マスターのブログ

季節は巡る・・・また新たな出逢いと感動を求めて・・・。

ピアノが好きになりました。 第四話


 

KIMG3319音楽が好きな多くの人々は、聴いて楽しむだけではなく、自らも弾きたい、と思うは何故なのだろう

 

そもそも人間は表現することによって、生きる力を見いだす生き物なのかもしれない。赤ちゃんは、生きるために空腹や不快感、不安感を、「泣く」という表現行動で親や周りの人に伝える方法を知っている。


大人でも、観たり、聴いたり、読んだりするだけでなく、自らプレイして、演じて、外に向かって表現することで、言わばインプットではなく、アウトプットで感情表現をするときに、自らを活かすエネルギーが生まれてくるのではないだろうか。


433009728_973823917422359_2959380350649556371_nた、それを感じとった周りの人の共感のリアクションがあればなおさらいい。例えば、ロックミュージシャンは、ステージでプレイしながら、観客のレスポンスによってなおさらパフォーマンスの輝きを増していくように。 









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映画、「トップガン」第一作で、マーベリックの親友グースが、バーで飲みながら、ジェリー・リー・ルイスの「火の玉ロック」をピアノで弾き語りしていた。

KIMG3258次作「トップガン・マーヴェリック」ではグースの息子のルースターが弾いていた。乗りのいい一曲をバーやレストランで生演奏するのは、雰囲気が盛り上がる。こんなかっこいいシーンに憧れていた。一曲でもいいからロックンロールピアノが弾けて歌えたら、人生バラ色になるだろうな。たまたま居合わせた見知らぬ客も一緒なって盛り上がると、さらにその場に一体感が生まれ、楽しい一時が味わえる。生演奏のライブならではの臨場感は、単なるBGMよりもっと楽しい。

KIMG3199欧米ではこんなシーンは当たり前のようにあることだろうが、うちも飲食店の端くれなので、いつか生演奏でお客さんが盛り上がるシーンが、週末の夜にでもあったらいいな、と思う。できればマスターがピアノの弾き語りでお客さんを和ます、というシーンは、自分の夢でもあった。そういうエンターテイメント性のある店であってほしいということを、妻ももしかしたら望んでいたのかもしれない。


images (4)パンクロッカーが、過激なファッションで社会への不満や怒りをぶつけるのも。

俳人がたった17音で、言葉を取り合わせてスパークさせて、意外な着眼点や、空間のパノラマ感を俳句で詠んだりするのも。

作家が文章で人間の本質を鋭く抉った小説を書くのも。

舞台俳優がリアルな台詞と身振りで、迫真の演技で劇を演じるのも。

ダンサーが強烈なビートに乗って、キレとしなやかさで、グルーブ感のあるアクションをするのも。

シェフが旬の素材で、舌の唸る官能的食感の料理を仕上げるのも。


KIMG3283 (1)彼等は、その人ならではの描き方で、アウトプットで表現することによって、自らの生きるエネルギーをも得ているのかも知れない。普段我々でも、こうやって自分の正直な想いを公開日記のブログに書いたり、SNSで日々の出来事を投稿したり、手作りの作品を画像で披露したりすることでさえ、手軽にできるアウトプットな自己表現のひとつだと思う。



自分は幼少の頃から、二親とも忙しい商売人の家で育ち、ほったらかされていたせいなのかもしれない。自分の存在を他者に知ってもらいたい、とか、人に認められ、褒められたいとか、人一倍承認欲求が強い性分なのだとも思う。


KIMG4102妻と結婚して37年間、常に妻に褒められたかった。しかし、仕事の営業努力を重ねても、いくら自慢の料理を何百回作っても、家や店のリフォームや、メンテナンスをどれだけ自前でやっても、コロナで店の売り上げが激減して、DIYでイスや家具を何十台も作って売っても、妻は心から「これ美味しい!」とか、「業者に頼まないでも、きれいになって良くなったね。ご苦労さん。」とか、の言葉は一切言ってくれなかった。この数十年間、妻に認めてもらいたくて、多くの汗もかいてきた。でも結局生きている間に、褒め言葉は一度も聞かせてくれなかった。


妻はクールで硬派な性分だったので、夫婦ならいちいちコメントなんて必要なし、そんなことやって当たり前、というスタンスだったのかもしれない。とにかく毎日忙しく仕事や子育てに追われ、苦労のかけっぱなしだったから、お互いを認め合い、優しく労う心のゆとりなんてなかったのかもしれない。

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でも、いいんだ。



できれば生きているうちに聴いて欲しかったけど・・。


死んで星になって、空から君が弾きたかったピアノを聴いてくれたら・・・。



「素敵な曲ね。」とか、「上手に弾けたね。」とも言ってくれなくてもいいから、


まだまだヘタクソだけど、たまにでいいから、ぼくが駅ピアノを弾いていたら、通り過ぎる人に、ほんの一瞬合図してくれたら・・。

 

もし気が向いたら、ちょっとだけ空からメッセージサインを送ってね。


 

KIMG3246ピアノを練習しはじめてから、約10ヶ月。こんなに一つのことを継続して続けられるのも、自分ではすごく珍しいこと。始めは苦難の道だったけど、今は少し楽しくなってきた。1曲憶えるのに1年かかったとしても、5年続ければ、5曲もできるようになるかもしれないし。



もう少し続けてみるよ。



君の命日がもうすぐくるよ。あっという間の一年間だった。


ちょっと早いけど、今日、4月24日は一周忌の法要の日だよ。

君がもっと生きて、弾きたかったピアノを、ぼくが代わりに弾くよ。


まだまだ完成してないけど、今日は練習した曲を捧げるよ。


君の命を受け継いだ子供たちや、実家の母さんや姉さんにも聴いてもらおうと思ってる。




君は空から応援してね。




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               おわり

ピアノが好きになりました。 第三話


67229ずっと音楽は、レコードや、CDや、有料音楽アプリで、プロミュージシャンの楽曲を聴くばかりで、本気で楽器を自分で演奏しようとは思わなかった。どうせ自分でやったって、下手で陳腐な演奏にしかならないから無駄だ。と決めつけていた。 バンドを組んだり、コンクールを目指すという目的でもないかぎり、練習したって意味ない、とも感じていた。自ら楽器を演奏する楽しさ、音楽で感情を表現できる可能性、というものに気がついていなかった。



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音楽家も、映画監督も、画家も、作家も、書家も、料理人も、家具職人も、デザイナーも、建築家も、俳優も・・・、プロ、アマを問わず、クリエーターである彼等によって生み出されるこの世に溢れている作品は、作り手の意志や情念が表現されたものだ。




※画像引用させていただいた知人のアーティストさんたちの作品

○書道:矢間大蔵さん(松野町)
○ドライフラワーリース:野の花工房 正木孝江さん(宇和島市)
○革製ナイフシース:レザークラフトCHOPPER EEL 平井清仁さん(松野町)
○ボタニカルアート:中村つた子さん(宇和島市津島町)
○薪ストーブ:井上鉄工 (四万十町)
○俳句:俳句集団いつき組 小野更紗さん(宇和島市津島町)
○ことば絵手紙:ことば絵本舗 松浦明郎さん(鬼北町)
○スパゲティカルボナーラ カフェレストラン・トミー 料理長 中宇禰聖輝(松野町)


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作り手のパッション(情熱)やエモーション(感情)が、様々な材料、道具、技法で表現され、それらの作品が人の感覚や感情を揺さぶるとき、作り手とそれを味わう側の気持ちが結ばれる。作品から漂うムードや、醸し出され    る質感、そして作家の心情までもが、観た人の心のセンサーを刺激して、「これ好き!」と言う快感が人を幸せにする。





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現在、レッスンを受けている音楽教師は、よくこう言う。「技巧に頼らず、演奏にイメージと感情を込めなさい。まずその曲から連想される絵を描きなさい。そうすれば、その風景やムードが必ず曲に乗り移り、聞き手にもそういう風に聞こえるようになります。」と。
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なにかいきなり最高難度の奥義のようなアドバイスだが、少しだけ理解できるような気もする。







このピアノ教師は、現在ぼくが大いにリスペクトする先生で、最初受講の申し込みをするときに、「バイエルは必要ありません。弾きたい曲を弾けるようになりましょう。そうすれば楽しんで練習が続けられます。」と言ってくれた。ピアノはまず基礎からみっちりバイエルで・・・と言われたら、おそらくピアノは断念していたことだろう。また、ピアノ練習だけの教官ではなく、気さくに悩みを聴いてくれて、心理カウンセリングもしてくれるメンタルトレーナーでもある優しい先生なのです。

他に教えている生徒さんのレッスンの音の変化を聴いて、「ひょっとして彼氏出来た?」と当てるほどの感覚も持たれているほどのアーティストです。




KIMG3290 (1)ただ、そんなすばらしい師匠をもちながら、62歳で初めてピアノに触ったおじさんは、ボケも少々始まっていて、憶えのるが非常に遅い。脳のCPUは遅く、メモリも貧弱、ハードディスクはしょっちゅうフリーズする。一つ新たなパートを憶えたと思ったら、今まで何ヶ月も出来ていたパートが突然出来なくなる。


もともと職業柄、毎日忙しく多くの作業や対応を同時にマルチにこなさねばならない人生を数十年間も歩んできた。常に時間に追われ、複数のミッションに追われてきた。よって一つのことに集中してじっくりと取り組むということができない。常に焦って急いでいて、また別の意識や感情に囚われて、「今のこと」に集中できないのだ。

KIMG3295子供の頃に、「気が多く、意識が散漫で集中力に欠ける。」と通知表の生活指導欄にも書かれたこともある。ピアノ曲でも微妙な緩急や強弱を真似しようと、弾きたい曲の原曲を何度も再生するが、気がつけばほんの1フレーズ後には別のことを考えている。多動症的な意識構造があるのかもしれない、と思う事もある。いっそのこと、練習前に30分ほど心を落ち着かせる座禅でもすればいいかもしれない。とにかく楽器の練習には、集中力とそれを継続する力が大事なんだと痛感している。

KIMG1088でも一番大事なことは、自分の正直な気持ちを表に表現することではないか、と思うようになってきた。技術的な上手、下手を気にするよりも、感情を込めることが、楽器の演奏には一番大切な要素なのではないだろうか。

そう感じ始めた。

                  つづく


ピアノが好きになりました。 第二話


 

KIMG3320思い立ったが吉日。昨年の7月からピアノの練習を始めた。フリマサイトで、無名の三流メーカーの安物電子ピアノを格安で買った。チープな電子音だが、鍵盤を押さえる練習にはなるだろう。もし続くようだったら、もっといいピアノにしよう。どうせ、すぐに諦めて投げだしてしまう可能性のほうが大きかった。とある統計によると、ピアノを始めた人の30%は、3ヶ月で止めてしまい、50%は半年で止めちゃうそうだ。





ピアノをやるのだったら、ただ1曲だけでもいいから、弾けるようになりたい曲があった。以前のブログでも書いたが、イタリアの作曲家、ルドヴィコ・エイナウデイの「Le Onde」(波)という曲だ。6分ほどある長い曲で、裏拍もあって、初めて挑戦するには、難易度の高い曲だ。でも、どうしてもこの曲が弾きたい。その気持ちは揺らがなかった。その理由は、この曲を聴く度に、昔、妻と歩いた太平洋の美しい砂浜と、春の陽光にキラキラと輝く水面、そして寄せては返す波と、潮風の中で微笑む妻の笑顔の映像が立ち上がる曲だから。



KIMG3282 (1)この曲が弾けるようになるまで、時間はかかっても練習を続けよう。そう決心した。ピアノ教師から月2〜3回のレッスンを受けることに加えて、YouTubeで、同曲の弾き方のチュートリアルがあるチャンネルを見つけた。なんせ楽譜が読めないので、耳コピと手コピでポジションを少しずつ憶えていかないといけない。ピアノ入門者は、まず基礎のバイエルから・・というセオリーからは邪道な憶え方かもしれない。でも、まずはこの一曲だけ弾けるようになったらいいから、とにかく練習しよう。と思った。

いざ練習を始めてみると、あまりにも難しく、指も動かないので、初日から諦めムード満点だった。これ一曲を憶えるのにいったい何年かかるのだろう。途方も無い長い道のりを思うと、やる気が失せてしまった。登山で、たどり着きたい山頂を麓から眺めると、長く苦しそうな道のりに登りたい気持ちが萎えてしまうが、まずは一歩一歩脚を進めないことには、いつまで経っても頂上には辿り着けない。

licensed-imageたかが楽器、何度もやっていると、そのうち手と耳が慣れていくだろう。車の運転だって、最初は怖くて用心深くしていたが、慣れてしまうと、しゃべりながらいつの間にかスムースに到着していた、というように。名優トム・クルーズだって、
ディスレクシア(読字障害)で台本が読めなかったけど、あんなにかっこよくセリフが言えて、いい演技ができるのだから。と短絡的に自分を慰めた。


毎日、原曲を何度も繰り返し聴いて、フレーズを憶えようとした。しかし、聴くと弾くでは大違い。正確な鍵盤の位置が認識できなくて混乱する頭と、思い通りに動かない指を幾度も罵りながらの練習を続けた。ときには、「そうじゃねえだろ!」と自分の手を何度もひっ叩いた。何十回、何百回も原曲のフレーズを聴くが記憶しきれない。幾度も、「オレにはやっぱり無理!」と投げ出したくなった。

 

istockphoto-1397013109-612x612別にピアノが弾けようが弾けるまいが、誰も困らねえし、ギターだってそうだったじゃん。指先や手首の痛さに弾きたい気持ちが負けて、「こんなに痛い思いをしてやんなきゃならない楽器ってどうよ?」と投げ出したじゃん。



maruisu昔から自分でも呆れるほど短気でせっかち、プラス不細工。ちょっと囓ってできないと、ソッコーで投げ出す根性なしな性分。料理やDIYは、ちょっとした知識と、コツと道具の使い方で何とか形になるのだが、楽器はかなりの練習がいる。これまで取りかかっても、モノに出来ずに投げ出したものは数知れず。書道、サーフィン、スキー、ギター、PCキーボードのブラインドタッチ、油絵、俳句、ジョギング、・・・などなど、どれもおよそ根気よく練習と修行が必要なものばかり。


ろくに練習も継続しないで、できる、できないを決めつけるのが速すぎる性格。そういえば昔、初めて親に買ってもらった自転車も、なかなか乗れなくて、こけてケガして、かんしゃくを起こして、しばらくほったらかしてたな・・。


zyukusyu@2xだが、そのたびに、「妻の供養になるのだったら」の言葉に引き起こされて、気を取り直して続けた。経営の神様と言われた松下幸之助の名言で、「失敗したところで諦めて投げ出すから失敗に終わるのだ。成功するまで続けると成功する。」の、言葉が何回もリフレインした。



そして数ヶ月後、何とか曲の骨組みが押さえられだしたら、駅ピアノで練習を始めた。安物の電子ピアノと比べると、鍵盤の重厚感や、音の広がりや響きが、全く別の楽器のように聞こえてくる。やっぱり本物のアコースティックピアノは素晴らしい。ただ、鍵盤の重みがあるので、しばらくは手が疲れて筋肉痛になった。


それからは、ほぼ毎日、駅ピアノに練習に通った。駅の観光案内所の職員さんや、列車の乗降客、通りがかった温泉のお客さんには、下手でうるさいオッサンが弾くピアノで、さぞかし連日ご迷惑をかけたことだろう。

KIMG3244そんな練習の日々が続くある日、不思議なことがあった。ボクがピアノを練習していることを聴いた知人の奥様が、ピアノを聴きたいと言ってきた。それもお知り合いを3人ほど引き連れて。人に聴かせられるレベルにはまだ到底いってないし、まだ練習中なので・・・とお断りした上で、辿々しく駅ピアノを弾いた。ヘタクソでさぞかし耳を汚したことだろう。演奏が終わって帰られたので、ほっとしていた。


miyakojima-12707と、思ったら、すぐに戻って来られて、慌てて涙ながらに「一郎さん、見てみて!!ほら、綺麗な虹よ!!これはあっちゃんからのお礼のサインよ!あっちゃん、あなたがピアノを弾いてくれて喜んでるのよ!!」と駅舎の上空を指さした。空を見上げると、駅舎の真上の空に、なんと大きな虹がかかっているではないか! (画像は参考画像です) さすがにボクも驚きと感激で涙が溢れてきた。やっぱり妻は見ていてくれていたんだ。喜んでくれているサインを虹で贈ってくれたんだ。と思った。そんな奇跡的なハプニングが現実に起こった。

その他、この半年くらいの間にピアノを弾いていて、通りすがりの人から何度も励ましの言葉をもらった。ある日、駅構内のピアノの後のベンチに座っていた学生さんがいた。ボクは練習していいか、と了解を得て演奏を始めた。練習が終わって、席を立ち、「下手くそでうるさくてごめんね。」と言うと、その学生さんは、なんと、「いえ、ありがとうございました。」と頭を下げられた。これにも驚いた。


KIMG3314また、ほんの数日前、列車を待っている女性からは、「なんか胸がじーんとして良かったです。この曲は何という曲ですか。まだ列車が来るまで、時間があるので、お願いです。もう一度弾いてもらえませんか。」とも言われた。

 
こんな初心者のオッサンが弾く、ぎこちない下手なピアノでも、そう言っていただけるなんて、まったく驚きだ。でも、すごく励みになって、自分も心が温かくなった。そうか、これがストリートピアノの効能なのだろうか。たまたま居合わせた人から、思わぬリアクションをもらえる。自分が弾いて楽しむだけでなく、周りに居る音楽に興味のある通りすがりの人にも、少しだけいい気分にさせることができるのかもしれない、と気がついた。



KIMG3310きっと空の上から見ていた妻が、少しマジックを使って、こんな励ましのメッセージをもらうチャンスを与えてくれたのだと思う。妻の死後、この一年間に、大きな悲しみと喪失感に支配されていたが、こんな出来事があると、自分は全くの孤独ではないと思った。自分にはまだやれることがありそうな気がしてきた。小さな新しい生きがいを見つけたようで、少し前向きに生きる勇気が湧いてきたような気もしてきた。これも音楽の力なのかもしれない。


                                      つづく



ピアノが好きになりました 第一話


 

mqdefault音楽は不思議だ。ほんの数分ですぐに消えてしまうけど、人の心を揺さぶる力を持っている。誰にでも好きな楽曲があって、それを聴くと勇気が湧いてきたり、郷愁にかられたり、想いでの風景が立ち上がったりする。


IMG20220216175546音楽は、それ自体に実体はなく、映像を持っているわけでもないのに、その楽器の奏でる音色とメロディは、時空を超えてイメージした世界へ自分を連れて行ってくれる。


これまでにいろんな音楽に触れてきた。そして世代とともに好みの音楽は変わっていく。4年前に妻が不治の病に冒されたときから、何故か特にピアノの楽曲が好きになった。あとどのくらい妻は生きられるだろうか、と思うと、数十年前に彼女と知り合い、一緒に過ごした人生のシーンを振り返って、記憶の欠片とともに胸にこみ上げてくる想い出が、ピアノの音色に重なって切なくなった。



istockphoto-623439058-612x612ピアノは、世界中で最も広く愛されている楽器といってもいいだろう。クラシック、ジャズ、ブルース、ポップス、映画サウンドトラック、ヒーリングなど、あらゆるジャンルで数多の作曲家が、この偉大な楽器によって、人類史に残る多くの名曲を作り、人の心を感動させてきた。白と黒の88の鍵盤の音の組み合わせによって紡がれる珠玉の一曲は、聴く者に無限の感動を与えてくれる。祝福、愛、やすらぎ、悲しみ、離別、郷愁、希望、勇気、癒やし、 など、人間が持っている様々な感情を代弁し、また時には大自然の壮大な空間や、四季折々の季節感さえも描くことができる。人々が人生の中で味わう様々な出来事やシーンを、より感動的に描くこともできてしまうのだ。


2自分のお気に入りのピアノ曲を聴くと、不思議と記憶のページをめくることができる。聴きながら目を閉じると、曲のフレーズに哀愁が重なって、涙が溢れて止まないこともある。


 妻は生前にピアノを習いたがっていた。しかし、病状が進行して、気力、体力ともに衰えて、一度もレッスンを受けることなく、昨年の初夏に亡くなった。妻の死後に、レッスンを受ける予定だったピアノの先生に会った。先生は、お悔やみの言葉の後でこう言った。「奥様のご供養だと思って、旦那さんがピアノ始めませんか。」と。


istockphoto-178312051-612x61262歳のこの年になるまで、ピアノなんて触ったこともないし、楽譜も読めないし、音感も無いし、自分には到底無理だと思っていた。でも、「妻の供養になる・・。」と言われたら、少しやってもいいかな、とも思った。そもそも供養とは何かを、この歳になってもあまり知らなかったので、もしピアノが弾けたら、少しでも故人への追悼の手段になるかもしれない。


また、自分自身が還暦を超えて、自分には好きなことが出来る気力も、体力も、感覚も、そして時間も、あとどのくらい残っているだろうか、と考えることが多くなった。モウロクする前にやりたいことの中の一つに、なんの楽器でもいいから、死ぬまでにせめて一曲くらいは、お気に入りの曲が弾けるようになりたい、とも思っていた。



 KIMG3287  KIMG1427普段はテレビを殆ど観ないが、NHK-BSの「駅ピアノ」だけは好きで、ほぼ欠かさず観ている。先日の放送では、とある外国の駅で、80歳になろうとする老人が、粋なジャズを弾いていた。めっちゃかっこいい爺さんだった。自分も年取ったら、こんなちょっとだけイケてるじいさんになりたいな、なんてことも思った。


KIMG3200 KIMG3201この番組のいいところは、通りすがりの人々がピアノを上手に演奏することだけでなく、インタビューを受けた奏者が、その人なりの音楽の楽しみ方や、その人が辿った人生ドラマのエピソードが、音楽とどう共存しているかが、字幕テロップで表示されることだ。音楽やピアノが、その人にとってどんなに大切な存在かが、正直に語られていることが、演奏の上手下手を抜きにして、実に興味深い。


KIMG3139そしたらなんと、昨年の春、我が店のすぐ前のJR予土線松丸駅に、駅ピアノが設置された。元々は町内の小学校にあったピアノらしい。誰でも気軽に弾いていい、フリーなピアノだ。県内でも駅ピアノがある駅は、ぼくの知るところこの予土線松丸駅しか知らない。人口僅か3500人ほどの小さな田舎町だけど、駅にストリートピアノがあるなんて、松野町も粋な計らいをしてくれたものだ、と感心していた。

KIMG3203しばらくはそれを静観していたが、妻の死後、あるときふと思った。これは、妻がぼくに、「私はできなかったけど、お願いだからあなたが弾いて。」というメッセージかもしれない。そう自分で勝手に解釈した。ひょっとしたら妻の遺志を引き継げるかもしれない。先生が言うように、練習することも供養のひとつになるのなら、一曲弾けるようになるまで続けられるかもしれない。そして、もしかしたら、自分が新たな生きがいを見つけて、これから明るく前向きに生きていくきっかけになるかもしれない。そうとも思った。

                       つづく

ジューダスプリースト ニューアルバムインプレッション


結成50年。メタルロック史上最高傑作!
激震と歓喜のニューアルバム 5000ギガトンの破壊力で着弾!!

JUDAS PRIEST
INVINCIBLE SHIELD

430234481_120204925799270656_161501944787369983_nジューダス プリースト 
インビンシブル シールド(無敵の盾)

アルバムインプレッション。

以下、メタルロック評論家の伊藤政則氏っぽく書いてみた。(注:あくまでも個人的な解釈によるインプレッションです。長文になります。興味の無い人はスルーしてください。) 




牡の牙をもがれた軟弱な男たちよ、今こそこのアルバムを聴け!!



結成50年、正統派ブリティッシュヘヴィメタルバンド、ジューダスプリーストのニューアルバム、「インビンシブルシールド」(無敵の盾)が、6年ぶりにリリースされた。

半世紀の長きに渡って、メタルロック界の頂点に君臨し続けたキングが、今、ここに新たな衝撃の歴史を刻みこもうとしている。

22_0102_01始めに触れておくが、そもそもこの「ヘヴィメタル」というロックの形式や定義は、数十年前に彼等が切り開いた世界なのである。1970年代にイギリスで起こったハードロックバンドの隆盛は、それまでのビートルズやローリングストーンズといったポップスやブルース、ロックンロールをベースにしたロックから、レッドツェッペリン、ディープパープル、ブラックサバス、クイーン、などといった、よりパワフルなサウンドの「ハードロック」へと進化していった。

74_Rパープルの「スモークオンザウオーター」に代表される、ディストーションなどの濁音系エフェクターの効いたシンプルでキャッチーなリフは、女子好みの軽いロックンロールでは物足りなくなってきた男子も満足できる、重いサウンドのロックへと変遷していった。多くのロックフリークたちは、こういったバンドのハードなサウンドに夢中になった。

そして、ハードロックファンは、さらにレッドツェッペリン、ディープパープル、といったサウンドでは物足りなくなり、より重く、金属的でスピーディーなサウンドを求めるようになった。

resize_imageそんな時代に登場したのが、ジューダスプリーストだった。ハードロック界に新たに「ヘヴィメタル」というロックジャンルの表現が生まれた。それはこのジューダスプリーストが元祖なのである。

時代とともに、大衆が求める音楽シーンは変遷していく。ジャズ、ブルース、ロックンロール、R&B,パンクロック、プログレッシブロック、ウエストコースト、デイスコ、ファンク、ユーロビート、クラブ、ヒップホップ、・・・・・などなど、その時代の一般大衆に求められ、商業的にも成功し、もてはやされた音楽はあまたあるが、50年間もヘヴィメタル一筋で、時代に流されず、商業的意図にも左右されず、鉄の信念を持ってメタル一筋にサバイバルしてきたバンドは、そう多くはあるまい。

201807021335300通常ヘヴィメタルは、一般的には、爆音、長髪、無精ひげ、ドラッグ、アルコール、タトウー、殺人、流血、悪魔、地獄、セックス、異端宗教、戦闘、破壊・・・・などの要素をもち、あまりいい印象では認識されていない。だが、人間が、特に男がいつの時代も持ち合わせていた、アグレッシブな闘争本能や、破壊本能、そして生存への勇気を呼び覚ます力を持っているのだ。ギターとエフェクターによって醸し出される、あの金属的な重低音でザクザク刻まれるリフや、高速移行してファンタジックなメロディーを奏でる高音のソロパートは、人間の細胞の中に備わっている戦いのDNAを刺激する効能があるに違いない。

61693744+pL._SY300_前作、「ファイヤーパワー」以来、6年ぶりにリリースされた彼等のニューアルバムCDを買った。少し待てば、YouTubeSpotifyで聴くことはできるとも思うが、彼等がニューアルバムをリリースした、とあっては、現物のアルバコレクションとして手に入れたい。

ご近所迷惑を顧みず、大音量で聴いた。

一曲目からヘヴィなサウンドとスピード感に圧倒された。脳天をハンマーで叩かれ、心臓は早鐘を打ち、上腕には鳥肌が立って、脇の下を汗が流れる。脳内に興奮ホルモンのドーパミンが放出されるのが感じられるような、極上の興奮に満たされる。そして2曲目、3曲目・・と聴くごとに歓喜に震えて、感謝の涙が溢れて止まない。やはりおれを最高の興奮に浸らせてくれるバンドは彼等しかいない。帰ってきた、おれのジューダスが6年ぶりに再び帰ってきたのだ。

通常、結成50年のバンドで、メンバーの平均年齢が65歳を超えると言う超ベテランの爺さんバンドがリリースするニューアルバムだから、「円熟の境地」といった、角の取れたサウンドと構成なのだろうな、と予測をしていた。ところがどうだ。丸くなったどころか、まるで30年も若返ったような、シャープで、スピーディーで、破壊力満載の鋭角なサウンドに、重厚さと荘厳な伝説のストーリー性が被さって、完璧なドラマチックヘヴィメタルに仕上がっている。まさにこのアルバムは、壮大なメタル叙事詩といってもいいだろう。

 
御年73歳になるリードヴォーカルのロブハルフォードのシャウトボイスは、地獄のデーモン(魔神)の叫びか、あるいは暗黒の地底洞窟の奥から聞こえる伝説のドラゴンの咆哮か。往年のハイトーンヴォーカルは今だに健在、というよりもさらに研ぎ澄まされ、キレが良くなっている。

277005619_10159644606313965_4497591456066572701_nギターのグレン・ティプトンは、御年76歳。数年前にパーキンソン病を発病したせいで、以前のようなハイスピードでテクニカルなリードギターや、バンキングプレイのステージパフォーマンスはできなくなった。しかし、このアルバムでのソングライティングにおいて、ほぼ全曲をコンポーズして、このバンドの大黒柱として、未だに中心で機能している大きな存在感がある。重厚かつ荘厳でドラマティック、品のある高貴なメロディー展開、疾走するスピード感は期待を裏切らない。文句なくかっこいい曲作りは、発病前のようなアグレッシブなプレイ姿こそ見られなくなったが、反面、まるで炎を燃やしきったオーク(樫)の硬木が、真っ赤な熾火になって、さらに熱く遠赤外線を放熱しつづけているようにこのアルバムに渾身の力を注いでいる。

f5ea1c337c459320142568e3db6d3781-1110x740そしてグレンの分身とも言えるギターのリッチー・フォークナー(44)は、KKダウニング脱退後、バンドのエース的ギタリストにたくましく成長した。彼のギターパフォーマンスは、バンド内での若き獅子のように、ほとばしるエネルギーを放っている。テクニカルなスピードソロパートと、火山から溢れ、押し寄せる灼熱のマグマのような熱くヘヴィなリフ。そして観客をグルービーに乗せるギターアクションのかっこよさでは、幾多のメタルバンドのギタリストを凌駕していることは、世界中のメタルファンの中でも定評があるであろう。

202110ian_shigeoKikuchiJudas20Priestそして、まるで岩盤を揺るがす重戦車大隊のエンジンの鼓動のように唸る、スコット・トラビス(63)のドラムと、ベースアンプの前に立ちはだかり、重厚な鋼鉄の装甲をまとい、金剛力士のように仁王立ちになって、地響きのようなバスパートを支えるベースのイアン・ヒル(72)。

それぞれの戦士たちが一体となって戦いのフィールドに立つとき、彼等を鋼鉄神(メタルゴッド)から授かったインヴィンシブルシールドが、無敵の盾となって敵の攻撃を木っ端微塵に弾き飛ばすのだ。


昨今、ITやデジタル技術によって、やれAIだ、チャットGTPだなどと、人間本来の力の存在感を忘れつつある若者たちよ。情報とデータがなくては生きていけない軟弱な者どもたちよ。自分で考え、判断し、ぶち当たって砕かれ、それでも立ち上がって汗をかくことをしなくなった者どもたちよ。もしおまえたちに、戦う男としての誇りの欠片が少しでも残っているのなら、このアルバムを聴くと、それが全身に駆け巡って、瓦礫をかき分けて立ち上がり、再び生きる勇気を与えてくれるであろう。

hqdefault  099961かつてジャーマンメタルの父と言われたスコーピオンズも、L・Aスラッシュメタルのエースと言われたメタリカも、メジャーな存在になったとたんに、ベルリンフィルやサンフランシスコフィルといったクラシックの有名オーケストラとコラボしたりした。プロモーション側が企画する商業的な意図として、ビッグバンドとして一般大衆受けすることだけを誇示するという陳腐なバンドに成り下がってしまった。パープルやレインボーは、既に朽ちた化石となって地に埋もれている。アイアンメイデンはジャリガキメタルフリークの子守でその役目を終えた。

そして、退屈で薄っぺらな早弾きしか能の無いスピードメタルバンドどもたちよ、血だ、殺戮だ、とばかり叫んでいる、ただグロいだけのオカルト屋のデスメタルバンドたちよ、単調なリフを刻むしか取り柄のないスラッシュメタルバンドたちよ、今、ここに最高の敬意と崇拝の礼儀をもってこの鋼鉄神ジューダスプリーストの足元にひざまずくがいい。

1e26099b79cdd885fcdb54919e2708d6伝説の聖剣エクスカリバーのように光り輝き、永遠の切れ味と無敵の攻撃力、そして高貴で荘厳でファンタジックなヒストリーを抱いた、レジェンダリーヘヴィメタルバンドとは、こうである、と思い知るに違いない。

インビンシブルシールド(無敵の盾)。ジューダスプリーストが結成50年の節目として、満を持して6年ぶりにリリースされたニューアルバム。一曲の無駄もなく、完璧に仕上がったこの傑作アルバムは、まさに、ヘヴィメタル史上に燦然と輝く金字塔として、永きにわたってロックファンに語り継がれるに違いない。

ロックギタービルダーでもあり、メタルギタリストでもある我が息子よ。

オレが死んだら、棺に花はいらない。

このアルバムを胸に抱かせて眠らせてくれ。

父が冥界への門をくぐるとき、鎮魂の聖典(バイブル)となってくれるだろう。

2024. 3.15   Ichirou Nakaune



音楽のちから 



KIMG1427 NHK BS-1で放送されている「駅ピアノ」 「空港ピアノ」 「街角ピアノ」は、毎回欠かさず録画して何度も見ている。TVは普段は殆ど見ないのだが、今では一番お気に入りの番組になった。

演奏も素晴らしいのだが、一番興味あるのが、弾く人の人生ドラマやその人のエピソード、音楽観などがインタビューによって字幕表示されることだ。

KIMG1433 KIMG1434例えば、戦争で父親を亡くしたウクライナからの戦争難民の女の子が、心の傷を癒やすために弾いてる、とか、自分の気持ちを立て直すために弾いている、とか、周りで聞いている人と共感を保てる、とか、時には、自分と同じように家族を亡くして、供養のために弾いている、とか、様々な想いを話されている。
KIMG1438 KIMG1443
世界のいたるところで、音楽が人々の心を癒やしたり、勇気を与えたりしているのだ。
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まるで水や食料が、人の命を支えているように、音楽も人の心を支える力を持っている。




KIMG1155そして、JR松丸駅に設置された駅ピアノ。

この駅にピアノがある、ということをどう受け止めようか。

地方の人口減や、列車の利用客が激減して、その存続が危ぶまれているJR予土線。運営会社のJR四国や、沿線の自治体も存続か廃線か、大きな課題を抱えている。その行く先は不透明だが、何とか維持してもらいたいのは地元住民の切なる願いだ。

KIMG1159松丸駅も乗降客は決して多くはない。しかし、駅の2階がぽっぽ温泉で、玄関口に無料の足湯があって、改札口のコンコースに誰でも弾いていい本物のアコースティックピアノがある。こんな駅がほかにあるだろうか。

KIMG1160このピアノは、元々は町内の今では廃校になった松野南小学校にあったピアノ。小学校は数年前に閉校になって、誰も弾く人はいなくなったが、町当局や関係者の方々のアイディアと尽力によって、町の玄関口である松丸駅に座った。観光や帰省で駅に降り立った人々を迎え入れてくれて、再び活躍の場を与えられたのだ。

KIMG1263さすが、わが町の役場も粋なことをやってくれたものだ。平成の大合併で、市町村合併をせず、独自の路線を歩むことを決めた松野町。県内最小自治体で、人口はわずか3500人。「小さいながらもキラリと光る町づくり」を標榜し、小回りのきいた行政が出来る町ならではの粋な計らいに感謝である。

沿線の宇和島市、鬼北町、四万十市なども連携して、存続の道を模索している。



KIMG1259 予土線松丸駅。

 昭和の時代は、今ほど車が普及していなくて、ここが町の玄関口であった。あまたの松野人がここから旅立っていった。またぼくらが子供の頃に毎日遊んだ遊び場でもあった。郵便ポストは写真では新しく入れ替えてあるが、丸い大きな昔の貯金箱のようなポストで、「だるまさんが転んだ」や、「馬乗り」の場所だった。制服姿の駅員さんも二人ほどいて、改札で切符を切ったり、リヤカーで鉄道貨物を運んだりしていた。駅前広場で缶蹴りしたり、ソフトボールを毎日のようにして遊んだ。言わば松丸駅は、ぼくにとっては、毎日の楽しい遊び場だった。50数年前のノスタルジーに浸るとともに、62歳になって、ここは再びぼくの遊び場になった。



KIMG0408ピアノ横に据えられた看板、「駅ピアノ」の可愛いタイトルイラストの額も、近所に住む移住者のあやかちゃんが手描きで描いてくれた。夢のある愛らしいイラストだ。実際このあやかちゃん、ピアノの腕もなかなかで、しばしば勤め帰りにこのピアノを弾いていて、温泉客も足を止めて聞いている。ピアノ横の観光案内所の井上さん、三好さん、ほか職員さんたちも、いつも駅構内を清潔に掃除、管理してくれて、いつでも気持ちよく練習させてもらっている。 予土線松丸駅の魅力ある駅づくりは、すでに多くの地元、松野の人たちによって始められているのだ。


KIMG0300 今年のお盆に、お客様で神奈川県在住の、河越さんファミリーが家内の初盆見舞いに訪れていただいた。河越さんご夫婦は、ミュージシャンで、ご夫婦で「SUNNY WATER」というユニットで音楽活動をされている。






自主リリースのアルバムも作られていて、その中の一曲に、「真夜中のイエロートレイン」という予土線をモチーフにされたすばらしい曲もある。(一部動画参照)

その曲を、これ以上ないロケーションの予土線松丸駅の駅ピアノで演奏していただいた。奥様の愛子さんは、宇和島市三間町のご出身である。娘さんもピアノを演奏されて、東日本大震災復興のテーマ曲、「花は咲く」を伴奏して、3世代のご家族で歌われた。お嬢さんの演奏もすばらしかった。おばあさんは松野町豊岡のご出身でもある。

こんなシーンが松野町の松丸駅でさりげなくある。なんとも素敵な駅ではないか。これも一つの駅ピアノが生みだしたご縁といってもいい。ピアノも活躍できて喜んでいるじゃないか、と思った。




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また、移住者で、松野町地域おこし協力隊の、松本さんと前田さん、そして、保健師の上本さんたちがこのピアノの生演奏で「松野音頭体操」をこの駅の玄関ホールでされている。健康増進と、地域の人のコミュニケーションを兼ねた、小さいながらも人々が楽しく集える空間として、駅ピアノが役にたっている。



そんなかんなで、この駅ピアノからはじまる様々な「松丸駅ピアノストーリー」が生まれるのではないだろうか。駅ピアノを中心に、音楽で人が集える小さな町づくり、もできるのではないだろうか。

そんな夢が膨らんでくる。




KIMG1387 KIMG1393自分はこれまで音楽は聴くだけで、楽器を演奏することはなかった。ギターは弾けるようになりたくて、過去に何度も挑戦したが、そのたびに挫折した。物作りは好きだが、毎日コツコツ練習して、一つのものを完成させることはなかった。料理やDIYは、ちょっとした慣れやコツは必要だが、すぐに形になる。だが、楽器演奏は、毎日何十回も、いや何百回も練習をしないと、身につかない。

KIMG1379もともと何か始めても、出来ないとすぐに投げ出す性分。地道に毎日練習が必要なことなんて、殆ど取りかかったことはなかった。「妻の供養に」という目的がなければ、とうに投げ出していたに違いない。

練習を始めて約4ヶ月。何とか曲の骨格が押さえられだした程度で、まだまだ弾けるようになった、というレベルにはなっていない。


KIMG0486しかし、下手なりに弾いていると、なぜか心が和む。そしてたまに、通りがかった人から拍手や励ましの言葉をもらったりする。それが何よりも嬉しい。音楽を通して元気をもらっているのだ。



数日前、練習を終えたら、後のベンチに若い女性が座っていた。TOMMYのお客様で、SNS仲間でもあるWちゃんだった。僕のピアノを聞いていたみたいだ。

そしたら、彼女は、涙をながしながら、「ピアノを聞いてこんなに感激したのは初めてでした。奥様を想う心がこもってました。きっと亡くなった奥様も喜んでおられますよ。」と言ってくれた。

また、SNSのメッセンジャーで、こんな嬉しいメッセージも書いてくれた。

以下抜粋。

マスター、こちらこそ今日は素敵な演奏を聴かせていただきありがとうございました。 ピアノの演奏で涙がでてきたのは初めてでした。 奥さんに直接お会いしたことはないのですが、 マスターの愛のこもった演奏を聴いていると、 奥さんの素敵な人柄が伝わってきます。 次は二人でぽっぽ温泉に行って、帰りにマスターの演奏を聴かせていただきますね♪



なによりも嬉しい言葉だった。こんなおっさんが弾く、へたくそなピアノでも、そう感じてくれる人はいたのだ。ピアノを始めてよかった・・。

改めて周りの人から生きる勇気をもらった。こんな素敵な出会いと励ましを、松丸駅の駅ピアノはぼくに与えてくれた。



315001350_2391068731050650_1333164784495341532_nあっちゃん、君のおかげで、またひとつ勇気をもらったよ。

君が生前、みんなのために、とイベントの度にビデオの取材をして、店で再生して多くの人々に楽しんでもらってたように、ぼくは音楽で人々を楽しませることができたらいいな・・・とも思うようになってきたよ。

自分がもっと弾けるように練習を続けることも大事だけど、松丸駅の駅ピアノで、小さくても楽しい音楽イベントの企画ができたらいいな、とも思ってる。



KIMG1449君が愛したこの松丸の駅前界隈でみんなが小さな幸せを感じてもらったらいいね。

KIMG1451



        おわり

音楽のちから 


 妻を失ってからの数ヶ月間は、からっぽの心の日々が続いた。

 何をやってもやる気になれない。この先の残された人生に何の意味があるのだろう。自分は何を目標に生きていったらいいんだろう。いっそのこと、何もかも消去して、仏門にでも入ろうか・・、などとふと思ったりもした。

しかし、「生きる」とは、ある意味日々の現実の生活に向き合い、それをこなすことの繰り返し。いつまでも感傷に浸ってばかりはいられない。


KIMG0935 そろそろ前を向かないと・・といつも思うが、時にお客さんや知人が来てくれて、妻の生前の話をする度に、未だにまだ涙が溢れる。

 そんな時、ある日、妻が習おうとしていたピアノの先生に会った。レッスンに通うはずだったのに、病状が悪化して、それが叶わなかったことを詫びた。

 そしたら、その先生が、「奥様のご供養だと思って、旦那さんピアノ始めませんか?」と言ってくれた。

 

さらに先生は、「基礎のバイエルからは大変だから、とりあえず一曲、好きな弾きたい曲を弾けるようになりましょう。それがいやにならないコツです。時間はかかるかもしれないけど・・。」と言った。


「奥様のご供養だと思って・・・。」


「好きな曲が弾けるようになる。」


この言葉に少し心が動いた。

62歳の初老のオッサンが、人生初のピアノレッスン・・・・・・。

でも、楽譜なんて読めないし、絶対音感も無い。指も短いし、ピアノは小さい頃から何年もやってないと弾けるもんじゃない。どうせ挫折するに決まっている、自分にはとうてい不可能・・・

そんな先入観に襲われる。


KIMG0524でも、「妻の供養になる。」

と言われると・・・・・。

手強そうだけど、供養になるのならやってみようかなあ・・・。

そもそもこの年になっても供養とは何か、何をすることが供養になるのか・・がよく解っていない。

そしたら、墓石業をやってて仏教にも造詣が深い、友人のタケちゃんがこう言った。

「亡くなった人を想って、することすべてが供養になるんよね。」と

彼のこの言葉にも少し背中を押された。

だったら、もし一曲弾けるようになったら、あっちゃん、喜んでくれるかなあ・・・。

そう思うようになった。



KIMG0407そしたら、何と!

今年の春に、松丸駅に駅ピアノが設置された!

NHKのBS-1でやっている、「駅ピアノ」や「街角ピアノ」は大好きで、いつも観ていた。どこのピアノも老若男女、上手下手を問わず、自由に弾いていいピアノだ。最近は全国の駅や空港や街角に設置されている。

KIMG1274KIMG1271番組内では、演奏場面以外にも、弾いてる人の人生のストーリーや、音楽観、曲にまつわる奏者のエピソードのインタビューなども大いに共感できておもしろい。特に外国の駅では、人々は自分の感情表現として、自由に、気軽に演奏を楽しんでいる。

KIMG0664KIMG0665KIMG0668この番組を毎回録画して、繰り返し観ている。







そしたら、半月前くらいの愛知県岡崎市の駅ピアノでの放送だった。

 買い物帰りのエプロン姿の主婦が、弾き始めた。







 
何と!それがこの曲、「Le Onde」(波) ルドヴィコ・エイナウディだった!。この主婦は、「弾くと綺麗な海が見える」という。そして、この方のこの曲へのエピソードは、数年前に若くして娘さんを亡くされて、悲しさを癒やすために弾いているのだそうだ。何と、自分と全く同じ悲しい境遇で、同じ印象の感覚で、弾こうとした曲も同じ。まったく心情を同じうする同志がいたことにいたく感激した。


KIMG0669NHK BS-1の駅ピアノ、街角ピアノ公式サイトはこちら。

https://www.nhk.jp/p/ts/9981L8QX2N/schedule/


 誰でも気軽に音楽を楽しんでいい。上手、下手を問わず、自分の気持ちを音楽で表現していい。そんな主旨で設置されている駅ピアノ。それが目の前の松丸駅にあるのだ。


 ふと、妻の声が聞こえたような気がした。


KIMG0981「一郎さん、私は生きてるうちにピアノを弾けなかったから、あなたが弾いて。」と。

まるで測ったようなタイミングで、これは、「ボクにピアノを始めて」という妻からのメッセージかもしれない。

そう捉えた。



よし!どれだけ時間がかかるかわからんけど、「Le Onde」 が弾けるようにがんばってみるか。
もし弾けるようになったら、あの約束の海で弾きたいな。そう決心して練習を始めた。メルカリで安物の電子ピアノを買った。先生には月に3回ほど来てもらって、直接レッスンを受けている。



そして練習を始めて約4ヶ月、何とか曲の骨格だけは触れるようになった。でもまだしどろもどろで、弾けるようになった、とは言いがたい。





 KIMG1160たまに駅の本物のピアノでも練習させてもらっている。家にある練習用の電子ピアノは、鍵盤が軽くて触っただけでも音が出てくれる。ただ鍵盤も音も軽くてチープな電子音がする。それで弾けても、本物のアコースティックピアノでやると、鍵盤が重く、強く押さえなければ音が出てくれない。でも重厚で迫力のあるサウンドが楽しめる。強弱が自分で調整もできるので、練習でも本物のピアノで慣れたほうがいい。

できるだけ仕事が空いた時間は駅のピアノで練習させてもらっている。列車の乗降客や、通り過ぎる温泉客には、ヘタクソでうるさいのでご迷惑をかけていると思うが。でもここで弾けるようになったら、たまたま居合わせた人を楽しませることができるかもしれない。そんな可能性もでてくるかもしれない。



 そしたら先週のとある午後、練習を数回して、帰ろうとしたら、駅の外の足湯に浸かられていた同年代のご夫婦が近寄ってきて、こう話された。

 「今、弾かれていたピアノは、あなたが弾いていたのですか。何かすごく心がこもっていて、素敵で感動したのですが、何か想うところがあってこの曲を弾かれているのですか。」と。

 何と、ぼくが練習を終えるまで、話しかけたくて、外で待っていてくれていたそうだ。そしてこの優しい言葉。




 KIMG1152驚きと嬉しさに思わず涙が溢れて、答えた。

「実は、今年の5月に妻を亡くしまして、その供養になれば、とその想いで練習しているんですよ。まだまだへたくそなんですが、そう感じていただけたらすごくうれしいです。」


そしたら、「そうですか、やはりそんなことがあったんですね。奥様を偲ぶ気持ちが伝わりましたよ。」と言っていただいた。


 まだまだ人に聞かせられるような曲にはとてもなっていないが、ぼくの拙いピアノでもそう感じてくれる人もいたんだ!と感極まった。そして少し勇気ももらえた。

たまたまその日に、ただ練習に行っただけの松丸駅ピアノ。

ここでもこんな良き出会いに恵まれた。一台の駅ピアノが、妻を亡くして落ち込んでいた62歳の男に、前を向く勇気を与えてくれたのだ。


図1KIMG0658そのご夫婦は、後にメッセージカードをわざわざ届けてくれた。

心のこもった励ましのメッセージが嬉しくて、練習を続ける力になった。おそらく供養の祈りが天に伝わって、あっちゃんがまた魔法をかけてくれたんだ・・・。そう思った。

KIMG1143

駅とは、人と人が出会う場所、別れる場所、そして新たな世界への出発の場所。

そこに音楽があれば、そんな一時、人の心を和ませたり、疲れた心を癒やしたり、前向きに生きる力を起こしたり、そうすることができるかもしれない。


それが音楽の力なのかもしれない。


                          つづく

約束の海へ 後編


もう一つ、この約束の海と重なるものがある。


それは、4年ほど前に初めて聞いた、とあるピアノの一曲だった。

イタリアの作曲家でピアニストのルドヴィコ・エイナウディ。

彼の曲である、Le Onde    (波)という曲。



これを最初に聴いたとき、37年前に二人で歩いたあの想いでの砂浜が、一発でイメージされたのだ。
この曲は、聴く度に、あの海の寄せては返す潮騒の音が聞こえ、青い空、白い雲が目に浮かぶ気がしてならない。



音楽は不思議だ。その楽器が奏でる音色とメロディは、時空を超えて自分がイメージした世界へ連れて行ってくれる。

特に、家内が不治の病に冒されてからは、ピアノの楽曲に、時には涙が出るくらい感動と共感が湧いてくる。妻の面影と記憶、そして過去の様々なシーンが曲に重なって蘇ってくる。



2023-01-17はるか沖の太平洋から打ち寄せる潮と波は、白い飛沫となって砕け、引いていく。

この地球上の総ての生命はこの海から生まれた。

そして海に還っていく。
まるで人の人生を語っているように儚く消えていくのだ。


諸行無常。



この曲からはそんな悠久の物語を感じる。



実は、妻は生前にはピアノを習いたがっていた。子供の頃に習いたくて親に懇願したけど、習わせてくれなかったそうだ。病気になって、何か生きる目標をつけてやりたくて、先生も探してレッスンを受けるよう頼んでいた。

しかし、病気が進行して、体力も気力も弱り、結局レッスンを受けられないまま亡くなってしまった。


妻の死後、しばらくしてその先生に会った。教室に行けなくなったことを詫びたら、先生が、

ダウンロード (2)「奥様のご供養にと思って、旦那さんピアノ始められませんか。」と、言われた。

「ピアノなんて到底自分には無理です。音感もないし、楽譜だって読めないし、第一この年からピアノなんて始めても、ろくに弾けるようにはならんでしょ。」と、始めはスルーしていた。

 でも、先生が、

「奥様のご供養だと思って・・・。」

と言われたら、やってもいいかな・・。いや、やるべきかな・・・・。

そうとも思った。

大好きな、この「Le Onde」 が弾けたらいいなあ、と憧れてはいたのだ。



そして、ある日、あの約束の海で、この曲を妻に捧げよう。

そう決心した。

 いつになったら弾けるようになるかはわからない。でも練習は毎日の供養だと思って続けよう。

 そして三ヶ月後、何とか曲の骨格だけは触れるようになった。

 あの約束の海に持っていくものが、キャンプ道具と、遺影と位牌、遺骨に、フリマで練習用に買った安物の電子ピアノが加わった。バッテリー内蔵なので充電したら浜で弾けるのだ。

 まだまだヘタクソで、妻は笑うだろう。でもそれでもいいか・・・。一生懸命弾いたら気持ちは通じるだろう・・。しばしば間違うけど許してね・・・。

 
 KIMG0891浜での読経の法要を終えて、ピアノを取り出し、弾き始めた。

 なんせ浜で拾った流木の丸太の上だ、不安定で、いつもの練習の位置というわけにいかない。日差しが反射して鍵盤が光り、位置が見えにくい。何度も間違えながらも最後まで弾き終わった。

  浜を渡る秋風と潮騒にメロディが消えていった。

 これで一つ自分が決めた約束が果たせたようで、少しほっとした。

 と同時に、秋の暮れゆく海は、なおさら寂しさが募ってくる。



 KIMG0821そしたら、さっきから浜を行き来していた、カメラマン風の男性が近寄ってきた。

「ちょっとお話伺ってもよろしいでしょうか。NHK番組プロデューサーの○○と申しますが、今、ここで四国巡礼のお遍路さんの取材をしてまして、さっき読経が聞こえて、手を合わされていたのが見えたんで、もしかして巡礼の方かと思いまして・・。」

快く取材に応じて、この浜での妻とのエピソードと法要の話をした。

記者「あのう、さっきピアノも弾かれてましたね。なんだか悲しげで、それでもなんか心がこもった演奏で、奥様のご供養ですか。私もお祈りさせてもらっていいでしょうか。」

KIMG0808線香を焚き、手渡すと、しばし位牌と遺影に向かって手を会わせてくれた。

ぼくはすこし感激して、嬉しくなった。

この大岐ヶ浜の近くには、足摺岬にある四国巡礼札所の金剛福寺があって、しばしば巡礼のお遍路さんが、この浜を歩いておられる。記者はその取材に朝からこの浜で待機していたのだそうだ。だからボクも巡礼者なのか、と声をかけられたようだ。

私 「いや、巡礼者ではないですけど、この浜は妻との思い出の場所でした。死後に一度鎮魂に来たくてやっと来ました。」

と答えた。

 一人でこっそりと供養しようと思ったが、思わぬ出会いに驚いた。しばし話をして取材したら、今度は、「お願いです。もう一度ピアノを弾いてくれませんか。」と来た。

「いやいや、まだ超ヘタクソなんでみっともないので、テレビの取材なんて遠慮しますよ。」

記者:「いえ、ダイジョウブです。上手下手ではありません。気持ちが伝わればいいんです。」何なら、本物の原曲を編集で被せてもいいですから。」

 

ということで、ピアノ演奏取材が始まった。これって採用されたら全国放送だよな。・・・なんて思うと、緊張で間違いだらけ、何度も撮り直した。頼むからボツにしてくれ、と願った。
まだ取材の段階で、編集で採用されるかどうかは未定らしいが、正月の四国遍路の巡礼特集の番組らしい。



記者はボクの取材を終えると、少し離れた浜で、一人海を観ながら佇んでいた外国人女性のところへ行った。

 KIMG0811そしたら、しばし話をして再び二人でボクのところへやってきた。

 グリーンのヘアカラーで全身タトゥーのはいったアバンギャルドな今風の白人女性だった。

 彼女はカナダ人のジェシカさん。一人旅で四国を回られているらしい。



 KIMG0832なぜか彼女は泣いていた。そして、日本語はしゃべれないらしくて、日本語翻訳されたスマホの画面を見せた。

 メッセージ欄には、

奥様を亡くされてとても悲しいでしょう。

心より哀悼の意を捧げます。

先ほどから遺影に祈られたり、ピアノを弾いておられたり、

きっとどなかたのご供養に、この浜に来られたのだと思っていました。

この浜は、私も何か神秘的なスピリットを感じます。

私もこの浜を見て祈りに来ていました。

奥様のご冥福を私も祈らせてください。


こう書かれていた。


彼女の優しさと祈りの言葉に涙が溢れた。


KIMG0839たった今初めて会ったばかりなのに、こんなすばらしい出会いがこの浜であるなんて。
1日、いや1時間ずれていたら、この出会いはなかったかもしれない。

今日、ここに来て本当によかった。今日じゃなきゃいけなかったんだ。


あっちゃん!やっぱし君は多くの人に愛されて、守られているんだよ!!

君のパワーは亡くなってからもスゴイよ!!

おかげで、ぼくは勇気をもらえたよ!!


このとき、世界中の人々が四国巡礼をされる意味がわかったような気がした。


多くの巡礼者が決まって言われることは、

「見ず知らずの土地で、人々に暖かいご縁をいただくことが、何よりも嬉しくて力になります。」

人は人によって癒やされ、助けられ、勇気をいただくのだ。

そう確信した。

感謝の気持ちで海に向かって手を合わした。

KIMG0847暮れなずむ秋の浜を後にしてキャンプサイトへ戻った。

日が暮れると南国高知でも肌寒い。薪を焚き、夕食をとった。

KIMG0860持ってきたサイフォンとアルコールランプでコーヒーを煎れた。こんなにゆっくりとした時間を過ごすのも久しぶりだ。

これも亡き妻の導きなのだ。

たき火の炎を見つめながらこれまでの妻と歩いた人生を振り返る。火は人の心を癒やしてくれる。ゆらめく炎はいつまで見てても飽きが来ない。

KIMG0846

夜のとばりが降りて暗くなると、満天の星空が輝き始めた。

こんなすばらしい星空は何十年も見なかった。

これも妻からの贈り物なのだろう。





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天の川も見えてきた。
(スマホカメラなので画像は参考画像)



あの星々の川の向こうに妻はいるのだ。


きっとあの向こう岸でぼくを待ってくれている。


彼の岸にボクもいくよ。それまでもうちょっと待っていてね。


まだこの世でやることがあるような気がするから。



夜遅くまで、星空を眺めていた。



約束の海からは、

潮騒の音が、

すっと、ずっと聞こえていた。




            おわり


 

 

 







約束の海へ 中編



なぜここが約束の海なのか・・・・。


37年前に時を遡ろう。

KIMG0771ボクが25歳、妻が21歳の頃、交際が始まった。初めてのデートがここ大岐が浜だった。バタバタうるさい空冷エンジンのオンボロのフォルクスワーゲンでここに向かった。浜中央入口の駐車場に車を停めて、ビーチ入口の遊歩道を歩いた。まだ海は見えない。もうすぐ海岸にたどり着く頃、ぼくは妻に言った。

「ちょっと目を閉じとって。」

妻は最初戸惑っていたが従った。

そして妻の手を取り、海岸に誘導した。


何のことはない。手を繋ぐ理由付けがほしかっただけだ。その頃はそうすることさえ恥ずかしかったものだった。そしてこの眼前に広がる青い太平洋を、美しい浜を、いきなり見せて驚かせてやりたい演出でもあった。

愛媛の宇和海も綺麗なのだが、リアス式海岸が多く、海岸の地形も山が急に海に落ち込んでいるので、広く開けた砂浜は少ない。そしてありとあらゆる湾内に真珠やハマチの養殖筏のブイがひしめいていて、あまり美観はよろしくない。女の子をロマンチックにさせる海ではないのだ。


KIMG0776砂浜入口につくと、「もう目を開けていいよ。」と言った。

妻はあまり驚きの感情を表に表さないタイプだったが、眼前に広がる海の美しさにしばし驚いていた。

それからしばらく、海を観ながら話をして浜を散策した。初デートはまずまず成功といったところか。


そして二人はいずれは一緒になる意志を固めた。

しかし、そう簡単にはいかなかった。彼女の親が猛反対した。度重なる説得も、けんもほろろに断られて、遂には、家への来訪までも断られた。彼女のことは大好きだったが、結婚は無理かもしれない。

日ごとにそんな諦めの気持ちも生まれてきた。

以前、49日までのフェイスブックの追悼日記にも書いてある。


でも、親に反対されたからと言って、このまま諦めていいのか・・・。

自分には人生で一番大切で確かなことは何一つ持ち合わせていないのか・・・。

このまま負け犬になってもいいのか・・。

そんな葛藤の日々が続いた。彼女も親との折り合いが悪くなり、実家に次第に居づらくなった。

そんな冬のある日、彼女は、親とけんかしたのか、深夜家を飛び出した。

そして一人で真夜中に車を飛ばし、ある場所へと向かった。


それがこの大岐ヶ浜だった。真冬の暗い海を見つめながら、泣きながら自分の気持ちを確かめた。

そして遂には、家を出る決心をした。



このことは、数日後に彼女からの手紙にこう書いていてあった。


・・・中略、



ものすごく遠くて、暗くて、寒くて、怖かったけど、

気持ちを確かめに、二人で行った

あの海に一人で行ってきました。  

私は決めたから・・・。

私をあきらめないで・・・。

そう書いてあった。



ぼくは揺らぎ始めた自分の弱い意志をなじり倒した。


それから二人の意志は揺らぐことはなかった。

親も、家も、仕事もどうでもよくなった。

この娘と二人ならどこだって生きていける。

そう心にきめた。



KIMG9411彼女は親に悟られないように、自分の私物の荷物を少しずつ、ぼくの家に運び続けた。

そして運命の日、彼女が勤め先を退職して、退社してからすぐに二人は町を飛び出した。


二人でルビコン川を渡ったのだ。


行くあてなんてなかった。ただ、二人のことを誰も知らない土地へ行きたかった。


二人とも若かった・・・・。




・・・・そんな昭和のドラマのようなエピソードがあったのだ。


だからこの海を、「約束の海」として、二人にとっては特別な場所だった。


KIMG0803故に、この浜に妻を再び連れてきて、この海を見せて法要をして、鎮魂の場所として再度訪れたかったのだ。


サーファーが居ない離れた場所の砂浜に流木の丸太を立てて、遺影と遺骨と位牌を置いた。

線香を焚き砂浜に立て、般若心経、本尊上供、略三宝、普回向の経文を唱える。


読経が潮騒と混じる。


KIMG0824妻の魂が、リップカレント(離岸流)に乗って沖へ出て行く・・・・。


そんな気がした・・・。

母なる太平洋の黒潮よ、妻を抱き守ってくれ・・・・。



あっちゃん、安らかに・・・・。

そう祈った。

                                       つづく











約束の海へ  前編


猛暑だった2023年の夏も終わり、やっと秋風が吹き始めた。



KIMG0759めったに2日間の休みなど取らないのだが、先週の連休の忙しさと、夏の疲れが出て、店も休みにさせてもらった。





 KIMG7713昨年の秋に中古の軽バンを改造して、車中泊できるようにした。釣りやキャンプに対応できるミニキャンパー仕様にした。後部シートをたたみ、床をフルフラットのフローリングにした。KIMG7804天井も内張りを剥がし、防音のゴムシートと断熱シートを貼り、床材の余りの杉板を貼った。


夜盲症と老眼なので、とにかく明るい車内にしたくて、リモコン調光できるLEDのダウンライトも付けた。

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右後部ウィンドウには、ブラインドになる取り外しが出来る木製パネルを取り付けた。デザインはグレ釣り師仕様。

 

しかしまだ車中泊は実際にはまだしたことがなかった。



 

 妻が亡くなってからはや5ヶ月が経った。



 初盆までの供養は終わったが、まだしてやりたいことがあった。




 それは、あの約束の海に妻を連れて行って、法要をして、御霊を海に委ねること。




 






KIMG99507月には、黒尊川の「木霊の樹」で鎮魂法要してきた。今度は海だ。


 
 
約束の海・・・・・・。




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それは太平洋の美しい砂浜。  土佐清水市の大岐が浜。


 あれはたしか37年前、初めてのデートで妻と行った海。

 おそらくぼくが知る限り、四国西南部で一番美しい海岸だと思う。

その想いでの海へ妻を連れて行こう。



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それは、不治の病を宣告されて、命がもうあと僅かだと覚悟したときから、そう思っていた。

本当はまだ動けるうちに連れて行ってやりたかったけど・・・・。




ごめんね。仏様になってから連れてきちゃったよ。


この5ヶ月間、そんな後悔ばかりしてる。

くやしいけど、遺影と位牌を持って行くよ。

KIMG0970

キャンプ道具を軽バンに積み込み出発。四国西南端足摺岬方面へ向かう。



江川崎から雄大な四万十川を下っていく。今年は鮎釣りはたった一回しか行けなかったな。

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岩間の沈下橋を遠目に見ながら、旧中村市へ。どうしてもぼくらの世代は、四万十市ではなく中村と呼んでしまう。赤鉄橋を渡り、四万十川河口域へ、下の加江を過ぎたら、雄大なビーチが見えてきた。松野町から約2時間弱の道のりだった。



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「あっちゃん!!大岐の海だよ!!。おぼえてるかい、君との約束の海に来たよ!!ものすごく綺麗だよ!!」と、

後部荷室に積んであった遺影と位牌に声をかけたら、涙がどっと溢れてきた。

秋の午後の日差しにキラキラ輝く水面、そして打ち寄せるうねり、白く砕ける波、真っ白な砂浜、岸辺の美しい亜熱帯の森、どれもこれもが懐かしい。



KIMG0790しばらく海岸を散策して今夜のキャンプ設営場所を探した。浜中央の駐車場付近はキャンプ、たき火禁止だったので、北側の小川河口の広場へ。キャンプサーファーの県外ナンバー車が多く停まっている。タープやテントサイトも見えたので、ここに決める。



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神奈川県から来た隣のキャンプサイトのサーファーに声をかけ、イスやテーブルなどのキャンプ道具を下ろした。そして、妻の遺影と、位牌を取り出して浜へ向かった。

 

浜に打ち寄せられた流木の丸太を台にして、それらを置いた。

KIMG0793

遺影を海に向け、話しかける。



「あっちゃん、37年前、君が心を決めた海だよ〜〜!!」


「やっと連れてきたよ!!生きてるうちに来れなくてほんとうにごめんね〜〜!」



「あのときと同じ潮のにおいがするよね・・・。今まで本当にありがとう〜〜!」



「ぼくは世界一幸せだったよ〜〜!!ず〜〜〜っと、ず〜〜〜っとこれからも一緒だからね え〜〜!」



「づ〜〜〜っと、ず〜〜っと見守ってねえ〜〜〜!!」



涙が再びとめどなく溢れて、あとは嗚咽するだけだった・・・・。
                            

                              つづく
             
                     

 
 

 

 




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