怖い話まとめ「やだなぁ~…怖いなぁ~…」

ネット上の不思議な話、怖い体験、そんな話をまとめています。

第二次世界大戦


349 :本当にあった怖い名無し:2012/05/04(金) 13:45:35.60 ID:QFIfWOjGO
私の卒業した小学校付近は戦争当時、空襲がひどかったらしく今でも防空壕の跡地や数年前も不発弾などが見つかったり、慰霊碑などが多く建てられている。

小学生の頃、部活が終わり、さぁ帰ろうとしている時に仲良しのAが『あ!給食着がない…もしかしたら教室かも…』と言った。
あいにく明日は休み。
週末は給食着を持ち帰り洗濯をして次の当番へ回さないといけない為どうしても取りに行かないととの事で、Aと仲良しのBと私の三人で恐る恐る教室へ探しに行くことにした。
教室へ行くには階段を登り二階の踊場を通り過ぎなければならない。
その踊場の鏡はこの学校の七不思議の一つであり、夕方、この鏡を見るとこの世のものではないものがうつると言われていた。
ただの迷信と言い聞かせていたが、やはり夕闇に照らされてるこの踊場は不気味というしかなかった。
目をつむりながら踊場を通り過ぎ急いで階段を登りやっとの思いで教室へたどり着いた。

『あ!あった!』と給食着を持ちAの安堵する表情とは裏腹にまたあの踊場を通り過ぎなければいけないのかと苦痛に思った。
すると、突然Bが、
『ねぇ、あの踊場の鏡ってさ…本当に何かがうつるのかな?』と言い出した。
…おいおい、やめてくれ。とは思ったが、どっちにしろ帰るにはあの踊場を通り過ぎなければならない。
辺りは一層暗くなるばかり。それならば早く進むしかないと意を決して教室を出て階段を降り始めた。
 
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250 :1/2:2012/03/03(土) 16:10:07.74 ID:M4bPxmiN0
太平洋戦争末期、インドネシアを占領していた日本軍は、戦況の悪化に伴って過酷な徴発を何度も繰り返した
そのせいで、戦争末期には友好的であったインドネシア人たちの間にもかなり反日的な意識が芽生えていたという
この抗日的意識と民族団結の機運は日本の降伏後、インドネシア独立戦争とスカルノの登場につながってゆくのである

ひょっとしたらそのことが関係しているかも知れない、戦時中のちょっと不思議な話

戦時中、体験者はインドネシアのとある島のインドネシア義勇軍の捕虜収容所に収監されることになった
海のすぐ側に建てられた収容所であったという

いざ収監室に入ってみると、収監されている日本兵たちの顔はひどく憔悴し、何かに怯えるように肩を寄せ合っていたという
ただでさえ生きて虜囚の辱めを受けずの戦陣訓が幅を利かせていた時代。しかも連合軍ではなく義勇軍の捕虜収容所である
ここの捕虜の待遇はそんなにひどいものか、とその人が驚くと、先輩の捕虜日本兵は「そうじゃないんだ……」とぽつりと呟いた

その日の夜、体験者がその捕虜収容所で迎えた最初の夜の事だった
突然、海の方角からドンドンドンドンという太鼓の音が聞こえたかと思うと、あっという間に音が近づいてきた

瞬間、部屋にいた日本兵たちは「来たぁー」と悲鳴を上げ、パニックを起こしたように一斉に壁の方へ逃げたという

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240 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:04/08/04 12:58 ID:eblBXXfa
戦争中の話なんだけど、母方のばあさんの兄(大伯父)が陸軍士官学校を出たエリートで、当時満州の部隊に配属されていた。
時々実家のある鹿児島に手紙を出していたんだけど、
1944年の秋ごろから急に手紙がぱったり途絶えてしまったらしい。
ばあさんやひいばあさんは、最悪のパターンを想像しながら不安な日々を送っていた。

1945年になって間もない冬の夜。
ばあさんが部屋で寝ていたら革靴の音がしたらしい。
あの当時革靴を履いているのは軍人と一部の政治家ぐらいのものだから、すぐに「これは兵隊だ」と気づいたそうだ。
ばあさんはそのまま横で寝ていた姉に、誰か来ていることを知らせた。
ばあさんの姉はおとなしく寝ているように言い聞かせて、自分は薄目を開けて音のするほうに頭を動かした。

そしたら、部屋の横の縁側に、ぼうっと大伯父が現れた。
帽子をかぶって腰にサーベルをさし、マントを着た正装姿だったらしいけど、やけに青白くて恨めしそうな、残念そうな表情をしていたそうだ。
ばあさんは思わず、「兄さんが帰ってきた!!」と叫んで、隣に寝ていたひいばあさんを起こしに走っていった。
ひいばあさんやばあさんのもう一人の姉が駆け込んでくると、大伯父は軽く会釈をすると、どこか苦しそうに胸を押えながらすうっと消えていった。

それから1ヶ月ほどして、大伯父の戦死通知が来た。
でもただ満州で指揮中に死んだと書かれているだけで、戦死か病死かは分からなかったし、遺骨も最後まで見つからなかった。
おそらく部隊が撤退中に大伯父は病臥していたため置いていかれたのでは、とばあさんは考えている。

そのあとばあさんの二番目の姉は病気で亡くなって、ばあさんも鹿児島の空襲で大怪我した。
その時にも、ばあさんは防空壕で大伯父らしき人が日本刀を左手に握って正座している姿を見たらしい。
鹿児島の空襲は結構酷かったけど、ばあさんの実家は焼け残った。
死んだ大伯父が守ってくれたんだといって、親戚はみんな感謝している。


元スレ:死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない?81


290 :本当にあった怖い名無し:2011/08/22(月) 16:46:36.28 ID:pbmKRCue0
昨年定年退職したうちの祖父が聞かせてくれた話.
祖父は若いころ近畿地方のある小学校で教師をしていた.
その学校に赴任して初めての夏休みのこと.

音楽が趣味の祖父は時々早朝に音楽室を借り,オルガンを弾いていた.
その日も朝早くからオルガンを楽しんでいると,
いつからいたのか,音楽室の戸の前に10人ほどの子供たちがこちらを見ながらぼうっと立っていた.
ギョッとしたが,まあそこは教師.
おはよう,と声をかけ,どうしたの?などと聞くが何も答えない.
よくよく見ると,どの子も見たことのない顔だ.最近の子にしてはなんとなく身なりも良くない.
学年は?どうして早起きなの? 質問をいくつかするが,何も答えない.
ただみんなジッとオルガンを見つめている.

まあ悪いことをしているわけでもないし,オルガンが好きなのかなぁ?
などと思い,なんとなくさくらさくらを弾き始めた.
すると,子供たちの顔がパッと明るくなり,オルガンの伴奏に合わせ歌い始めた.
子供たちの歌は幼いながらも何とも上手で,元気いっぱいで子どもらしくいい歌声だった.
祖父は伴奏をしながらその歌声に聞き惚れていた.
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799 :本当にあった怖い名無し:2011/07/29(金) 00:13:09.72 ID:AsLijXGX0
昔、おばあちゃんから聞いた話
おばあちゃんの住んでいた地域は何度も空襲にあったという。
ある夜、警報が鳴り近所の皆で防空壕に避難する途中、防空壕の付近に爆撃を受け、皆は覚悟した。
すると、いつのまに混じっていたのか、見たことのない子供が先頭に立っており、空を見上げていた。
小さな町内だから、知らない子供などいるはずがないのだが、見覚えのない男の子だった。

すると、空を見上げていた男の子がそのままの姿勢で、ぬーっと体がのびあがり、皆を包むような姿勢で空を塞いだ。
敵機の焼夷弾は男の子の背中に落ち、燃えていたような感じだったとか。
皆唖然となったが、それよりも燃え盛る炎がいつ自分達に降りかかってくるかと恐れ、小さく固まって頭を抱えていた。
男の子はそのままおばあちゃんたちを包み込み、長く続いた空襲から守ってくれた。
爆撃が終わるともとの身長に戻り、ペコッと頭を下げると走ってどこかへいってしまった。
幸いなことに、そのときその場にいた皆に怪我人はでなかった。
終戦後、おばあちゃんのお母さんや近所の人があの時の子供のお化けににお礼をと、方々に聞いて回ったが、子供の情報は得られなかった。
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281 :大江戸ファミリー:04/05/01 01:00 ID:rW5WCT2B
まあ今から10年くらい前の話なんだけど…。
当時、電車で通勤するはめになった二駅ほどの距離。
まあ帰りは7時くらいになる訳でそんな遅い時間でもない。
その日も列車から降り通路を通って改札に向かった。
で改札に向かう途中に反対のホームが見えるんだが
線路とホームのコンクリの引っ込んだとこに何かいる。
人が膝を抱え座りこんでる感じ…。
服装がなんつーか戦争の時にきてた国民服?みたいの…。
ありゃ~と思ったけど気づかんふりして改札までいった。

で…俺が当時すんでたアパートは駅の裏で歩いて10分程のとこ駅からは地下道(といっていても長さ50mもない)を抜ける。
当然、その日も地下道に入った。
おかしいんだ…。人がいない…。
時間はまだ7時位、駅前も電車通の学生でいっぱいだった。
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