創価教学研究室 (Tommyのブログ) 稲枝創価学会  

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妙法比丘尼御返事(明衣書) 1419~1420

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「御書名」がわからない場合は、「巻カデコリー」の右側に御書ページを示していますので、参考にしてください。



注記
1 第13巻(0691~0895)は本来一冊の本ですが、御書全集のページに従ってカデコリを作成しているため前(0691~0700)後(0848~0853)に分割します。
2 守護国家論講義録は三冊(1巻上・中・下)になっていますがひとつのカデコリにまとめてあります。
3 同様に開目抄上・下二巻をひとつにしてあります。
4 聖愚問答抄も上下の区分はしていません。
5 御義口伝上・下は単独で「品の大事」とたてたものと、2~4品でまとめたものがあります。
6 以下の御書は資料不足のため、現代語訳のみのもの、全編または一部未編集となっています。
  現代語訳のみ
   四信五品抄(0338~0343)
  全編未編集
   御講聞書(0804~0847)
   本因妙抄(0870~0877)
   産湯相承事(0878~0880)
  一部未編集
   唱法華題目抄(0001~0016)
   百六箇抄(0854~0869)
   

1419~1420 妙法比丘尼御前御返事 1419:01~1419:02 第一章 迫害に動ぜぬ尼の信心をたたえる

14191420 妙法比丘尼御前御返事 1419:011419:02 第一章 迫害に動ぜぬ尼の信心をたたえる

 

本文

 

妙法比丘尼御前御返事

   明衣一つ給び畢んぬ、女人の御身・男にもをくれ親類をも・はなれ一二人ある・むすめもはかばかしからず便りなき上・法門の故に人にも・ あだまれさせ給ふ女人・さながら不軽菩薩の如し、

 

現代語訳

 

 明衣一つ頂戴しました。

 あなたは、女人の御身として、夫に先立たれ、親類も離れ、一人二人ある娘もあまりしっかりしていず、たよりにならないうえ、法華経の法門のゆえに人に怨まれる女人のあなたは、まるで不軽菩薩のようです。

 

語釈

 

明衣

 入浴後、または夏季に着る麻の単衣のこと。明衣は明潔な衣の意で、一般には、斎戒を持つ者が沐浴の後に着る衣をさす。ここから、本抄では「ゆかたびら」と訓じられたものと思われる。「ゆかたびら」は、「ゆぐ」「ゆまき」「ゆかた」とも称する。

 

不軽菩薩

 法華経常不軽菩薩品第二十に説かれている常不軽菩薩のこと。威音王仏の滅後の像法時代に出現し、増上慢の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆から悪口罵詈・杖木瓦石の迫害を受けながらも、すべての人に仏性が具わっているとして常に「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」と唱え、一切衆生を礼拝した。あらゆる人を常に軽んじなかったので、常不軽と呼ばれた。釈尊の過去の姿の一つとされる。一方、不軽を軽賤・迫害した者は改悔したが、消滅しきれなかった余残によって千劫の間、阿鼻地獄に堕ちて大苦悩を受けた後、再び不軽の教化にあって仏道に住することができたという。

 

講義

 

 本抄の宛名は妙法尼となっている。妙法尼は四人いるとされる。一は、駿河国岡宮の人。二は、四条金吾の母。三は、佐渡中興に住む中興入道の母で、大聖人が佐渡御流罪中に帰依し、身延入山後もしばしば音信を寄せていたといわれる。四は、日目上人の父・新田五郎重綱の母である。本抄をいただいた妙法尼は、駿河(静岡県中央部)の岡宮に住んでいた妙法尼とされている。御真筆が残っていず、日時も記されていないが、弘安4年(1281)の御執筆であると推定されている。また、冒頭の御言葉から「明衣書」との別名がある。

 内容は、女人の身として周囲の反対のなか信心を貫いている妙法尼の信心を、釈尊の姨母・摩訶波闍波提の姿と比較しつつ、賛嘆・激励され、仏の加護は間違いないことを述べられた御手紙である。

 最初に妙法尼の御供養を謝されたあと、尼の境遇に触れられている。それによると、尼は夫に先立たれ、親類からも離れ、また、一人二人いる娘もたよりにならない。いずれにしてもその後に、尼が法門のゆえに人に憎まれていると仰せになっていることから拝すると、親類と疎遠になっているというのも、尼が信心をしていることと無関係ではあるまい。

 こうした尼の状況はあたかも不軽菩薩のようであると仰せである。法華経常不軽菩薩品第二十で不軽菩薩は「我深敬汝等、不敢軽慢。所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏(我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし)」と述べ、すべての人を礼拝したが、この行為に対して、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆は杖・木・瓦・石をもって打擲したと説かれている。すべての人に仏性があるとして礼拝する不軽菩薩に対して、人々は無知の比丘であるとして誹謗・迫害したのである。妙法尼も、女性としては教養があったように考えられるが、女性の身で修行に励むなかで、無智の者と悪口罵詈されることもあったであろう。それも、世間のことで非難を浴びるのでなく、「法門の故」に人に憎まれるということは、まことに尊いことである。大聖人はさまざまな御書で、世間の浅いことに命を捨てることは数しれないが、仏法のために命を捨てることはまれであると仰せになっている。尼はまさしく仏法のために人にあだまれているのであり、その四面楚歌の状況は、まさに不軽菩薩と同じであったにちがいない。

 大聖人が尼に対し、不軽菩薩と同じであると仰せになられたことには重要な意味がある。不軽菩薩が四衆から迫害を受けたのは、折伏したゆえである。すなわち、人々に仏性があるといって礼拝したのに、四衆は杖木瓦石をもって迫害した。それでも不軽菩薩はしいて礼拝の行を続けたのである。これが不軽菩薩の折伏である。尼は、本抄の後半部分に「法華経を弘め」と仰せのように、折伏を行じていた。其のゆえに人々から怨嫉されたのである。大聖人は御自身の振る舞いについて、正像の摂受と違い、末法において折伏を行じたことを述べられるにあたり、諸御抄で「日蓮は即ち不軽菩薩為る可し」(0954:01)「日蓮は過去の不軽の如く」(0960:11)等と仰せである。妙法尼の折伏、それによる法難は日蓮大聖人の教えを正しく実践しているがゆえであるとのおほめの言葉として、「さながら不軽菩薩の如し」と仰せになっているのである。

1419~1420 妙法比丘尼御前御返事 1419:02~1419:09 第二章 摩訶波闍波堤記別の経緯を述べる

14191420 妙法比丘尼御前御返事 1419:021419:09 第二章 摩訶波闍波堤記別の経緯を述べる

 

本文                         

 

  仏の御姨母・摩訶波闍波提比丘尼は女人ぞかし、而るに阿羅漢とならせ給いて声聞の御名を得させ給ひ永不成仏の道に入らせ給いしかば、女人の姿をかへ・きさきの位を捨てて仏の御すすめを敬ひ、四十余年が程・五百戒を持ちて昼は道路にたたずみ・夜は樹下に坐して後生をねがひしに、成仏の道を許されずして永不成仏のうきなを流させ給いし、くちをしかりし事ぞかし、女人なれば過去遠遠劫の間有るに付けても無きに付けても・あだなを立てし、はづかしく口惜かりしぞかし、其の身をいとひて形をやつし尼と成りて候へば・かかる・なげきは離れぬとこそ思ひしに、相違して二乗となり永不成仏と聞きしは・いかばかり・あさましくをわせしに、法華経にして三世の諸仏の御勘気を許され、一切衆生喜見仏と成らせ給いしは・いくら程か・うれしく悦ばしくをはしけん

 

現代語訳

 

 仏の御姨母・摩訶波闍波提比丘尼は女人です。それなのに、阿羅漢となられ、声聞の名を得て永不成仏の道に入ってしまわれました。女人の姿を変え、后の位を捨てて、仏のお勧めにしたがって、四十余年の間、五百戒を持って、昼は道路に立ち(托鉢をし)、夜は樹の下に坐禅して後生を願ったのに成仏の道を許されず、永不成仏の悪い評判を立てられたことは、悔しいことであったでしょう。

 女人であるからには、過去遠々劫の間、あることないこと、悪い評判を立てて、恥ずかしく悔しいことであったでしょう。その身をきらって出家し、尼となったからには、このような嘆きから離れることができるだろうと思ったのに、案に相違して二乗となり、永不成仏と聞いた時は、どんなにあさましく思われたことでしょう。ところが、法華経で三世の諸仏の御勘気を許されて、一切衆生喜見仏と成られた時は、どんなにかうれしく喜ばしいことであったでしょうか。

 

語釈

 

御姨母

「姨母」の尊敬語。母の姉妹のこと。「伯母」と「叔母」とを含む。太子にとって摩訶波闍波提は生母の妹ゆえ叔母であり、かつ養母である。

 

摩訶波闍波提

 梵名マハープラジャーパティー(Mahāprajāpatī)の音写。摩訶鉢刺闍鉢底とも書く。また〝釈迦族の女性〟の代表としてゴータミーと呼ばれ、憍曇弥と音写する。釈尊の姨母。釈尊の生母・摩耶夫人が釈尊出生後七日で死去したため、夫人にかわって淨飯王の妃となり、釈尊を養育した。淨飯王の死後、出家を志し、三度釈尊に請願して許され、釈尊教団最初の比丘尼となった。法華経勧持品第十三で一切衆生憙見如来の記別を受けた。

 

阿羅漢

 梵語アルハト(Arhat)の主格アルハン(Arhan) の音写。応供等と訳す。小乗の声聞が修行によって到達できる最高の悟りの境地。またそれを得た聖者のこと。三界の見惑・思惑を断じ尽くしているゆえに「殺賊」、修学を成就して学ぶべきものが無いゆえに「無学」、世の尊敬・供養を受ける資格があるゆえに「応供」、この生が尽きると無余涅槃に入り、再び三界には生じないゆえに「不生」等とも訳される。

 

声聞

 十界の一つで縁覚と合わせて二乗という。仏の教える声を聞いて悟る人をいい、小乗教の理想ではあるが、利己主義に陥るため、権大乗教では徹底的に弾呵され、煎る種のごとく、二度と成仏の芽を出すことがないと言われた。法華経にいたって、舎利弗・迦葉・迦旃延・富楼那等、声聞の十大弟子が得道する。そして歓喜した四大声聞の領解の文を開目抄には「我等今は真に是れ声聞なり仏道の声を以て一切をして聞かしむ我等今は真に 阿羅漢なり緒の世間・天人・魔・梵に於て普く其の中に於て・応に供養を受くべし」とあり、真の声聞とは、仏の弟子として、仏の教え、精神を民衆に聞かせ、後世に残していく人である。

 

永不成仏

 永久に成仏できないこと。爾前の諸経では、二乗は身心を滅尽して完全な空無に帰することを目的として修行するため、自己に本来具わる仏性をも滅尽することになり、焦種・敗種に譬えられて永久に成仏できないと仏から弾呵された。

 

五百戒

 比丘尼の具足戒で、その戒数には諸説があり、四分律に説かれる三百四十八戒が一般的である。多数の意味で五百としたもの。

 

後生

 三世のひとつで、未来世、後世と同じ。未来世に生を受けること。今生に対する語。

 

遠遠劫

 長遠な時間。劫は梵語カルパ(Kalpa)の音写で、劫波、劫跛ともいい、長時・大時などと訳す。きわめて長い時間の意で、長遠の時間を示す単位として用いられる。

 

二乗

 十界のなかの声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。

 

三世

 過去世・現在世・未来世のこと。三世の生命観に立つならば、生命の因果の法則は明らかである。開目抄には「心地観経に曰く『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』等云云」(0231:03)とあり、十法界明因果抄には「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり」(0432:12)とある。

 

御勘気

 主人または国家の権力者から咎めを受けること。

 

一切衆生憙見仏

 勧持品で釈尊の姨母である摩訶波闍波提比丘尼が授記を受けて得た仏の名。

 

講義

 

 女性の信仰者の代表として摩訶波闍波提比丘尼を取り上げられている。本文にも記されているとおり、摩訶波闍波提は釈尊の姨母である。生母である摩訶摩耶夫人が釈尊の生後七日で亡くなったため、その妹であった摩訶波闍波提が父・浄飯王の妻となり、釈尊を養育したといわれる。摩訶波闍波提は浄飯王の死後、出家しようとした。釈尊は最初許さなかったが、阿難が釈尊を養育した姨母の恩の大きなことを申し添え、三度の懇願によってようやく摩訶波闍波提は出家を許されたという。こうして摩訶波闍波提は釈尊教団最初の比丘尼になったのである。

 摩訶波闍波提は、女性の仏弟子のなかで中心的な役割をしていたようである。阿含部経典には、五百の比丘尼に囲まれて釈尊のもとに詣でたと説かれている。増一阿含経巻三には摩訶波闍波提を「我が声聞中第一の比丘尼」として「久しく出家して学し、国王に敬せらる」と賛嘆している。女性が出家して修行するというのは、当時、例がなかったのであろう。釈尊が最初出家を許さなかったのもそのためであると思われる。

 このように、女性最初の出家者となった摩訶波闍波提であったが、その教わった法は声聞の小乗教であった。ところが釈尊は小乗を翻して大乗の菩薩道を説き進めていく。そのなかで、小乗に執する声聞は永不成仏ときらわれたのである。せっかく女性であるゆえの苦しみから解き放たれると思ったのに、今度は二乗として永久に成仏できないとされ、摩訶波闍波提が味わった苦しみはいかばかりであったろうか。また、そのゆえにこそ、法華経に至って成仏を許された時は、いかばかり喜んだことであろうか。

 このように大聖人は摩訶波闍波提の心境を推されながら、女人としてであれ、二乗としてであれ、爾前経では絶対に成仏できないこと、法華経による以外に真実の幸福を獲得することはできないことを尼に教えられているのである。尼も、女性であるゆえの「浮名」を流され、悔しい思いをしているであろう。また、せっかく仏法を受持し、出家したのに、悪口罵詈はやみそうにない。しかし妙法尼は、即身成仏の法華経に巡りあったのである。その喜びはまた、さらに大きいはずである。

1419~1420 妙法比丘尼御前御返事 1419:09~1419:14 第三章 滅後弘通を辞した摩訶波闍波堤を嘆く

14191420 妙法比丘尼御前御返事 1419:091419:14 第三章 滅後弘通を辞した摩訶波闍波堤を嘆く

 

本文

 

  さるにては法華経の御為と申すには何なる事有りとも背かせ給うまじきぞかし、其に仏の言わく大音声を以て普く四衆に告げたまわく誰れか能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん等云云、我も我もと思うに諸仏の恩を報ぜんと思はん尼御前女人達、何事をも忍びて我が滅後に此の娑婆世界にして法華経を弘むべしと三箇度まで・いさめさせ給いしに、御用ひなくして他方の国土に於て広く此の経を宣べんと申させ給いしは能く能く不得心の尼ぞかし、幾くか仏悪しと・をぼしけん、されば仏はそばむきて八十万億那由佗の諸菩薩をこそ・つくづくと御覧ぜしか。

 

現代語訳

 

 そういうわけで、法華経のためとあれば、どのようなことがあっても、背かれるようなことはあるべきではないのです。

 それなのに、仏が大音声で「だれかこの娑婆国土において広く妙法華経を説く者がおるか」とあまねく四衆に告げられたとき、我も我も法華経を弘めようと思ったところへ「諸仏の恩を報じようと思う尼御前、女人達は、いかなることも耐え忍んで、我が滅後にこの娑婆世界で法華経を弘めなさい」と三度まで諌められたのに、用いることなくて「他方の国土において広く此の経を宣べましょう」と申されたのは、よくよく道理をわきまえない尼であります。どんなにか仏は腹立たしく思われたことでありましょう。そこで、仏は脇を向いて八十万億那由佗の諸菩薩をつくづくご覧になったのです。

 

語釈

 

四衆

 比丘(出家の男子=僧)、比丘尼(出家の女子=尼)、優婆塞(在家の男子)。優婆夷(在家の女子)をいう。

 

娑婆国土

 娑婆とは梵語サハー(Sahā)の音写。忍土、忍界、堪忍土と訳す。この世はあらゆる苦難を乗り越え、また耐え忍ばなければならない故に娑婆世界という。

 

講義

 

 釈尊が見宝塔品第十一で三箇の勅宣をもって滅後弘経を勧めたあと、勧持品第十三で諸菩薩が滅後の弘経を誓うのであるが、その模様は次のようである。釈尊が宝塔品で「誰か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん」と滅後の弘教を勧める。それに対して勧持品では、まず薬王菩薩、大楽説菩薩をはじめとする二万の菩薩が「仏の滅後」の「悪世」において法華経を説くことを誓った後、五百の阿羅漢、学無学八千人は他の国土において法華経を弘めることを誓う。摩訶波闍波提が一切衆生喜見如来、耶輸陀羅比丘尼が具足千万光相如来の授記を受けるのはその後である。摩訶波闍波提らは授記を受け終わった後、仏に「我れ等も亦た能く他方の国土に於いて、広く此の経を宣べん」と誓うのである。

 ここで注意を引くのは、仏から授記を受けた阿羅漢等が「他の国土」で法華経を弘めることを誓っている点である。これは仏の宝塔品における勅宣に応えるものではない。なぜなら仏は「此の娑婆国土」において弘める者はいないかと勧めたのである。それに対して「他の国土」で弘めるというのでは、仏の勅宣に応じているとはいえない。彼らは、他の国土で弘経する理由として「是の娑婆国の中は、人に弊悪多く、増上慢を懐き、功徳浅薄、瞋濁諂曲にして、心は不実なるが故に」と述べている。つまり、人々がこの法華経を素直に聞こうとしないからだというのである。しかし、これは理由にならない。釈尊は三箇の勅宣のなかの六難九易で、人々に法華経を説くのはまことに困難であることを述べ、その困難にあえて臨む者はいないかと問うているのである。それに対して人々が信じないからというのでは、仏の勅宣を拒否したも同然である。女性の身として苦労を重ね、また爾前の時は永不成仏といわれ、ようやく法華経で成仏を許されたのであるから「法華経を御為と申すには何なる事有りとも背かせ給うまじき」、すなわち法華経のためならば絶対に背くべきでないはずであるのに、仏の勅をないがしろにしたのである。そのゆえに大聖人は本抄で摩訶波闍波提を「不得心の尼」と仰せられているのである。なお本抄で、総じて一座の大衆に向けられた三箇の勅宣を比丘尼に対してあったように述べられているのは、妙法尼への御抄という対機のゆえであることはいうまでもない。

 以上のような背景を考えると、摩訶波闍波提らが他の国土において法華経を流布することを誓った後の仏の振る舞いとして「爾の時、世尊は八十万億那由他の諸の菩薩摩訶薩を視そなわす」と説かれているのは、本抄で大聖人が仰せのとおり、摩訶波闍波提等の誓いが仏の要請に応じたものでなかったゆえに、つくづくと八十万億那由佗の菩薩のほうを見られたという意味であることがわかるのである。

 この仏の振る舞いに対して八十万億那由佗の菩薩が滅後娑婆世界での弘教を誓うのが、有名な勧持品の二十行の偈である。しかし、結果的にはこの八十万億那由佗の菩薩にも滅後末法の弘経は託されなかった。従地涌出品第十五で地涌千界が出現し、如来神力品第二十一でこの本化地涌の菩薩に滅後弘経が託されるのである。ただ、八十万億那由佗の菩薩の弘教の誓いは、滅後末法の弘経の難事であることを、誓願のかたちで示したところに意義がある。宝塔品の仏の告勅と勧持品の誓願の両方があいまって滅後弘経がいかに困難であり、そのゆえにいかに尊い行為であるかが示されたのである。

 ここで大聖人がこの勧持品のありさまを妙法尼に示されているのは、摩訶波闍波提に比べて妙法尼がいかに信心が勝れているかを後段でいわれるための伏線であるが、ここで教えようとされているのは、末法において、さまざまな迫害を受けつつ弘経に励むのは当然のことであり、その覚悟がなければ仏の弟子とはいえないということである。もちろん、妙法尼はその信心に立っているであろうが、なんといっても女性の身である。迫害の風波を受けるともろい面もあるにちがいない。そうしたことへの心構えとして、摩訶波闍波提の例を挙げられたと拝されるのである。

1419~1420 妙法比丘尼御前御返事 1420:01~1420:11 第四章 尼を一切衆生喜見仏と賛嘆する

14191420 妙法比丘尼御前御返事 1420:011420:11 第四章 尼を一切衆生喜見仏と賛嘆する

 

本文

 

  されば女人は由なき道には名を折り命を捨つれども成仏の道はよはかりけるやと・をぼへ候に、今末代悪世の女人と生れさせ給いてかかるものをぼえぬ島のえびすにのられ打たれ責られしのび法華経を弘めさせ給う彼の比丘尼には雲泥勝れてありと仏は霊山にて御覧あるらん、彼の比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別の事にあらず、今の妙法尼御前の名にて候べし、王となる人は過去にても現在にても十善を持つ人の名なり名は・かはれども師子の座は一也、此の名も・かはるべからず、彼の仏の御言をさかがへす尼だにも一切衆生喜見仏となづけらる、是は仏の言をたがへず此の娑婆世界まで名を失ひ命をすつる尼なり、彼は養母として捨て給はず是は他人として捨てさせ給はば偏頗の仏なり、争でかさる事は候べき、況や其中衆生悉是吾子の経文の如くならば今の尼は女子なり彼の尼は養母なり、養母を捨てずして女子を捨つる仏の御意やあるべき、此の道理を深く御存知あるべし、しげければ・とどめ候い畢んぬ。

                                   日蓮花押

     妙法尼御前

 

現代語訳

 

 そういうわけであるから、女人はつまらない世間の道には、名を汚したり、命を捨てるけれども、成仏の道には弱いであろうと思っておりました。ところが今、末代悪世の女人と生まれて、このように物の道理をわきまえない日本国の野蛮な人達にののしられ、打たれ、責められながら耐えて法華経を弘めていらっしゃる。かの比丘尼とは雲泥の違いほどすぐれておられると、仏は霊鷲山でご覧になられていることでしょう。 

 かの比丘尼の御名を一切衆生喜見仏というのは別のことではなく、今の妙法尼御前の名であるのです。

 王となる人は、過去にも現在にも十善戒を持つ人の名です。名は変わることがあっても、師子の座は一つです。同じように、この一切衆生喜見仏という名も同じです。

 かの仏の御言葉にさからった尼でさえも一切衆生喜見仏と名づけられました。あなたは仏の御言をたがえず、この娑婆世界で名誉もなげうち、命を捨てている尼です。かの摩訶波闍波提比丘尼は養母として仏はお捨てにならなかった。あなたのことは他人として捨てられたならば、不公平な仏です。どうしてそのようなことがありましょう。

 まして「其の中の衆生は悉く是れ我が子」の経文のとおりならば、今の妙法尼は女子であり、かの尼は養母です。養母を捨てないが女子を捨てるなどという仏の御意であるはずがありません。この道理を深く御存知あってください。わずらわしくなるので、これで筆を止めます。

                    日 蓮  花 押

  妙法尼御前

 

語釈

 

えびす

 ①古代のアイヌ人。②都から遠く離れた辺地の未開民族。③荒々しい武士。④外国・未開の地、そこに住む人々。

 

比丘尼

 ビクシュニー(bhiksunīの音写)。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人女子の称。

 

霊山

 釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。

 

十善

 十善戒のこと。正法念処経巻二に説かれている十種の善。一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪淫、四に不妄語、五に不両舌、六に不悪口、七に不綺語、八に不貪欲、九に不瞋恚、十に不邪見である。身口意の三業にわたって、十悪を防止する制戒で、十善道ともいう。瓔珞本業経(ようらくほんごうきょう)には、下品の十善を修すると人中の王、中品の十善を修すると粟散の王、上品の十善を修すると鉄輪王として生まれると説かれている。

 

師子の座

 仏の座席のこと。仏を百獣の王・師子にたとえて、その座をいう。師子牀、猊座ともいい、いかなる場所であっても、仏の座す所は師子座となる。仏像の台座、また高徳の僧や国王の座をさす場合もある。

 

講義

 

 摩訶波闍波提の例からみて、女性は世間の浅いことでは悪い評判を立てられたり、命を捨てたりするものの、成仏への道には進まないものだと思っていたが、人々に迫害・中傷を受けながら正法弘通に命を捧げている妙法尼の姿を見て、かの摩訶波闍波提等とは天地雲泥の差であると仏は感じられているであろうと仰せになっている。

 世間の浅いことに命を捨てることは多いが、仏法に命を捨てることがまれであるのは、なにも女性に限ったことではない。佐渡御書で「男子ははぢに命をすて女人は男の為に命をすつ」(0956:09)と仰せになり、それをうけて「世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し」(0956:11)と仰せられているのがそれである。ただ、とくに女性の場合、社会的に弱い立場にあり、そのゆえに紛動されやすいことも事実である。それでこのように仰せなのであろう。しかし、そうであるからこそ、その女性の身でありながら弘教に励む妙法尼の姿がいかに尊いかを強調されているのである。

彼の比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別の事にあらず、今の妙法尼御前の名にて候べし

 迫害に屈せず弘教を貫いている妙法尼の信心は、摩訶波闍波提を超えるものであることは疑いない。そのゆえに、一切衆生喜見仏とは、まさに妙法尼御前の名であると仰せになっているのである。「彼の比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別の事にあらず、今の妙法尼御前の名にて候べし」との仰せに、一切衆生喜見仏の名が決して摩訶波闍波提一人のものではなく、摩訶波闍波提と同じ因を積んだ人であるならば同じ仏であるとの大聖人の御立場が明らかにされている。仏法の道理からすれば、因が同じであるならば、果も同じはずである。尼は摩訶波闍波提と同じ女性の身として、否、それ以上の勇敢な信行に励んでいることから考えても、因において勝れこそすれ、劣ることは絶対にない。ならば尼もまた一切衆生喜見仏であることは仏法の道理に照らして疑いない、と仰せになっているのである。

 大聖人はそのことを、王となるためには十善をたもたなければならず、逆に十善をたもてば、王となることは疑いないという世間の例を引いて教えられている。大聖人御自身についても、佐渡御書で「日蓮は過去の不軽の如く当世の人人は彼の軽毀の四衆の如し人は替れども因は是一なり、父母を殺せる人異なれども同じ無間地獄におついかなれば不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏とならざるべき」(0960:11)と、因が同じであるならば、果も同じであり、仏果を得ることは疑いないと仰せになっている。

 尼は、強靭な一念に支えられた純真な信仰心で、必ずや成仏の大直道を歩むにちがいない。また、一切衆生喜見仏の名のとおり、いつの日か人々から尊敬の目でみられるにちがいないとの意味を込めて、この仏の名を「今の妙法尼御前の名」であると仰せになっているのであろう。

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