2007年02月28日

3月議会開会

本日、3月議会が開会しました。
終了後、紀北町での第四総支部議員総会へ参加。

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Posted by info_matsusaka at 23:59

2007年02月27日

公明党実績物語 「ハンセン病問題の全面解決」へのドラマ

歴史の“闇”に閉じ込められたまま苦悩する人々の人権回復へ、その信念を貫き通した厚生労働大臣がいた。
今回は、「ハンセン病問題の全面解決」についてのドラマである。 【敬称略、肩書は当時】

「最後は報われた」の思いを
「辞表」胸に首相官邸へ 「控訴せず」貫いた厚労相
ハンセン病問題の全面解決

厚生労働大臣坂口力 (当時)それまで赤ペンでメモを取っていた厚労相の坂口力の手が突然、止まった。坂口は泣いていた。――2001年5月14日、ハンセン病国家賠償訴訟の原告団との面談で、元患者の老女が自らの半生を語った時の出来事だった。

9歳で発病。その日、離島の療養所へ。何年も「母に会いたい」と泣き暮らしたが、会えずじまい。亡くなったことさえ知らされなかった。

その後、同じ入所者と結婚。やがて子を宿すが、妊娠8カ月で強制的に早産させられ“殺された”。「小さいけど、元気な産声でした。自分の胸に抱きたかった。その時の泣き声が最初で最後。あの泣き声がいまだに耳から離れません」。想像を絶する話だった。

坂口は元患者らに深々と頭を下げ、謝罪の意を表した。「誠に申し訳ない思いです」。そして心に誓った。「絶対に控訴すべきではない」と。

熊本地裁の「国が全面敗訴」の判決に対し、役所の意見は「控訴すべし」が大勢だった。自民党幹部からも「控訴後に和解」といった声が流されていた。

だが、坂口の「この裁判は終わらせるべきだ。元患者の皆さんに『大変だったが、生きていて良かった。最後は報われた』と思ってもらえる最後のチャンスではないか!」との思いは微動だにしなかった。

そして、運命の5月23日。その朝の毎日新聞1面には「坂口厚労相が辞意」という見出しが躍っていた。それには坂口自身が驚かされたが、官邸に向かう車中の坂口の胸ポケットには、この朝認めたばかりの「辞表」が用意されていた。

朝9時、官邸で官房長官の福田康夫が言った。「改めて、お考えを聞きたい」。坂口が答えた。「控訴には絶対に反対です」。福田「それは、厚労省の考えですか?」。「官僚たちの考えは別です」と坂口。福田が重ねて聞いた。「大臣の考えと、官僚の考えと、どちらが厚労省の意見ですか?」。坂口は毅然として言い放った。「私が厚生労働大臣です。私の考えが厚労省の意見です」

首相の小泉が原告団に面談したのは夕刻。その直後、政府は見解を発表した。「控訴せず」と。

後日、財務相の塩川正十郎は、坂口に語った。「あの朝刊の1面記事は、首相には、ものすごいパンチだったよ」

「控訴せず」の政府決定を受けて6月1日、坂口は改めて原告団代表に会い、正式謝罪した。その後、坂口と厚労副大臣の桝屋敬悟(公明党)らは手分けして全療養所施設を訪問し謝罪した。

後に、坂口は語った。

「政治家は、自分を犠牲にする覚悟があって初めてできる職業。好きでやっている人がいるとすれば、それは政治屋である。そして、私は政治家である前に、一人の人間であり、医師である」

全面解決への流れ

【2001年】
5月11日 熊本地裁で国の敗訴判決
5月14日 坂口厚労相が原告団と面会し謝罪表明
5月17日 神崎代表ら、控訴断念を政府に申し入れ
5月23日 毎日新聞朝刊「坂口厚労相が辞意」と報道。夕刻、小泉首相が原告団と面会。直後に政府として控訴しないと発表
6月1日 坂口厚労相、省内で原告団代表に正式謝罪
6月7、8日 衆参両院の本会議で、ハンセン病問題に関する国会決議を全会一致で採択
6月15日 ハンセン病補償法が成立
7月23日 原告と国側が和解に関する基本合意書に調印
【2002年】
1月30日
非入所者・遺族との和解が成立、ハンセン病問題の司法上の全面解決

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Posted by info_matsusaka at 21:58

2007年02月26日

ピック病? 

若年認知症「ピック病」で万引き 厚労省が調査(朝日新聞)

公務員らが、僅かな金額の商品を万引きし、その結果、公職を追われる。
最近このような事件が増えている。

ピック病」症状の一つが万引き。
脳の前頭葉の萎縮(いしゅく)で感情の抑制を失って事件を起こしてしまう。
また、犯行時の記憶がないのが特徴。しかし、正確に病気を診断できる医療機関は少ない。
専門医は「まじめに仕事をしていた働き盛りの人が万引きをして『なぜ』ということがあれば、ぜひ専門の医療機関を受診してほしい」と話している。

脳の前頭葉と側頭葉の血流低下と萎縮で起きる認知症は「前頭側頭型」といわれ、うち8割が「ピック病」とされる。

アルツハイマー病のような記憶障害が、初期はあまりみられないものの、時に、周囲の状況を気遣わない行動や万引きが症状として出る人もいる。ただ、本人は善悪の判断がつかず、厚労省の若年認知症の研究班メンバーによると、欧米でも万引きなどの軽犯罪がピック病の症状の一つとして報告されているという。

中村さんという方は、昨年2月、自宅近くのスーパーマーケットでチョコレートとカップめんなど計7点(計3300円相当)を盗んだとして逮捕された。
しかし、釈放後、話のつじつまが合わないなど家族が「おかしい」と気づき、大学病院を受診。「認知症の疑い」の診断が出た。このため、4月末、市の公平委員会に処分取り消しを求める不服申し立てをした。

昨年末には、別の病院で脳の血流検査を受け、前頭葉と両側の側頭葉に明らかな血流低下がみられたため、「ピック病」の可能性が高いとされた。前頭葉の機能を調べる心理検査の結果なども合わせ、宮永医師がピック病の「軽度と中等度の間」で、発症は「04年1月以前と考えられる」と診断した。

このほかに、会計事務所に勤める東京都内の50歳代の男性も、近所の文具店でボールペンや消しゴムなどを万引きする症状が出た。ひと月もしないうちに、同じものを盗んだ。しかし、本人に盗んだ意識はなく、外出時に家族が付き添ってトラブルを防いでいる。

また、奈良県内の50歳代の放射線技師の男性は「仕事が難しい」と勤務先の病院を休職した。散歩帰りに近所の家の畑から、野菜を毎日のように持ち帰るようになり、苦情が来た。入院先でピック病と分かり、職場を辞めている。

万引き後に、ピック病と診断される人は少なくないといわれる。
病気が原因でやった行為なのに、社会的な名誉を失い、その後の人生が大きく変わってしまうのは非常に残念なことです。

認知症なんでもサイト

ピック病(初期〜中期)のチェックリスト
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Posted by info_matsusaka at 23:16

2007年02月25日

第12回武四郎祭り

武四郎祭り1武四郎祭り2武四郎祭り3









本日午前10から小野江町にある「松浦武四郎記念館」にて、第12回武四郎祭りが開催されました。

これには北海道から白糖アイヌ文化保存会(北海道白糠町)の皆さんが友情参加され、アイヌ古式舞踊を午前と午後2回にわたり熱演頂きました。
画像はフンペ リムセ(鯨の歌舞)です。
館内では特別公開「北海道人樹下午睡図」も展示されていました。
また、地元小学校生による松浦武四郎の研究発表も行われました。みなさんきびきびと素晴らしい発表会をおこなってくれました。

武四郎祭り 盲導犬松阪市のユニバーサルデザイン夢現も特別参加されていました。

   松浦武四郎記念館 場所
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Posted by info_matsusaka at 20:42

2007年02月24日

的外れな共産党の「増税戦犯」のデマ

公明新聞:2007年2月23日付

 日本共産党がビラなどで、公明党に「増税戦犯」との的外れなレッテルを張ろうと躍起になっている。定率減税の廃止は公明党が言い出したから“戦犯”だとでも言いたいらしいが、その共産党は、定率減税を導入した「減税法案」に反対票を投じたことを忘れてはならない。

 景気対策を目的とした定率減税法案は1999年3月に自民、自由(当時)両党と当時野党だった公明党の賛成で成立した。その結果、同年から所得税額の20%、個人住民税額の15%が減税された。しかし、共産党は、前年の98年に行われた特別減税に比べて「定率減税ではサラリーマンの7〜8割は増税になる」などと批判。最後まで定率減税法案に大反対したのだ。

 それに対して公明党は、定率減税が見送られれば、結果として国民により多大な負担増をもたらすと判断し、定率減税法案に賛成した。当時、公明党は参院でキャスチングボート(政策の決定権)を握っており、公明党が反対すれば定率減税は見送られる。経済状況が極めて厳しい中で、公明党の「英断」がなければ定率減税は実現しなかった、と言っても過言ではない。

 それを共産党は、定率減税に反対した事実をひた隠しにし、自ら反対した定率減税をあたかも“錦の御旗”として、減税実現の“立役者”である公明党を批判しているのだ。「増税戦犯」批判は共産党が意図的につくり出した笑止千万のデマであり、同党に公明党を批判する資格などどこにもないのだ。

 一方、公明党が2003年の衆院選マニフェスト(政策綱領)で「定率減税の見直し」を掲げたのは、周知のように、定率減税廃止に伴う税源を年金財源に生かすためだった。

 当時、共産党を含む全党一致で決めた基礎年金国庫負担割合の3分の1から2分の1への引き上げについて、その2・7兆円もの毎年度必要となる財源をどう手当てするかが問われていた。

 しかし、自民党は最後まで明確な財源に踏み込まず、民主、共産両党は「公共事業の削減」などと十年一日のごとく非現実的で無責任な財源論に逃げ込んだ。

 これに対して公明党は、既に政府内で「景気の動向次第で定率減税は廃止」と言われていた事態を重視。定率減税の打ち切りを座して待つのではなく、基礎年金財源に活用すれば、年金負担の軽減につながり、国民に還元されるとの結論に至ったことも、周知の事実である。

 このように、定率減税をただ廃止するのではなく国民に還元する道筋を付けた公明党を「増税戦犯」呼ばわりするとはお門違いも甚だしい。難クセもいいところだ。共産党の公明党批判は、同党の変わらぬデマ体質をむき出しにしたものだと指摘しておこう。

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Posted by info_matsusaka at 10:58

公明党実績物語  アレルギー対策の強化

“国民病”と言われるアレルギー性疾患の本格的な治療体制の確立へ、一婦人の声を万波と広げて対策を実現した闘いがあった。今回は「アレルギー対策の強化」についてのドラマである。 【敬称略、肩書は当時】


アレルギー対策の強化
一婦人の“声”受け止めて
治療体制確立へ矢継ぎ早の手だて

「息子さんは、輪ゴムの束を15分間も握り続けたら死んでしまう」――8年の闘病の後、ようやく判明した診断結果は、ゴムアレルギーだった。

アレルギー対策の署名運動横浜市在住の主婦・園部まり子さんの二男は、生後2カ月でアトピー性皮膚炎を発症した。食物アレルギー、ぜんそく、鼻炎・結膜炎と、症状は年々複合化し、重症化。診療所を転々と変えたが「医師が変われば診断も変わる」。医療不信は募るばかりだった。

まぶたの内側もアトピーでごわごわに荒れ、掻くたびに瞳を傷つける。「このままでは失明する」と必死で探した眼科医が、幸運にも、神奈川県内に3人だけという眼アレルギー専門医だった。

原因物質が判明し、治療を始めると、炎症は劇的に改善していった。

「原因が分からない、というのは恐ろしいこと。同じ悩みを抱える人たちに発信しなければ」。園部さんは1999年8月、「アレルギーを考える母の会」を結成、行政にかけ合った。だが、けんもほろろの対応だった。

「公明党なら受け止めてくれるかもしれない」――園部さんはアレルギー対策に積極的な公明党に望みをかけ、地元選出の衆院議員・上田勇の事務所のドアをたたいた。

少ない専門医、不足する医療情報、のしかかる治療費・・・・・・。8年間の思いが、堰を切って溢れ出た。上田は言った。「本腰で取り組みます」

上田は即刻、党代表代行の浜四津敏子と連携、党内にプロジェクトチームが設置された。上田は政府に質問主意書を提出し、「アレルギーの病態解明と治療法の確立を」と強く要請。翌2000年1月からは、浜四津を先頭に議員・党員一体でアレルギー対策の強化を求める署名運動がスタート。4月、森喜朗首相のもとに1464万人もの署名が届けられた。

この草の根の“声”が大きな追い風となり、関係予算が飛躍的に拡大。「臨床研究センター」や基礎研究の拠点「免疫・アレルギー科学総合研究センター」の開設など、対策が次々と結実していった。

BSE(牛海綿状脳症)問題を機に動物由来の薬品の安全規制が強化され、製薬会社が02年3月末で主要なアレルギー診断薬の製造を断念せざるを得なくなった時も、動いたのは公明党だった。

長く免疫研究に従事してきた衆院議員・江田康幸が「診断薬なしに正しいアレルギー治療はあり得ない!」と、厚労省、日本アレルギー学会、薬品メーカーの3者協議をセットし、新たな安全性の確保策を確認。医療現場で品切れ寸前となった8月末に、診断薬の供給再開を実現に導いた。

「ぎりぎり間に合った」。関係者は一様に胸をなで下ろした。

「一婦人の訴えにも矢継ぎ早に手を打ってくれた。関係者の間では、今や『アレルギー対策なら公明党』が定評」。園部さんは言明する。

公明党の推進で実現した主な対策

2000年10月 治療法確立の拠点となる「臨床研究センター」開設
2001年4月 加工食品に含まれるアレルギー原因物質の表示
2002年8月 アレルギー診断薬の供給再開
2004年4月 免疫疾患の原因解明など基礎研究を行う「免疫・アレルギー科学総合研究センター」開設
2005年3月 食物アレルギー患者等の急性ショック症状の緩和に有効な自己注射薬「エピペン」承認
2006年4月 9歳未満児の「食物アレルギー負荷検査」への保険適用
アレルギー情報の提供・相談体制も整備

厚労省の「リウマチ・アレルギー情報」
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Posted by info_matsusaka at 00:59

公明党実績物語  元参院議員の常松克安氏

救急医療の現場で起こる「悲劇」を一つでも減らそうと体当たりで奮闘した議員がいた。今回は「救急救命士の創設」についてのドラマである。【敬称略、肩書は当時】

救急救命士の創設
救えるはずの命を救え
国民の「切なる願い」を制度化

その瞬間、看護師が大声を上げて部屋に飛び込んできた。

「先生、急患です! 1.2歳(1歳2カ月)。男児。DOA(心肺停止状態)!」

1989年10月18日。救急医療の実情を聞くため、東京都文京区の日本医科大学救命救急センターを訪れた公明党参院議員の常松克安が、担当医の助教授・山本保博と挨拶を交わした直後だった。

救急隊員に抱かれた男児は既に呼吸が止まり、顔色も土気色に変わっていた。常松は山本の袖にすがりつく1人の婦人を目にした。「この子を、この子を助けて!」。男児を背負って自転車に乗っていた時、交通事故に遭った祖母だった。

幸い、男児は一命を取り留めた。だが、既に欧米では行われている搬送中のパラメディック(高度な応急処置)を許されていない救急隊員は、ただ一刻を争って病院へと急ぐしかなかった。こうした最中に尊い命が失われる悲劇はあまりに多かった。

この時、常松は固く心に誓った。「救急医療に命をかけよう」と。

常松克安氏常松の闘いが始まった。救急医療の実態を探れば探るほど、いの一番に“現場”に駆けつける救急隊員の処置に『命の分かれ目』があることを知らされた。

男児の事故翌月の参院決算員会。常松は、救急隊員にパラメディックを認める制度の導入を迫った。だが、医師法の壁は厚く、思うような答弁は返ってこなかった。「絶対に諦めないぞ」。常松は現場の救急隊員の声を聞くため、救急医療に力を入れている全国29カ所の消防署を短期間で回った。救急隊員の全国大会へも足を運んだ。

そんな常松を「歩く救急車」と揶揄する議員もいた。常松は微動だにしなかった。

そして迎えた90年5月28日の参院予算員会。常松は除細動器、気道確保器など救急医療器具を持ち込み、パラメディック制の導入を再び迫った。

「搬送中、止まった心臓に電気ショックを与えれば、30%は救命率があるとの医学的な報告書がある。助かる命が助からないのは人命軽視にほかならない!」。常松の気迫に、ついに自治相は「パラメディック導入は緊急の課題として必要であろう」と認めた。

救急救命士の誕生に道が開けた瞬間だった。

91年4月、「救急救命士法」が成立。翌92年4月には国家試験が実施され、3177人の救急救命士が誕生した。

医師の指導の下に認められたパラメディックは当初、除細動器の使用、器具を使った気道確保、静脈路確保などだったが、3回の法改正で、薬剤(アドレナリン)の投与も可能になった。

06年4月現在、全国の救急隊の82%にあたる3939の救急隊に1万6468人の救急救命士が配置。日々、彼らによって、多くの尊い人命が救われている。 (公明新聞より)


常松克安氏は大阪のご出身。現在、松阪市内に住まわれている。
執念の人・常松氏の足元にも及ばねども、偉大な先輩議員に1mmでも近づけと、自身を鼓舞しながら頑張って行く決意です。

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Posted by info_matsusaka at 00:38

インターネット人権相談受付窓口

いじめ許さない社会に (公明党)

22日より、法務省HPからメールによるいじめ相談窓口が開設されました。

相談には法務局職員や人権擁護委員が対応する。
メールでの回答のほか、内容によっては手紙や面談を通じて相談に乗り問題の解決を目指す。
ネット世代の子どもたちにとって、電話より気軽に利用できるはずである。

インターネット人権相談受付窓口 (法務省)

大人用子ども用

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Posted by info_matsusaka at 00:29

2007年02月23日

気腫疽菌」による世界初の人感染死

牛の病気・「気腫疽菌」による世界初の人感染死が発生しました。 (読売新聞)

船橋市立医療センターは22日、同県内の50歳代の男性が、牛の病気の原因とされる「気腫疽菌(きしゅそきん)」に感染し、死亡したと発表。

気腫疽菌は破傷風菌の仲間で、通常は土の中などに存在する。
人への感染が報告されたのは世界初という。

同センターによると、気腫疽菌は、傷口などから動物の体内に入り、筋肉が壊死する「気腫疽」を発症させる。若い牛や羊に発症例が多く、致死率は非常に高いとされる。

昨年2月、高熱と胸の打撲傷で、同センターに搬送された。男性は搬送時、既に心肺停止状態で、すぐに死亡。のどの炎症を起こし、体全体が膨れ上がり、特に肺の膨張が著しかったため、男性の肺の組織を調べると、気腫疽菌が検出され、肺の筋肉が壊死していたという。

同センターは、「気腫疽菌は人には感染しないというのがこれまでの『常識』だった。
くわしい感染経路を調べることが今後の課題」としている。


気腫疽(きしゅそーBlackleg)
土壌病の一種で、土壌に含まれる本菌の芽胞が創傷部及び消化管に侵入することにより発症する。
致死率が非常に高い病気とされ、主に反芻獣に感染し、感染すると突然の高熱、元気消失、反芻停止を示す。また、多肉部及び四肢に腫瘤形成する。症状が悪化すると呼吸困難、頻脈となり1〜2日で死亡する。
本病は6ヶ月齢から3歳のの若い牛に発症例が目立ち、春から秋にかけての発生が多い。


破傷風と同じ経路で感染するが、これまでは人感染は認められてなく世界で始めての感染例である。
地球環境の変異か。
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Posted by info_matsusaka at 21:04

松阪〜一志線の主要地方道が供用開始予定

県道松阪一志線主要地方道松阪一志線地方特定道路整備事業

供用場所  三重県松阪市嬉野天花寺町から嬉野宮古町地内

当工区の現道は、幅員が狭小で線形不良な上、JR久居街道踏切もあることから、安全が確保されていませんでしたが、バイパス整備を行うことにより、当地域の道路ネットワークが形成され、安全で円滑な交通が確保されます。

延長:740m 
幅員:車道幅員 W=6.0m  
歩道幅員 W=2.0m(両側)
全 幅 員 W=12.0m

供用開始日  平成19年3月1日(木)11:00から

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Posted by info_matsusaka at 01:22

2007年02月22日

全国初 赤ちゃんのポストが出来そうだ

熊本市の「赤ちゃんポスト」同省が容認 (読売新聞より)

熊本市の慈恵病院が、親が養育できない新生児を預かる国内初の「赤ちゃんポスト」の設置を同市に申請しているが、厚生労働省は設置を認める考えを示した。

ただ同省は今後、同様の施設を設置する動きが出たとしても、「一律に容認する訳ではない」との方針。

乳児がただちに適切な看護を受けられ、生命や身体が危険にさらされることのない環境かどうかを個別に検証し、児童虐待防止法などに抵触しないかどうかを判断するとしている。

同省は22日の記者会見で、同病院の申請した赤ちゃんポストが「医療法や児童福祉法に違反しているということは言えない」と述べ、「申請を認めないという合理的理由はない」と容認する考えを明らかにした。

ただ、「安全に十分に配慮して『ポスト』を設置すると聞いている」として、新生児の安全が前提となるとの考えを強調した。

また同省は市側に対し、「安全な病院内で直ちに適切な看護が受けられるなら、虐待に当たるとは言い切れない」と説明。赤ちゃんをポストに委ねることが保護責任者遺棄罪にあたるかどうかについては、「ケースバイケースで判断され、直ちに罪に抵触するとは思われない」と。
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因みに「赤ちゃんポスト」とは、病院の窓を外部から開けられるようにした箱型の「ポスト」を設置。内部は保育器と同じ状態に保たれ、新生児が入れられるとナースステーションで警報が鳴る仕組み。ドイツでは既に実現されている。

同病院は「あくまでも緊急措置で、捨ててもらうのが目的ではない。新生児の産み捨てや、不幸な中絶を少しでも減らしたい」と説明している。

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Posted by info_matsusaka at 23:29

2006年度の出生率 1.3台に回復

前年より3.2万出生増 (朝日新聞)

2006年国中に国内で生まれた子どもの数は、外国人も含め112万2278人。

これは前年より3万2041人増加、1人の女性が一生に産む子どもの数を示す合計特殊出生率は、過去最低だった2005年の1.26から2006年は1.3台に回復する見通しとなった。

21日、厚生労働省が発表した人口動態統計の速報で明らかになった。日本で生まれた日本人の数も死亡者数を8000人程度上回る見込み。

日本で生まれた日本人の子どもの数は109万3000〜109万5000人程度。
前年の約3%増になる見通し。


厚労省が挙げる要因は雇用の回復。2005年6月以降、男性の雇用者数は一貫して増え、正社員数も2006年1月から増えている。
20代の女性の結婚する割合も増えており、「若い世代の生活が安定しつつあることが、結婚や出産の増加に影響を与えている」としている。

公明党が推進する、少子化対策が功を奏しているのか。
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Posted by info_matsusaka at 02:05

2007年02月21日

議会運営委員会開催

本日午前、平成19年度当初予算を含む3月定例議会の運営委員会が開催された。

午後から会派による打ち合わせ。

    定例会日程

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Posted by info_matsusaka at 23:00

2007年02月20日

ホームページ「松阪観光」のトップページ

松阪路









松阪市HPホームページ「松阪観光」のトップページが新しくなりました。

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Posted by info_matsusaka at 23:00

公明党 最近の実績

最近の実績から

児童手当
来年度から0―2歳は月額1万円に


来年度から、0〜2歳の第1、2子の児童手当支給額が月額1万円(現行5000円)に倍増されます。児童手当は1972年の創設段階から公明党が推進。特に99年10月の連立政権参加以降、支給対象を「小学6年修了前まで」に引き上げる(2006年度から)など今回の乳幼児加算で5度目の制度拡充を実現。

対象人数も、この7年で5.4倍の1310万人に拡大しています。

放課後の安心
空き教室を活用し文化活動など実施


安全な子どもの居場所づくりとして、公明党の推進で2004年度に始まった「地域子ども教室」は約8300カ所で実施(2月現在)。放課後や週末、小・中学生を対象に、地域住民らが空き教室などで文化活動などを指導します。

共働き家庭などの児童(おおむね10歳未満)が対象の「放課後児童クラブ」も全国約1万5800カ所(昨年5月現在)で行われました。

いじめ防止
スクールカウンセラーを全国に配置


臨床心理士や児童心理学の専門家が、不登校など子どもの悩みや相談を受ける「スクールカウンセラー」は、公明党の提案で1995年度に導入、全国の約7割の公立中学校に配置されました(2005年度)。

また、今月(2月)から来月(3月)にかけ小5〜中2の全児童・生徒を対象に緊急面談を行い、いじめの発見などを急ぎます。年中無休の24時間いじめ相談ダイヤルも今月(2月)スタートしました。

乳幼児医療費
窓口負担軽減の対象を就学前まで拡大


公明党が推進してきた乳幼児医療費の助成制度は、全国の自治体で年々充実され、大好評です。2002年の医療制度改革で、3歳未満児の窓口での患者負担が3割から2割に引き下げられたことで、自治体独自の乳幼児医療費無料化や所得制限撤廃の動きも活発化しています。

さらに来年4月から、窓口負担軽減の対象年齢が、おおむね6歳以下の小学校入学前までに拡大します。

保育サービス
待機児童が初の2万人割れ、解消進む


保育所の待機児童が昨年(2006年)4月、2001年以降で初めて2万人を割りました。公明党が推進した保育所の「待機児童ゼロ作戦」(02年度から3年間)と、その後の継続的な取り組みが成果を挙げたものです。同ゼロ作戦で受け入れ児童数は15.6万人も拡大されました。

多様な保育サービスの提供では、延長保育や専業主婦のための一時保育なども充実しました。

文化芸術の振興
国立美術館・博物館の観覧が無料に


「文化芸術立国・日本」をめざす公明党の強力な推進で文化芸術振興基本法が01年11月に成立しました。

これにより、国の振興施策や自治体の取り組みが強化。現在、すべての国立美術館・博物館の常設展を観覧する際の小・中学生料金が無料になるなど、子どもたちが本物の芸術に触れる機会が拡大。若手・新進芸術家の育成や文化芸術団体への支援なども急速に進んでいます。

PCB
全国の学校で照明器具の交換が終了


有毒の化学物質であるPCB(ポリ塩化ビフェニール)。1972年に製造中止されましたが、一部の学校で使用が続いていました。そして、2000年に小学校で蛍光灯安定器が破損し、PCBが児童の頭や衣服に付着する事故が続発しました。

このため公明党が政府、自治体を動かし、02年に全国の学校(幼稚園から大学まで)で、PCB使用照明器具の交換が、ほぼ終了しました。

子ども読書
推進法を実現、読み聞かせも広がる


授業が始まる前の10分間、自分の好きな本を読むだけで、大きな教育効果を生む朝の読書運動。公明党は2001年12月に「子ども読書活動推進法」を実現させ、運動を強力に推進。今や実施校は2万4000校(2月現在)を超えています。

乳幼児健診などで絵本などを贈呈するブックスタートの実施自治体は597(昨年=2006年=12月現在)に。読み聞かせも広がっています。

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Posted by info_matsusaka at 21:15

「青い目の人形」展示会  長崎歴史文化博物館

グレース君昭和2年、米宣教師の呼び掛けで日本各地に贈られた「青い目の人形」165体が集められ、4月7日から長崎市の長崎歴史文化博物館で展示される。
                                         (読売新聞)

戦前、戦中と激動の時代をくぐり抜けた平和の使者の“青い目の人形たち”が再開する。

親日家の米宣教師シドニー・L・ギューリックさんが、緊張する日米関係を憂慮し、友情のシンボルにしようと米国内で募金を提唱したのがきっかけとなり、1万2739体が作られ、日本の学校や幼稚園などに贈られた。

大半は戦時中、「敵国の人形」として焼かれた。しかし、一部が学校の屋根裏や戸棚などに隠され、324体が現存している。

展示されるのは、このほぼ半数で、人形の企画展としては過去最大規模という。同博物館が「80年の節目に、国際交流を考えるきっかけにしたい」と、全国の小学校などに協力を呼び掛けて実現した。

群馬県沼田市立利根東小の「メリー」は、戦時中に教頭を務めた金子武男さんが保管し、1973年にテレビで紹介され、「青い目の人形」を世に広めるきっかけとなった。金子さんの長女、荒木ミツさん(79)(前橋市)は「父も『自分がやったことは良かった』と喜ぶだろう」と語る。

このほか、北海道当別町立弁華別(べんけべつ)小の戸棚に隠され、73年に見つかった「エリザベス・アン」。
女性教師宅の蔵に保管されていた三重県松阪市立豊地小の「グレース」(画像)などが展示される。


三重県松阪市立豊地小学校「グレース」詳細

GENUINE社製の「MADAME HENDREN DOLL 216」という人形。
「グレースちゃん」という名前が伝わっている。

当時の校長が「可愛らしい人形を焼却できない」と、女性教師に保管を頼みました。女性教師は、義母と相談をして蔵に隠し、子どもたちには焼却したと報告したそうです。1977年に、その方から学校にもどされるまで人形は蔵の中で年月を過ごしていました。服装などはすべて当時のままです。


1927年にアメリカのシドニー・ルイス・ギューリック氏の呼びかけで送られた「友情の人形は」12739体で、そのうち194体が三重県に贈られた。


青い目の人形通信

      日本に残る友情人形たち
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Posted by info_matsusaka at 00:39