10                               仰せに付いて疑はしき事侍り実にてや侍るらん法
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 華経に説かれて候とて智者の語らせ給いしは昔三千塵点劫の当初・ 大通智勝仏と申す仏います 其の仏の凡夫にて
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 いましける時十六人の王子をはします、 彼の父の王仏にならせ給ひて 一代聖教を説き給いき 十六人の王子も亦
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 出家して其の仏の御弟子とならせ給いけり、 大通智勝仏法華経を説き畢らせ給いて 定に入らせ給いしかば十六人
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 の王子の沙弥 其の前にしてかはるがはる法華経を講じ給いけり、 其の所説を聴聞せし人幾千万といふ事をしらず
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 当座に悟をえし人は不退の位に入りにき、 又法華経をおろかに心得る結縁の衆もあり其の人人・当座中間に不退の

0002
01 位に入らずし 三千塵点劫をへたり、 其の間又つぶさに六道四生に輪廻し 今日釈迦如来の法華経を説き給うに不
02
 退の位に入る所謂・舎利弗・目連・迦葉・阿難等是なり猶猶信心薄き者は当時も覚らずして未来無数劫を経べきか知
03
 らず我等も 大通智勝仏の十六人の結縁の衆にもあるらん

 今、あなたの言われたことについて疑わしいことがある。あなたのいうことは本当なのだろうか。法華経に説かれている内容であるとして、念仏宗の智者は次のように言っている。
 むかし三千塵点劫の当初に大通智勝仏という仏がおられた。その仏がまだ凡夫であられたとき十六人の王子がおられた。その父親である王が出家して仏となり、一代聖教を説かれた。十六人の王子また出家してその仏の弟子となられた。大通智勝仏は法華経を説き終わって禅定に入られたので、出家して沙弥となっていた十六人の王子は、入定した大通智勝仏の前で交互に法華経を講説された。王子たちにその講説を聞いた人は幾千万とも分からないほどであった。その講説を聴いてその場で悟りを得ることができた人は不退の位に入った。また、法華経を不十分にしか理解できず、結縁しただけの人々もいたが、その人々は法華経の講説を聞いた場でも、また釈尊在世以前の中間の期間も、不退の位に入らないで三千塵点劫を経てしまった。その人々は、この三千塵点劫を経る間に、つぶさに地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を卵生・胎生・湿生・化生の四生によって輪廻し、今日在世に釈迦如来が法華経を説かれるのを聴いてき不退の位に入ったのである。舎利弗・目連・迦葉・阿難などがその人々である。その人々よりも更に信心が薄い人々は、釈尊在世でも悟ることができずに未来無数劫を経過しなければならないのであろうか。それは分からないが、われわれも大通智勝仏の十六人の王子に結縁した者であろうか。

 問者は、末代の衆生が法華経では救われない衆生であるとする念仏宗の「知者」の言い分を挙げる。そのなかで、法華経化城喩品第七の「大通覆講」を挙げて、末法の凡夫がこの救済に漏れた衆生であることを主張するのである。
 三千塵点劫の昔、大通智勝仏の十六王子による法華経の講説を聴いた衆生は第一類・「不退」、第二類「退大取小」、第三類「未発心」の三種類に分かれる。すなわち、
 第一類・不退・発心し、退転せず得道した者。
 第二類・退大取小・発心はしたが途中で大乗から退転して小乗の修行に堕ちたことによって悪道を流転し、釈尊在世に再び法華経に還って得道した者。
 第三類・未発心・十六王子の法華経の説法を聞いても発心できないで悪道を流転してきた者で、一部は釈尊在世に法華経を聞いて得道するが、他は以後も悪道を流転する者。
 大通結縁の衆生に三類あることについて、天台大師は、法華経化城喩品の「仏、諸の比丘に告げたまわく、是の十六の菩薩は、常に楽って、是の妙法蓮華経を説く」以下の文を受けて、法華文句で次のように述べている。
 「仏告諸比丘十六の下、第二に中間に常に相逢値することを明す。逢値に三種有り、若し相逢遇して常に大乗を受くれば、此の輩中間に皆已に成就して今に至らず。若し相逢遇して其の大を退するに遇て仍ち接するに小を以てせば、此輩中間に猶故に末だ尽きず、今還て大乗の教を聞くことを得、三に但小に遇うことを論じて大に遇うことを論ぜず。則ち中間に末だ度せず。今に亦尽くさず、方に始めて大を受く、乃至滅後得道の者是なり」
 つまり三千塵点劫の時に大乗を信受した者は中間において仏道を成就して釈尊在世に現れないが、大乗を値遇しながら退転して小乗に落ちた者は、中間では成仏できずに釈尊在世に生まれて法華経を聞いて得脱する。さらに小乗に執着いて大乗に信受できなかった者は、中間では当然成仏できず、在世に於いて初めて大乗を聞き、釈尊滅後に大乗を受けて得道するとされている。
 本文をこの三類にあてはめれば次のようになる。
 第一類・不退・「当座に悟をえし人は不退の位に入りにき」。
 第二類・退大取小・「又法華経をおろかに心得る結縁の衆もあり其の人人・当座中間に不退の位に入らずし三千塵点劫をへたり、 其の間又つぶさに六道四生に輪廻し今日釈迦如来の法華経を説き給うに不退の位に入る所謂・舎利弗・目連・迦葉・阿難等是なり」。
 第三類・未発心・「猶猶信心薄き者は当時も覚らずして未来無数劫を経べきか」。
 このように大通結縁の衆生に三種類があることを受けて、念仏者は「知らず我等も大通智勝仏の十六人の結縁の衆にもあるらん」として、我々末法の凡夫が、この大通結縁の第三類に入ろるのではないか、と言うのである。