謗法と断定されるのである。
 天台大師が「謗法」と断じて破折したのは地論宗の人師であったが、大聖人がここでおのことをとりあげられている本意は、「理深解微」を理由に法華経は末法の衆生には適合しないと主張している念仏宗を「謗法」と断じられることにある。

 ここで法然がよりどころとした、中国浄土宗の大成者とされる善導について若干触れておきたい。
 善導は三論宗の吉蔵、法相宗の玄奘などと同時代に、唐王朝の最盛期に活動した人物である。法然が「偏へに一師に依る」と述べているように、日本浄土教は教義的基礎をほとんど全面的に善導の教義に依処した。「千中無一」の言葉に象徴されているように、念仏一行の「専修」を説くとともに観想念仏にたいして称名念仏を強調したことがその主張の大きな特徴で、法然はその所説に依存したのである。
 善導は「観無量寿経」などの浄土教典をその所説の基盤にしたが、その場合、経文を改ざんしたり、恣意的な経典解釈をしている。例えば、善導は称名念仏を強調するために観無量寿経で説かれる法蔵比丘の誓願の中心となる第十八願を書き換えている。
 すなわち、経典の原文は「もし、われ仏を得んに、十方の衆生、至心に信楽して我が国に生まれんと欲して乃至十念せん。もし生れずば、正覚を取らじ、唯五逆と正法を誹謗するものとを除く」であるが、これを善導は次のように書き換えている。
 「もし、われ仏を成ぜんに、十方の衆生、我が国に生まれんと願い、わが名字を称して下十声に至らん、我が願力に乗じて。もし生まれずば正覚を取らじ」
 すなわち、善導は「専念」「称念」「十声」「一声」「口称」など、経文の原文にはない言葉を経文の中に挿入し、原文の意味を恣意的に曲げて解釈している。しかも「唯五逆と正法を誹謗するものとを除く」の部分を削除してしまったのである。
 こうした経典の改ざんは、善導だけでなく善導の師・道綽にも見られる態度であるが、いずれにしても、自らの主観的な立場を経文の客観的な意義よりも優先される。極めて自分勝手な在り方といわなければならない。近年の学者からも「彼等の尊重する経典そのものに対しても、近年の学者からも「彼等の尊重する経典そのものに対しても、彼等みずからのこととしても、極めて不忠実な、恣な、また甚しく不用意な、しわざであったことには違ひない」と批判される所以である。したがって善導の所説は、彼が依拠する「観無量寿経」などの経典解釈からしても「己義」に満ちたものになっているのである。
 善導が客観的な文証よりも自身の主観を重視したことは、いわゆる「夢中見仏」を強調することにも現れている。『観経疏』の末尾には善導が霊験を求めて、夢の中で仏を見た体験を述べているが、自らの「夢」を教義を裏付ける根拠にしているところに、客観的な裏付けを無視して、自らの主観に埋没した基本的態度がうかがわれる。法然はこうした善導をさして「三昧発得の人」と崇拝したのであるが、善導が得たと称する「三昧」の内実は、要するに単なる「夢」に過ぎず、仏の悟りとはおよそかけ離れたものだったのである。
 また、善導の所説の大きな特徴は、人間の罪業の深さを強調したことである。善導は「決定して、深く自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」と述べて、凡夫の罪悪の深さを繰り返し説き、その救済は仏の慈悲にすがる以外にないとする他力本願へ導いたのである。
 ただし、法然に比べれば、まだ観想・懺悔の重要性を認めており、称名念仏の一行に徹してはいない。例えば『観経疏』の「定善義」では、太陽を通して観想する際に自身に罪障を感じたならば、過去より作った十悪・五逆・謗法・闡提などの罪を深く懺悔し、雨のように涙して骨を切るほどに自らを責めなければならないと説いている。
 更に善導は、現世の人間世界を「苦界」「魔郷」として、そこからの逃避を強調した。その著作には、次のように、現実世界を偽りと悲嘆に満ちた世界とする言葉が続いている。
 「娑婆は苦海なり、雑悪同じく居して八苦相焼動して違反を成ず。詐り親しみて笑を含む、六賊常に随いて三悪の火抗臨々として入りなんと欲す。
 「魔郷には停まるべからず…至る処に余楽なく、唯愁歎の声のみを聞く」
 このように人間の罪業を強調し、現世の醜悪を説いた善導の言葉は、現実社会の苦しみにあえぐ当時の中国民衆の心を巧みにとらえた。
 こうして善導は、人々に現世での幸せを諦め、死後の浄土への往生を願わせたのである。そして、そのため、読誦・礼拝・懺悔などの儀礼・行法を整理するなど、従来の浄土教の枠を超えて、民衆階層に食い込むことに力を注いだ、その結果、善導は、首都・長安を中心に多くの信者を獲得することに成功した。善導の教化活動を見聞した立宗の開祖・道宣は『続高僧伝』にその様子を「既に京師に入りて広く此の化を行ず。弥勒経数万巻を写す。士女の奉ずる者、その数は無量なり」と述べている。
 ただし、民衆への布教は、人々を現世へと絶望と逃避に駆り立てる類いのものであったから、信者の中には浄土往生を憧れるあまり自殺する者が跡を絶たず、特に阿弥陀の名を念じて死ねば浄土に生まれると善導から言われた信者が、その直後に寺の前の柳の木で縊死しようとして墜落死した事件は、当時の政府にまで知られたといわれ、後にはこの事件が善導自身のこととして伝えられ、そのように理解するのが一般的となった。大聖人もこの説を用いられている。
 おのように民衆の現実への絶望感に迎合して多くの帰依者を得た善導は、一方で、政府当局とも深く結びついていたと推側される。それをうかがわせるのは、洛陽の龍門石窟の大仏造営に関わったことである。当時の皇帝・高宗と皇后の発願による国家事業である大仏造営に、善導は検校僧として重要な役割を担っていた。また善導が長安の都を代表する大寺院・慈恩院に居住することを許されていたこと、あるいは皇帝・皇后・皇太子の長命を願う願文がその著『法事讃』の末尾に記されていることなどは、国家体制に順応・妥協することを基本とした善導の姿勢を示しているといえよう。
 次に日本の法然も本抄に「智慧第一の法然上人は法華経等を行ずる者をば祖父の履或は群賊等にたとへられたり」と述べられているように、善導を受け継いで念仏専修を主張し法華経の信仰を排斥した。
 「群賊」とは、観経疏のいわゆる「二河白道の譬喩」で、念仏以外の教えを行ずる者を譬えた言葉である。すなわち観経疏で善導は「群賊等喚び廻すと言うは、則ち別解別行悪見の人等、妄りに見解を説いて迭に相惑乱し、及び自ら罪を造りて退失するに喩うるなり」と述べている。法然は、この善導の言葉を受けて選択集に「一切別解・別行・異学・異見等と言ふは、これ聖道門の解行・別行・異学・異見等と言ふは、これ聖道門の解行学見を指すなり」と。法華経を含めて念仏以外の行を勘める者を「群賊」に当たるとしたのである。
 なお、「祖父の履」の言葉は法然の言ではなく、守護国家論に「或は祖父が履に類し聖光房の語」(004717)とあるところから、法然の弟子の聖光房の言葉であると考えられるが、出処は明らかではない。
 大聖人はこのように法華経を誹謗し法華経の信仰を排撃するのはまさに法華経譬喩品の「若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば」に当たる故に、この譬喩品に断じられているように無間地獄に堕ちると警告されたのである。