前を向いて、歩き続ける
(いのちびと2017年7月号より)

・・・・・・・・・・・・・・・・

Tさんは、実家が漏電で全焼した。
一人住まいのお母さんは、足を骨折して車いすで生活していた。
火を見た瞬間、「この足では初期消火は無理」と判断した。
「まわりにだけは迷惑を掛けたくない」と車いすで飛び出し、大声で「火事だ!」と叫んだ。
延焼もけが人もゼロ。
消防署員から、「最善の対応だった」と告げられた。

Tさんは、記者として、地震・火災・水害などの取材をしてきた。
「生まれ育った家を失うとは、どれほどの痛みであろう」といつも思った。
そんな想像が、現実になった。

十二月の寒空の下、当面の住処として身を寄せることにしたのは特別養護老人ホーム。
お母さんは、「この次、どんな家にしようか」と周りの人に笑顔で話していた。

お母さんが家を無くすのは、これが初めてではない。
最初は第二次世界大戦の空襲で焼失。
その後も、諸事情で自宅を無くしている。
夫とは五十一才で突然の死別、自身も多種多様な病を患った。
「順風満帆な人生」とは言いがたい。
でも、いつもどんなときでも、お母さんは前を向いて笑っている。

お母さんは、Tさんに言った。
「正月にみんなで食べようと思ってね。お前が好きな明太子を買い込んでいたんだよ。あれ、全部燃えちゃってねー。ほぉーんと、もったいない。あはははは」

人はいつどこで、どんな不幸に見舞われるか分からない。
でも、この世にある限りは、口元に笑みをたずさえ、明日を信じ、人を信じ、歩んでいくほかない。
お母さんが教えてくれた、と胸が熱くなった。

数年後、同じ場所に自宅を再建した。
小さな小さなオール電化の平屋は、お母さんが独りで住むには十分な広さであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*会報「いのちびと」から、「心に響く話」を抜粋しメルマガとしてお届けいたします。
(毎週木曜日頃)
*会報「いのちびと」は、6回/1年/1500円で定期購読できます。
お申し込みは「当会公式サイト」をご参照ください。

222