2017年07月09日

『裁き』

原題が『Court』というとおり、裁判の映画である。
映画冒頭でムンバイの下町かと思われる風景が映し出された。観に行った日の東京はとても暑く、インドのむせかえるような熱気を体感しているかのようだった。

普通裁判映画というと、ドラマティックな弁護人や被告人とのやりとりなどを連想する。有罪か、無罪か。しかしこの映画は違う。ただひたすら、インドのおそらくはリアルに近い裁判が淡々と刻まれていく。ドキュメンタリーのような進み方で、そこには私たちが想像するようなわかりやすいドラマはなく、お役所の流れ作業のようだ。ひと通りの形式が終われば、はい、また来月。いつ終わるかもわからないインドの裁判。そういえば有名俳優たちの事件もいったいどうなっているんだろう。

登場する人物たちも普通の人たち。何か大きな野望を描いているとか、担当する事件に思い入れがあるわけではない。親に結婚話を持ち出されて不機嫌になる若い男性弁護士、夕飯はきょうもあり合わせだわと主婦同士の会話をする女性検察官、息子の病気は石を身に着けるといい迷信を信じる裁判官。彼らにとっては刑事事件も仕事のひとつでしかない。

ところがこの映画、かなり社会性というか皮肉のようなものが込められている。
下水掃除をする男が自殺した。活動家の歌う社会性ある歌がその自殺をほう助したという、とんでもない理由によって逮捕された。まずこれが事件なのかそうででないのかという前提すら怪しい。そのよくわからない前提ありきで事件は進んで行く。そして下水掃除というインドでは最下層に属する男の死など、はっきり言ってみなどうでもいいと思っているに違いない。つまりはこの活動家がうっとおしいため適当な理由をつけているのだ。活動家は過去にも警察とトラブルを起こしており、冤罪の可能性が大いにある。

この下水掃除の男を弁護するのがかなり裕福な男性弁護士というのも面白い。普段は決して交わることのない人種が、この事件を担当することにより男の妻と接点を持つことになる。「お金よりも仕事をくれ」という妻の訴えは、生きていくのに必死の人たちの叫びだ。

この映画で一番印象深かったのは活動家の歌う強烈なメッセージが込められた歌だ。歌の持つ力は小さくない。例えばもしこの歌を毎日聞いていたら、思想が変わってしまうかもしれない。わかりやすいリズムにのせた言葉はただの演説よりも心に深く刻まれる。

起承転結がはっきりしたわかりやすい映画ではないので一般受けと言うよりもツウ受けするような作品。特にインド事情を知っている人が見ると、ニヤリとしてしまうかもしれない。いろいろなタイプのインドの人たちと、インド的物事の進み方がリアルが描かれている。