マスターのブログ

季節は巡る・・・また新たな出逢いと感動を求めて・・・。

本当に好きになれること。


 

「時は流れない、それは積み重なる」

サントリークレスト12年

昔からサントリーのCMのコピーが大好きだった。

若かりし頃、こういった秀逸なコピーに大いにインスパイアされて、広告業界に憧れていた。


あと、

「男は黙ってサッポロビール。」とか、

「こころも満タンに、コスモ石油。」とかもあったな。





同じく、これも名キャッチコピー。

「何も足さない、何も引かない」

サントリーピュアモルトウイスキー山崎



 最近は、テレビをあまり観なくなって、イケてるCMキャッチコピーにあまり出会わなくなった。

かわりにYouTubeを観ることが多くなった。まあ、殆どは釣り関連やDIY関連のチャンネルが多いんだが、その中に、久々に自分の心を打つCMに出会った。

 釣り具のトップメーカー、SHIMANOの釣りャンネル、シマノTV。商品の宣伝CMではない。メーカー自身のメッセージ的な、会社のスタンスプレゼンテーション的CMなのだが、これが実に心に響く。釣り人ならどんなジャンルの釣りをしていようが、まちがいなく心をくすぐられるキャッチコピーだろう。このCMを作ったクリエーターさんに拍手を送りたい。

国内には、ほかにD社、G社などのトップ釣り具メーカーがあるが、CMや、テスター(インストラクター)のキャラ、プレゼン、そして商品の説得力において、中でも一番SHIMANOが群を抜いてイケてると思う。もちろんD社やG社も、トップメーカーとして最先端の技術で優れた製品を作って、ファンは沢山いると思う。



シマノのそれはこんなCM



ほんとうに好きになれることに出会える幸運は、多くない。


けれどあなたは、それに出会った。


どのくらいの時を過ごしてきただろう。


自然のリズムの中で、その水辺へ。


情熱は常には報われない


が、あの一瞬が訪れるときを信じて


自分の底力を信じて



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釣り具メーカー、SHIMANOの釣りチャンネル。このYouTube動画の14分23秒から。




 自分の場合、この数十年で、一番ワクワク、ドキドキして、また頭を悩まし、思い通りにいかず、そっぽを向き続けられたのが、釣りなのである。子供の頃の川のフナ、鯉、ウナギに始まり、大人になっての鮎、アマゴ。海ではグレ、ヒラメ、マダイなど。四国西南部の川や海で、人生の中での楽しさや充実感、達成感を味わせてもらった。何度行っても飽きることはなく、たどり着けない夢の境地なのだ。

 今月還暦を迎えるが、何十年も色あせず、変わっていない楽しみなのである。いくら女房から冷たいまなざしを向けられても、これからも、体が動く限り水辺へ出かけることだろう。

マスターのDIY日記 その


KIMG2575 オヤジは18年前に死んだ。生前は喧嘩ばかりして、あまり折り合いのいい親子ではなかった。そんな親父のことを、少しだけ誇りに思ったことがある。小学生低学年の頃、学芸会の劇で、何人かで木こりの役をやることになって、先生から「自前の斧をお父さんに作ってもらってきてください。」と言われた。それを伝えると、うちのオヤジは奮起して、木を削り、銀や金の色紙も貼って、立派な斧を作ってくれた。

 KIMG0495放課後の劇の練習が待ち遠しかった。いざ練習になって、その斧を取り出したときの同級生からの羨望のまなざしに、いたく得意げになったことを覚えている。なかには簡単に段ボールで貼り合わせただけのを持ってきた子もいた中で、オヤジが丹念に作ってくれたその斧は、ボクの気持ちを相当高揚させてくれた。

丁寧なモノ造りは、人の心を動かすことができるのだ。これは工業や、芸術、料理など、どの分野にも言えることだと思う。手間暇かけた人の情熱は、そっくり作品に乗り移るのだ。見て、手に取って、触ってみて、解る人には解るのだ。

 KIMG2573今でもうちの店内には、オヤジが手がけた作品が何点か置いてある。鹿の頭骨の壁掛けや、自在鉤、加えて、店の収納棚や調理台、屋上の階段の水洗トイレまで自分で配管して設置したりもした。地元の年配の人は、ボクが何か作っていると、「あんたのお父さんも器用な人やったけんね。」と、しばしば言われる。

作ったのはボクだけど・・。

 風呂に浮かべるおもちゃも、うちでは買ってきたのじゃなく、オヤジが木の端材を削った船だった。しばしば、新築現場から端材をもらってきたり、山から切り出した木や竹で、むちを当てて回すたたきごまや、杉玉鉄砲、凧、刀やそりなどを作ってくれた。店で売っているプラモデルや、銀玉鉄砲とは違った味わいがあった。

 最低限の材料と道具があれば、楽しい遊びのアイテムが、工夫と加工によって作り出せる。捨てられるはずだった角材や板材の端くれ、竹藪に生えている竹は、加工のマジックでワクワク感を添えた夢のアイテムに生まれ変わる。切り出し小刀一本で削り出された切り口や風合いは、天然素材ならではの独特の存在感があった。

KIMG2589 KIMG2582現代のように、モノがあふれて、高価な出来あいのハイテクおもちゃを買ってもらえる子供たちは、そんな感覚すら知らないのかもしれない。

 イメージが沸いたら、絵を描き、具体的な形を決めていく。そして材料を選び、製作にとりかかる。その工程の中には様々なノウハウが存在する。素人作業でもちょっとした技術の差が出来を左右する。自分が考えた工夫で、上手くいったときのうれしさは、何度味わってもいいものだ。

KIMG2580 KIMG2578ぼくは釣りが大好きだ。魚を釣るだけでなく、釣り道具を自作する楽しみも覚えた。かつては、自作のウキやナイフ、メタルジグも作った。自作のウキやメタルジグで魚が釣れたら、倍楽しい。狙いの魚を獲得して、自作のナイフで血抜きや下処理をする。こうしておくと帰ってからの料理が美味くなる。釣りの腕はさっぱりヘボだが、色や形、現場での機能をイメージしながら、工房にこもり、製作に没頭していると、食事を取ることも忘れて深夜になることもあった。

 KIMG1536とにかく、四六時中、何か作れないか考えている。イメージが沸いたら、すぐに行動しないと気が済まない。手間暇を思案するより、工夫の楽しさの方が勝ってしまう。そしてうまく作品ができたときの喜びは、それを実行した者だけにしか味わえない醍醐味がある。

KIMG1423もちろん、失敗ややり直し、挫折、断念はつきもの。やり始めてから、完成までの長い行程を思うと、「なんでこんなことを始めてしまったのだろう。」と後悔することもしばしば。



そんなとき、そっと背中を押してくれるのは、死んだ親父の言葉だ。



「失敗してもかまんけん、とりあえずやってみいや。何とかなるかもしれんけん。」

・・と。


作業に取りかかって、壁に当たったときは、この声が聞こえてくるような気がする。




                          つづく




 

 


マスターのDIY日記 その


maruisu sepia昨年から新型コロナウィルスの感染拡大が止まらない。


政府やメデイアは、こぞって飲食店が感染源になるから、気をつけろ、行くな、利用するな、と連呼している。都市部や周辺の県では緊急事態宣言が発令され、さらに会食や人とのコンタクトにブレーキがかかっている。


わが町松野町では、まだ感染例はないが、必然的な風評のあおりを受けて、当店の来店客は、昨年から激減している。そんなとき、何ができるか・・。


 嘆いても、心配しても現実は変わらない。今、この日にできることをするしかない。












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昨年から、仕事の合間を縫って、DIYにいそしんでいる。請け負った仕事ではないが、普段お世話になっている地元菩提寺の修復をはじめ、店の倉庫や収納庫、住居部分の天井の張替えや収納棚の設置など、十数か所の修繕をやった。

 昔は、ちょっとした仕事を頼める、一人親方の大工さんがいたのだが、今はなかなかそういった小さな仕事を頼める大工さんがいない。よって自分で何とかするしかない。素人細工では、プロのようにきれいに収まりのよいきっちりした仕事はできないが、何とか機能するようにはできる。


KIMG1315そもそもDIYとは、KIMG1944

DO  IT  YOURSELF

の略で、自分でなんとかする。の意味なのだ。

実はそのことを知ったのは、ごく最近のこと。
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そして、イスやキャビネットなどの簡単な小家具も作り始めた。店の仕事の合間を見計らって、ちょこちょこと少しづつ取り掛かっている。

正木キャビネット KIMG1889
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作れば作るほど課題が見えてきて、改善箇所が見つかる。失敗も多い。道具や材料の知識も大事だ。試行錯誤の繰り返しだが、こんなんあってもいいな、という自分のイメージが、形になるとわくわくする。日が短い冬の作業時間が限られているので、必然的に早起きにもなる。よって製作モードのスイッチが入ると、一日があっという間に終わる。日々が充実してくる。

 忘年会、新年会、成人式、駅伝打ち上げ、消防出初式、月例会のお講などなど・・これまで例年の年末年始の予約は、ことごとく中止の雨嵐。昼間のランチタイムの来店客も減少している。

仕方ない、嘆くより、今しか、自分にしかできないことをやろう。普段の忙しいときにはできない作業をひたすら続よう。大雨も厳寒の冬も、いつかは過ぎ去っていく。世界中の人々がそれを待ち望んで耐え凌いでいる。




         つづく

母逝く。


自分という生命体をこの世に産み落とした母が、天国に旅立った。
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当たり前の話であるが、どの人にも親があるから、自分という人間がこの世に存在するのだ。

人は身近な肉親や友人の死に接したとき、自分の生を問う。

特に、親を送るとき、その心情は一番感慨深いものになる。

KIMG0857この人がいたから、自分は今生きていて、仕事ができて、ご飯が食べられて、家族と幸せに過ごせるのだ。

生前、自分は親孝行など十分にできただろうか。ほんの少しでも、この子が居てくれてよかった、と思わせることをしただろうか。

遺影を前に思うことはそんなことばかりだ。


KIMG0880母は、昭和9年生まれ。小学生の頃、一家は満州開拓団で、極寒の満州に移住していた。そして終戦を迎えた。私が小さい頃、「母さん、今まで一番つらかったことは何?。」と聞くと、母は、「満州から引き上げるとき、迫り来るソ連兵に怯えながら、三日三晩、雨に打たれながら馬車に揺られたことやね。あの辛さと恐ろしさえを思うと、今の苦労なんかへっちゃらよ。」と話していた。

KIMG0866そして、理容師と美容師になり、店を開業して、55年にわたって今のトミーの礎を築いた。


KIMG0885般若心経の経文の中に、

色即是空 空即是色

という、この経典を代表する一節がある。

自分なりの勝手な解釈だが、この一説の意味は、

物体や色形あるものは、即ち実態が無いことに他ならない。
実態の無いものは、即ち形あるものに他ならない。

KIMG0851故人は灰になり、土に還って、人体としての物体は消滅したが、その生き様や心情、また志や優しさは、それぞれの人の心の中に確かに存在してる。

そういうことなのだ、と解釈している。

母の生き様が感じられるのも、これから時間が経つごとにポツリ、ポツリと出てくることだろう。

生前、お世話になった多くの方々にお礼を申し上げたい。

(メッセージ絵手紙は、故人次男、松浦明郎作)








セルフリフォーム日記



DSC_0673 今年1月に、南予地方を襲った暴風雨。台風よりも強烈で、宇和島市などでもかなりの被害が出た。うちの親の古い実家も、屋根に被害があって、ひどい雨漏り がしだしたので修理が必要になった。プロの左官さんに頼める人はなく、聞くところによると、宇和島市の屋根修理業者は、依頼が数十件待ちだというので、思い切って自分で修理することにした。

 CA3I2328高いところはあまり好きじゃないし、素人が無理すると怪我してもいけない懸念もあったが、注意して始めた。なんせ、築およそ80年以上。長年の風雨で瓦はズレまくり、隙間だらけ。これじゃ漏るわな。

ホームセンターでセメントを買ってきて、セメントパレットも板で自作して、足元は地下足袋のにわか左官職人。4面ある寄棟の瓦屋根を毎日2〜3時間ずつ、こつこつと目地を塗っていった。安全ロープを縛るところがないので、てっぺんの向こう側にコンクリートブロックを置いて、それを重りにして、磯釣り用のロープとカラビナで体を固定した。

CA3I2322CA3I2324約一月半ほどかかって、やっと修理完了。ハシゴをかけるベランダ横の屋根を貸してくれた、お隣さんに感謝。



CA3I2337修理や掃除は一ヶ所やりだすと、作業中、他にも修繕箇所がありこち見つかって、追加工事。外階段のフェンスやドアもグラグラのバラバラだったのを復旧。




CA3I2399屋内では、キッチンの床が2カ所ほど、表板が踏んだらベコベコ。グラインダーで周りを切り取り、胴縁の下地を入れ込む。さすがに同じ柄の床板は手に入らないので、ラワン合板を埋め込む。CA3I2404継ぎ接ぎだが、フロアマットで覆えばOK。
CA3I2405これを2カ所クリアー。




CA3I2415そして、最後の難関は玄関ポーチの天井と壁の貼り替え。最初は剥がれていた1枚分だけ貼り替えるつもりだったが、結局全部剥がした。シーリングライトが3カ所あって、電気屋さんに頼まなければ・・・と心配したが、コードの引き込み口さえ逃げれば、貼り替え可能と判断。CA3I2421しかし、天井は脚立に上り、上向きに作業しなくてならないし、寸法が3X6尺の板の横幅では歩留まりが悪い。繋ぎ目もピッタリ収まるようにカットして貼らなくては、かっこ悪い。採寸とカット、打ち込みに神経が要る。仮押さえ用の角材も作った。

CA3I2450CA3I2434ツバメの巣で泥だらけになっていたランプシェードも外して磨き、新しいLEDランプに取り替え、無事点灯。

何とか天井が貼り上がった。














そういった諸々の作業で胴縁や、垂木や、ラワン合板がちょっぴり余った。
CA3I2428せっかく玄関ポーチの天井がきれいになったので、土間もちょこっとグレードアップしたい。・・と思って、余り材をぶっつけ作業で、プランタースタンドを作ってみた。水やりをしょちゅうするので、棚板ではなくスノコ状に。
防腐塗装して、お花を置いて出来上がり。


全ての工程が、未熟な素人の発想と作業。あるのは実行するやる気だけ。道具や材料も最小限で、とてもプロの職人作業と比べると、不細工でかっこ悪いが、機能だけは回復したとは実感している。ありあわせや最小限の材料と道具で、何とか修繕するのが我が家の流儀。草葉の陰から、継続するパワーを送ってくれて応援してくれた、亡き親父に感謝である。

コロナ感染症対策で店の営業はままならず、経営は大変だが、こういったタイミングで時間を与えられたのだ、と思えば、やりがいも感じた次第。普段の仕事が止っているが、自分の日役を何とか稼げたかな? 幸い今年は体調がいいので、体も動いたことにも感謝。
何とか奥方様に貢献度を認めてもらいたいのが一番の願いでもあるのだが、さてどうでしょうか?
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永昌寺東屋改修


CA3I2322 松丸の永昌寺境内にある東屋。 松丸地区、延野々地区を一望に見下ろす絶景が楽しめる、メディアなども多く取材に来るスポット。

この東屋は築約40年といったところか。毎年ぼけ封じ観音や、三世観音のご縁日、そして大晦日の除夜の鐘のイベントなどでの休憩や飲食スペースとして重宝な建物。ここのベンチで早朝に座禅をさせてもらったりしている。


IMG_20190925_094109数年前から気になっていたのだが、この東屋のベンチや手すり、柱などが長年の風雨にさらされて、腐りかけていた。その修理をいつかやろうやろうとは思っていたが、ここ数年の体調不良で先送りになっていた。でも、今やっとけば、今後10年20年と持ちが違うのだ。

永昌寺には、檀家有志数人で作った座禅サークル、「遊禅倶楽部」というグループがある。毎月一回、本堂で座禅を組み、和尚さんの説法を聞いて、一時の精神修養をする。先日あった今年最初の座禅会の説法で、和尚さんから、「寒暖自知」という言葉の意味を教わった。

えてして、人間というものは、やる前からやらなくていい理由を探しがちで、なかなか行動に移さないものだ。器の中の水が冷たいか、暑いかは、自分の手を突っ込んでみて解ればいい。やれるかやれないかは実行してみてから判断すればいい。何もしないうちにあーだこーだと予断するのは馬鹿げている。

そういう意味のお話だった。

仕事も、家庭も、地域活動も、先入観や、忙しさの言い訳で、実行しなかったり、しなくていい言い訳を先に用意していることの何と多いことか。結果や人目を気にして、行動できないでいることの何と多いことか。

CA3I2378頭の中でゴチャゴチャ考えて、いい答えが出るわけでも無い。だったらいっそのこと、とりあえずやってみてから判断しよう。とりあえず今日、この日この時にできることを精一杯してみよう。そんな気が起こってきた。

このふるさとで34年間も店を維持させてもらって、家庭も持てて、子供を育てて、多くのお客様や、すばらしい仲間に恵まれて、自分は本当に幸せ者だ。ありがたいなあ。「ミスタースポークスマンオブ松野」の矢間大蔵風に言えば、「ありがてえなあ。」笑。それもご先祖様のお導きや仏縁をいただいているおかげかもしれない。そう思えるときが多くなった。

7年前に大病で死にかけてはいたが、こうやってまた元気に復帰させてもらった。だったら自分のできることは精一杯やろう。やる前から諦めずに、とりあえずベストを尽くそう。問題や困難に遭う度に、そう思えるときがあるようになった。ゴチャゴチャ頭で考えるだけでななくて、行動しよう。


誰かが言ってたな。


知恵のある者は知恵を出せ

金のある者は金を出せ

どちらもない者は汗を出せ


・・・・うん、オレは汗を出すしかないな・・・。そうだそうしよう。



ということで、一週間前から、毎朝東屋の改修に一人で着手。若干早起きをして、仕事までの早朝1時間半くらいで少しづつ作業を始めた。

CA3I2315雨に打たれて腐りかけていたベンチの座板や手すり、柱をディスクグラインダーのサンダーで研磨していく。広い面だけだったら平形サンダーでいけるけど、丸い円柱や角材の裏側なども研磨するんで、手持ちのディスクサンダーで少しづつ磨いていく。カビやコケ、木の粉まみれになるので、防塵マスクとゴーグルは必着。

CA3I2400電気カンナでやったら、早いんだろうが、削り過ぎてもいけないし、座板には釘が打ってあるので、釘の頭をはねてもいけない。円柱にもかけられないので、手持ちのディスクグラインダーでこまめに削っていくしかない。自前のある道具でなんとかするのだ。

CA3I2387気を抜くとディスクサンダーが別のところに傷をつけてしまう。手に当たると手袋のゴムごと皮膚がこそげ取られて怪我をする。均等にむらなく、ひたすら塗り絵のように磨き進んでいく。黙々と修行にも似た、集中力を維持した単調作業が続く。モーター音と研削音と木の匂いだけの空間に包まれる。

CA3I2403もともと木材や金属を削ったり、磨いたりするのは嫌いじゃないので、作業前と作業後の違いにときに自己満足する。ビフォア、アフターの差が楽しい。


CA3I2407一見、作り替えた方が早いかな?とも思っていたが、磨いてみると、なんのなんの、きれいな木の下地が出てきたじゃないですか。古いものでも磨けば若返るんですよ。人間もそうありたいものだねえ・・。なんて一人でご満悦。

ああ、このベンチで座禅したり、ストレッチ体操するのが楽しみになってきたなあ。



後は、マスキングして防腐塗料塗れば完成だ。参拝者や寺の護持会役員さんも気持ちよく休めるなあ。

CA3I2321初めは途方も無い思いつきをしたもんだ。と若干後悔したが、何とか出来上がってきたな。千里の道も一歩からだよな。

昨年からお寺の副総代を拝命したけど、手術や入院続きで、何も貢献できてなかったんで、少しは役に立てたかな。

塗装と掃除が終わったら、一度訪れてみてください。眺め最高の場所ですよ。






そういう時代ですかね。


82846322_1525006220985266_6452375788787335168_n あのね、ちょっと聞いてよ。ガキの頃から質素倹約志向の親に育てられたせいか、なんかこう貧乏性というか、最低限の事足りてたら満足な性分というか、未だにスマホじゃなくてガラケーなのね。そもそも携帯電話なんて、電話と写真とたまにメールさえできればそれでいい、と思ってたんで、まだスマホにしようと思わないガラパゴス人種なわけ。充電や画像取り出しのプラグカバーが外れかけやけど、マスキングテープで止めて使ってるんよね。

で、なんで待ち受け画面が、かみさんなのかは置いといて(笑)、最近その「まだガラケーでいいポリシー」が揺らいじゃってるんよね。

82839006_121244269136325_2547775441800790016_nそれはね、以前からお客さんや友達から、「マスターラインやってないけん、連絡がめんどくさい。」とは」言われてたんよね。今や連絡は殆どがラインで、Eメールなんかやらないそうなんよね。返事もスタンプ押すだけで、「はい。」の二文字すら打たないんだそうだ。



83365246_2826016227455577_686950937771638784_nそれとね、もうひとつ。だんだんキャッシュレスな消費の仕方になりつつあるよね。遅ればせながら、最近クレジットカードやQR決済のシステム導入したんよね。まだタブレットでの受付のやり方しどろもどろやけど。昨日初めてペイペイとD払いってやつでのお客さんがいて、それで決済できた。

うちのレジ、昭和46年に先代が始めて買ったレジやんやけど、機能的にはただの金庫。レシートも出ない骨董品。メーカーはとうに消滅してて修理なんかもできない。インテリアとしては雰囲気あるんで、ボクの代になっても34年間未だに使ってた。そんな思いっきり昭和な現金主義の店がやね、いきなり複数のクレジットカードやQR決済対応せんといけんなったんよね。

82863764_172066004072616_3388196672138903552_nうちの女房の大きな財布には、各種クレジットカードやスーパーのカードやキャッシュカードでパンパン。自分はコテコテの昭和のオッサンやけん、そんなものは必要ないし、信用されてないのか、クレジットカードはおろか、銀行のキャッシュカードすら、かみさんに持たしてもらえない。でも不便さを感じたことはない。そう、持ち合わせの現金がなけりゃ、買わない派なのだ。つい最近、コンビニで使うTカードと、ガソリンスタンドで使う出光のRカード、釣具屋のメンバーズカードしか財布に入っていない。それもめんどくさくて、レジの店員に言われないと使わないこともある。

そもそも「ポイントなんてめんどくさい派」。先日フジに行って、レジ待ちしてる間にパン屋でパン現金で買ったら、かみさんに、「なんでカード持っていかんの!ポイント付くのに!」と怒られた。そんなにポイント欲しいんか。そもそもこういうのって、「ポイントで釣られて買わされている感」を払拭できないでいる自分。あれは店側の囲い込み戦略にまんまとハメられている、という思いを捨てきれないオッサン。某地元スーパーのカードなんて、ポイントをエサに、「チャージ」などという言わば客から現金で売り上げ先取りして店側の運転資金を調達させられている、店の囲い込み戦略にハメられている。」と思ってた。でもかみさんに言わせると、「そのポイントで買い物ができるならお得じゃん。」というコメント。一体どっちが得なんだかわからんなあ。

確かにネット通販でも、ポイントで欲しいものが買えると何だか嬉しいけど・・・。

83002370_190090242385173_7506919753219309568_n去年の10月に、クソ自民党がややこしい税制にしてエライ余計な手間かけさせられて、今度の決算時間と手間がかかりそうやし。そういった国民の不満をかわそうと、5%還元なんてサービスもやってるけど、結局最後はソフトバンクの孫さんの懐に入るようになってるんかな?とも思ったり。

でも、以前TVのCMで、確かエアペイだったか?「使えないならいいです。」とお客さん逃したCMは説得力あったな。こんなアナログなオッサンでも、QR決済ができる店なら行くけど、現金だけなら行かない。といったその店の利用動機や来店動機になるんだったら、導入しないとな。なんて思ったんよね。

82933798_3085837738112675_8197045513636282368_n消費動向データがAIによって分析されて、次の商業戦略のネタにされてる、ってことぐらいは予想つくけど、不正アクセスとかハッキングで売り上げパクられたりしないのかな?とか、管理会社や政府、税務署に売り上げや顧客情報ガラス張りになってるよな、なんても思う。

まあ、ブログやSNSやってるだけでもそういうとこ観られてると思うんで、今の時代、しょうがねえか。

ちゃんとQR決済できるかどうか、練習しようとしても、オイラのガラケーではできないじゃん!

でも何でもかんでもスマホに頼ってちゃ、落としたり無くしたりしたらどうすんだ?っつうの。

あとね、銀行が優しくなくなってきてるよね。両替は手数料取るし、ATMに通帳持って、タッチパネルの操作ミスると後ろで待ってる兄ちゃんが露骨に嫌な顔されるし、そのうち窓口業務も無くなるって話だよ。昔は窓口の可愛い女子行員と話しするために、両替行くのが楽しみだったのになあ。(あれ?笑)

なんか、モノも、お金も、情報も、瞬時に処理されて、スピーディーになったのはいいけど、人間の血の通った温かみ、なんてのを求めちゃいけねえんですかねえ・・。

久々の更新やけどオッサンのつぶやきになってしまった。






寂しくなった秋祭り


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日曜日に松丸の秋祭りあったけど、年々人出が少なくなって寂しい。特に今年は日程が1週間早くなって、露店も他の地域に散ってしまい、からあげとくじ引きのたった2店。うちもフライドポテトとソフトドリンクで外売りしたけど、子供たちは、お小遣いの使いどころが少なくて、寂しそうだったよ。


ほんの20年前は、獅子舞や五つ鹿おどりもあって、松丸駅前のメインストリートは、多くの観客で賑わっていたのにね。

IMG_20191021_201352その五つ鹿おどりも、踊り手の小学生や、指導員不足で、途絶えてしまってもはや10数年経ってしまった。(この五つ鹿踊りの画像は20年前のです)

四つ太鼓や、牛鬼の担ぎ手も慢性の人手不足で、半数は松丸地区外から雇ってこないといけないのが現実なんですね。
IMG_20191021_200828このままでは、ほんの数年後は、お練り自体が消滅してしまいそうです。

昔の賑わっていた頃は、祭りといえば、各家で川かにを炊いて、山芋を擦って、松茸を焼いて、豪勢な刺身やオードブルの皿鉢料理構えて、沢山のお客さん呼んで、担ぎ手の若いしも、お練り終わってから、各家を飲み歩いたもんやった。どの家でも夜も更けるまで飲み倒してたんよね。近所の魚屋は、仕出しの準備で二日前から徹夜、なんてこともあったのにね。今じゃそんなお賄いしてお客さん呼ぶ家なんて殆ど無くなったね。町の魚屋さんが廃業するわけよね。


IMG_20191021_200755そもそも秋祭りを楽しみにしている人自体が激減しちゃったんじゃないかな。とも思うね。昔は普段は娯楽が無かったから、年に一回の秋祭りは、楽しみでしょうが無かったよね。この日ばかりは、親も小遣いくれるから、プラモデルや、ゴム動力飛行機や、紙火薬ピストル買って、露店でイカ焼きや、たこ焼きや、綿菓子買うんが、何よりの楽しみやったよね。

今じゃ、たこ焼きなんてエブリデイ売ってるし、毎日ゲームやビデオも楽しめるし、部屋に居ながらSNSやラインで友だちとコミュニケーション取れるし、ワンポチでアマゾンで買い物できるし、普段から娯楽には困ってないから、お祭りのお練りなんか面白くないんやろね。

IMG_20191021_200118子供が御輿担いだり、稚児行列に出るんで、お母さんか、じいちゃん、ばあちゃんが見に来たりするだけ。

昔みたいに、人並みを押し分け押し分け、牛鬼や四つ太鼓が練り歩く、なんてことがあったなんて信じられないくらい。

露天商も、人出がないからそんなに売れない。だから次の年にはよその祭りに行ってしまう。子供たちも、どうせ店なんてチョッピリだから行かない。そんな負のスパイラルになってしまうんよね。

お祭りで四つ太鼓に乗った、とか、お化粧してお稚児行列に出た、とか小さい頃の想い出が途絶えても、ただ寂しくなった・・・と感じるだけなんだろうね。

ふるさとの祭りが無くなっても、別に困らないんだろうね。当たり前だろうけど、そんなことより都会に出て、仕事でお金稼ぐことが大事やもんね。自分の仕事と家庭さえ整えば、地域が衰退していってもいたしかたないもんね。
昨今は、お墓まで都会のロッカー墓に移して、引き払ってしまって、墓参りにすら帰ってこない人も出てきたけど、日本の田舎からそういった伝統や風習も消滅していってもしょうがない、で済んでいくのかな。

そんなつぶやきばかりしてる自分は、一体何ができるんだろう・・・。



今さらギター その6



 
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もうこのシリーズも、たいがいで嫌になっているだろうが、取り掛かったことを続けていく自己サポートの意味として書かせてもらっている。


5〜6年程前に、般若心経の経典を覚えた。これは覚えなくても目で経典を読むだけでもいいともされているのだが、地元菩提寺の檀家総代を拝命したときから、お寺の法要行事に参加することが多かったので、覚えておいてもいいかなと思った。

はじめは途方も無い漢字の羅列に、投げ出したくなったが、自分で切りのいいところでパートに分けて、毎日風呂や布団の中で唱えて少しずつ覚えていった。

そのとき感じたのが、言葉のリズムや前後の流れで唱えたほうが覚えやすいことに気がついた。知り合いの和尚さんに言わせると、この経典は、立て板に水が流れるかのごとく、抑揚をつけずにストレートに唱えるのが本筋らしい。しかし、たまに失念してど忘れしたとき、その箇所を断片的に思い出そうとするよりも、前後の言葉のつながりや流れで思い出すことが多かった。一語一語で記憶しているのではなく、音の流れや前後のつながりで記憶しているような気がする。

何週間後かにやっと全部暗記できたが、かなり繰り返しの唱和が続いたように記憶している。脳の記憶データと声がすぐに連動する神経伝達回路ができたようだ。



IMG_20190917_195632ギターの練習もまたしかりなのだろう。練習を始めて約一ヶ月。平均して一日ほんの10分足らずだが、何とか押さえられ出した簡単なコードや小節が、だんだんとつながっていくような感じがやっと掴めだした。

まだ楽譜や、TAB譜は読めないので、You-Tubeの教室チャンネルで、例題の伴奏やフレーズを、小刻みにPlay&Pauseで繰り返している。

コードやスケール理論なんてよく解らないから、音が外れると、耳で感じた音の雰囲気で探し当てている。

音楽はほんの何分の1拍や、半音違っただけで、全然違って曲にならない。また、断片的に小節を繋げても、流れがないとスムースに曲として聞こえてこない。


 IMG_20190917_211002IMG_20190917_210912[1]ずいぶん前に趣味で絵手紙を描いていた。この世界は、キャッチフレーズが、「下手でいい、下手がいい。」という楽な世界だったが、それでも色の微妙な濃淡や、余白の取り方、線の強弱で、違った作風になってしまう。

ギターも同じで、同じコード、同じフレットを押さえても、チョーキングやビブラート、ハンマリングなどの技法を使うと、別の曲のように違って聞こえる。



つくずく人間の五感というものは、繊細で鋭く、かつ豊かなものだなと感心させられる。微妙な違いの素材の組み合わせで人を感動させる、それは見事な作品に仕上げる力を持っている。


IMG_20190918_092307IMG_20190918_092358IMG_20190918_092355嫁さんが好きで毎朝観ている連ドラの1シーンに、アニメ作家が卵が焼けるシーンをいかにリアルに描けるか、手間暇惜しまず、その一コマ一コマを作り上げるアニメーターのプロ意識を描いたところがあった。人を感動させる作品を作るのは、妥協無く、作り手の細かいこだわりの熱意なのだ、とうなずかされるシーンだった。


耳で感じる音も、目で感じる色も形も、肌で感じる感触も、そして口で感じる味覚や食感も。古来より人類は、そのセンシティブな感性を駆使して、心地よさや楽しさを作り上げてきた。音楽、美術、工芸、生活文化、料理、各分野のアーティストたちは、豊かな独創性と、ほんの僅かな違いの組み合わせで、人々に感動を与えることができる。昔のコーヒーのCMのように、「違いがわかる」生き物なのだ。

 ちょっと大げさだが、そんなことを漠然と想いながら、ギターという一つの楽器に対峙することがある。この楽器を発明した人は、一体どんな音感や、技術を持っていたのだろう。

 前述した般若心経は、経文に「無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法。無眼界乃至、無意識界」という箇所がある。人間が本来持つ、そういった感性や感情ゆえに、こだわりを作り、生きていくことの苦悩や迷いを生じる。それに囚われない境地に達すると、楽に生きられる。という意味にも説いてある。

しかし、そんな無味無臭で、無機質な生き方よりも、悩みや迷いに苛まれながらも、欲や煩悩にまみれて、もがきながらも楽しむことの連続でいたい、とも思う。


IMG_20190927_163320おっと、何やらすぐに蘊蓄めいた理屈っぽくなってしまっていけない。

未だ、ネックの弦が、まるで数学の連立方程式のように、視覚的な威圧感で迫っている。
一つずつ切り崩していくしかない。img_0


道は遠いが、とにかく、フライパンを振るように、手の癖がつくように毎日いじくり倒すしかないのである。

一曲いきましょう。
クラプトンのブルースはええなあ。














今さらギター その5


 
IMG_20190913_185228 先週、長年の懸案だった自宅の風呂の改修を、素人のぶっつけ仕事だが、一人で三日間かけて終了した。水垢とカビだらけで、見るもおぞましい汚い風呂を、高圧洗浄機で天井と壁を洗い、乾いてから、十数カ所もボロボロの壁をボードやアルミテープで補修して、浴室パテでコーキング。ペンキが垂れないようにバスタブやアルミドアのフレームをマスキングした後、浴室専用塗料で2回塗りで塗装。窓枠下にグリーンやワイヤレス防水スピーカーが置ける棚も取り付けた。自画自賛だが、ちょっとリゾート感覚な明るい風呂になったと自負している。


IMG_20190420_142552 IMG_20190622_133401IMG_20190607_152653
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IMG_20190521_135834オープンカフェのカウンターや看板類、メニュー、ラベルなど、DIYや 諸々のグラフィック作業も、出来映えやお客さんの反応はどうかわからないが、何とかそれらしく見られて、実用に足るレベルのものはできたと思っている。

なんか自慢げで、承認欲求強くて恐縮だが、全て素人のぶっつけ現場合わせ的な作業。




IMG_20190911_080118 (2)そして、今季は長年の課題であったギターを覚えようと、取りかかっている。フリマサイトの中古で買ったエレアコギターが届いて約三週間。そして、ネックが折れて使い物にならなかった息子の友人のエレキギターを、息子がリペアしたものを一時借りて、ちょこちょこ練習をしてはいるが、一向に上達しない。前述のモノ作りの作業は、練習しなくてもいきなり形になっていったが、音楽はそうもいかないのだ。

自分では、音感はそう悪くない方だと思っていたが、これがなかなか手強い。何度も同じ箇所でつまずく。偶然一回できてもすぐに忘れる。

今覚えようとしているのが、ブルースのバッキング(伴奏)とアドリブのソロフレーズ。
簡単なEコードキーのパワーコードバッキングは、しどろもどろながら、それっぽくはなったが、アドリブのペンタトニック(ブルースの定番5音階)は、全然形にもならない。練習の仕方が解らないので、You Tubeのギター教本チャンネルを何度も繰り返しなぞっている。その中の先生には、「どうだオレはこんなに弾けるよ、」的な態度で少々ムカつくが、独学では画像や教本で覚えるしか無い。

IMG_20190911_080408もともと短気でせっかち。すぐに結果が出ないと気に入らない性分だから、ちょっと取りかかってできないと、すぐにいやになる。何度も同じフレーズを聞いても、その通りに指が押さえられないし、違った弦をひいてしまったりして、全然フレーズにならない。

楽器が弾けるようになるには、こんなに大変なのか?

IMG_20190904_205715まあ、ミュージシャンでも、スポーツ選手でも、それなりの形になるには、基礎的なトレーニングから地道に積み上げて、やっと人に見せられるようになるんだから・・・と思えば、今の自分にできなくても当たり前のことか、とも思う。

実際、ギターが弾けるうちの三男坊は、魚を三枚に下ろすのがヘタクソ。彼にそれを教えるときにボクは、「何匹も捌いていたら、そのうち手が慣れてコツが判るようになるから。」と言っている。

YouTubeの教官のコメントに、「ギターを覚えるのには時間がかかります。」と言ってくれていたのがささやかな慰めだ。演奏の思考をまとめるよりも、手が動く訓練を、脳が指令して指がその通りに動いてくれる神経回路ができるまで、ひたすら続けるしかないようだ。

IMG_20190911_080101 (2)高い山の山頂を麓から眺めるだけでは、いつまで経っても登頂はできない。一歩ずつ気長に足を進めるしか無い。



 和歌山県の那智勝浦に、濱口祐自さんという、粋なブルースギタリストのおっちゃんがいる。元マグロ猟師だというが、このおっちゃん、めちゃくちゃカッコイイ!!漁師小屋に住み、どこの地方にでもある日本の原風景と、そこに生きる人間臭さを、ブルースギターで見事に表現している。





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いつか自分も、地元の風景を、モチーフにした、松丸パチンコ屋ブルースや、酒蔵ブルースとか、滑床ブルースとか、オリジナルで作って弾けて歌えるようになりたいなあ・・。

一曲できたら地元の風景でPV作って、アップロードしたいなあ・・・。

イメージばっかり膨らんで、腕がいっこうについていかない・・・。






 

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