2020年03月30日
「咲re」第1局は「咲-Saki-と全部同じ漫画」ではないよという話
2020年3月25日にガンガンONLINEアプリで更新された「咲-Saki- re:KING’S TILE DRAW」についての話です。なお、タイトルを全表記するとあまりに長いし略称もどこで区切ればいいのかいろいろありますが、小林立先生のサイトでの表現や極楽院櫻子先生がtwitterで使っていたハッシュタグにならって「咲re」と表記することにします。3文字で済みますし。


さて、その「咲re」第1局ですが、読んで最初に出た感想としては「ものすごく『咲-Saki-』をやってる!」というもので、咲-Saki-という物語のポテンシャルの高さを再認識させられましたね。これは私も以前から言っていたことですが、咲-Saki-は美少女麻雀物語という物珍しさとちゃんと現代風のいわゆる「萌え」要素をしっかり抑えられていたこともあって脚光を浴びましたけれど、美少女麻雀物語「だから」評価されたという単純なものではないのだよな、と。
もちろん、美少女麻雀物語であることは咲-Saki-の根幹であり大ヒットの要因ではあります。なので、美少女ではなくなった咲-Saki-に存在価値を見出さない人が居ても、それはまぁ仕方のないことでしょう。私は咲-Saki-というコンテンツ自体が大好きだから咲reも喜んで読みますけど、これが例えば「けいおん!re」とか「ゆるキャン△re」とかが出たらそこまで読むかと言ったらたぶん苦笑いでしょうし、まぁ咲reを好まない人に押し付けることは出来ないですねw
また、女性が男性になっているということ以外の「咲re」第1局へのネガティブな意見として、「咲-Saki-と同じことをやって何の意味があるの?」とか「ただ性転換しただけ」「全部咲-Saki-と同じじゃん」というようなものもありました。いわゆる「既存の物語と同じストーリーの作品に意味を見出だせない」というもの。これについては、まぁ実際今のところ物語の大筋は咲-Saki-と同じなので、その「大筋が同じ」なのを見て「同じ」だと判断するタイプの人には向かない作品だとは思います。
ただ、「既存の物語と同じストーリーの作品」っていうのは、アニメ化や実写化についても言えることなんですよね。(※アニメも実写版もスピンオフも好まないという方は、それはそれで一貫してるので良いと思います) そういう作品を原作ファンが楽しむ時に、同じ物語・キャラクターを違う媒体(アニメや実写版)でどう表現しているのかというのが見どころなわけで、それが今回は「同じ漫画という媒体の、男性キャラ版」でどう表現しているかというのを見てみましょうよ、と。
そんなわけで、「咲-Saki-」1巻と並べて「咲re」第1話を漫画として読み比べてみると、いろいろな発見がありました。大筋は同じだけど、コマ割りとかはけっこう変えてる所も多くて、「全部同じ」とかではないのがよく分かって面白いですよ。
例1.
咲(咲基)が麻雀部で打った最初の局ですが、咲は優希の仕掛けと捨牌を見てホンイツの安手だと判断して三筒を差し込みます。

この時に、ドラ表示牌が三索であることが「咲-Saki-」では前のページで描かれているのですが、ページを跨いでいるためちょっと分かりづらいのですよね。そこを、「咲re」では同じ並びで描くことで優季のホンイツがドラ色ではない(=安手である)ことが分かりやすくなっています。

また、咲基の目だけをコマ枠に収めずに描くことで、「場を見ている」ことを強調するコマ割りにもなっています。このように、コマ割りという部分においては明確に「咲re」の方が読みやすく作られていると思います。
例2.
「咲-Saki-」1巻22ページの、起きて後ろから咲の手牌を見ていた部長が、目を離した隙にタンピン三色が平和のみの1000点になっていたことに驚くシーンです。

「咲-Saki-」ではこのように1ページに詰め込まれていましたが、「咲re」では上半分の1000点で和了る所だけで1ページ丸々使って強調されており、下半分の部長の解説は次のページへと分けられています。これもまた、「咲-Saki-」の方のネームにまだ連載初期のたどたどしさを感じていた部分であって、明確に「改善されている」と言って良い部分だと思います。
例3.
「咲-Saki-」1巻28ページの、和が咲を追って走っているシーンです。

この下のコマの和の足元は、「咲-Saki-」ではもはや部長と京太郎と優希までの会話しか目に入らずほとんど読み飛ばしていているに近いコマだと思いますが、この小さな1コマを「咲re」では1ページ使って描かれているのです! これによって、和加が咲基の所へ必死に向かっている様子がとても強調されています。
例4.
「咲-Saki-」1巻31ページの、咲の自身の打ち筋を説明しているシーンです。

「咲-Saki-」ではこうしてページ半分に詰め込んでいるため、左下の和の驚愕の表情はとても小さいコマになっており、この表情だけ見るとどこのシーンのものか分からない人も居るのではないかってくらいサラッと読み流してしまいそうです。
「咲re」ではここをページ半分ではなく1ページ使っています。咲の回想の最後を咲基の口調に合わせて「勝たない事を覚えた…それだけ」と改変してコマを分け、和加の驚愕の表情と並べて大きく描写することで、咲基と和加の感情の対比がうまく描かれています。
こんな感じに、「咲-Saki-」と「咲re」は、物語の大筋は同じだけどネームはより異なる部分もけっこうあり、決して全部同じ漫画というわけではないのです。小林立先生のサイトによると、極楽院櫻子先生がネームも作っている(それを小林立先生が監修している)ようですが、すばらなお仕事です!
「既存の物語と同じストーリーの作品に意味を見出だせない」という考え方もまぁ否定はしません。同じストーリーのものを描いてる暇があったら新しいストーリーのスピンオフとか描けよって思う気持ちもまぁ分からんではありません(同じストーリーのものを作るのと比べて、完全に新しいストーリーを作るのがどんだけ大変か分かったれよとも思いますが)。ただ、2020年3月25日発売のビッグガンガンより新章の連載が再開した「咲-Saki-阿知賀編」は、「咲-Saki-」で描かれているインターハイ決勝戦を阿知賀視点で描かれることが小林立先生により明言されていますし、「シノハユ」序盤で同じ島根県予選が慕視点と閑無視点で描かれたこともありました。せっかくなので、「咲-Saki-」と「咲re」で同じ物語を異なる演出・視点で描かれているものを見比べるという読み方に慣れておくってのはいかがでしょうか?
同じ物語ながら脚本や演出は毎回微妙に異なっていたという「涼宮ハルヒの憂鬱」のエンドレスエイトよりはよっぽど差異が大きいでしょうしw
もちろん、美少女麻雀物語であることは咲-Saki-の根幹であり大ヒットの要因ではあります。なので、美少女ではなくなった咲-Saki-に存在価値を見出さない人が居ても、それはまぁ仕方のないことでしょう。私は咲-Saki-というコンテンツ自体が大好きだから咲reも喜んで読みますけど、これが例えば「けいおん!re」とか「ゆるキャン△re」とかが出たらそこまで読むかと言ったらたぶん苦笑いでしょうし、まぁ咲reを好まない人に押し付けることは出来ないですねw
また、女性が男性になっているということ以外の「咲re」第1局へのネガティブな意見として、「咲-Saki-と同じことをやって何の意味があるの?」とか「ただ性転換しただけ」「全部咲-Saki-と同じじゃん」というようなものもありました。いわゆる「既存の物語と同じストーリーの作品に意味を見出だせない」というもの。これについては、まぁ実際今のところ物語の大筋は咲-Saki-と同じなので、その「大筋が同じ」なのを見て「同じ」だと判断するタイプの人には向かない作品だとは思います。
ただ、「既存の物語と同じストーリーの作品」っていうのは、アニメ化や実写化についても言えることなんですよね。(※アニメも実写版もスピンオフも好まないという方は、それはそれで一貫してるので良いと思います) そういう作品を原作ファンが楽しむ時に、同じ物語・キャラクターを違う媒体(アニメや実写版)でどう表現しているのかというのが見どころなわけで、それが今回は「同じ漫画という媒体の、男性キャラ版」でどう表現しているかというのを見てみましょうよ、と。
そんなわけで、「咲-Saki-」1巻と並べて「咲re」第1話を漫画として読み比べてみると、いろいろな発見がありました。大筋は同じだけど、コマ割りとかはけっこう変えてる所も多くて、「全部同じ」とかではないのがよく分かって面白いですよ。
例1.
咲(咲基)が麻雀部で打った最初の局ですが、咲は優希の仕掛けと捨牌を見てホンイツの安手だと判断して三筒を差し込みます。

この時に、ドラ表示牌が三索であることが「咲-Saki-」では前のページで描かれているのですが、ページを跨いでいるためちょっと分かりづらいのですよね。そこを、「咲re」では同じ並びで描くことで優季のホンイツがドラ色ではない(=安手である)ことが分かりやすくなっています。

また、咲基の目だけをコマ枠に収めずに描くことで、「場を見ている」ことを強調するコマ割りにもなっています。このように、コマ割りという部分においては明確に「咲re」の方が読みやすく作られていると思います。
例2.
「咲-Saki-」1巻22ページの、起きて後ろから咲の手牌を見ていた部長が、目を離した隙にタンピン三色が平和のみの1000点になっていたことに驚くシーンです。

「咲-Saki-」ではこのように1ページに詰め込まれていましたが、「咲re」では上半分の1000点で和了る所だけで1ページ丸々使って強調されており、下半分の部長の解説は次のページへと分けられています。これもまた、「咲-Saki-」の方のネームにまだ連載初期のたどたどしさを感じていた部分であって、明確に「改善されている」と言って良い部分だと思います。
例3.
「咲-Saki-」1巻28ページの、和が咲を追って走っているシーンです。

この下のコマの和の足元は、「咲-Saki-」ではもはや部長と京太郎と優希までの会話しか目に入らずほとんど読み飛ばしていているに近いコマだと思いますが、この小さな1コマを「咲re」では1ページ使って描かれているのです! これによって、和加が咲基の所へ必死に向かっている様子がとても強調されています。
例4.
「咲-Saki-」1巻31ページの、咲の自身の打ち筋を説明しているシーンです。

「咲-Saki-」ではこうしてページ半分に詰め込んでいるため、左下の和の驚愕の表情はとても小さいコマになっており、この表情だけ見るとどこのシーンのものか分からない人も居るのではないかってくらいサラッと読み流してしまいそうです。
「咲re」ではここをページ半分ではなく1ページ使っています。咲の回想の最後を咲基の口調に合わせて「勝たない事を覚えた…それだけ」と改変してコマを分け、和加の驚愕の表情と並べて大きく描写することで、咲基と和加の感情の対比がうまく描かれています。
こんな感じに、「咲-Saki-」と「咲re」は、物語の大筋は同じだけどネームはより異なる部分もけっこうあり、決して全部同じ漫画というわけではないのです。小林立先生のサイトによると、極楽院櫻子先生がネームも作っている(それを小林立先生が監修している)ようですが、すばらなお仕事です!
極楽院櫻子先生がtwitterで咲re開始経緯マンガを描いてくれてました。これはありがたいですね。極楽院先生にオファーした編集さん(?)、グッジョブ! 極楽院先生の即答、ありがとうございます! 咲-Saki-とセキレイ、長くヤンガンを引っ張ってたし「戦友」感ありますよね…。一応ここに至るまでの経緯を説明しとこうと思って描きました。お読みいただければ幸いです。
— 極楽院櫻子@『ロクショウ!』最新2巻発売中 (@gs_lockshow) March 25, 2020
(関係諸氏の監修済!ありがとうございます!)#咲re pic.twitter.com/ykoNuBeFKO
「既存の物語と同じストーリーの作品に意味を見出だせない」という考え方もまぁ否定はしません。同じストーリーのものを描いてる暇があったら新しいストーリーのスピンオフとか描けよって思う気持ちもまぁ分からんではありません(同じストーリーのものを作るのと比べて、完全に新しいストーリーを作るのがどんだけ大変か分かったれよとも思いますが)。ただ、2020年3月25日発売のビッグガンガンより新章の連載が再開した「咲-Saki-阿知賀編」は、「咲-Saki-」で描かれているインターハイ決勝戦を阿知賀視点で描かれることが小林立先生により明言されていますし、「シノハユ」序盤で同じ島根県予選が慕視点と閑無視点で描かれたこともありました。せっかくなので、「咲-Saki-」と「咲re」で同じ物語を異なる演出・視点で描かれているものを見比べるという読み方に慣れておくってのはいかがでしょうか?
同じ物語ながら脚本や演出は毎回微妙に異なっていたという「涼宮ハルヒの憂鬱」のエンドレスエイトよりはよっぽど差異が大きいでしょうしw

「咲-Saki-全国編」BD1巻






