いのちの授業 鈴木中人

「いのちの授業」の出逢いや思いを綴ります。公式サイトhttps://inochi-baton.com/

2012年06月

 書き続けてきたこと、自分の歩みを感じるものです。

 いのちをバトンタッチする会の会報を年4回作成。この7月号が30号です。もう30号かと、第1号からの会報をパラパラとめくりました。そのときの文章に、写真に、出来事にふと感じます。

 「肩に力を入れて書いている」「みんな若い」「ここにも伺った」「こんなこともあった」「あの人とはここからのご縁だ」「この方は、どうされているだろうか」と…。

 でも一番変わったのは私の思いです。活動を始めたころ、「生きたくても生きられない人がいる。もっと一生懸命に生きてほしい」。今は、「いのちをみつめて、本当に大切なこととは何かを問いかけて、幸せになってほしい」と願っています。少し歳を重ねたからでしょうか? 

 そして、「第100号にはあと17年、71歳かぁ…」と一人でふと苦笑い。とにかく今日を大切に一歩一歩参りましょう! そんな会報をUPしていますので、ご笑覧いただければ幸いです。

 テレビに映る”自分”。いろいろな眼差しで観てしまいます…。

 テレビ寺子屋に出演させていただきました。各界の講師が、生き方・子育てなどを語る36年続く長寿番組です。今、フジテレビ系列で全国放送中(6月から11月)。制作局のテレビ静岡さんから、録画DVDと放送日程表が届きました。録画をみながら感じます。

 「自分の思いを伝えられただろうか?」。今回のテーマは、「大切な人を送るとき」「幸せとは何かを思うとき」の各25分。みんな、大切な人を必ずおくります。そのいのち・死に、どう寄り添うか・意味づけるか。心揺らぐ時代にこそ、普通の生活の中に幸せがある。そんなことを、東日本大震災から1年を機にみつめてほしいと願いました。

 「講師としての立ち振る舞い、話し方はできているか?」。自分の講師姿をついチェック。マイクが近すぎて声がこもる?、早口?、体をソワソワさせている? 挨拶はできているか…。反省ばかりです。実は、来週、「話し方セミナー」に参加して勉強させていただきます。

 自分のメッセージを語る場をいただけること、本当にありがたいです。小さな思いですが、少し早起きしてご笑覧いただければ幸いです。

 ■各局の放送日は添付の通り。東海・長野・新広島・富山:7/1〜、フジ・福井・仙台・とちぎ:7/8〜、関西・秋田:8/12〜など。

CCF20120626_00000

 消えていくもの、心残るもの…。しみじみと実感です。

 名古屋にある「みその亭」、今月末で閉店です。古くは、プロ野球の巨人軍が定宿とし、川上監督や王選手が使用した当時のままに料理店として営業。若女将の與語淑子さんが経営。與語さんは2年前にがんで亡くなられました。最後までお店に立たれて…。みその亭と與語さんを思い、お別れ会を開催。

 與語さんの思い出がいっぱいです。「鈴木さんの大会チラシ、お店におかせてもらいます」といつもカウンター横に。「もう立っておられません。すいませんが座って話をさせてもらいます」と亡くなる1か月ほど前に講演をいただきました。

 「余命宣告を受けています。でも、人はいつ死ぬかなんてわかりません。だから私は、今日を、今を、笑って一生懸命に生きることにしています」。私の心に刻まれた言葉です。

 形あるものは消えていく。でも「人の思い」は、ずっとバトンタッチされていく。そんな思い出の場で、「いのちのバトンタッチ」を感じました…。

CIMG4620

 「生身の自分」にありのままに向き合う、その大切を改めて思います。

 西田文郎先生の名古屋西田塾にゲスト講師として伺いました。脳科学をベースに、経営者としての「人間力」を育むものです。たくさんの経営者を輩出。今回で10期目。2期目から毎回お声をいただきます。

 西田先生のメッセージには、生身の人間がこの世の中を生きる・働くための「ど本質」が凝縮されています。人間の性、業、煩悩などを見据えての「実践学」。自分のギラギラ・モンモンとする本質を、つい美しい言葉や仮面で取り繕ってしまう私には、いつもドキンと心を射抜かれます。

 そして、経営を志す塾生に語ります。「いのちをみつめなさい。限りある命をどう使うか、支えられている自分に感謝する、本当に大切なこととは何か。社会的成功と人間的成功をなす、それが真の経営者です」と。

 セミナー後、参加者全員で記念写真。みんないい顔です。化粧を重ねることよりも、「生身の自分」にありのままに向き合う、その大切を改めて思います。まさに「心のパワースポット」。心にビビッときています!

CIMG4617

 「ことづくり」プランナー。人の思いを社会の灯にしていく、そんな「志事」をされる人がいます。

 中馬幸子さん。出版社を退社して中馬企画を立ち上げる。「ことづくり」をテーマに、出版・イベント・講演などをプロデュース。高野登さん、長谷川和廣さん、上田比呂志さんなど数々のベストセラー本も手がける。「私の育ての母親です」と高野登さんが言われるなど、自称「中馬組」として心ある方々が集っています。そんな中馬さんとご縁をいただきました。

 「ことづくり」の思いに大共感です。

 「誰にも知られることなく、コツコツと自分の夢を紡いでいる人がいます。何かを究めようとする、ぶれない心。いくつもの山を超えて、夢が現実へと形を変えていく…。名を知られたものよりも、過小評価を受けている小さな石のような存在に、私は限りない魅力を感じます。
 そこに、私は自分自身を見ているのかもしれません。これからの私の旅は、そんな彼らと夢を共有すること、あるいは一緒に考えながら生き抜いていきたいと思います」。
結果を求める、大きなものについ心流される時代において、「小さな石を社会の灯にする」、できることではありません。


 お人柄にすっかり魅了されました。

 会社を辞めて「ことづくり」をはじめる、そこには「食べていく」現実があります。仕事が無く貯金が減っていく、でも「小さな石を輝かせる」ことを続けます。
 そんな「純な姿」を支える人が集います。ある高名な講師からのメールが届きます、「私の講演会を企画してください。講師料は一杯のコーヒーとケーキですよ」と。パソコンの前で号泣されたそうです。また、人と会うときには、約束の1時間前に来て場所などを確認するとのこと、今も続けてみえます。
 人の思いを紡ぐために、何よりもまず自分自身に「輝」「信用」「魅力」があることの大事さを教えていただきました。

 一瞬にして時が過ぎました。心もお腹もいっぱいです。中馬さんのセミナーでお話しさせていただく場をいただきます。「ことづくり」に参加できることに大感謝。またお会いできることが、今から本当に本当に楽しみです!

 「今の時代だからこそ、いのちをみつめる」。その意味を改めて思いました。

 NEC労働組合さんのセミナーに伺いました。今、日本の電機産業各社は、非常に厳しい経営環境にあります。数千億円の赤字、工場閉鎖、人員整理、賃金カット…。職場において、ひとり一人の社員の心の中で、「生きること、働くこと」が揺らぐことも自然なことです。

 執行委員長さんが言われます、「みんな、本当にまじめで一生懸命です。でも閉塞感の中で希望を感じられなくなっています。スキルやテクニックではなく、『心』をみつめることをしなければ…。いのちをキーワードに、みんなが一人ひとり感じてくれたと思います」と。

 心揺らぐ時代を拓くには、自分の心に問いかけて、自分で心を定めていくしかありません。会社とは、生きる・働くとは、今している仕事の意味とは、本当に大切なこととは…。直ぐに答えはでません。思い悩みながらも、それを問い続けることで「心の根っこ」が育まれる、そう思うのです。

 心揺らぐ時代は、大変な時代です。でも本当に大切なもの(本物)だけが輝く「いい時代」ともいえるのではないでしょうか。小さな思いですが、「自分の心に問いかける」輪が、職場に広がっていくことを願っています。心揺れる時代だからこそ…。

CIMG4593

 思いが集う。そんな「場」を大切にと思います。

 今日は、小児がんを支える「がんの子どもを守る会」の総会です。小児がん支援の全国組織で、1968年に創立です。私は、1992年に加入して以来、もう20年が経ちます。毎回、いろんな思いで伺ってきました。

 発病時は「何か助ける手はないか」。余命宣告時は「どうすれば…」。亡くした後は「この悲嘆がいつまで続くのか」。小児がんの支援に携わる中では「何かできないか」と。今は、「子どもの死を意味あるものに」「自分の体験が何かのお役にたてれば」と、自然な思いです。

 いろいろな思いを背負い集う場がある。そこは、昔の、今の、そして未来の私と出逢える場です。そして、人が生きる、支えあう、歩むために大切な場と感じます。

 そんな「場」が、これからもずっと続くことを願っています。天国にいる、たくさんの子どもたちとともに…。

 「いのちの限り仕事をします」。大偉人の言霊は凄い…。

 版画家、棟方志功のドキュメンタリー映像を観ました。1903年、青森の鍛冶屋に生まれる。ねぶた絵に熱中する少年期、ゴッホの作品を見て、「わだばゴッホになる」と青森から上京。極度の近視で、作品に顔をすり寄せ、軍艦マーチを歌いながら版画を掘る姿は、まさに神が宿る。

 「もう片目が見えません。でもまだ片目があります。いのちの限り仕事をします」。1970年、文化勲章を受章したときの言葉です。

 「仕事をします」に、たくさんの思いを口にします。一生懸命に、頑張って、出来る限り、必死で…。でも「いのちの限り」、そこまでの境地に至りません。後年、ある人が言われました。「棟方はゴッホにはなれなかったが、世界の棟方になった」と。

 「いのちの限り仕事をしているか?」。そう問われると、言葉もありません。仕事は人生、まさに生き様。心にズッシリです。

 涙が止まりません…。小児病棟で闘病した学生さんからのお手紙に…。

「お話を聞いて、生きること、命の大切さを感じました。涙なしでは聞けないほどの悲しい、けれど心温まる講演会でした。景子ちゃんは、たくさんの人の心の中に、今も生き続けている、そんな気がします

 私も入院していた頃、5歳の男の子と17歳の女の子が小児がんで亡くしました。頭が真っ白になり、ぼう然としてしまったこと、今も覚えています。こんな悲しい経験を今だかつてしたことはありません。

 闘病中は、帽子をかぶり、マスクをして、がりがりにやせた私を、先生も友達も温かく受け入れて「普通」に接してくれました。治療が終わり学校に行くと、教室に飾りつけがしてあり、「おめでとう」と友達がパーティーをひらいてくれました。涙をこらええるのに必死でした。私はこの世で一番幸せ者だと思いました。

 難病を抱えながらも、普通の生活が送れて、毎日家族と過ごせる。それだけで私は幸せです。今、憧れていた看護師を目指しています。助けていただいたこの体で、今度は私が子ども達の役に立ちたいです。全力で病気の子どもたちを助けたい、そう思っています。

 家族には『ありがとう』という、一言では表せないほど感謝しています。私が病気だから姉はついがまんしてしまっていると思います。父母も姉妹平等にと一生懸命接してくれます。私はこの家族に生まれてきて本当に本当に嬉しいです。

 私はたくさんのハンデがあるにもかかわらず、友達は普通に接してくれる。本当に嬉しいです。家族に感謝、当たり前のことができることに感謝、お家にいられることに感謝、生きていることに感謝、いのちに感謝して、これからも生きて行こうと思います。
 

 追伸:ストラップ作りました。使ってもらえると嬉しいです」。

CIMG4589

 「素の自分」として思い語ること。そんな眼差しの大切さを感じます。

 愛知県のがん対策推進基本計画委員、名古屋陽子線治療センターの経営委員を新たにします。他にも高度医療機関の倫理委員や教育委員などもしています。外部委員会の設置が時代のニーズになっており、その委員は「専門家」「市民」の代表として選ばれます。専門家? 市民?とは、ふとそう思います。

 「専門家」。確かにその知識・体験は代えがたいもの。でも、専門家は「常に正しい」とは言えません。原発事故、薬害、検察不祥事…。「市民」。その実態は不確かです。社会の中に「市民さん」という人は一人もいません。政治家やメディアが語る「市民」には、時に「自己主張への誘導」を感じることも…。

 そんな「専門家と市民」が議論するときに感じます。「素の自分として思い語ること、それが原点」と。肩書や経歴は、ある人に向き合うときの大きな物差しです。でも、「共感、納得、信頼」は、その人の「素」、別の言い方をすれば「一人の人間としての眼差し」の方が大きいように思います。それは、人間観、社会観、時代観、思いやり、痛みを感じられる、謙虚さ…などでしょうか。

 私の「素」はどんな姿か? 肩書や経歴でその人をみていないか? 「…」。ただ大反省とお恥ずかしい限りです。どんなに化粧を取り繕っても、やっぱり「素」はごまかせませんね。今日も勉強させていただきます! 

↑このページのトップヘ