2018年01月14日

タロ&ジロ 愛と希望と勇気の日

極寒の南極の地で1年間生き抜いたタロとジロ

タロ&ジロ-公園

 1月14日は「愛と希望と勇気の日」であるのをご存じだろうか。

 愛と希望と勇気の日は、1959年(昭和34年)の1月14日、南極観測船・宗谷の第3次南極観測隊一行が昭和基地に辿りついた日に由来する。

 その前年の1958年、第1次南極観測隊がカラフト犬のタロとジロたちを基地に置き去りにせざるを得ず、1年後、南極の過酷な地で生きのびたタロとジロの2頭と再開したことから勇気を讃え、生きることへの希望と愛することの大切さを忘れないために「愛と希望と勇気の日」を制定したのである。

タロ&ジロ

 タロとジロたち樺太犬の運命は1956年(昭和31年)、南極大陸の学術的な観測を行うことを目的とした「第1次南極観測隊」の派遣が決まった時に始まる。

 観測を行うために必要なそり犬として抜擢されたのが樺太犬なのだが、樺太犬が選ばれた理由は寒さに強く、体が頑強だからだ。

 当時、北海道に生息していた約1,000頭の樺太犬のなかから23頭が選ばれ、南極への遠征に備えた訓練が始まる。

タロ&ジロ-切手

・1956年(昭和31年)11月
 総勢53名の第1次南極観測隊が東京湾より南極観測船・宗谷で南極に向け出発。
 タロとジロを含む22頭の樺太犬が同乗する。

・1957年(昭和32年)
 宗谷が南極に到着。53名の隊員のうち11名が第1次越冬隊として選抜され、南極大陸北東の沿岸にある昭和基地に向かうために同行した犬たちが基地でそり犬として活躍する。

・1958年(昭和33年)2月
 第2次越冬隊を乗せた宗谷が南極付近に到着するが、2月の悪天候は厳しく、第1次越冬隊はかろうじて基地から観測船に戻ってきたが、第2次越冬隊が交代で昭和基地に行くことは不可能で、第1次越冬隊の基地からの戻り組は15頭の犬たちを観測船まで連れてくるだけの余裕がなかったことから、首輪につないだまま基地に残すことにしたが、犬たちを過酷な南極の環境下に置き去りにしたことは実質的な見殺しであり、この行為は後に、国民から激しい非難を招くことになる。

タロ&ジロ新聞記事

・1959年(昭和34年)1月14日
 第3次越冬隊が南極上空から昭和基地の様子を観察して、そこに生きている2頭の犬の姿を発見する。第1次越冬隊で犬たちの世話をしていた北村泰一氏が確認したところ、それは紛れもなく1年前に置き去りにしたタロとジロであることを確認した。他の13頭の犬たちは助からなかったもののタロとジロの2頭は過酷な南極大陸で1年間、何とか飢えを忍び、1年間、生き抜いていた。

タロ&ジロと北村さん

 タロとジロの起こしたこの奇跡は当時、日本に大きな感動をもたらし、銅像や歌、映画など数多くの文化作品を生み出す結果となり、その感動は今も語り継がれている。

※Youtube  南極から北大に タロとジロ HOKUDAI Only One! No.20〜北海道大学〜
 → https://www.youtube.com/watch?v=ds04z5v5eSg

 愛と希望、そして、勇気の日。

 何とか生き抜こうとしたタロとジロの生命力に肖りたいものだ。

 タロとジロの生存を巡って諸説あるが、それは又の機会に考えさせて頂くことにしよう。

inakakisya at 15:58コメント(0) | データ  

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