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2014年04月

アート見て歩き〜水口菜津子 展〜

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今日はもうひとつ、kunstarztの水口菜津子 個展 〜ガリバントラベラー〜を見てきました。

ガリ版といえば、中学生のころ、生徒会新聞をガリ版で刷っていたことを本当に久しぶりに思い出しました。

今回はガリ版で刷った版画の他にも、それを日用陶器と組み合わせたもの、一部に透明なプラスチックのような窓を開けたオブジェ、さらには実の部分がミラーのようにキラキラした素材で作られたトウモロコシの大作などがあり、多様な内容の作品展になっていました。

ガリ版について、水口さんにその出会いから魅力まで、少しだけお話を伺うことができました。
様々なタイプの鉄筆を使い、また筆圧を加減することで、多様な模様や線が描けるし、立体感も出せるとのことでした。なるほど、一つの画面にこれだけ豊かな装飾を生み出せるのはとても楽しいし、意外なほど立体感や奥行きも感じさせます。また、手でガリガリ削った温もりが作品に投影されていて、なかなか味わい深いです。

ただ、水口さんは単なるガリ版のアーティストというわけでなく、その表現性を何かに関連付けて、大きく飛躍させているところが面白いなと感じました。

kunstarztの紹介の中で、水口さんを「ガリ版刷り文化の継承者かつ、
リレーショナル・アート(関係性の芸術)の実践者」と紹介しています。実際、彼女は「みどりの停留所新聞」というメディアを不定期に発行していて、今回もギャラリー周辺のことを書いたガリ版新聞が展示されていました。

リレーショナル・アートを一言で言うと、芸術作品を孤立した鑑賞物ではなく、日常性や社会性のあるものとして捉える考え方だった思うのですが、その関連付にはそれこそ無限な可能性があります。

今回の展示は、そんな水口さんのエキスを凝縮したショーケースのようなものになっており、ガリ版による版画の質の高さを鑑賞するだけでなく、水口さん流のリレーショナルなスタンスを知る格好の機会となっています。

その辺りについて本人からお話を聞く時間がなくて残念だったのですが、下のkunstarztのHPのなかのステイトメントから、読み取ることができます。
社会という広いフィールドの中で、彼女がまたどんなきっかけと出会い、どんな自由な発想で作品を世に問うて行くのか、私自身とても楽しみになりました。

http://www.kunstarzt.com/top/top.htm

2014-04-04-11-21-17



アート見て歩き〜栗田咲子 展〜

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今日はGalleryMorningで栗田咲子展を見てきました。
栗田さんは2009年5月、この画廊がオープンした時の個展作家ということです。

展示作品は人物、動物などを描いた大小十数点。タイトルは〜福宿る〜。

展示をひととおり見て感じたのは、対象物の計算された配置、それによって画面に生じる心地よいリズム感。快活でバランスの良い色彩感覚です。
まさに絵画の王道という印象の作品群ですね。

日常の断片を切り取ってそれを永遠化するという、絵画のひとつの目的。簡単そうで難しいことを(結果として)さらっとやっている人なんだな、と思いました。

その秘密は、なんだろうか? この自然体で堂々とした雰囲気の源はなんだろう? そんなことを考えながらひとつひとつ見て行くと、栗田さんのまなざしが行っている、ひとつの特徴に思いあたりました。それは、「省略」です。

愛らしい犬の表情、仕事の合間に歓談する男たちの顔や服装、田舎道を走ってゆく馬車とその風景。どれもみな実に上手く省略された結果、画面に無駄な要素がなく、絵の大きさと見やすさにつながっているのです。
余計な描写を切り捨てて全体のバランスをとっているから、うるさくないし、あざとさを感じないのですね。

これは教えられて覚えられるものではないでしょう。絵に限らず、詩も、音楽においても、無駄な装飾をなくし、核心を捉えて表現することが、作品の賞味期間に関わると私は思っています。そういう点で栗田さんの絵は、いわゆる飽きのこない絵だとも言えるでしょう。

一見なんの変哲もない日常をモニュメンタルなものとして昇華させ、そこに自然な詩情を醸し出している。
作家さんのことも良く知らずに少々乱暴な言い方になりますが、私は栗田さんの絵にセザンヌのような風格と雰囲気を感じました。

6月と7月には大阪で展覧会もあるようです。機会があれば見に行きたいです。

2014-04-30-21-28-17













暑くなって来ましたね

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この頃日中はとても暑くなって来ましたね。

猪熊亭に来てからほぼ4ヶ月。凍えながら毎日籠りきりで掃除をし、ペンキを塗ってた頃が懐かしいです。

このブログも、その頃にはほとんど更新することもなく放置していたのですが、春になって、あちこちの画廊をお邪魔して、色々と若い作家さん達ともお会いして、書きたいことが増えてきたのは自分でも嬉しいです。

展示室は、ほぼイメージ通りにできて、あとは畳を新しくするだけになりました。
絵を展示するためのピクチャーレールも、取り付けなくてはいけないですけど。。

ここはごく普通の長屋の小さな部屋で、壁もグレーで、ちょっと他にないような風変わりな雰囲気です。
自分では面白いんじゃないかなって思ってますけど、どうなんだろう?

これから暑くなり、どんな住環境になるのかドキドキです。虫はどのくらい出てくるのか?エアコンなしでも耐えられるか?などなど。笑

それはさておき、ギャラリーをスタートするためには、まだまだやらなくてはならないことが多いです。
ホームページや、ご案内状、名刺も手書きでないのを作らなくては。。でも、まずは一緒に盛り上げてくれる作家さんと出会うことでしょうか。

ギャラリーの運営についても、この頃あらあらシミュレーションをしています。
今のところギャラリーを開けるのは土日祝日のみにしようかと考えています。
ですから個展をやる場合はひと月というロングランになりますね。

平日は作家のための営業活動をするつもりなので、アポイントのみでご覧いただくことになるかな。。

もし万が一、ここでスペースを借りたいという作家さんがいたら、その時はいつでも開けてもらっていいですけど。

10月に最初の展示を開始する予定です。小さいけど私らしくて、味のある画廊になったらいいなと思ってます。

その日は、本当に迎えられるかな?

時々不安にもなります。

自分のギャラリーを持って、自分の目と感性で選んだものを人に紹介して行きたい…それは自分が長い間心に温めて来たことですけど、やはり現実はストレスの連続、毎日心の休まる時はありません。

これまで自分を支えてきてくれた人たち、応援してくれている人たちに失望されないように、必死で頑張って行きたいです。

2014-04-27-18-06-25


今日、京響?

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東京にいた時分は、毎週クラシックコンサートに行っていました。多い時には複数のオーケストラの定期会員になっていたものです。

クラシックというとお堅いイメージがあるかもしれませんが、この頃はSNSで知り合った人と一緒に聴いたり、演奏評を語りあったり、随分と開けてきたので、とても楽しかったです。

関西では、不慣れな仕事のストレスもあり、また、それほど多くのコンサートやオペラがあるわけでもなく、ほとんど聴きに行くこともなくなったのですが、京都市交響楽団の評判は東京でも悪くなくて、行ってみようかという気になったわけです。

今夜は、マニアックな選曲で有名な下野達也指揮で、ドヴォルザーク、マルティヌー、ヤナーチェクの作品を聴きまさした。

演奏は可もなく不可もなく、京都市交響楽団はとても上手いですが、やはりパワー、個人技の点で、ちょっと物足りないかな、という印象です。

客層は、非常に高齢化していますね。東京よりもさらに多いです。お行儀は総じていいのですが、遅れてきたり、話したりする人がいるのはちょっと驚きでした。

ともあれ、若い人がこれほど少ないのは、音楽に限らず、芸術・文化全般にとって危機的な問題だと思います。

お金に余裕のある高齢の客層は、これから少しずつ減ってゆくでしょう。今の若い人はとても現実的で、遊びよりも自分の将来に役立つことにお金を使うでしょうね。

でも、今の若い人が、感受性が豊かなうちにしか味わえない感動を知らずに大人になって、果たして、芸術のファンに育ってくれるのか、かなり心配です。

絵の話をすると、京都では、若くて伸び伸びと制作活動に打ち込む芸術家の卵が多いけれど、それを需要してくれる顧客が育っているのかは疑問です。
やはり、マーケットを広く捉えていかないと、せっかくの光る才能が評価を得るのは難しい気がします。

さて、今日は遅いランチをGallery Near で食べました。ベーグルがとても美味しかったので写真を上げます。
ニューヨークのベーグルに比べて日本のベーグルは変に食べやすくソフトになってて物足らないのですが、ここのベーグルはもっちり、ずっしりとして、かなり満足度が高かったです。

お店の方に聞いたところ、北山のレディオベーグルというお店のものを使用しているそうです(^ ^)オススメです。

2014-04-25-17-28-31
GalleryNearでいただいたベーグルサンド。食べ応えのある食感が◎

アート見て歩き〜夏池風冴 展〜

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今日は最後にkunstarztの夏池風冴 個展〜個別のまぼろし〜を見てきました。

夏池さんの今回の展示は、ある日、写真を撮りながら歩いていて、途中でカメラが動かなくなってしまった。同じところへ後日もう一度写真を撮りに来てみると、森も建物も記憶の中のものと比べて随分と大きく、以前の景色とは出会えないまま終わってしまったと、いう体験から生まれたものです。

記憶の中で無意識に構成されていた景色が、現実とは異なる様相を呈していた…という衝撃。

誰もが同じような経験をしているはずです。例えば思い出の場所へ何年かぶりに行ってみると、記憶の中ではあったものがなかったり、大きさが全然違ったり。。夏池さんの面白いところは、その違和感を画面に正確に投影しようとして、記憶の中の映像を実景の写真にコラージュしているところ。

無意識の領域から来たイメージが現実世界に混ざりこんだ画面には、人間の認識力の曖昧さ、そしてそれゆえの強さがゆらいでいて、生々しい、驚くべき世界を形作っているように私には思われました。

夏池さんは常に独自のロジックから写真作品を着想し、人の認識の本質に色々な角度から迫ろうとしているようです。

写真を単なる記録としではなく、人間性や世界観の発見へと導くために駆使する夏池さん。これからも、スリリングな、新しい衝撃を私たちに与えてくれそうです。

2014-04-24-16-59-17
記憶の中の映像と現実の景色が交差する。

2014-04-24-16-59-12
上の写真の部分
http://www.kunstarzt.com/top/top.htm






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