
ユーチューブでシベリア大紀行を何気なく見ていたら、今から200年以上前に江戸に向かっていた船が暴風で7ヶ月も流されて、アリューシャン列島に漂着した。それから10年掛けて鎖国の日本に帰ってきた。
その人が「大黒屋 光太夫」の話しである。
1782年(天明2年)今から228年前の話しである。
伊勢の白子浦を出た神昌丸は光太夫他16名をのせたまま、遠州灘で暴風雨にあい、舵を失い漂流すること7ヶ月アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。
そこからなんと、カムチャッカ半島に渡りオホーツク海をへて、オホーックで大陸にわたり極寒のヤクーックからイルクーックそこからモスクワそしてオロシアの西のはてペテルブルグまで女帝エカチェリーナ2世に帰国嘆願し、エカチェリーナの命によって日本に送還された。
北海道の根室に着いたときは3人になっていた。
光太夫以前にも同じような運命をたどった者があったようだが、生きて日本に帰国した例は初めてと言うことである。
また、光太夫はオロシアの文化やしきたりについて、克明に報告しているその内容は「北槎聞略」に記載されている。
「ヤッポンスカヤ」日本のこと始め大変克明に多岐にわたって記載されている。
200年以上前の人が、ここまでやるとは驚きとともに感動を覚えました。
しかし、光太夫は日本が鎖国政策をとっていたために、「見てはならぬものを見た。」とのことで小石川の幕府薬草園に軟禁されてしまった。
伊勢の白子浦に帰ることは出来なかったが、結婚をして一男一女をもうけ78歳までいきた。
光太夫が見聞したものを幕府が生かすことが出来たら、日本ももう少し変わっていたのでは、なんて思いました。
人間の望郷の念とは極寒のシベリアをも縦断させてしまうのですから、もの凄いであると感じました。







