中人さんの顔は怖かった
(いのちびと2020.1号「いのちの授業15年」より)
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景子の余命を知った時、安らかに天国におくろうと誓った。
ターミナルの中で、景子は「お願い、もうやめて」と無意識の中で言った。
「もういいよ、もう頑張らなくていい、もういきなさい」と私は伝えた。
それが親として最後にできることだと思った。

翌朝、顔面蒼白になって全身痙攣を起こした。
もう痛みと苦しみをコントロールできないとも思い、大量の鎮静剤で眠らせた。
十数時間後、突然、「お母さん…」と言って、首をあげようとした。
意識が戻りかけたのだ。
さらに鎮静剤を投与するしかなかった。
景子は、体が動かない・ひとりぼっちの恐怖の中で、お母さんと叫んで死んでいった。

「殺した…」
景子が息を引き取った時、自分を責めた。
原罪の意識は、ずっと心の底から消えなかった。

いのちの授業を始めた。
「生きたくても生きられない人がいる。どうして、もっと一生懸命に生きないんだ!」との思いがあった。
言葉にしなくとも、私の表情や語調に強く表出していたのだろう。

ある小学校で「いのちの授業」をした。
私の話に無表情で冷めた眼差しの子どもが何人もいた。
虐待を体験していた子どもたちだった。
子どものために親が涙を流す話は、その子たちには美しい物語にすぎなかった。

人は変えられる。変えなければならいと思い込んでいた。
思い上がりだった。
子どもたちが背負っているものは、一つの話だけで解決できるものではない。
私ができることとは?
きっかけづくり―はできる。
私の体験を通じて、いのち・生きる・家族・大切なこととは何かを問いかけてもらえればいい。

肩の力が楽になった。話し方もすっかり優しくなった。
すると、「私もこんな体験をしています」と授業に参加された方々が自然に話してくれるようになった。
心に届く「いのちの授業」になった。
罪の意識だけでは、きっと続かなかっただろう。

「『いのちの授業』を始めた頃、中人さんの顔は怖かった」とよく言われる。
「いのちの授業」によって、私自身が導かれて救われたように思う。

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