2007年06月28日

表題の言葉は、昨日、電車の中で数人で会話していた女子高生が、電車を降りる時私の横を通った際に友人に対して発した言葉です。

彼女は、友人の気に入らない行為をした人が許せなくなり、友人に同調したのだと思いますが、私は「間違っている」と瞬間的に思いました。

ということで、今回は、「いじめの構図」について記載します。

AとBが仲間で、AがCを嫌っていたりCから過去にされた事を根に持っていたりするときに、BがAに代わってCを攻撃するケースがあります。

私が考えたそのような場合の代表的なケースは以下の3つです。

1.BがAから良く思われたいために、「手柄を立てる」意味でCを攻撃する。

2.Aが、正義感が強いBへCの悪口を伝え、Bが自分の「勝手な」正義感でCを攻撃する。

3.AとBには上下関係があり、Aの「Cを攻撃しろ」という命令にBが従う。
このケースについては、Bが嫌々やる場合と面白がってやる場合もある。

いずれのケースについても、「BはCから何もされていないのにCを攻撃する」ことになり、Cは「何で私がこんな目に遭うの」と感じることでしょう。

「仲間のためには何をやっても良い」というのは、「目的のためには手段を選ばなくても良い」ことの一例であり、明らかな誤りです。
私は、「そんな関係でいるよりは、独りの方が人としてはるかに立派だ」と思います。

このような構図はどこの学校にもあると思いますので、「トラブルと無関係な人物を引き離す」指導を全ての学校にお願いしたいですね。

「他人の嫌がることはしない」
「他人に迷惑がかかる行為はやらない」

この2つの原則を守るだけでトラブルは激減するということを付け加えて、この記事を終了致します。

(06:55)

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この記事へのコメント

1. Posted by たかゆきママ⌒☆5    2007年07月30日 20:43
川越の障碍者の就職についての講演会でご一緒させて頂いた渡邉です♪いつもコッソリ、ブログを覗かせて頂いて居りますけれど、本日、テレビ(NHKハートをつなごう)でお姿拝見致しました!
お元気そうで何よりです(^-^)/
2. Posted by 田舎猫   2007年07月31日 01:10
たかゆきママさん、いらっしゃいませ。

ブログの閲覧ありがとうございます。
あまり更新していないのでちょっと恥ずかしいですね。

最近は体調も良く、片道3kmくらいなら息子のダイエットも兼ねて歩いてます。

また、いらして下さいね。
3. Posted by むーちゃん母   2007年08月05日 14:15
いつも掲示板への書き込み、ありがとうございます。

正義は、他者の正義を守ってこその正義
自由は、他者の自由を守ってこその自由

社会の視野の狭さが気になる今日この頃です。
4. Posted by 田舎猫   2007年08月05日 23:31
むーちゃん母さん、いらっしゃいませ。

>社会の視野の狭さが気になる今日この頃です。

これは本当にそうですね。

「空気を読む」というのは、武家社会になってから発達したことのように思います。
不用意な言葉は命に関わりますので。

昔は、町民や農民とかは常時そのような行動を要求されてはいなかったと推測します。

今は殆どの方が事業所に勤務されていますし、型破りな人は新人としてはあまり入ってこないですよね。
効率を追求しすぎて、面白い人を有効活用できない職場が増えているのではないでしょうか。

常識に囚われない人が大きな功績を残すってことも多いのですが、世の中の受容能力が下がっているようでは、期待しにくいかもしれませんね。

新しい企業家達に次代を任せるべきかもしれません。
5. Posted by むーちゃん母   2007年08月21日 10:40
お久しぶりです。
毎日暑いですが、お元気ですか?
この記事を読み返して、ふと、感じたことが一つ。
私は、子どもをとある障害児の活動に参加させていますが、密かに思っていることがあります。
詭弁ですが
「障害児の親の中には、サービスされない状態ということが受け入れられない人がいる」
ということです。
サービスを受けて当たり前。
だから、割と高い頻度で不満を口にされることが多いです。

自分に都合がいいことが当たり前。

みんなの意識が、そういう風になってきたような気もしています。
6. Posted by 田舎猫   2007年09月29日 07:35
>サービスを受けて当たり前。
>だから、割と高い頻度で不満を口にされることが多いです。

他の地域の事例と比較されていらっしゃるのでしょうね。実は様々な地域のいいとこどりだったりして、全てを実現できている地域は無いのかもしれません。

私が親の会参加者に伝えたいのは、サービスを受けられるかどうかではなく、子供の将来にとって最も効果が高い方法を支援者も家族も模索して欲しいということです。

これまで紆余曲折あった私としては、何でもかんでもあらかじめ用意されている方が良いとは思っておりません。

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