「いのちの“車いすダンス”」
(いのちびと2016年3月号より)

Tさんは、園児の頃、一年に四、五回入院を繰り返した。
長生きしてほしいと、母はモダンダンス教室に通わせた。
みんなと踊れる、走れる、汗を流せる、本当に嬉しく楽しかった。
その後、体育大学では創作舞踊部キャプテンも務め、大学で健康学を教えた。
結婚後、U君を出産し、明日への希望に満ちていた。

人生のまさかが襲った。
U君は足首が固く、フラフラとしか歩けなかった。
脳性マヒ。胸から下にマヒがあり、装具をつけての生活が始まった。

「どうしてこの子が…」
我が子を抱いているだけで涙が流れた。
勤務先の上司が「仕事、続けられる?」尋ねられると。「仕事は辞めません」と即答した。
家に閉じこもっては社会と関われない。この子のためにも社会とつながっていなければとの思いだった。

翌年、仕事も兼ねて障がい者スポーツの国際学会に参加した。
“いのちのダンス“に出逢った。
ドイツの青年が笑顔で華麗に踊っていた。その車いすは彼の足そのものに見えた。

「私は、目の前の子どもを拒んでいた。歩ける、走れる子にしたいと。
そうじゃない、この子の存在そのものを受け入れる。
この子が笑顔になれることをすればいいんだ」

車いすダンスの研修会に通い、大学のゼミ活動に取り入れた。
「子どもとみんなでダンスを踊りましょう」と、U君が通う障がい児施設のお母さんを誘った。
障がい児、家族、学生が車いすダンスをするサークル、さらに大人の車いすダンスサークルも立ち上げた。
後年、このサークルから世界大会出場者も生まれた。

U君は発育と共に歩行が難しくなっていた。
母からU君への声掛けは決まっていた。
「あなたはどうしたいの」「したいことを応援するから」
「ごめんね」「代わってあげられたら」とは一度も言わなかった。
「本人の力で生きていくしかない」、それは母の覚悟だった。
U君は、大学卒業後、吉本興業に入社、吉本初の車いす芸人になったのだ。
今、車いすで舞台に立ち、ファッションブランド雑誌の専属モデルとしても活躍している(当時)。
 
「Uの障がいに感謝です。人生を笑顔で楽しめるように、“車いすダンス”を学び、教え、寄り添います」
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