教機時国抄 04380442

 

はじめに

 本抄は、弘長2年(12622月、伊豆流罪中に著された書である。伊豆の流罪は、文応元年(1260)の「立正安国論」による国主諌暁を機に起こった、初めての権力による迫害であり、その背景にあった念仏者等の動きこそ、三類の強敵の中の第三・僭聖増上慢の蠢道にほかならなかった。

 この法難の中で著された本抄において、日蓮大聖人は、御自身の弘められている妙法が、教・機・時・国・教法流布の先後という“宗教の五義”に照らして誤りなき大法であることを、いわば再確認され、法華経の金言によっても、正法であるが故に三類の敵人による迫害にあうのは、むしろ必然であることを述べられている。

宗教の五義の意義

 “宗教の五義”は、個々には過去の論師によって、正法弘通の条件として示されてきたが、それを総合して“五義”あるいは“五網”として論じられたのは、日蓮大聖人が初めてであり、したがって、日蓮大聖人の独自の教判であるということができる。

 五義それぞれの内容については本文を拝読するなかで明らかになることであるが、なぜ大聖人以前には整足されなかったかを考えると、その背景には、過去の仏法においては、究極の法を打ち立ててはいなかったことが、第一に挙げられる。即ち竜樹や天親にしても、天台大師や伝教大師にしても、経典の位置づけは行っても、その奥底にある最後究竟の法は観法・禅定によって己心中に悟る以外になく、言葉によってあらわしうるのは、そこに至る途中までであるという立場であった。したがって「教を知る」ということ自体、真実の意味では「言語道断・心行所滅であって、求めること自体がむりであったわけである。

 いわんや、第二の“機”さらに“時”との関係がからんでくると、相手によっては、次善、三善の法しか説くことができないことになる。事実、天台宗等においては、初心の修行としては、称名念仏を教えたのであり、“機”に応じて教えている権教の念仏と“教”を知ったときの法華第一ということが矛盾してしまうのである。

 これに対して、日蓮大聖人が初めて“教”の究竟である南無妙法蓮華経を弘められ、それは、末法の衆生の“機”に対しても、末法の“時”にも叶い、日本の“国”の条件にも、そこでの“教法流布の順序”からいっても合致している唯一の正法なのである。即ち教・機・時・国・序のいずれの観点から判じても正しい仏法が、いま日蓮大聖人の弘めている南無妙法蓮華経の大法であることを明らかにされたのである。

 したがって、正法を選ぶための教判としての“五義”の中の第一「教を知る」ための基準として立てられるのが、文・理・現の三証であり、五重の相対の法門なのである。“五義”そのものは、もっと広汎な立場から、根本的に大聖人の仏法と実践の正しさを裏づける規範であり、大聖人の御確信の支えとなった基盤なのである。したがって、日蓮大聖人の仏法において三大秘法に次ぐ重要な法門として位置づけられるのである。

 即ち大聖人は“教”という教理内容の面からだけでなく、救わんとされる衆生の“機”という人間観、また、出現されたこの末法という“時”、日本という“国”の社会・文化観、そして、この日本で、いかなる仏教流布の過程をたどったかという歴史観のうえから、この南無妙法蓮華経以外にないことを確信されたのである。

 我々にとって五義とは、本抄で、五義それぞれについて明かされる中で「仏教を弘むる人は必ず機根を知るべし」 「仏教を弘めん人は必ず時を知るべし」「仏教は必ず国に依つて之を弘むべし」「必ず先に弘まれる法を知つて後の法を弘むべし」と御指南あそばされているように、法を弘めるうえで心懸けねばなない規範であると拝することができる。

 ゆえに、日寛上人は依義判文抄に「此の五義を以て宣しく三箇を弘むべし」と仰せられている。

本抄の大意および系年

 本抄は、大別して三段に分かれる。

 まず冒頭から「已上の此の五義を知つて仏法を弘めば日本国の国師と成る可きか」までで、教・機・時・国・序の五義をそれぞれの概要を示され、これを正しく知って仏法を弘める人が、真実の仏法指導者であると述べらている。

 第二は「所以に法華経は一切経の中の第一の経王なりと知るは是れ教を知る者なり」から「仏誡めて云く『悪象に値うとも悪知識に値わざれ』等と云云」までで、宗教の五義にそれぞれ照らせば、いかなる法が正法であるかを述べられ、それをわきまえない各宗を破折せられている。

 最後に「法華経の勧持品」以下で、前述のような五義をわきまえない邪宗邪師の充満する中で正法を弘める者には、三類の強敵が競うことは仏説に照らして必定であり、死身弘法の実践あるのみとの決意を披瀝して結ばれている。

 以上のような内容から、本抄の御述作には年代の記述がなく、古来、異説があるが、法難の最中に著されたものと考えられる。しかも、本抄には「又当世は末法に入って二百一十余年」、「如来の滅後二千二百一十余年」とあるところから、当時信じられていた説によると、弘長元年(1261)が仏滅後2210年になり、したがって、弘長2年(1262)あるいは3年と推察されるのである。

 弘長3年(1263222日に赦免になられて鎌倉へ帰られているので、その直前の210日との推定も否定できないが、ここでは弘長2年(1262)御述作としておく。

第一章 教を明かす 0438.010438.07

本文

教機時国抄    弘長二年二月十日    四十一歳御作   本朝沙門日蓮之を註す

  一に教とは釈迦如来所説の一切の経.律・論・五千四十八巻・四百八十帙・天竺に流布すること一千年・仏の滅後一千一十五年に当つて震旦国に仏経渡る、後漢の孝明皇帝・永平十年丁卯より唐の玄宗皇帝・開元十八年庚午に至る六百六十四歳の間に一切経渡り畢んぬ、此の一切の経・律.論の中に小乗・大乗・権経・実経.顕経・密経あり此等を弁うべし、此の名目は論師人師よりも出でず仏説より起る 十方世界の一切衆生一人も無く之を用うべし之を用いざる者は外道と知るべきなり、阿含経を小乗と説く事は方等・般若・法華・涅槃等の諸大乗経より出でたり、法華経には一向に小乗を説きて 法華経を説かざれば仏慳貪に堕すべしと説きたもう、涅槃経には一向に小乗経を用いて仏を無常なりと云わん人は舌口中に爛るべしと云云。

現代語訳

 第一に教とは、釈迦如来が説かれた一切の経・律・論は五千四十八巻・四百八十帙である。これがインドに流布すること一千年を経て釈尊の滅後一千一十五年にあたる年に中国に仏経が渡った。後漢の孝明皇帝の永平十年丁卯から唐の玄宗皇帝の開元十八年庚午に至るまでの六百六十四年の間に、一切経は渡り終わった。

 この一切の経・律・論の中に、小乗・大乗・権経・実経・顕経・密経がある。これらをわきまえ知らなければならない。この名称は論師・人師から出たものではなく、仏説から起こったものである。したがって十方世界の一切衆生は一人ものこらずこれを用いるべきである。これを用いない者は外道の者と知るべきである。阿含経を小乗と説くことは方等・般若・法華・涅槃などの諸大乗経から出たのである。法華経には「ただ小乗経だけを説いで法華経を説かなければ仏は慳貪の罪に堕ちるであろう」と説かれている。また、涅槃経には「ただ小乗経だけを用いて、仏を無常であるという人は、舌が口の中で爛れるであろう」と説かれている。

講義

 宗教の五義の中の“教”について述べられた段である。以下、機・時・国・序と順を追って述べられ、さらにこれら教・機・時・国・序のそれぞれについて「知ること」を示されている。
 “教”とは「上より下をおしえる」ことであり、「上の行う処を下をして倣わしむる」義がある。もとより、ここでいう“上”“下”は社会的な上下の差別とは無関係である。法=真理を悟り、智を得ている人を“上”とし、まだ法=真理を知らず、愚迷の境界にいるものを“下”とするのである。
 元来、宗教はいずれも、修行によってにせよ、神の恩寵によってにせよ、余人の及ばない覚り、智慧を得た人が、人々にそれを伝えるという原理のうえに成り立っている。そこで覚り、智慧を得た人の言葉を称して“教”というのである。これは、あくまで自らが真理を得ようとして思索し、あるいは対話する立場をとる哲学と根本的に異なる宗教の特質である。
 仏教において、覚り・智慧を得た人は仏であり、したがって、仏教でいう“教”とは、仏の説いた教えである。仏教の開祖・釈迦牟尼世尊の教えは、八万法蔵と呼ばれ、厖大な量にのぼる。その言々句々は“経”として結集されたが、本抄でも「釈迦如来所説の一切の経・律・論」といわれているように、本来は釈尊が言葉で説いたのではない“律”、また、釈尊滅後の論師たちの著した“論”も“教”に含められる。
 “律”が含められるのは、釈尊が直接、言葉で説いたわけではないが、自ら行動のうえで示したこと、また、滅後の教団で定められた規範も、釈尊の真意に迫るために不可欠の要素と考えられたからである。“論”も、釈尊自身の所説ではないが、釈尊の真意を受けついだ人々によって、分かりやすくするために説き、著されたものとして、やはり、釈尊の覚りに近づくための要件とされたから“教”に含めて挙げられるのである。
 このように、仏教の“教”は「
五千四十八巻・四百八十帙」の一切の経・律・論という厖大なものになるわけであるが、ただ、そのすべてに通じなければならないというのではない。これらすべてに通ずるということは、並大抵でない大学者ということになるが、ただ、すべてを知っているだけでは不足なのである。この厖大な“教”の中に「大小」「権実」「顕密」の勝劣があることを知らねばならない、との仰せである。
 即ち、一切経論を、ただ客観的に、平等に、すみからすみまで知っているという認識だけにとどまっていては、まだ“教”を知っているとはいえない。そこに、大小・権実等をわきまえなければならないとは、正しい評価が加わらなければならないということである。この“認識”と“評価”が正しくなってこそ、真実に“教”を知っているといえるのである。
 本段では「
此の名目は論師人師よりも出でず仏説より起る」といわれ「之を用いざる者は外道と知るべきなり」と断言されている。即ちこの内容的評価事態も釈尊の“教”の重要な要素をなしているということである。本来、釈尊が覚った法は「一大事」の法といわれるように、ただ一つのものである。この「一大事」の法を説くために、前提とし、足がかりとして、種々の法を設け、説いたものである。したがって、そこには勝劣浅深の差別が本来あるのであり、それをわきまえなければ、釈尊の“教”を正しく知ることができないのは当然である。
 逆にいうならば、一代八万の厖大な“教”は知らなくても、そこに説かんとされた究極の「一大事」の法を知れば“教を知った”ことになるのである。日蓮大聖人は、この「一大事」の、究極の法こそ三大秘法の南無妙法蓮華経にほかならないことを示されているのである。
 いま本文で「大小」「権実」「顕密」とあげられた「顕経」とは、日蓮大聖人の仏法の立場からみれば、釈尊の法華経であり「密教」即ち、あらわに言葉に示さなかった経とは、法華経の寿量品の文底に秘沈された法であり、三大秘法の南無妙法蓮華経であることを知らなければならない。

第二章 機を明かす 0438.080438.15

本文

  二に機とは仏教を弘むる人は必ず機根を知るべし舎利弗尊者は金師に不浄観を教え浣衣の者には数息観を教うる間九十日を経て所化の弟子仏法を一分も覚らずして還つて邪見を起し一闡提と成り畢んぬ、仏は金師に数息観を教え浣衣の者に不浄観を教えたもう故に須臾の間に覚ることを得たり、智慧第一の舎利弗すら尚機を知らず何に況や末代の凡師機を知り難し但し機を知らざる凡師は所化の弟子に一向に法華経を教うべし、問うて云く無智の人の中にして此の経を説くこと莫れとの文は如何、答えて云く機を知るは智人の説法する事なり又謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり、例せば不軽菩薩の如し亦智者と成る可き機と知らば必ず先ず小乗を教え次に権大乗を教え後に実大乗を教う可し、愚者と知らば必ず先ず実大乗を教う可し信謗共に下種と為ればなり。

現代語訳

 第二に機とは、仏教を弘むる人は必ず機根を知るべきである。舎利弗尊者は金師に不浄観を教え、浣衣の者には数息観を教えたところ、九十日を経て所化の弟子は仏法を少しも覚らないで、かえって邪見を起こし一闡提となってしまった。仏は金師に数息観を教え、浣衣の者に不浄観を教えられたので、たちまちのうちに彼等は覚ることができた。智慧第一の舎利弗でさえなお衆生の機根を知らない。ましてや末代の凡師においては機根を知りがたい。ただし機根を知らない凡師は、所化の弟子にひたすら法華経だけを教えるべきである。

 問うて云う。それでは法華経譬喩品の「無智の人の中において、この法華経を説いてはならない」との文はどうなのか。

 答えて言う。機を知るとは智人が説法する場合である。しかし、謗法の者に向かってはひたすら法華経を説くべきである。それは毒鼓の縁を結ぶためである。たとえば不軽菩薩のようなものである。また智者となるべき機根と知るならば、かならず先に小乗を教え、つぎに権大乗を教え、最後に実大乗を教えるべきである。しかし機根が愚かな者であると知るならば、かならず先に実大乗を教えるべきである。信ずるにしても謗ずるにしても、ともに下種となるからである。

講義

 宗教の五義のうち、第二の“機”について述べられた部分である。機とは、教を受け入れて修行し証得する衆生の能力である。そうした衆生の能力をあらわすのに、なぜ“機”という文字・語を選んだかという問題があるが、この漢字のもともとの意味は、たとえば弓などのように、一つの働きを起こす仕掛けをいった。そこから、ある法がどのように衆生の生命に受け容れられ、働きを起こさせるかという、その衆生の生命の能力を“機”という言葉で表ようになったと考えられる。
 本文で示されているように、同じ法を教えても、それを受け止める衆生の機によって、その効果は、まちまちである。仏法への理解と信を起こさせるには、この衆生の機を、よくわきまえなければならないのである。一般的にいう教育と同じく、否それ以上に、仏法の化導は教えるものと教わるものとの共同作業なのである。
 しかるに、衆生の機がいかなるものかを知ることは、きわめてむずかしい。智慧第一といわれた舎利弗すら機を正しく捉えることはできなかったのである。いわんや、私達凡夫が機を正しく知るなどということは不可能に近いといわなければならない。だが、もし、ただ不可能であるということで終わってしまうならば、私達は仏法を人々に教え弘めることはできず、仏の使いとして名誉ある行為に参画できないことになってしまう。
 ただし、ここで、機が重要なのは、先の“教”の内容と関連するが、その教えるものが方便の教である場合である。即ち教えるものが究極の法自体でなく、究極の法へ相手を向かわせるための教えである場合、機によっては、まったく逆の、究極の法から遠ざかる方向へ心を発動させてしまうのである。舎利弗が金師に教えた不浄観や、浣衣者に教えた数息観は、こうした方便の教えで、しかも相手の機にかなわなかったために、逆方向へ作用し「仏法を一分も覚らずして還って邪見を起」させる結果となったのである。
 それに対し、日蓮大聖人が教えられた三大秘法は究極の法それ自体である。したがって、その順序いずれの方向に機が発動しても、この究極の法に帰着することは間違いない。当然、準の方向をとれば即身成仏できるが、逆の方向をとれば阿鼻地獄の苦に堕ちる。しかし、後者の場合も、すでに教わった法の偉大さへの理解を深めさせることとなり、一念を逆から順へ転換することによって、同じくただちに即身成仏ができるのである。
 今、私達も、この日蓮大聖人の仏法を弘めていくにあたっては、順逆ともに救うことができるのであるから、機をわきまえることができないからといって恐れる必要もなくなるのである。むしろ、結果的には、機を知らなくとも、知ったと同じ効果を得ることができるのである。 ただし、逆の方向に発動することもあり、その場合は、誹謗・中傷・迫害となって還ってくるから、いわゆる三障四魔・三類の強敵を覚悟して、それに耐える勇気ある実践を貫くことが要請されるのである。
 「
智者と成る可き機と知らば必ず先ず小乗を教え次に権大乗を教え後に実大乗を教う可し」とは、正像時代の弘教の方軌である。それに対し、末法においては、五濁の衆生であるから「愚者と知らば必ず先ず実大乗を教う可し」といわれている御文を根本とすべきことは、いうまでもない。

第三章 時を明かす 0439.010439.12

本文

  三に時とは仏教を弘めん人は必ず時を知るべし、譬えば農人の秋冬田を作るに種と地と人の功労とは違わざれども一分も益無く還つて損す一段を作る者は少損なり、一町二町等の者は大損なり、春夏耕作すれば上中下に随つて皆分分に益有るが如し、仏法も亦復是くの如し、時を知らずして法を弘めば益無き上還つて悪道に堕するなり、仏出世したもうて必ず法華経を説かんと欲するに縦い機有れども時無きが故に四十余年には此の経を説きたまわず故に経に云く「説時未だ至らざるが故なり」等と云云、仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し、正法には破戒・無戒を捨てて持戒の者を供養すべし像法には無戒を捨てて破戒の者を供養すべし、末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし但し法華経を謗ぜん者をば正像末の三時に亘りて持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず、供養せば必ず国に三災七難起り供養せし者も必ず無間大城に堕すべきなり、法華経の行者の権経を謗ずるは主君・親・師の所従・子息・弟子等を罰するが如し、権経の行者の法華経を謗ずるは所従・子息・弟子等の主君・親・師を罰するが如し、又当世は末法に入つて二百一十余年なり、権経・念仏等の時か法華経の時か能く能く時刻を勘うべきなり。

現代語訳

 第三に時とは、仏教を弘めようとする人は、かならず時を知るべきである。

 譬えば、農人が秋や冬に田を作れば、種と地と人の労作業に変わりがなくても、少しも利益がなく、かえって損することになる。一反を作る者は少損であり、一町・二町を作る者は大損である。しかし、春や夏に耕作すれば、上中下にしたがって、皆、それぞれに応じた収益があるようなものである。

 仏法も、また、これと同様である。時を知らないで法を弘めるならば、利無がないばかりか、かえって悪道に堕ちることになる。仏はこの世に出現されて、かならず法華経を説こうとされたが、たとい機はあっても時がきていなかったので、四十余年の間には、法華経を説かれなかった。ゆえに法華経方便品第二には「説く時が未だ至らなかった故である」等といわれている。

 仏の滅後のつぎの日から始まる正法一千年間は、持戒の者が多く破戒の者が少ない。正法一千年のつぎの日から始まる像法一千年間は、破戒の者が多く無戒の者が少ない。像法一千年のつぎの日から始まる末法一万年間は、破戒の者は少なく無戒の者が多い。正法には、破戒・無戒の者を捨てて持戒の者を供養すべきである。像法には、無戒の者を捨てて破戒の者を供養すべきである。末法には無戒の者を供養すること、仏を供養するようにすべきである。

 ただし、法華経を謗る者に対しては、正法・像法・末法の三時にわたって、持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも、ともに供養すべきではない。もし供養するならば、かならず国に三災七難が起こり、供養した者もかならず無間大城に堕ちることになる。法華経の行者が権経を謗ずるのは、主君が所従を、親が子息を、師が弟子を処罰するようなものである。だが、権経の行者が法華経を謗ずるのは所従が師匠を、子息が親を、弟子が師を処罰するようなものである。

 また今の世は、末法に入って二百一十余年になる。権経・念仏等の時か、法華経の時かをよくよく考えるべきである。

講義

 宗教の五義の中の“時”について述べられている段である。
 “時”とは、客観世界が全体的に奏でる変化のリズムといえよう。いま本文で第一に例として挙げられている農人の場合は、一年を周期とする自然界の変化のリズムである。秋に種を植えても、成長すべき時に次第に寒くなり雪におおわれて稲の必要とする条件に合わないが故に、米は実らない。初夏に植えれば、稲の成長、成熟に必要な気温、日射、水が得られて米が実るのである。
 第二の例として釈尊が法華経を説くのに、何よりも“時”を選んだといわれている。この中で「縦い機有れども」とあるのは、弟子・衆生の中に、一人・二人は法華経を聞き信受する機をすでに持っている人はいたけれども、ということである。
 大聖人は、この点を「撰時抄」でさらに明確に、法華経を説いた時の衆生は、機根からいうと、爾前経の時の、それにふさわしい機の人々より劣るとさえ指摘されて、法華経が“機”によらず“時”によって説かれたことを強調されている。
 この場合の“時”とは、たんに衆生の全体的な機根的条件だけでなく、釈尊の入滅が近いこと、そこから滅後の時代が始まることをも含んだ意味での“時”と考えられる。
 事実、法華経に説かれる仏の常住観等は、釈尊の入滅間近という条件のもとでこそ、衆生にもより切実に明確に受け容れられたものと思われる。
 第三に挙げられている、正法は持戒、像法は破戒、末法は無戒という変化と、それに応じて重んずべき仏法指導者のあり方が変わるという例は、“時”に応じて、広まる法も衆生の機も異なってくるということである。
 まず正法時代には、戒律を重んじた小乗経が広まった。戒を行ずることによって、仏教僧たちはおのずから禅定を得て解脱することができたのである。したがって、この時代の一般信徒は、戒律をきちんと守っている僧を仏法にかなった人として尊敬し供養すれば、功徳を積むことができたのである。
 それに対して、像法時代は「破戒の者は多く無戒の者は少し」といわれている。そして、この時代には「無戒を捨てて破戒の者を供養すべし」と教えられている。像法時代に広まった大乗教においては、戒律の修行は初歩の一段階に過ぎず、智慧の研鑽や衆生化他の実践が中心となってくる。したがって、正しい仏教僧であれば、戒律だけにとどまっているのではなく、そこからつぎの段階へ進まなければならない。これが、本抄でいわれている“破戒”であって、元へ逆戻りして退く意味での“破戒”ではないことに留意しなければならない。
 末法においては、法華経の実大乗、即ち大聖人の元意からいえば三大秘法の南無妙法蓮華経をただちに行ずる仏法が広まる時である。したがって、像法次代の場合のように一段階として戒を行ずることもないのであって、故に「末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し」であり、人々は“無戒”の人、妙法をただちに行じ、妙法をただちに教え弘める人を尊び供養することが大事となる。
 ここでいわれる“無戒の者”とは、ただ“無戒”であるのではなく、三大秘法の南無妙法蓮華経をただちに行じているということに重点があると拝さなければならない。それを、以下の「但し法華経」云々の御文に間接的に示されているのである。
 しかも「
末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし」の御文に“無戒の者”即、妙法をただちに行じ弘めている人こそ、末法の一切衆生を救済する方であり、供養する人には功徳善根を生ぜせしめる仏であることが明白である。
 「但し法華経を謗ぜん者をば正像末の三時に亘りて持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず」以下の御文において、前述したように、妙法こそ功徳の根源であることを断わられているのである。いうなれば、自戒か破戒か無戒かということは、修行者の“人”のうえにあらわれた姿であるのに対し、その根本となっている“法”が究極的に法華経即ち三大秘法の仏法に合致していなければならないことを示されている。つまり、“人”の外面にあらわれる姿は、時に応じて持戒・破戒・無戒と差別はあっても、根本の法華経が法の功徳の源泉であり、成仏の鍵であることは一貫しているのである。
 ただ、それを顕すあり方が、正法・像法の場合は間接的であるのに対し、末法においては、そうした介在物を排して直接的に説き示されるのである。その姿を「末法には無戒の者」と表現されたのである。日蓮大聖人こそこうした一切の介在物を排除し、なんら方便を設けることなく、究極の正法である三大秘法の南無妙法蓮華経を行じ弘めている“無戒の者”であられる。この段は「末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし」と、“人の本尊”を示され、「又当世は末法に入つて二百一十余年なり、権経・念仏等の時か法華経の時か能く能く時刻を勘うべきなり」と、末法の一切衆生の尊敬すべき法、即“法の本尊”を教えられている。そして、釈尊在世においても、正法が説かれた要件は“時”であったように、滅後、正像末の流れの中でも、正法流布の要件が“時”にあり、今まさに、その大白法流布の時である、との仰せである。

第四章 国を明かす 0439.130493.15

本文

  四に国とは仏教は必ず国に依つて之を弘むべし国には寒国・熱国・貧国・富国・中国・辺国・大国・小国・一向偸盗国・一向殺生国・一向不孝国等之有り、又一向小乗の国・一向大乗の国・大小兼学の国も之有り、而るに日本国は一向に小乗の国か一向に大乗の国か大小兼学の国なるか能く之を勘うべし。

現代語訳

 第四に国とは、仏教はかならずその国に応じた法を弘むべきである。国には寒い国と熱い国、貧しい国と富める国、世界の中央にある国と辺境の国、大国と小国、盗賊ばかりの国、殺生者ばかりの国、不孝者ばかりの国等がある。また小乗だけの国、大乗だけの国、大乗と小乗を兼ね学ぶ国もある。それでは日本国は小乗だけの国なのか、大乗だけの国なのか、それとも大乗と小乗とを兼ね学ぶ国なのか、この点をよくよく勘えるべきである。

講義

 宗教の五義のうち“国”について示された段である。
 “国”の条件の捉え方には、種々の視天があり、本文にも、その多様な角度が挙げられている。「寒国・熱国」は、まず、気候的条件である。気候条件の違いは、ただ自然環境にとどまらず、人々の気性や生活態度等にも大きい影響を及ぼす。熱い国では比較的に開放的になりやすいが、寒い国では閉鎖的になりやすいであろう。また、寒い国では、長い冬のために計画的に蓄えをしなければならないのに対し、熱い国では、もちろん、さらに細かい違いは種々あるにしても、いつでも食料が得られ、刹那的・快楽的に流れやすい等々。
 「貧国・富国」はいうまでもなく、経済的条件である。豊かな富んだ国と、貧しい国とでは、いわば人生哲学・生活哲学も異なる。そこから、同じ仏法を聞いても、その受け容れ方も違えば、実践の仕方も違ってくるであろうことは、容易に推察されよう。
 「中国・辺国」は、主として文化的な面での位置の問題である。文化を創造し、それが他国へ発散して、多くの国々に影響を与えていく国が「中国」であり、そうした文化の核から影響をうけていく国が「辺国」である。「中国」の人々が自信と誇りをもっているのに対し「辺国」の人々は、どうしても卑屈になりやすい。しかし、逆に「中国」の人が独善的に陥りやすいのに対し「辺国」の人は、あらゆるものを受け容れようとする謙虚さを発揮するともいえる。
 付随しておくが、仏教的観点から大聖人は、「中国」とは、仏教発祥の地インド、「辺国」とは発祥地から遠く離れた日本とされている。
 「大国・小国」は、権力的条件である。「大国」は、その強大な国力を背景に傲慢になりやすいのに対し「小国」はつねに、大国や周囲の動向をうかがいながら、自国の安全を維持しなければならない。やはり「大国」の人々は自身に満ち、おおらかになりやすいのに対し「小国」の人々は、せせこましくなる傾向が強いといえる。しかし、これも、逆に「大国」の人間が、物事をおおざっぱにとらえ、無神経になりやすいのに対し「小国」の人間は、繊細で機敏という特質をもちやすいということもいえる。
 「
一向偸盗国・一向殺生国.一向不孝国」の例は、いわゆる道徳観念やそこから来る風習の違いである。物を所有するという観念があまり強くないため、人の物を勝手に使ったりしても、それほど罪とされない国がある。これらが一向偸盗国」である。また「一向殺生国」とは、生命の尊厳という観念が弱く、殺人や傷害が日常茶飯事化しているような社会といえる。「一向不孝国」とは、親子の倫理がうすく、親は子をそれほど大事にせず、子も親を尊敬したり、面倒をみようとしない国ということである。
 こうした、気候・経済・文化・国際・道徳などの種々な角度からの違いに応じて、人々の考え方、生き方が異なるから、そこに弘められるべき教法も一律ではない。小乗教の戒律を主にして、倫理・道徳面から支えていかなければならない国もあるし、大乗教によって、もっと深い内面的な充実の法を必要とする国もある。また、この両方を必要とする国もある。結論として、では、日本は、これらのいずれに該当するかを勘えなければならない、と結ばれている。ここでは、問題提起の形で一応収められているのであるが、古来、日本は法華経有縁の国であることは、大聖人が諸御抄で、繰り返し強調されているところである。

第五章 教法流布の先後を明かす 0439.160440.01

本文

  五に教法流布の先後とは未だ仏法渡らざる国には未だ仏法を聴かざる者あり既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり必ず先に弘まれる法を知つて後の法を弘むべし先に小乗・権大乗弘らば後に必ず実大乗を弘むべし先に実大乗弘らば後に小乗・権大乗を弘むべからず、瓦礫を捨てて金珠を取るべし金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ。已上の此の五義を知つて仏法を弘めば日本国の国師と成る可きか

現代語訳

 第五に教法流布の先後とは、まだ仏法が渡っていない国には、まだ仏法を聴かない者がいる。すでに仏法の渡った国には仏法を信ずる者がいる。かならずその先にその国に弘まった法を知って、後の法を弘めるきである。

 先に小乗・権大乗が弘まっていたならば、後はかならず実大乗を弘めるべきである。先に実大乗が弘まっていたならば、後に小乗・権大乗を弘めてはならない。瓦礫を捨てて黄金と珠を取るべきである。黄金や珠を捨てて瓦礫を取ってはならない。

 以上この五義を知って仏法を弘めるならば、日本国の国師となるのである。

講義

 本章は、「五に教法流布の先後とは未だ仏法渡らざる国には未だ仏法を聴かざる者あり既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり必ず先に弘まれる法を知つて後の法を弘むべし先に小乗・権大乗弘らば後に必ず実大乗を弘むべし先に実大乗弘らば後に小乗・権大乗を弘むべからず、瓦礫を捨てて金珠を取るべし金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ」と、宗教の五義の教法流布の先後について明かされ、「已上の此の五義を知つて仏法を弘めば日本国の国師と成る可きか」の文は、以上の総じて論じてきた宗教の五義についての結論にあたるところである。
 したがって、本章までで、宗教の五義の総論が終わって、以下、五義を別して論じ、最後に、法華経の行事の死身弘法が説かれるのである。
 教法流布の先後とは、教法流布の前後とも、たんに「序」とも呼ばれるもので、教法の流布する順序や次第をいうのである。
 仏法を弘める人は、その国にこれまでいかなる教法が流布されてきたかを正しく認識し把握し、これまでに流布した法よりすぐれた教法を弘めなければ、人々を救うことはできないことを示されているのである。
 それは、先に弘まった法より劣る低い教法を弘めると、人々は劣った法を根本にして、勝れた法に背くことになる。このことは、人々に正法に背く謗法の罪を犯させる結果になるのである。勝れた法によって劣った法に背いても、それは仏法上の罪にはならないばかりか「
浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」(0509-08)といわれるように、むしろ仏法上すばらしいことである。
 したがって、法を弘めるにあたっては、以前に広まった法がいかなるものかをわきまえ、間違ってそれより劣る法を弘めてはならない。
 いま、日蓮大聖人が弘められる三大秘法の南無妙法蓮華経は、最高究極の法であるから、以前に広まってきた宗教がいかなるものであれ、この順序を誤るという恐れはまったくないのである。
已上の此の五義を知つて仏法を弘めば日本国の国師と成る可きか
 宗教の五義を知って仏法を弘める師が、事実の日本国の国師であるとの仰せである。国師については、御文の次下に、一切衆生を一人も漏れなく成仏へと導く人師のことであると示されているが、それでは誰が国師であるのか。 過去をふり返ってみると、一切経の中で法華経が最勝の経なりと他経と分別した天台大師が中国の国師であり、桓武天皇の時に、小乗・権大乗の義を破して、法華経の実義を顕揚した伝教大師が日本国の国師であった。今末法にあっては、宗教の五義をわきまえ、三大秘法を弘める日蓮大聖人が日本の国師であられることを知らなければならない。

第六章 教を知る 0440.010440.10

本文

  所以に法華経は切経の中の第一の経王なりと知るは是れ教を知る者なり、但し光宅の法雲・道場の慧観等は涅槃経は 法華経に勝れたりと、清涼山の澄観・高野の弘法等は華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと、嘉祥寺の吉蔵・慈恩寺の基法師等は般若・深密等の二経は法華経に勝れたりと云う、天台山の智者大師只一人のみ一切経の中に法華経を勝れたりと立つるのみに非ず法華経に勝れたる経之れ有りと云わん者を諌暁せよ止まずんば現世に舌口中に爛れ後生は阿鼻地獄に堕すべし等と云云、此等の相違を能く能く之を弁えたる者は教を知れる者なり、当世の千万の学者等一一に之に迷えるか、若し爾らば教を知れる者之れ少きか教を知れる者之れ無ければ法華経を読む者之れ無し法華経を読む者之れ無ければ国師となる者無きなり、国師となる者無ければ国中の諸人・一切経の大・小・権・実・顕・密の差別に迷うて一人に於ても生死を離るる者之れ無く、結句は謗法の者と成り法に依つて 阿鼻地獄に堕する者は大地の微塵よりも多く法に依つて生死を離るる者は爪上の土よりも少し、恐る可し恐る可し、

現代語訳

 ゆえに法華経は一切経の中の第一の経王であると知るのが、教を知る者である。ところが光宅寺の法雲・道場寺の慧観等は、涅槃経は法華経より勝れているといっている。清涼山の澄観・高野の弘法等は華厳経・大日経等は法華経よりも勝れているといっている。嘉祥寺の吉蔵・慈恩寺の窺基法師等は、般若・深密等の二経は法華経より勝れているといっている。天台山の智者大師ただ一人だけが、一切経の中で法華経が勝れていると立てただけではなく「法華経よりも勝れた経があるという者を諌暁しなさい。それでもいいやまないならば、現世には舌が口中で爛れ、後生は阿鼻地獄に堕ちるであろう」等といわれたのである。これらの相違をよくよくわきまえた者が教を知っている者である。

 今の世の千万の学者等は、誰もがこれに迷っている。もしそうなれば、教を知っている者は少ないことになる。教を知っている者がいなければ、法華経を読む者もいない。法華経を読む者がいなければ、国師となる者もいない。国師となる者がいなければ、国中の人々は一切経の大乗・小乗・権経・実経・顕経・密経の差別に迷って、一人も生死を離れる者がなく、結局は謗法の者となり、法によって阿鼻地獄に堕ちる者は大地の微塵よりも多く、法によって生死を離れる者は、爪の上の土よりも少ない。まことに恐るべきことである。

講義

 この段から、五義を正しく弁えるならば、法華経こそ第一であり、法華経を弘める人が“国師”の資格を有する人であることを述べられているのである。それは、やがて佐渡流罪の際、日蓮大聖人が主・師・親三徳具備の仏であることを開示されるのであるが、その中の“師”の徳の片鱗を明かされたものと拝することができる。
 さきに五義の中の教について明かされた段では「
小乗・大乗・権経・実経・顕経・密経を弁えなければならない」と、基準を示されただけであったが、その基準によって結論されるところは、法華経こそ第一であるということである。ただし、ここでは、権実の相対にとどめて、それ以上の本迹・種脱という、真実の意味での顕密にまでは触れられていない。それは、当時、まずこの権実の立て分けさえも人々は知らず、権教を実教の法華経より勝れるとしている邪義を打ち破らなければならなかったからである。
 仏典の規範に照らせば、少なくとも権実の次元では法華経こそ第一と立ててしかるべきであるのに、中国でも日本でも、それを無視した邪義を立てている高僧たちの説が風靡していた。いわゆる中国仏教では、涅槃経を第一と立てた法雲・慧観、華厳経を第一と立てた、吉蔵、般若経を第一と立てた吉蔵、深密を第一と立てた窺基、そして日本では大日経を第一と立てた弘法等である。これらの人々は、華厳・法相・真言等の宗派の祖で、絶対的な権威を認められていたのである。いいかえれば、当時の人々が“国師”と仰いでいた高僧達なのである。大聖人は、それを名指しで挙げて、これらの人は“国師”ではありえないと弾劾されたのである。これ自体、既存の権威に対する並々ならぬ改革の叫びであったことを知らなければならない。
 のみならず、法華経最第一の正義を唱えた唯一の先駆者として天台智者大師を挙げられ、しかも、この智者大師の、正法誹謗を阿鼻地獄と責めた言葉を引用されて、邪義に迷っている一国の衆生を諌められている。「国中の諸人・一切経の大・小・権・実・顕・密の差別に迷うて一人に於ても生死を離るる者之れ無く、結句は謗法の者と成り法に依つて阿鼻地獄に堕する者は大地の微塵よりも多く法に依つて生死を離るる者は爪上の土よりも少し、恐る可し恐る可し」の一節には、邪義を流布せしめた謗法の高僧たちに対する厳しい叱責と、それに迷って苦悩に落ちていく衆生の痛烈な慈愛の雄叫びが拝せられるのではないか。

第七章 機を知る 0440.100440.13

本文

  日本国の一切衆生は桓武皇帝より已来四百余年一向に法華経の機なり、例せば霊山八箇年の純円の機為るが如し天台大師・聖徳太子・鑒真和尚・根本大師・安然和尚・慧心等の記に之有り是れ機を知れるなり、而るに当世の学者の云く日本国は一向に称名念仏の機なり等と云云、例せば舎利弗の機に迷うて所化の衆を一闡提と成せしが如し。

現代語訳

 日本国の一切衆生は桓武天皇以来四百余年、一向に法華経の機根である。たとえば霊鷲山で八箇年の説法を聞いた衆生が、純円の機根であったのと同じである。このことは天台大師・聖徳太子・鑒真和尚・根本大師・安然和尚・慧心僧都等の文書に記されているこれが機を知るというのである。ところが今の世の学者がいうには「日本国は一向に称名念仏の機根である」と。たとえば舎利弗が機根に迷い、所化の衆生を一闡提としてしまったようなものである。

講義

 先に第二章で、仏教を弘める人は機根を知らなければならないが、智慧第一の舎利弗ですら機を知ることはできなかったことを挙げられ「機を知らざる凡師は所化の弟子に一向に法華経を教うべし」と示された。本章では、とくに日本国の一切衆生は桓武天皇以来、法華経を信受すべき機根であることを指摘され、それに背いて念仏等を弘めることの非を責められている。
 ひるがえってみるに、日本は聖徳太子の昔に正式に仏教を受容して以来、のちに述べられるようにその実義はともかくとして、一往、一切経の中では法華経を根本としてきたといえる。「法華義疏」が聖徳太子の著か否かについては歴史的に疑問視されているにせよ、法華経・金光明経・仁王経を鎮護国家の経典と定めて重んじたことは事実である。また、その後、仏教が日本国に定着した象徴ともいえる聖武天皇の勅願による国分寺においても、僧のための国分寺が金光明経を根本としたのに対し、尼のための国分尼寺は、法華経を根本とし、法華滅罪之寺と称されたのであった。
 その後、大陸からの伝来によって、三論・法相・倶舎・成実・律・華厳の六宗が勢力を競い、法華経を根本とする精神は一時失われた。それを破折して法華経第一の正義を確立したのが、平安時代初め、桓武天皇の時代の伝教大師最澄である。本抄で大聖人がとくにこの伝教大師以後を「一向に法華経の機なり」といわれていたのは、先に述べたように、他宗を破折したうえで法華経第一の義が樹立されたからであろうと考えられる。
 そして、日本国の一切衆生が一向に法華経の機根であることは、仏法に通達していた中国の天台大師、日本の聖徳太子・鑑真和尚・伝教大師・安然・恵心等の人々にも明確に断言していたところであると述べられている。
 これは、宗教の五義の中の「教法流布の先後」の原理とも関連するが、ここに仰せられているように、伝教大師によって南都六宗が破折され、比叡山を根本道場として法華経信仰が確立されたこと、即ち、法華経迹門の仏法が一国に流布したことは歴史的事実である。したがって、その後は。いかなることがあっても、方便権教を弘めることは、この「流布の先後」の原理に背くことになるのである。
 このことからも、方便権教である浄土宗を弘めることは、先に仰せのように「金珠を捨てて瓦礫を取る」愚であり、薬を奪って毒を服せしめる極悪であることが明らかである。このことをわきまえて、方便権教の各宗を破折し、実大乗の法華経即ち三大秘法の南無妙法蓮華経を教え弘めていく人が、機を知る人といえるのである。

第八章 時を知る 0440.140440.18

本文

  日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年後五百歳に当つて妙法蓮華経広宣流布の時刻なり是れ時を知れるなり、而るに日本国の当世の学者或は法華経を抛ちて一向に称名念仏を行じ或は小乗の戒律を教えて叡山の大僧を蔑り或は教外を立てて法華の正法を軽しむ此等は時に迷える者か、例せば勝意比丘が喜根菩薩を謗じ徳光論師が弥勒菩薩を蔑りて阿鼻の大苦を招きしが如し、日本国は一向に法華経の国なり例せば舎衛国の一向に大乗なりしが如し、 

現代語訳

 日本国の今の世は、如来の滅後二千二百一十余年、後五百歳に当っており、妙法蓮華経の広宣流布する時刻である。これを時を知るという。ところが日本国の今の世の学者は、あるいは法華経を抛って一向に称名念仏を行じ、あるいは小乗の戒律を教えて、比叡山の大僧をあなどり、あるいは教外別伝の法門を立てて法華の正法を軽んじている。これらは時に迷っている者である。たとえば勝意比丘が喜根菩薩を謗り、徳光論師が弥勒菩薩をあなどって阿鼻地獄の大苦を招いたようなものである。

講義

 「時を知る」という意味で日蓮大聖人のいわれる“時”とは、いうまでもなく、大聖人は、いかなる法を弘めるかという立場であられるから、正法・像法・末法の大段の“時”であることはいうまでもない。その“時”を指示した法華経の文でいえば、薬王品の「我が滅度の後・五百歳に閻浮提に広宣流布」等である。
 したがって、本抄でも、この法華経の文を前提としてそれを受けた形で「
日本国の当世は如来の滅後二千二百一十余年後五百歳に当って妙法蓮華経広宣流布の時刻なり」と仰せられているのである。
 大聖人が“時”を論じ、いまこそ妙法を広宣流布すべき時であると宣言される場合、かならずといってよいぐらい、この法華経の文を前提にしておられる。それは、この文が、釈尊の、明確に“時”を指示している文証だからである。
 日蓮大聖人の御抄の中で、この“時”の問題をもっとも本格的に論じられているのが「撰時抄」であることはいうまでもないが、末法の法本尊を開顕された重書中の重書「観心本尊抄」も、この“時”について「如来滅後五五百歳」と明示されている。これも、前掲の薬王品の文を受けての表現であり、法華経に秘された三大秘法の南無妙法蓮華経が出現し弘められるべき時を、確信されていたのである。
 我々が一般的に“時”というのは、一日の中での“時”や、一週間、一ヵ月の中での何日、何曜日、一年の中でのいつの季節、一生の中での何歳の時等々、多種多様である。大聖人が「仏法においては“時”が大事である」といわれているからといって、こうした我々の感覚でとらえている“時”にあてはめていては、大聖人の御真意は捉えられないであろう。
 日蓮大聖人の立場は、末法万年の衆生を救う大法を確立される仏様であられる。したがって、大聖人が御自身の行動について“時”をいわれているのは、この大法建立という目的のうえであり、したがって、釈尊が法華経に予言した言葉の裏づけとして、その“時”を確認されたのである。大聖人にとっての“時”とは、この意味の“時”であることを知らなければならない。
 本抄で「
而るに日本国の当世の学者或は法華経を抛ちて一向に称名念仏を行じ」云云と仰せのように、念仏・律・禅等の各宗は、後五百歳・末法においては「妙法蓮華経」即ち三大秘法の仏法が広宣流布すべきであるとの釈尊の心に背いているのである。
 戒律を修行の中心とする律宗は正法時代にこそ有効であったが、像法時代にはもはや無意味であり、まして末法今時においては百害あって一利もない。念仏の修行は、像法の天台仏法において初心の一段階の修行としては意味をもっていたが、それだけを専ら修することは、像法次代においてさえ認められなかったことである。さらに、教外別伝と称して経典を用いないなどということは、釈尊が入滅されるにあたって、仏なきあとは、自分が説き達した教えを師とせよと弟子に与えた戒めに基本的に背くものである。
 このように、諸宗は正法に真っ向こうから反しているのであるが、ここでは一往与えた場合で「此等は時に迷える者か」といわれている。しかしながら“時”を誤った法を弘めること自体、正法に背く大罪である。故に、過去師子音王仏の昔、喜根菩薩を誹謗した勝意比丘や、弥勒菩薩をバカにしたインドの論師・徳光になぞられて、これを破折されているのである。

第九章 国を知る 0440.170441.03

本文

  日本国は一向に法華経の国なり例せば舎衛国の一向に大乗なりしが如し、又天竺には一向に小乗の国・一向に大乗の国・大小兼学の国も之有り、日本国は一向大乗の国なり大乗の中にも法華経の国為る可きなり瑜伽論・肇公の記・聖徳太子・伝教大師・安然等の記之有り是れ国を知れる者なり、而るに当世の学者日本国の衆生に向つて一向に小乗の戒律を授け一向に念仏者等と成すは「譬えば宝器に穢食を入れたるが如し」等云云法器の譬・伝教大師の守護経に在り

現代語訳

 日本国は一向に法華経に縁のある国である。たとえば舎衛国が一向に大乗の国であったようなものである。またインドには小乗だけの国、大乗だけの国、大乗と小乗を兼ね学ぶ国もある。日本国は大乗だけの国であり、大乗の中でも法華経の国であるというべきである。瑜伽論・肇公の記・聖徳太子・伝教大師・安然等に記してある。以上のことを知る者が国を知る者である。

 ところが今の世の学者が日本国の衆生に向かって小乗だけの戒律を授けたり、念仏者等だけにしているのは「たとえば宝の器に穢い食物を入れたようなものである」とある。この法器の譬えは伝教大師の守護国界抄にある。

講義

 日本が、仏教伝来の当初から、法華経を重んじてきたことは、第七章で述べたとおりである。この意味で、第七章の“機”と本章の“国”とは重なり合っているわけであるが、“機”が教法によって発動する衆生の生命の能力であり、依報・正報でいえば、“正報”であるのに対し、“国”は“依報”の立場である。ただし、正報である衆生・人間が構成しているのが“国”という依報であるから、両者が重なり合うことも、また当然であろう。
 日本が仏教受容の初めから、法華経を中心とした背景には、日本に影響を与えた源泉地中国において、天台大師により法華第一の正義が明らかにされていたことが考えられる。日本への仏教伝来は、最初、朝鮮半島から百済を経由したが、聖徳太子は直接、使者を中国本土の隋につかわし、ここから移入した。隋の煬帝は、晋王広といった青年時代から天台大師智顗に傾倒した人で、広は大師から菩薩界の授与を受け、智顗に智者大師の号を贈った。聖徳太子は、このような隋に仏教を求めたのであるから、一念三千法門の天台仏法の深義が伝わるのは、後の伝教大師最澄の出現を待たなければならなかったにしても、少なくとも法華経を第一とする考え方がすでに伝えられたのは不思議ではない。
 ただ、日本が弥勒菩薩説とされる「瑜伽師地論」や、中国・東晋の僧・肇公の記によって、古来、法華経有縁の国と目されてきたということは、不思議という以外にない。しかしながら、法華経有縁の国ということは、法華経のような強力な教法によって、でなければ救済しえない衆生の国ということでもある。顕仏未来記や佐渡御書、如説修行抄等で、邪智邪法が強い故に、法華経の折伏による以外にないといわれているのは、このためである。法華経有縁の国といっても、仏法の場合は、絶対的な神がいて特別の恩寵を付すといった“賎民思想”ではなく、経法と衆生と機との関係によるのである。
 この段でも、このように法華経を受持すべき日本の国において小乗の戒壇を人々に授けたり、方便権教の念仏を弘めたりするのは、宝器に穢食を入れているようなものであると、きびしく破折を加えられている。

第十章 教法流布の先後を知る 0441.030441.11

本文

  日本国には欽明天皇の御宇に仏法百済国より渡り始めしより桓武天皇に至るまで二百四十余年の間 此の国に小乗・権大乗のみ弘まり法華経有りと雖も其の義未だ顕れず、例せば震旦国に法華経渡つて三百余年の間・法華経有りと雖も其の義未だ顕れざりしが如し、桓武天皇の御宇に伝教大師有して小乗・権大乗の義を破して法華経の実義を顕せしより已来又異義無く純一に法華経を信ず、設い華厳・般若・深密・阿含・大小の六宗を学する者も法華経を以て所詮と為す、況や天台・真言の学者をや何に況や 在家の無智の者をや、例せば崑崙山に石無く蓬莱山に毒無きが如し、建仁より已来今に五十余年の間・大日・仏陀・禅宗を弘め、法然・隆寛・浄土宗を興し実大乗を破して権宗に付き一切経を捨てて教外を立つ、譬えば珠を捨てて石を取り地を離れて空に登るが如し此は教法流布の先後を知らざる者なり。

  仏誡めて云く「悪象に値うとも悪知識に値わざれ」等と云云、

現代語訳

 日本国では欽明天皇の御代に仏法が百済国から初めて渡ってきてから、桓武天皇の御代に至るまでの二百四十余年の間は、この国に小乗や権大乗だけが弘まった。法華経はあったけれども、その実義は、まだ顕れなかった。たとえば中国に法華経が渡って三百余年の間は、法華経はあったけれども、その実義はまだ義われなかったのと同じである。

 桓武天皇の御代に伝教大師が出られて、小乗や権大乗の義を破して法華経の真実義を顕して以来、日本国の衆生は、異義なく純一に法華経を信ずるようになった。たとい華厳・般若・深密・阿含等の大乗や小乗といった南都六宗を学ぶ者であっても、法華経をもって仏教の究極の教えとしていた。まして天台宗や真言宗の学者においては当然のことであり、それ以上に在家の仏法を知らない者においてはなおのことであった。たとえば、崑崙山には宝石のみあって粗石がなく、蓬莱山には仙薬のみあった毒がないのと同じである。

 建仁のころから今に至る五十余年の間に、大日能忍や仏陀が禅宗を弘め、法然や隆寛が浄土宗を興し、実大乗たる法華経を破して権宗につき、一切経を捨てて教外別伝の法門を立てた。たとえば宝珠を捨てて石を取り、地を離れて空に登るのと同じである。これらは教法流布の先後を知らない者である。

 仏は涅槃経でこのことを誡められて「悪象に値っても、悪知識に値ってはならない」等と説かれている。

講義

 日本の仏教が、その受容以来、法華経を重んじてきたことは、ここまでにも述べてきたところであるが、本章では、桓武天皇に至るまでは「小乗・権大乗のみ弘まり法華経有りと雖も其の義未だ顕れず」と仰せられている。それは、法華経が重んじられたといっても、金光明経や仁王経と並べてであり、これら権大乗教の経典と同ずる立場であったあったからである。
 これは、たとえば、一生成仏抄に「妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず麤法なり、麤法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり(038306)といわれているのと同じ原理である。
 日本においては、伝教大師によってはじめて、他の一切経を破して、法華経が一切経の王であることが明らかにされ、ここに法華経の実義が顕されたのである。この仰せの中に、法華経を信ずるといっても、ただ信じていればよいのではなく、法華経こそ最高峰であり、唯一の成仏の経であるとの確信、いいかえれば、他の一切経は低い劣れる経であり、それらによっては成仏できないとする破折の精神に貫かれていなければならないとの、厳しい御教示が含まれている。こうした確信に裏づけられてこそ、生涯不退の信心が可能であり、また、折伏精神に貫かれていてこそ、純粋な信仰を堅持して成仏を遂げることができるのである。
 ともあれ、伝教大師の破折によって、南都六宗は皆、天台法華宗のもとに帰伏し、法華経を“所詮”即ち究極の真実の義にしたがうようになったのである。「
設い華厳・般若・深密・阿含・大小の六宗を学する者も」といわれているように、南都六宗は一宗一派を立てていても、自宗は、あくまでも仏法の真義に至るための一つの入口であり道に過ぎないとの謙虚さをもっていた。そして究極の実義は法華経にあることを認めたのである。
 しかしながら、時代がくだるにつれて、この精神は忘れられ見失われていったうえ、貪欲・瞋恚・愚癡の生命におおわれるに及び、自宗・自派に固執するところから、法華経に背き、法華経を誹謗するにいたる。本抄は、まだ初期に属するため、真言宗や台密については真っ向から破折することを避けておられるが、佐渡期以降、この点も明確にされているところである。
 即ち、法華経の正義を立てた比叡山天台宗自体が、第三代座主慈覚以降、真言密教の邪義に穢され、清浄な流れを失ってしまったのである。しかも、そうした中から、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、法然の専修念仏、大日能忍の臨済宗が出て、その簡単な実践法と複雑な思惟を放棄した安易な教義が民心にアピールし、爆発的な勢いで日本に広まっていった。
 これらは、伝教大師によって、ひとたびは法華経の高みに達した日本の衆生を、方便権教の低地に逆戻りさせるものであるばかりでなく、実大乗たる法華経を捨てよ閉じよ等と破り、教外別伝・不立文字と称して放棄した正法誹謗の邪義の教派であるから、無間地獄の奈落へつきおとすものである。このゆえに、涅槃経の「悪象には値うとも悪知識に値わざれ」の文を引いて、これらの邪師の邪義にたぶらかされてはならないと誡められたのである。

11章 死身弘法を説く 0441.110442終り

本文

  法華経の勧持品に後の五百歳・二千余年に当つて法華経の敵人・三類有る可しと記し置きたまえり当世は後五百歳に当れり、日蓮・仏語の実否を勘うるに三類の敵人之有り之を隠さば法華経の行者に非ず之を顕さば身命定めて喪わんか、法華経第四に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等と云云、同じく第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」と、又云く「我身命を愛せず但無上道を惜む」と、同第六に云く「自ら身命を惜まず」と云云、涅槃経第九に云く「譬えば 王使の善能談論し方便に巧みなる命を他国に奉け寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を匿さざるが如し、智者も亦爾なり凡夫の中に於て身命を惜まずして要必大乗方等を宣説すべし」と云云、章安大師釈して云く「寧喪身命不匿教とは身は軽く法は重し身を死して法を弘めよ」等と云云、此等の本文を見れば三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず之を顕すは法華経の行者なり、而れども必ず身命を喪わんか、例せば師子尊者・提婆菩薩等の如くならん云云。

       二月十日                          日蓮 花押

現代語訳

 法華経の勧持品には、後の五百歳、釈尊滅後二千余年にあたって、法華経の敵人が三種類あるであろう、と書き残されている。当世は後五百歳の時にあたっている。日蓮が仏語の実否を勘案してみるに、三類の敵人はたしかにある。この三類の敵人の存在を顕すならばかならず身命を喪うであろう。

 法華経の第四の巻法師品第十に「しかもこの法華経は如来のおられる現在でさえ、なお怨嫉が多い。まして如来滅度の後においてはなおさらである」等と説かれている。同じく法華経第五の安楽行品第十四に「一切世間に怨む者が多く、法華経を信じがたい」と。また勧持品第十三には「我身命を愛せず、但無上の道を惜しむ」と。同じく第六の巻寿量品第十六には「自ら身命を惜しまず」と。涅槃経第九には「譬えば王の使で論議がよくできて方便に巧みな者が、王命をうけて他国に赴き、むしろ身命を喪うことになっても、決して王のいった言葉や教えをかくさないのと同じである。智者もまた同じである。智者は凡夫の中において身命を惜しまず、必ず大乗方等を宣説すべきである」と。章安大師はこの文を釈して「『むしる身命を喪うともこの教を隠さず』とは、身は軽く法は重い。ゆえに身を死して法を弘めよ」といわれている。これらの等と本文を見れば、三類の敵人を顕さなければ法華経の行者ではない。これを顕すのが法華経の行者である。しかしながらそうすればかならず身命を喪うことになろう。たとえば師子尊者や提婆菩薩のようになるであろう。

       二月十日                          日蓮 花押

講義

 前章までに、法華経が一切経中の最勝の「教」であること、その法華経を信受する「機」が日本国の衆生であること、今、末法は法華経流布の「時」にあたること、日本国は一向に法華経の「国」であること、また流布の先後からも、法華経を流布すべきことを述べられ、宗教の五義のうえからの当然の帰結として、法華経をこそ広宣流布すべき必然性が説き明かされた。 本章は、後五百歳に法華経を弘めるならば、必ず三類の強敵を顕わすことになり、そのために身命にかかわる大難を受けることは必定であると示され、しかし、たとい身命を失おうとも末法真実の法華経の行者として、法華経を身読し弘宣していくとの御決意を法華経・涅槃経・同経疏を用いて披瀝されたところである。
日蓮・仏語の実否を勘うるに三類の敵人之有り之を隠さば法華経の行者に非ず之を顕さば身命定めて喪わんか
 大聖人の並々ならぬ決意が拝される御文である。「仏語の実否を勘うるに三類の敵人之有り」とは、先に挙げた勧持品の文のとおりに、末法に法華経を弘通するならば必ず三類の敵人が現れることである。
 そこで、この文を色読するか否かが問題である。もしも、正像二時の法華経修行のように、山林や閑静な処で自身だけの修行に励むのであれば、三類の敵人は顕れない。しかし、それでは、末法に法華経を色読したことにはならず、結果として三類の敵人を隠すことになる。そうであれば、末法の法華経の行者ではないのである。もし、三類の敵人を顕せば、身命を失うことになろう。
 事実、大聖人は、当時すでに伊豆流罪という迫害にあわれていたのである。それでは、なぜ身読するかいなかという、すでに選択済みの問題を取り上げられたのであろうか。それは、御自身が法華経の行者として死身弘法の精神に立たれて現実に振舞われていることを確認するとともに、今後、三類の敵人が現れ、命に及ぶはどの機難を加えられようとも、法華経弘通をまっとうするとの御決意をあらわされたたためであったと拝察するのである。
 加えて、御文の次下の法華経法師品、同安楽行品、勧持品、寿量品の文、それに涅槃経、同経疏の文を挙げておられるが、それらの文は、末法にさまざまな形の迫害や怨嫉があること、そうした迫害を恐れずに、身命を愛惜することなく、身命を捨てる覚悟で弘法すべきことを説いている。日蓮大聖人がそれらの経文を挙げられたのは、それらの教文を色読することが、法華経の真の行者であることを、ことさら確認されるためであったろうと拝される。
 なお、「身命を愛せず但無上道を惜しむ」の文については、日寛上人が「即ちこれ宗門の菩提心なり。末弟如何ぞこの願を立てざる。励むべし励むべし」と仰せである。日蓮大聖人の御精神を受け継ぐ創価学会員として、たとい自己の生命にかえても、一切衆生救済のために無上道即三大秘法の大仏法を惜しみ、弘めることこそ、生涯変わらぬ、また未来永久につたえるべき大精神であることを胸に刻んでいきたいものである。