今月、「いのちの授業」21年目となりました。あの当時に思いをはせてみました。

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「私ができること」
(私が一番受けたい「いのちの授業」より)
 
 実は、「いのちの授業」を始めた当時の私を知る人から、よく言われることがあります。「あの頃、鈴木さんの顔は怖かった」と。思い当たることがあります。

 秋の日、ある小学校で「いのちの授業」をしました。
 涙を流しながら聴き入る子どもたちの中に、まったく無表情の子どもが何人かいることに気づきました。その表情は、授業が終わるまで変わりませんでした。

 授業後、校長先生にお話をしました。
 校長先生は、少し辛そうに「虐待の経験がある子どももいます。いろいろ取り組んでいるのですが」と言われました。初めて気づきました。子どものために親が涙を流す話は、遠い夢物語に過ぎなかったかもしれないと。

 私の心の中にはある気持ちがありました。
 生きたくても生きられない子がいるんだ。どうして、いのちを大切にしないのか!一生懸命に生きるんだ!話せば変えられる、変えなくてはならない。

 思い上がりでした。
 みんないろいろな現実をそれぞれが背負っています。一回の授業だけで変えられるものではありません。その思い上がりが、私の顔や言葉に表出していたのでしょう。

 では、私には何ができるだろうか。「小さなきっかけ」はつくれると思いました。私の姿を通じて、「いのち」をみつめてもらう。その中で、その人なりに「いのちの眼差し」を芽吹かせて、幸せになってほしいと願えばいい。
 
 すると、すっかり肩の力が抜けて楽になり、話し方も優しくなりました。「私もこんな体験をしています」と、授業に参加された方々も自然に話してくれるようになったのです。

 みんな「いのちのメッセージ」を持っている。
 ああ、「いのちのバトンタッチ」というのは、自分からだけ渡すものではなくて、お互いに託し、託されるものなんだと教えてもらいました。そのおかげで、いのちへの思いも深まり、「いのちの授業」も続けられたように思います。

「いのちの授業」が、幸せになるための「小さなきかっけ」になりますように。

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