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東日本大震災からの復興は、東北だけのチャレンジではなく、日本全体のチャレンジである。

これは、官公庁・公務員として課題に取り組む人、NPOとして支援活動を行う人だけにとどまらず、東京で多くの人達と語り合うときに出てくる共通認識です。

突然の災害によって、沿岸部を中心として本当に全てが洗い流されてしまった地域、原発の影響によって、自由に立ち入ることすらできなくなってしまった地域、課題は今も山積みです。

そんな中、

「で、自分は日本人として、そして個人的な立ち位置として、何をすべきか?」

という問いかけは、すべての人に向けて投げかけられた、2013年現在、最も重要な問いかけの1つではないでしょうか。

前回の記事
(http://blog.livedoor.jp/inclusionj/archives/25255316.html)では、主にビジネスでの取り組みにおけるWHYについての様々な観点を紹介しましたが、WHYというのは何も、ビジネスに限った話ではありません。

本記事では、平日は東京で活躍しながら、この課題に対してフツフツとした想いがあり、そこにチャレンジしている一人のゲームクリエイターを事例として、この問いかけについて考えてみたいと思います。
本記事の要旨(読了4分):

【1】支援したくても、何もできなかったという無力感を今更どうするか?
【2】地元がやりたいことがあり、それを外部が支援する
【3】自ら変えようとするのか、他者の助けを待つのか?
【4】東北の課題は、日本全体の課題の縮図になっている
【5】自分のWHYを感じるために、まずは難しく考えず、現地に接してみよう


本編です:

【1】支援したくても、何もできなかったという無力感を今更どうするか?〜あるゲームクリエイターのWHY〜

東京など大都市圏で働き、東北地域との直接的な接点を持たない人、震災直後に何も具体的なアクションが出来なかった人の中には、こうした問いかけが今でも少なからずあります。

そんな一人が、普段はゲームクリエイターとして活躍する、澤田典宏氏。彼は本業であるゲームクリエイターとしての活動に加え、現実世界をゲームの舞台とする
ARG(代替現実ゲーム)などを制作する「チームだいたい」のメンバーでもあります。 

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彼は、阪神大震災も、東日本大震災も、すんでのところで直接の関わりあいがなく、これまで何もできなかったゲームクリエイターとしての自分に、深く問いかけていました。

「ゲーム会社は、阪神大震災のときは、何もできなかった。それが、東日本大震災のときは、社会的な影響力も増し、財務的にも大きな存在になっていたため、一定の支援を行っている企業があり、市民権を得てきたんだなと感じました。」

「一方で、ゲームクリエイター個人としての自分は、阪神大震災のときと同じで、東日本大震災のときも、クリエイターとして何一つ、お役に立つことができなかった。」
「”生活を立て直す”という局面では、本当に、ゲームクリエイターって何もできないなという無力感に襲われました。」


そんな澤田さんに転機が訪れたのが、2013年の春先。

「グロービスの友人づてでお声がけいただいて、宮城県山元町でのイベントでのお手伝いを打診されました。実際に現地に訪れて、イベントを主催される方々とお話をし、"ようやくゲームの出番が来たかもしれない"と感じました。日常生活がようやく戻りつつあるこのタイミングで、”楽しんでもいい”という雰囲気が生まれていて、そこにお邪魔して取り組むのは、ありだなというのを、現地の人たちとお話させていただいて、感じたんです。」(澤田さん)

こうして澤田さんは、ひょんなきっかけを元に、宮城県山元町のイベントにて、「体験型謎解きゲームを使って、普段仮設住宅で声を出して遊べない子供たちに、おもいっきり声を出して楽しんでもらう」という切り口で、自分のゲームクリエイターとしての強みを生かして貢献する機会を得ることとなります。

快晴に恵まれた2013年5月5日、山元町深山公園にて、澤田さんたちの企画による体験型謎解きゲームを交えた「遊ぼう」イベントが開催されました。

▼澤田さんたちの企画のポスター
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▼当日の開催風景
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【2】地元がやりたいことがあり、それを外部が支援する

このイベント、実は震災よりはるか前、もう10年程、山元町の生涯学習課が主催し、

「家庭・地域・学校が連携・協働して子どもを育てる環境づくり」

「大人が真剣に遊ぶ姿を子供に見せる」

という趣旨で始まり、震災後も、様々な支援の元、継続されてきた営みです。

企画・運営を担当する、山元町の吉田和子さんは、こう語ります。

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 大規模に、何回も、というのは、私達が望むものではありません。自分たち自身が運営し、自分たちの手の届く範囲のことをやる、というのが大切だと感じています。」

「ただ、一方で、”力を貸してください”と声を上げれば、実は震災が無くても、手を借りることができたんじゃないかな?と思います。手伝って貰うことは、決して悪いことではなく、自分たちの趣旨に賛同してくれる人に、協力してもらう。これは、本当に素晴らしいことだと思います。

支援を受けすぎて、自分たちが主体性を無くし、受け身になってしまってはいけない。だけれども、自分たちだけで何かをするよりも、外部の人たちを巻き込んで、一緒に何かをすることは、本当に素晴らしい。

その絶妙なバランスの取り方に、吉田さんたちは試行錯誤、現在も取り組んでいます。
 

【3】自ら変えようとするのか、他者の助けを待つのか?

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このイベントについて、震災直後から、吉田さんと連携してきたのが、 
宮城県山元町の元中学校校長である渡辺修次さん。

渡辺さんは、避難所のリーダーをつとめていた初日から、この点を常に意識し、外部への支援依頼と、自分たちが自力で行なっていくことを計画・実行してきました。

「(被災から2年が経過して)心が疲弊した人と、がんばった人の差が出てきた感じがします。
もらい続けた人と、がんばった人と、簡単にいえば、二分されてきました。

震災直後は、瓦礫の撤去のボランティアなどを始めとして、日本全国から多くの人が現地に駆けつけ、何かイベントを開催しないかという申し出がひっきりなし。

こうしたイベントに企画側として地元が参加せず、受け身で参加し続けていくと、結果的に自力で立ち上がったり、地元をどんな風に再生しようかという複雑で難儀な課題に取り組んだりできなくなってしまうというのが、かねてから渡辺さんを初めとした多くの復興最前線に取り組む地元の方々の危惧であり、実際に現在起きつつある課題です。

【4】東北の課題は、日本全体の課題の縮図になっている

このように、実際に被災し、復興に取り組んでいる方々からお話を伺うと、「自力で取り組む」ことと「助けを受ける」ことの両立に、常に試行錯誤されています。

そして、この難しさこそが、東北だけでなく、日本全体が直面している現代の課題そのものの一部分なのではないでしょうか。

例えばですが、先ほど吉田さんが挙げていた「大人が真剣に遊ぶ姿を子供に見せる」というのは、核家族化が進行し、大人が何かに真剣に取り組むという場面を見る機会が減り、「会社は疲れるところ。お父さんが出かけていってしまって、遊びに付き合ってくれない原因を産み出すところ。」という認識を産み出すような、働き方や分業体制などについての課題そのものへのチャレンジです。


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 こうしたとき、「家庭の問題は自分で解決すべきと考えがち(=どうやって集団としての助け・知恵を活かすかが難しい)」という点、「政治家や会社が頑張って取り組むべき問題なのに、ちゃんと対応してくれないと考えがち(=自力での解決に向けた努力が難しい)」という点で、日本全体の縮図となっています。

こうした、たまたま震災がきっかけとなり東北において顕在化し、取り組まなければならない様々な課題に、同じ日本の一部として、触れてみて、何ができるかを考えてみることこそ、自分たちの現在の課題に真っ向から取り組む、1つの大きなきっかけとなるかもしれません。

言い換えれば、東北での課題に接することで、日本全体の、そして、自分自身の取り組むべき課題、
WHYを見つめるきっかけになるのかも、しれません。

【5】自分のWHYを感じるために、まずは難しく考えず、現地に接してみよう

では、具体的にどのように東北に関わり、当事者の一人として取り組めばいいのでしょうか。
どのように、自分の東北に対するWHYを模索すれば、いいのでしょうか?

仙台市に在住し、自身は直接被災をしていないけれど、ふとしたきっかけで山元町に支援をすることとなった畠山さんは、こう語ります。


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 「復興ということで、宮城にいろんな方がいらっしゃったというのは感じています。ただ、一回のイベントをポンとやって、それっきりというのが多いです。お手伝いをしたいと思っても、どう入ったらいいかな?というのがあります。」

「何かをやることで、必ず効果を出さなければいけないと考えちゃうと、答えに行き詰まると思います。何か、自分の得意な分野でやりたいという気持ちがある一方で、それがじゃまになる、促進するというのを求めると大変かなと。」

そう、取り組む課題は中々に複雑だし、一人だけの知恵でどうこうなるものではありません。前出の吉田和子さんは、支援について、こんな風に語ってくれました。

「私達のペースでやれれば、一番いいですよね。逆に、ボランティアで毎週のように来てくださる人がいるんですが、私達が焦ってしまいますね。私達の方が、何もしていないんじゃないか、と。普段の生活で、いっぱいいっぱいというのもあり。」(吉田さん)

でもね、と。

「若い人がいるだけで、活気があるという感じがします。ここ(山元町)を田舎だと思って、来てもらえればと。訪れてみてください、というのもありますね。震災の後というのも、テレビや写真で伝わることと、実際にこの場所にきて感じることは違うかと思います。

例えば、中浜小学校跡。そこの二階の屋上の小部屋でみんなが助かったというところがあって、そこは残す予定ですが、ぜひ見て欲しい。」(吉田さん)

いかがでしたでしょうか。

東北での課題に取り組むことが、全ての人にとってすべきことであるかどうかは、分かりません。

ただ、自分自身の声が、

「自分も何か関わってみたい。2年が経過して、何ができるだろうか。」

と言っているのなら、一度現地を訪れてみてはどうでしょうか?

それでは

▼本記事に紹介した「宮城県山元町を訪れてみよう」という方は、宮城県亘理郡山元町の山元町役場から南東の地域を、車などで訪れてみてください。東京からであれば、片道4時間半程で現地に到着することができます。


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