2019年06月01日

『シークレット・スーパースター』

自分が自分の思うように生きること。それは誰にも邪魔できない。

シンプルだがいちばん大切で難しいことを、この映画の主人公、15歳のインシアが教えてくれた。

昨今、日本でも子に対する虐待、ドメスティックバイオレンスなど「家族」という他人が入り込みづらい場所での問題がいくつも起きている。また、インドでは歴史的に女児が生まれることを疎まれるという背景がある。

インド映画でいつも感心させられるのはこのような社会問題や厳しい現実から目を背けずに、かつひとつの娯楽作品として完成させているところだ。「パッドマン」しかり「バジュランギおじさんと、小さな迷子」しかり。重い内容となりがちがこの作品でも、アーミル・カーンのチャラい音楽プロデューサーやかわいらしいラブストーリーが一服の清涼剤となっている。

インシアの行動力と言葉には何回もはっとさせられた。
生きていくことって多かれ少なかれ辛い現実や困難を抱えるものだ。それを乗り越えていくには、第一に勇気を持つこと、第二に知恵をつけること、第三に時には誰かに頼ること。そしてそれを可能にするのは自分で夢や目標を思い描けることなのだ。

でも大人になると、必要以上に我慢してしまったり、新しい環境に飛び込むことを恐れたりする。自分の人生に遠慮してどうするの?怖いのは自分らしく生きることを失ってしまうこと。人生の選択権は自分にしかない。それを邪魔する権利は誰にもない。

インシアの母は娘の人生を切り開き、インシアはまた母の背中を押す。そしてこの二人のキャラクターは誰もが持っている強さと弱さという表裏一体でもある。夢を持つ娘、かすかな希望は持っているが身動きできない母、そしてもうひとりの家族であるすべてを諦めてしまった年老いたおば。彼女も時代の犠牲者なのだ。

この映画では父親役が見事なクズっぷりでよかった。影が暗ければ暗いほど、明かりが輝いて見える。ただこの父親、唯一救われるのは娘には手をあげてない。子供などの弱者を虐待したり切りつけるなんていうニュースを見ると、怒りで震えてくる。もちろん、嫁などの大人を痛めつけていいわけではないけれど。そして娘の教育費にはお金を惜しまない。世の中学歴社会であるということが十分過ぎるほどわかってのことだろう。一応親族の面倒をみるという側面があったりして、この父親は間違った方向性ながらも責任感だけは持ち合わせている。

弟君もよかった。父親は最悪だけど、母親が愛情を持って育てた子どもたちなんだろうということが伺える。

初恋パートはとてもかわいらしかった。特にパスワードの甘酸っぱいくだりは思わずキュンとなってしまう。そしてボーイフレンドのチンタンはほんわかしたキャラでありながらも最大の協力者でありクレバーな少年だ。自分ひとりでは解決できない問題も、誰かの知恵と協力があれば乗り切れることもある。今はネットという武器もある。

そしてなんと言っても歌。変に色がついてない、まっすぐで伸びやかな歌声はインシアのキャラクターとぴったり合っていた。優しくて少し物悲しくて力強い。でもエンドロールで流れるセクシーな歌も大好きだけど。

夢というとスターになるとか大きなことをイメージするが、それと同じくらい"平穏な生活を送ること"が夢であってもいい。「一歩前に足を踏み出してみようよ」とインシアの歌声が手招きしてくれるような作品だった。