2006年06月

2006年06月24日

いじめ対策用のマニュアル本を一冊紹介します。

『いじめ少年犯罪に宣戦布告』
著・プレスプラン編集部
価格:1,600円(税込)
ISBN:4-86113-040-9

http://www.kitanet.ne.jp/~press/03bookstore/003_5ijime.html

私がYahooのいじめ・不登校掲示板に出入りしていた頃に当時の編集長から刊行される事を聞き、アチコチのサイトに色々と宣伝して回りました。
その後、感謝の気持ちとしてウチに10冊も送っていただき、親の会に寄贈したという大変思い入れのある本です。

内容は、被害に遭ったときのマニュアル本で、 このような本が私の子供時代にあれば良かったと実感できる本です。

発達障害系の子はいじめに遭いやすいので、一家に一冊は備えておきたいですね。

(17:17)
障害者が職業訓練で通う作業所というものがある。
通所型、入所型、小規模なもの等形態は様々であり、何らかの商品を作って商売を行っているところが殆どだろう。障害者自立支援法に先立って、身体、知的、精神の3障害のいずれかを持つ方が相互利用できるようになった。
そして、自立支援法の施行により、利用者が利用料を支払わなければならないようになり、月収を上回る利用料を支払っている利用者が増え、利用を停止しようと考えている方が増えているそうである。
また、補助の額も日割計算になり、補助を受けるための規模の縛りもあって、経営的に厳しくなり、廃業しようかと考えているところも数多くあるらしい。
自立阻害法だということで、JD(日本障害者協議会)も様々な対応策を練っているようである。

ただし、現行のヤマト福祉財団創設者である元ヤマト運輸会長故小倉昌男氏の著書「福祉を変える経営〜障害者の月給1万円からの脱出」刊行以前から指摘されている賃金の安さも何とかしなければならないだろう。

作業所で作った製品を「障害者が一生懸命作ったものです。買ってください。」という良く見られる形態は商売ではない、と福祉をかじったことのある人間なら誰でも思っていることではないだろうか。

しかし、かといって、経営者やスタッフは商売人では無かった人が殆どであろうし、商売なんてそうそう上手くいくものではない。

私は、商売で成功した事のある人が直接経営に乗り出すのが一番ではないかと思う。

一般の商売は、作業所のような補助を貰っている訳ではない。そして、多額の賃金を従業員に支払っているのに、儲けている。

ということは、補助金も貰えて賃金も若干安く抑えられるので、一般企業の経営者が理事長となって福祉法人を組織し、作業所を経営すれば理事長個人の収益が上げ易いし、賃金も現在よりは高くなるのではないかと思う。

そのためには、利用者を選別する必要はあると思うが、適材適所というものもあるのでこれは当然の事だと思う。また、スタッフも商売に精通している必要がある。

私個人としては、現在2つ程ビジネスモデルを考えおり、ある程度アイディアも煮詰まってはいるが、Web上で発表するのは勿体無いのでここでは秘密にしておく。

(17:05)
ソーシャルワーカーを志した者であれば、「ストレングスモデル」という言葉は必ず習うであろう。そして、ストレングスモデルという考え方は、障害者に限らず教育においては普遍的なものであると私は認識している。

ストレングスモデルとは、短所に目を向けて「あれができない」「これができない」と苦手なことに注目し短所を改善しようとするよりも、「あれができる」「これができる」と長所に注目し、長所を生かして自立に繋げるという考え方である。

人間には生まれ持った性質というものがある。生まれつき困難な事を何とか克服して、毎日苦手な事を失敗しないように気をつけていれば相当疲弊するし、すんなりできる人よりも上手にこなすというのはとても難しい。何より、毎日の疲弊が蓄積されれば精神的にも良くないだろう。

現代社会は、自分の苦手な土俵で勝負できるほど甘くは無い、私はそう考えている。
だからこそ、自分が得意とする事で勝負すべきであろう。

白いキャンバスに絵を描くことを思い浮かべてみよう。
同じところに同じような色を塗っていってもキャンバスは埋まっていかない。
様々な色をキャンバスの隅々まで満遍なく塗ってこそ鮮やかな絵が出来上がる。
これこそ、適材適所というものではないだろうか。

社会とはそういうものだと理解している。

(16:26)

2006年06月17日

教育基本法は会期切れのため廃案となった。
その中で、1点特筆すべき内容があった。普通教育9年間という義務教育期間の撤廃である。発達障害等で習得速度が遅い場合、9年間では足りない場合もあるだろう。この1点については、教育基本法の改正内容は評価できる。

1998年頃、単位制義務教育が実現できないかを考えたことがある。
以下、こうもりさんのブログに書いたその後の修正点を含め、具体的な内容を列挙する。

1.学年は完全無視で、入学・卒業の時期はその子の学力に合わせる。
2.科目毎に必須単位があり、必須部分については基準を達成できないとその科目は進級できない。(必須単位があるのは、国語・算数(数学)・理科・社会・道徳・子育て学)
3.幼児や身体障害者等で体力的に持たない場合は行事等への参加は自由。
4.卒業は30歳まで
5.他校で単位を取得しても良い(送迎バス付き)

この実現における問題点として下記の2点が考えられる。
1.全国的にこういう学校ができないと、転校時に問題となる。
2.18歳と3歳が同じ科目を学習するというケースも考えられるので、遅く進級する子が劣等感を抱きやすい。

副次的なメリットとしては、下記のものが考えられる。
1.学年という括りが無いので、留学生や帰国子女をいつでも受け入れる事ができる。
2.大学のような感じになるので、人間関係が希薄化され、いじめが発生しにくくなる。(人間関係の過度の希薄化は、部活動や学校行事で防止する)
※部活動は地区毎に組織され、U15などの年齢別大会になるであろう。

蛇足であるが、この案を考えてから2年後くらいに、必須科目として英語を追加したが、こうもりさんの過去記事と全体的に見た英米人の外国語習熟度の低さから判断して、今回は敢えて外している。最近は、アメリカ国内で、外国語習熟度の低さを問題視して、外国語の習得を奨励させる策が考えられているようである。

(15:07)
以前、自閉症協会佐賀県支部高機能部会(通称「バンビの会」)で当事者講演を行ったことがある。その中で、計画性のなさや実行力の欠如、資料作成技能の不足が就労にかなり悪影響を与えるている事を訴えた。

そして、自分の子の計画性や実行力を育てる手段として、夏休みの自由研究を活用しようと思っていると伝えた。

自由研究には、研究主題の発見、研究の内容、必要な物の準備、研究のスケジューリング、研究結果のまとめ、デザイン能力、他者に分かりやすく説明させる事といった、就労後に必要なスキルの習得に役立つ。もちろん、子供に最初からそのような能力が備わっているはずが無いので、親として積極的に関与していきたい。といった内容である。

その後、この意見を参考に、自閉症協会佐賀県支部高機能部会の「アインシュタインクラブ」において、NPO法人「それいゆ」の協力の下夏休みの自由研究を主題とした夏季合宿が行われ、賞をもらった子がたくさんいると聞き、嬉しく思った。

セルフエスティームの向上にも役立つので、他の地域にもこのような取り組みが広がって欲しい。

(14:49)
ある者(自己である場合を含む)と他者と比較するという事くらい不毛なものは無いと思っている。ただし、「選抜」という過程で行われる「試験」や「昇進」等はもちろん別である。

人それぞれ能力や適正、性格、資力、居住地域、家庭環境は明らかに異なっている。当然、悩みの種類も重さももちろん違う。ある1点のみで比較して羨望の念や憐憫の情を抱くというのは人間なので有り得る事だが、相手は神でも悪魔でもない只の人間なのだから、その1点で自己の価値観と照らし合わせて他者の全体まで肯定や否定をしてしまうのは間違っている。

成長という点においてももちろん同様で、様々な技能を獲得する速度や達成限界は、同一人物であってもその技能の種類によって全く異なる。そして、習得速度や達成限界は本人の興味関心の度合いによっても大きく左右される。したがって習得途上である状態で他者と比較しても、本人の成長にとっては意味が無いことになる。

現在の能力や置かれている状況を客観的に把握し、そこを出発点として、一歩一歩成長していく、この継続で十分ではないだろうか。他者から観ていると、ある時その人物が突然できるようになったと捉えられる場面も多いと思うが、水面下で積み重ねられていた様々な成長の結果がただ浮上して表れただけで、成長は必ず継続して行われているのである。

人である限り、この原理を忘れてはならないと思う。

(14:20)

2006年06月10日

と言っても、もちろんサッカーではなく、トルコで行われていたアーチェリーのW杯である。
何でもそうだが、上位になる事はそこまで難しくはないが、頂点に立つというのはなかなか難しい。それが世界一となると、人類の中のほんの僅かな人間しか味わう事のできない大変な栄誉である。

私事で恐縮だが、私は運動がとても苦手だったし、手先はとても不器用、勉強では上位になる事はあっても、学年1位になった事は無い。しかし、そんな私でも、たったひとつだけトロフィーを持っている。ローカル局のカラオケ番組でその週のチャンピオン(参加者5名(笑))になった際に頂いたもので、そのときはとても嬉しかった。当然世界一とは比較するのもおこがましいが、そのトロフィーは今でも私の大切な宝物である。そして何よりも、事前に一人でカラオケ行ったりして勝ち得た栄冠が自分の自信になっている。
発達障害者に限らず、ゲームでも何でもいいから、努力して一番になる経験をみんなに積んで欲しい。それは、単に他人から褒められて得られる自信より遥かに強く、努力すればできるんだという何物にも代えがたい自信になるはずだから。

アーチェリーという競技は、もちろん日本生まれではない。他国生まれの競技で勝ち取ったこの栄冠は、後世に永く語り継がれる事を望む。

(19:11)

2006年06月06日

この話題は発達障害や精神保健福祉とは全く無関係だが、以前からの持論なので触れておきたい。

親の教育力低下が言われて久しいが、私は実はそこまで悪化しているとは思っていない。
育てられる親と育てられない親の二極化が拡大しているのだと私は考えている。
これは、子供の学力が二極化している結果とも関連があると思う。

日本国憲法上、基本的人権は万人に平等に与えられているはずであるが、子供に関しては守られているとは言い難い。児童虐待やネグレクトがあちこちに存在しているからである。
子供は、生まれた時からそのような環境なので、一般の温かい家庭というものを知らず、それが当たり前のものとして育つ。そして、学校でクラスメイトから他の親の話を聞いて自分の境遇とのギャップに愕然とするのである。

日本が自営業中心だった頃は、近所付き合いがあり、3世代同居というのも当たり前で、離婚率も低かった。その結果、複数の大人の視線に絶えず子供たちがさらされているため、少数の大人の暴走に歯止めがかかっていたと思われる。
しかし、核家族や片親家庭、単身赴任が広まってしまった現代では、家庭内が密室化してしまい、少数の大人の暴走を誰も制止することができない。

そういう虐待を行っているのは、私達かもう少し若い世代が多いので他人事ではない。

私は、学校で子育てを教わっていないというのが最大の原因と考えている。
地域がもっと身近で大家族だった時代には、自分の弟や妹、近所の子の面倒を看る事が当たり前だったと思う。しかし、核家族、少子化、専業主婦化が進行すると小さい子の世話をする機会が激減してしまう。しかし、その時代に戻れというのは高度化してしまった現代社会では不可能だろう。

では、どうすれば良いか。
私は、子育て学を義務教育に導入すべきと思う。
私も経験があるが、初めて育児する親には、育児雑誌しか頼れないという場合が多いのではないだろうか。しかし、赤ちゃんにも生まれつきの個性というものがあって、兄弟を全く同じように育てたとしても、同じような大人になるという事は有り得ない。もちろん、環境のせいもあるが、生まれつきの素質は確かにある。
親は、そういう場合でも臨機応変にその子の性質に応じた対処をしなければならない。そうして、自立した次代を担う成人を育てていくのである。

性とは本来そのようなものであるべきだ。
だからこそ、子育て学こそ真の性教育と呼べると私は考える。

(17:56)