毎日新聞 2014年02月15日 05時00分(最終更新 02月15日 08時36分)

 1946年の日本国憲法制定の際、貴族院が行った審議の詳細な過程を示す資料が、参議院で新たに見つかった。元議員らが50年代に当時を振り返った証言記録が大量に残っていた。国会審議とは別に、議員らが連合国軍総司令部(GHQ)側に条文修正を直接働きかけた際のやり取りも含まれていた。新憲法公布から68年。制定の裏側を物語る発見に、専門家は「第一級の史料だ」と話している。


 見つかったのは、新憲法制定に関わった貴族院議員らが占領終結後の53〜59年、後世に事実を語り残そうと開いた「萍(うきくさ)憲法研究会」の速記録。縦書きの罫紙(けいし)や原稿用紙にペンで書かれ、開催が確認できる48回のうち40回分、計約4000枚に上る。東京・永田町の参議院第2別館にある文書課書庫に保管されていた。貴族院時代の史料を調査していた赤坂幸一・九州大准教授(憲法学)らが4年前、鍵のかかった書類棚から偶然、発見した。


 新憲法は明治憲法の改正手続きに基づき制定されたが、日本の改正案を不満としたGHQは46年2月、独自の草案を提示。これを踏まえた新たな改正案は8月、衆院で可決し、貴族院に送付された。貴族院側には、天皇の権限を形式的ながら「立憲的君主」にふさわしいものに高めようと国事行為を定めた第7条などの条文修正を求める意見があった。


 注目されるのは、54年2月8日の速記録に記された山田三良(さぶろう)(国際私法学者)の発言。山田や高柳賢三(東京帝国大教授)らがGHQのホイットニー民政局長らと貴族院議長官舎で交渉し、第7条で天皇が「認証」するとされた条約の批准や大使・公使の任命などを、より明確に天皇の行為として定めるよう修正を求めた。ホイットニーは「改正してもいい」と同意したが、むしろ日本政府内で反対意見が強く、「おじゃんになってしまった」。後日ホイットニーに会うと、「向うから惜しいことでしたと私に言った」と述べている。


 赤坂准教授によると、新憲法制定をめぐり貴族院議員らがGHQ側と行った私的な折衝自体は知られていたが、速記録の証言から当時のやり取りの「具体的な雰囲気が伝わってくる」という。赤坂准教授は「研究会参加者は70〜80代の高齢者が中心で、占領下では語れなかったことを後世に伝えようとした。憲法改正に関する論点は現在と共通する部分もあり、参考になる」と話している。

 速記録は「初期日本国憲法改正論議資料」として15日、柏書房から刊行される。【大井浩一】

 ◇萍(うきくさ)憲法研究会

 日本国憲法制定に関わった貴族院議員らが制定経緯の記録や、憲法の問題点の検討、改正案の作成を目的に1953年10月、結成した。当初は「月曜会」と称し、非公開ながら参院議長公邸などで行われ、「半公式的性格」(赤坂幸一・九州大准教授)を持った。貴族院書記官長を務めた小林次郎、国の憲法調査会(57年発足)会長だった高柳賢三らが中心で、幣原喜重郎内閣の国務相で憲法改正作業を担当した松本烝治(じょうじ)らも参加した。53年は日本が占領から独立を果たした翌年で、自由党と改進党(いずれも当時)が憲法調査会を結成するなど、改憲論議が盛んだった。「萍」という名前は、特定の政党などの利害にとらわれず、公平な見地から考える意図から付けられた。

 ◇占領期の政治史に詳しい天川(あまかわ)晃・横浜国立大名誉教授の話

 日本国憲法制定に関わった当事者の肉声が記録された貴重な資料で、よく残っていたと思う。貴族院での審議の経緯がリアルに語られ、背景が明らかになった部分もある。また、占領終結後、憲法が定着していく時期に、「明治憲法世代」の持っていた考え方がうかがえるのも興味深い。法律論などさまざまな研究に資するであろう第一級の史料だ。