2018年03月25日

ヘッドホンのススメ

私は今歯ぎしりしながらこの記事を書いている。
なんでもっと早くこのことに気がつかなかったのだろう

最近は映画館で爆音極音と、音にこだわる映画館が増えている。
インド映画はダンスシーンが多いこともあって、私も「そうだよね、インド映画は音が大切だよね」なんて思いながら、家では古いTVとPCの音をご近所迷惑にならないようにかけている程度だった。TVをスピーカーにつなげて若干ボリュームを出したりする無駄な抵抗はしていたが、ホームシアターは夢のまた夢という感じだった。

もしかしたら皆様はもう既に知っていたことかもしれないが、ヘッドホン1つでこんなに幸せになれるとはもうね、本当に違うから。PCから直で出るスカスカの音が、ちょっと良さげなヘッドホンを通すだけで極上の音に変わる。TVやPCの買い替えを考えるより、いいヘッドホンを買うだけで大げさでなく世界が変わる。今まではヘッドホンは周りの迷惑にならないようにするものという認識だったが、積極的に音を楽しむためでもあったのね。

まあこのヘッドホン沼というのもかなり深いようで、千円で買えるシロモノから上はキリがない。私はこの辺りまったくわからなかったので、とりあえず有名な、実は名前すら知らなかったゼンハイザーというメーカーの入門的なものを買った。金なら出すぜ!の勢いだったのだが、最初に目(耳?)をつけた機種は私が行った家電量販店では売り切れていたことと、高級機はしょぼいTVやPCではその威力を発揮できないとのことで、アマゾンで安くなっていたものをポチっとした。ちなみに4万円のものを買おうとして安くなっていた1万7千円のものを買った。

Netflixは映画を楽しむのと共にヒンディー語の勉強でもあるのだが、PCからだだ流しにしているより鮮明に聞こえて勉強になる。言語は環境が悪い条件でも聴き取れるようになるのが最高なのだが、聴き取りづらい音が拾いやすくなるのはうれしい。

映画は映画館で観るのが一番楽しめるというのは間違いない。だがNetflixなど家で映画を楽しもうと思った時に、ヘッドホン1つで何倍も楽しめるなら、ちょと良さげなものを持っていても損はないと思った。映画だけでなくyoutubeとかGaana(インドの音楽専門アプリ)とかでもいろいろ楽しめるしね。

いいヘッドホンはインド映画・音楽好きが身悶えすること必至!と断言する。  


2018年03月16日

『シェイプ・オブ・ウォーター』

2018年アカデミー賞作品賞、監督賞他受賞作。
まあこういうのは一応観ておく的な・・という完全に流行り物に飛びつく気持ちで観る気になったはいいが、「ファンタジーとか基本あんまり得意じゃないんだよね。時々自分的地雷もあるし。」とほとんど期待せずに劇場へ足を運んだ。どうせアカデミー賞を選ぶような方々と自分の趣味は合わないだろうし・・・とちょっと卑屈な気持ちもありつつ。

しかし、結論から言えば笑えたし、うっすら泣けた。
自分ルールで笑ったら負け、泣いたら大負けなので、私は勝負に敗れた。(何の勝負だ?)

平たく言えば半魚人と口が聞けない女性のラブストーリーなのだが、「人魚姫」という美しい言葉はあるのにその男性版の日本語は「半魚人」なのか?とかつらつら考えながら観ていた。

とにかく謎の多い映画だった。
なぜ60年代が舞台なのか。ブラウン管のTVからは昔のドラマが放送されている。カッコイイアメ車も登場する。古い映画館のシーンは良かったな。ところどころミュージカルをぶっこんできたり、同性愛ネタやスパイネタ、もう何がなんだかわからない。科学者出てくるのに半魚人には塩+αくらいの説明しかない。孤児院ネームって何?緑色のパイは間違いなくまずそうだ。etc..

そもそもなぜ主人公のイライザは半魚人にひかれたのか。口が聞けなくて孤独の共通点・・ってのはちょっと弱くないか?と思ったところで「おいおい、何十年インド映画観てるんだよ!」と自分にツッコミを入れた。恋に理由はいらないんだ。風が吹けば恋に落ちるんだから、水しぶきが立って愛が生まれたって不思議じゃないだろと。

大人のおとぎ話なので大人の描写もある。
「HOW?どうやって?」という台詞にこれまたいろいろ妄想を膨らます。

そして私はひねくれ者なので対照的な2人の女性についてもちょっと気になった。責任者の嫁はアメコミに出てくるような美人で金髪巻髪のエッチな奥様。片や推定40代独身のイライザが心通わすのは半魚人ってオイオイ、40代女性の相手は人間じゃつとまらないのかよ・・というのはうがった見方というのは自覚している。

あとハゲネタがあったので監督絶対ハゲてるだろうと思ったら違った。ハゲにとってのファンタジーでもあった。いや、結局は半魚人でも現れない限り無理ということか?

まあ優等生的な感想だと「幻想的」という表現になるのだろうが、これを書きながら大人のファンタジーというのは観ている側がいろいろと想像したり妄想できる余地を残してくれる作品なのだなと思った。  


2018年02月25日

シュリデヴィについて思うこと

シュリデヴィが54歳の若さで亡くなった。
甥の結婚式が行われてたドバイで、心不全だったらしい。

インド映画を観続けてきていいなと思った女優さんは数多くいるが、私の中でシュリデヴィは飛び抜けた存在だった。彼女の全盛期をリアルタイムでは知らないが、インド映画を観始めるとすぐにその存在を知ることになる。

昔は(今も)インド映画を観る機会が限られていたこともあり、それほど多くの作品を観たわけではない。しかし彼女の圧倒的な存在感は何作品か観るだけですぐに私の心に残った。

彼女に対しては(ちょっとレトロな意味も込めて)「キュート」という表現がぴったりだと思う。
少女漫画のような大きくうるうるした瞳、コミカルな演技、ダンスのキレ、そして人を引きつける何か・・・それがスター性というものなのだろう。

しばらくスクリーンを離れていたが、『マダム・イン・ニューヨーク』での健在ぶりに心踊った。映画公開当時日本では「美魔女」などと言われたが、インド、いや世界中を魅了してきた圧倒的な美しさは、そんな言葉さえ霞むほどだった。彼女が来日した会見会場に縁あって入ることができたのだが、目の前でオーラというものを感じた。そこだけがキラキラと輝いている。まさにインドから来た女神様だった。

つい先日、シュリデヴィ主演の『Mom』という映画を観たばかりだった。『マダム・イン・ニューヨーク』と同様、この作品も彼女が主演だからこそ撮れた作品だろう。私は半ば確信していたのだが、彼女は例え70歳を超えても主演女優としての作品ができたはずだ。年齢を重ねた美しさや気品、風格を見ると(何もかも違うとはわかってはいても)女性として憧れた。

これからのインド映画界に不可欠な人だった。インド映画の新しい可能性、彼女だからこそ演じられる役がたくさんあったはずだ。母として、妻として、女性として、何よりも一人の人間としてどう人生と向き合っていくか。どんないい作品でもうまい役者さんが演じるだけではだめだ。スーパースターのシュリデヴィが演じることに意味がある。

本当に本当に残念でならない。
できることなら『Mom』や映画祭で上映された作品、DVD化された作品がどこかで上映されることを密かに願いたい。  


2018年01月21日

第63回 Filmfare Awards

 -抜粋-
Best Film: Hindi Medium
Critics' Award for Best Film: Newton
Best Actor in a Leading Role (F):
 Vidya Balan (Tumhari Sulu)
Best Actor in a Leading Role (M):
  Irrfan Khan (Hindi Medium)
Critics' Award for Best Actor (F):
  Zaira Wasim (Secret Superstar)
Critics' Award for Best Actor (M):
 Rajkummar Rao (Trapped)
Best Director:
 Ashwiny Iyer Tiwari (Bareilly Ki Barfi)
Best Debut Director:
  Konkona Sen Sharma (A Death in the Gunj)
Best Actor In A Supporting Role (M):
  Rajkummar Rao (Bareilly Ki Barfi)
Best Actor in a Supporting Role (F):
  Meher Vij (Secret Superstar)

Best Music Album: Pritam for Jagga Jasoos
Best Playback Singer (M):
  Arijit Singh for Roke Na Ruke Naina (Badrinath Ki Dulhania)
Best Playback Singer (F):
  Meghna Mishra for Nachdi Phira (Secret Superstar)
Best Choreography:
 Vijay Ganguly and Ruel Dausan Varindani 「Galti Se Mistake」 (Jagga Jasoos)
Best Action: Tom Struthers (Tiger Zinda Hai)

テルグ映画界が『バーフバリ』という超娯楽おばけ映画を生み出した一方で、今年のボリウッドはとても小気味よい良作を何本も送り出した。ベストフィルムの『Hindi Medium』は小金持ちになった夫婦が子供をいい学校に入れるために四苦八苦する様子をコメディタッチで描いた作品。ノミネートに上がった『Toilet』は地方都市でまだまだ残る女性蔑視を”トイレ”というキーワードで描いた作品だが、近代化により変化していくインドの問題を扱った『Hindi Medium』と、昔から残り続ける古き悪しき慣習を扱った『Toilet』は対極になるものの、目のつけどころが面白かった。『Badrinath Ki Dulhania』も若い2人の恋愛コメディが軸になっていたが、女性の社会進出についてを描いた作品でもあった。

こうしたインドが抱える問題を説教臭くせず、コメディタッチでテンポよく作品にするのはボリウッドの得意分野だと思う。『Jolly LLB 2』のような裁判もので顕著だが、インド人特有の論理というか、よくよく考えるとちょっとオカシイと思うことでも、気がつくと相手の言い分に丸め込まれて、とりあえずめでたしめでたしとなってしまう。このあたりは日本人にはない思考なのでそこが面白い。

3カーンたちは安定して大ヒット(『Raees』『Secret Superstar』『Tiger Zinda Hai』)を出し、アジャイ他主演の『Golmaal Again』でインド人が大好きなおバカ映画で大笑いした。バランス的にもよかった。

そんな中で昨年はラージクマール・ラーオの年であったとも言えるだろう。
日本で公開された『クイーン』では主人公ラニの婚約者として情けない男の役をこなしていた。以前彼のことを「小物(を演じる)界の大物」と言ったが、もはやキングオブ小物である。
『Bareilly Ki Barfi』はB級作品かと思って観始めたものの、R・ラーオの演技があまりにもはまってて、お気に入り作品となった。監督は『ニュー・クラスメイト』がデビューであり、彼女の今後にも期待がもてる。
Critics' Award でのベストフィルムに選ばれた彼の主演『Newton』は、どんな状況においても選挙管理委員会として選挙を忠実に行おうとする絵に描いたような公務員的な男の話。日本で上映したら面白そう・・・と一瞬思ったが、元々職務を忠実に全うする日本人には当たり前過ぎて面白さが半減するかも、と思ったり。Critics' Awardで主演男優賞を受賞した『Trapped』も観なくては。

音楽と振り付けは『Jagga Jasoos』だった。おとぎ話のような世界観をミュージカル仕立てで描いたこの作品は狙いは面白かったものの、実験的な作風はやはり大ヒットにはつながらないかなと。賞とは無縁だったが先日結婚したアヌシュカの『Phillauri』も良かった。

私が変わらずインド映画を好きでいられる理由は描くジャンルは違えども、どの作品でも人間の面白さや情けなさ、強さ、弱さ、そして心の機微とか人とのつながりが一番大切にされているからだ。

ここ何年かの流れはざっくりと、南インド風→女性主役もの→実話もの→社会問題ちょっと入れたコメディタッチ、な感じではないかと思うが個人的には最近の傾向はとても好きなので、是非今年もたくさんの良作が観たい。ヴァルンやタイガーの踊れる若手にもさらに頑張ってもらって、「インド映画は踊る!」を継承していってもらいたい。  


2017年12月30日

『バーフバリ 〜王の凱旋〜』

インド神話のエピソードを聞くと、日本人には「え?」と理解出来ないものが結構ある。例えば息子の頭を落としておいて、次に通ったのが象だから象の頭をつけてガネーシャの出来上がりとか、ハヌマーンは薬草の生えた山ごと運んだとか、ぶっとび過ぎていてちょっと想像がしづらい。

インド人はこうした神話に子供の頃から馴染んでいる。『バーフバリ』は「マハーバーラタ」が下敷きになっているが、インド人の頭の中に描いている神話の世界をCGという武器を使って具現化したのがこの作品だと思った。どんな常識にもしばられない自由な発想と、それに反するかのように家族の確執や絆は時代を超えてもつながり続ける。そこに自由さや妥協はない。まさにインドを象徴するかのような作品だ。

もちろんストーリーは悪くないが、3世代に渡る国の威信と王位の座をかけた権力争いというストーリーは特に目新しさはない。では何が観客を引きつけるのかと言ったら、私は映像と音楽だと思う。これが抜群にいい。

まずCGの完成度と色彩豊かな映像の美しさに目を奪われる。冒頭で述べた、監督が思い描く神話の世界を再現している。鮮やかな原色を使い、天空の神々たちの物語のようである。さらに音がとても効果的な演出をしている。重厚で印象的なのに、決してでしゃばり過ぎず、作品を盛り上げこそすれ邪魔をしない。作品にのめり込んでしまうとBGMがかかっているかさえわからなくなるが、かなりの部分で効果音を含め、何かしらの音(音楽)が流れていたと思う。観客は無意識の中で高揚感を増していく。

そしてその音楽や効果音と映像がコンマ何秒違うことなく、ピタっと合わさるバシっと決まる。それらが時にスローモーションなどを用いて見事にキまると観ていて気持ちいい。その気持ちよさが最初から最後まで続くのだ。

私は時々インド映画のダンスシーンをフィギュアスケートのペアやアイスダンスに例えてみたりするのだが、どちらも音楽に合わせてと相手との呼吸、テクニックで観るものをひきつける。この作品はダンスシーンだけでなく、戦いのシーンですらも美しい。特にバーフバリがデーヴァ・セーナと共に3本の矢で戦うシーンは戦いながら恋に落ち、相手と心を通じ合わせるという流れはとても印象的だった。

映像と音に力を入れている作品なのだから、やはりそれなりの設備がある映画館で観たい。新宿ピカデリーはどちらも大変良かった。

絶叫上映についても一言。ツイッターでも書いたが、普段インドや映画にそれほど興味があるわけでもないけど、とりあえず絶叫上映というイベントが面白そうだから来てみた、という人もいたと思う。実際、私の隣に座った若い男性も最初は「インド映画だから踊ってるんだよな」のようなことを言っていたが、上映後は「最高!」を連発して興奮気味に友人と話していた。

とりあえずインド映画を観て欲しい!とは思っていても、興味ない人を劇場まで足を運ばせるのはかなり難しい。それをこのようなイベントで人を集めるという企画はとても良かったと思う。そしてそんな人達を面白がらせるには絶好の作品だった。無茶でしょ、あり得ないでしょ、なんじゃこりゃーでしょ。でも女優さんはきれいだし、戦いのシーンはかっこいいし、何より面白かったよね?みんなで騒ぎながら観たけど、もう1回じっくり観たくなった人も多いはず。

正直、日本でインド映画の前後編はキツイかなと思っていたが、配給のツインさんのおかげでとても楽しいイベントになったと思う。「インド・オブ・ザ・デッド」の時もそうだったが、作品愛と熱意があれば、ファンにもその熱が伝わり応援しようと思う。

ということで年末年始は『バーフバリ』。これは絶対に劇場で観るべき作品。最近は上映のサイクルが早いので、是非お早めに映画館でご覧ください。  


2017年11月04日

『Mersal』

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ヴィジャイ最高かよって映画だった。

まずこの作品が上映された川口SKIPシティの映像ホールは映像、音響共に最高レベル。音楽はラフマーンだったが、一音一音がとてもクリアで彼の音楽と共にとても良い状態で楽しむことができた。

ヒーロー映画はこうあるべき、という見本のような作品だった。
冒頭から主役のヴィジャイ登場までためるためる。群衆の中、警察の護送車に乗せられる彼の後ろ姿が映る。じらしにじらし、そして満を持して手錠をかけられた手を上に掲げてようやくヴィジャイの正面からの顔がスローモーションで映る。はい、ここ指笛ポイントですと言わんばかりだ。

ルンギ姿で身軽に動き周り、アクションシーンではピンチをマジックで切り抜ける。おいおい、いつもマジックネタ仕込んでるのかよ・・というツッコミは不要だ。なぜならヴィジャイだからだ。飛び道具がピストルでなく手裏剣というのも素晴らしい。

いちいち挙げればキリがないが、監督はヒーローを格好良く映す術をよくわかっている。キメ顔、ウインク、ヒゲをくぃっと直す。これがカッコよくないんだったら何がかっこいいのかと小一時間問い詰めたい。

ストーリーの本筋はインドの医療制度について。
悲しみと怒りの事件が続き、観客は否が応でもヴィジャイの気持ちに同化する。そして最後には熱いメッセージをカメラ目線で訴える。インドの医療制度も英語字幕もよくはわからないが、とりあえずヴィジャイの言うことが正しい!と思わざるを得ない展開。それに問題が生じた・・という記事を読んだが、この強力なメッセージに関係者が怖がるのも止むを得ない気がする。

ダンスシーンも良かった。
インドのダンスシーンはこうあるべき、という人海戦術大量人数投入で画像に迫力を持たせる。赤い粉を全身に塗った人々の中で踊る白いシャツ姿のヴィジャイは幻想的な雰囲気ですらあった。

それにしてもタミルは血のり多めだ。ボリはやられても倒れてるだけだったりするが、やられて倒れて血を吐くところまでが勝負だ。傷口もリアルなら白目をむくシーンもリアル。

今回ビジャイ役の奥さんがパンジャーブ人という設定なのでシクに囲まれるヴィジャイが新鮮だった。今回は1人3役だったが、もうこうなったら全員ヴィジャイでもいいのでは・・と思うくらいヴィジャイ映画だった。

指笛を本気で鳴らせるようにしよう・・と決意して帰路についたのだった。  


2017年11月02日

『セクシー・ドゥルガ』(東京国際映画祭)

以下は100%個人的解釈なので、「それはおかしい」と思う方もいらっしゃるかもしれませんがご容赦下さい。

作品は祭のシーンから始まる。きちんと身なりを整えた踊り手の男たち。祭が始まるとトランス状態になり、太鼓の音に身を委ねて全身を震わせる。口には串を通され、身体のあちこちに針を通して上から皮だけで引っ掛けられて宙吊りの状態。見ているだけで痛そう。だが祭の主役になったことを喜んでいるようでもあり、女神への生贄のようでもある。

一方で駆け落ちと思われる男女が夜中にヒッチハイクして駅に向かおうとする。ようやく止まった車には男2人組。酒に酔い、いかにもガラが悪そう。さらに仲間が加わってカップルをからかう。何度も逃げようとするが、他の車は止まらず、仕方なく彼らの車に戻る。

最初は夜道は気をつけましょうという啓蒙映画かと思った。そんな危険な車に乗らず、明るくなるまで待って、それから移動すればいいのに。しかしカップルは彼らの車がもう一度声をかけてくれるのを待つかのように歩き続ける。

『セクシー・ドゥルガ』というタイトルを見た時、最初はインドの路地裏で売られているような裏物セクシーDVDを想像してしまった。カップルはよせばいいのに2度ならず3度も同じ車に乗ろうとする。女性の名はドゥルガ。いったい何がセクシーなの?え・・・もしかして彼女はその監禁されそうなギリギリの状態に一種のトランス状態を覚えてる?もしくは女神として周りの男たちが大はしゃぎしている様子を見て楽しんでる?男たちは生身のドゥルガ、セクシーな女神を崇めるかのように。あるいは駆け落ちしようとした男がムスリムであることが名前からわかり、無意識にその行く手を遮っているのか?

祭りのムードを盛り上げる太鼓やラッパの音と車から鳴り響くヘビメタ、身体中針をさしたびっくり人間とパーティーグッズの怪物のお面をかぶってはしゃぐ男たち。そして祭を眺める見物客と真夜中のヒッチハイクの顛末がどうなるのかハラハラする観客。その対比を意図したかどうかはわからない。ただそこにある唯一の共通点は「非日常」。

この映画はまたインド人のああ言えばこういうというか軽口というか、掛け合いがリアリティあった。インドの街角で聞こえてくるようなやりとり。ほぼ意味がないが、それは彼らのコミュニケーションなのだ。酒酔い運転で警察が「今度から気をつけろよ」と見逃したのは笑った。

とにかくインド人の口車には乗らない、夜道は歩かない事だけは肝に銘じた。それにしても悪いヤツの車のBGMはなぜヘビメタ率が高いのだろう。  


2017年10月30日

『ヴィクラムとヴェーダ』(東京国際映画祭)

警察と犯人が実は似た者同士、表裏の存在、という設定はよくある。
それを巧みに利用して何が善で何が悪か、その判断基準はどこにあるのか、という事を犯人の行方を模索していく中で観客に問い続ける。

例えばある人物が殺された時にその事実は1つしかない。だが殺された理由や殺した人間によって、観客も「これは止むを得ない」「いやそれは許されない」と考えが変わる。そのくらい人の善悪なんて曖昧なものだ。特にインドでは身内や仲間が殺されたら復讐は何ものにも優先されるという裏ルールがある。このあたりの心理も巧みについている。

各エピソードを回顧するという形なので、ストーリーの勢いがやや分断される感じがあったが、あえてこういう形式をとったのか。また警官の妻が、彼が追っている殺人犯の弁護士というシュールな設定を法律的な裁きを含めてもう少し生かしても良かった。モラルと法は決して相反するものではないから。

『アキラ』に出てきた登場人物も悪人ばかりだったが、この作品も似たようなところがある。元々人間なんてそんなきれい事ばかりじゃない。すると主人公の最後の問いかけ、何を判断材料にするか?

その答えは結局、主人公が最初に言っていた「自分で決める」事に戻るのではないかと私は思った。冒頭と最後に出てきたアニメーションがベースとなっている伝説を表していたのだろうが、それぞれの民族や宗教に根ざしている価値基準というのは無意識下でとても大きなものだと感じた。
  


2017年10月28日

『ビオスコープおじさん』(東京国際映画祭)

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第一印象は初監督という事もあってか、とても丁寧に作られた作品だと思った。父を事故で亡くしたミニー。悲しみの最中に突如殺人犯として服役中だった男が彼女の前に現れる。彼は父が生前、身元引き受け人として恩赦を求め続けてきた男だった。

男の出身はアフガニスタン。国から脱出し、インドでは町から町へと子供達にビオスコープを見せていた。

監督のQ&Aで、ボリウッドはアフガニスタンで沢山のロケをしている。だがその惨状は描かれない。自分はそれを撮りたかったと。人々が殺されるようなシーンも1つの表現だろう。しかしこの映画では銃痕と、切り裂かれたスクリーンに自由を奪われた人々の悲しみを映す。

アフガニスタンという美しくも政情が不安定な国を出て、彼は子供達に夢を見せる。共に脱出した女たちは現実を生きることで必死だ。

監督はボリウッドを2時間半の夢物語と言っていた。主人公のビオスコープおじさんが歩くシーンには映画スターの名前が入った曲がかかる。「私の靴は日本製」(『詐欺師』)の歌詞が使われたのはいい偶然だった。

人はひと時の夢で現実の辛さを忘れられる。でも一番大切にしなければならないのは目の前の現実なのだ。失ってから知る悲しみ。だからこそ失う前に大事にしなければ・・・と気づかされる。人でも、故郷でも、思い出でも。  


『Sultan』(スルターン)

今年のIFFJの大トリを飾るのにふさわしい作品だった。
英語字幕付きで観たことはあったが、日本語字幕が付いて感動を新たにした。

スポーツの王道ものには違いないがそれはあくまでも表向きであって、メインのテーマは生きることそのものにある。人生を諦めかけた中年男がリングに再び立つ。その男に夢をかけた人たちもまた自分の人生を託す。

サルマンの存在感は今更言うまでもないが、こういう男臭い作品には主人公を引き立てる役がとても重要だ。気の置けない幼馴染、まだ半人前の若き興行主、ひと癖あるアウトローなコーチ、どれもいいキャラだ。彼らがいるからサルマンが輝く。

相手役はアヌシュカ。彼女の最大の魅力はどんな相手役でもぴったり呼吸を合わせられるところだ。『pk』のショートカットも良かったが、ジャージー姿の彼女も魅力的。

「敗者こそがヒーローだ。勝利の価値がわかるから」という台詞が印象的だった。だからこそ諦めず、希望を持ち、自分自信と戦うのだ。人生というリングで。

曲はどれも良い。「ベイビーはベース(重低音)が好き」の歌は振り付けも衣装もとても好き。サルマンがアヌシュカを愛おしく思い続ける男性ボーカルの歌があるが、ラストに同じ曲を女性ボーカルが歌う。つまりは私もあなたのことを思っているのよ・・という呼応なのだが、こういう曲の使い方はインド映画は本当にうまい。

何が本当の勝利なのか、スポーツで戦うその先に何があるのか・・・ストレートのパンチが胸を打つ。インドで観たらさぞかし盛り上がっただろうな。