破滅的な性格ほど怖いものはない

  • author: inmymemory
  • 2011年05月08日

嘗てルイス・ブニュエル監督の「忘れられた人々」を映画館で観たとき、
あまりに救いのないエンディングに暫く席を立てなかった。

しかし、あのような理不尽極まりないストーリーは、ある意味、残酷な現実を映し出しており、
腑に落ちるものがある。

しかし、スチュアート・ローゼンバーグ監督の「暴力脱獄」の奇妙さはなんであろう。
ルークの振る舞いはいずれも奇っ怪で、魅力的にも思えるが、
そのあまりの無鉄砲さに、恐怖を覚えた。

太宰自身を描いたと思える根岸吉太郎監督「ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜」はどうだろう。
大谷が自殺を図るあたりの奇妙さがなんとも怖い。
更にその大谷に献身的な佐知も怖い。

三谷幸喜作・演出の舞台「ろくでなし啄木」も同様だ。
啄木が姿を消したのは、周囲の優しさのせいだということは、
憎悪されて生きる道を歩むことで、愛されることから逃れようとしたというのか。
ここでは登場人物の3人ともに怖かった(脚本自体は楽しめたが)。

27歳で夭逝した啄木に対し、33歳で早世した天才詩人ジョン・ウィルモットもまた、
酒と女に溺れ、その生涯は退廃そのものだ。
ローレンス・ダンモア監督の「リバティーン」では、その一部分を窺い知ることができる。


人間の最も根源となる感情は、不安である。
不安と感じるときはその対象が定まっていない。

上記の作品に登場する彼らの破滅的な心理・思考パターンは、
恐らくは、その不安からくるものなのだろう。
常に生きることへの不安をそこはかとなく感じており、
その不安から逃れようと、酒や女に溺れる。

破滅的な生活を続ければ、借金や病気、犯罪に巻き込まれ、
このままではいつ死んでもおかしくないという死への恐怖が生じる。

しかし、その恐怖は、不安を消滅してくれる。
死という対象があるからだ。


実際、彼らは夭折するのだが、不安に襲われる日々よりは、
寧ろ死を望んでいたのであろう。


一方、その破滅的な振る舞いを受ける周囲の者は、
その彼らの行為そのものに恐怖を覚えるだろう。

僕はといえば、そのような得体の知れない他人と関わる事がなにより怖い。
ひとりの世界でいられるときにだけ、その恐怖から解放される。

では何故、その解放される時間に、
あえて退廃を美徳とする得体の知れない人物の本や映画を好んで見るのだろうか。

それは、非現実世界で恐怖を感じることで、より、現実の恐怖から逃れようと
しているからなのかもしれない。
かれらが酒や女に溺れていくように…。


さて、久しぶりに退廃文学の傑作、芥川龍之介「歯車」でも読み直そうか。

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