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2014年06月

アート見て歩き〜阪本 結 展〜

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今日はKUNST ARZTで阪本 結 個展〜ハイドアンドシーク〜を見ました。

ハイドアンドシークとは、「かくれんぼ」という意味だそうです。探す人の「孤独」と、隠れた人の、見つけてもらえずにいる人の「不安」が、今回のテーマにふさわしいということで選んだとのこと。

阪本さんは、まず自作のストーリーを書いて、そこからインスピレーションを得て、作品を描き始めるそうです。
今回のお話は…ふたつの魂が、時を越えて出会いと別れを繰り返している。ある時は恋人同士、ある時は親友、ある時は猫と人間、ある時は仇敵にもなりながら、常に最後は別れなければならないという設定。
人間である以上、繰り返される別れ、孤独と哀しみについて、登場人物にはエキスのようなセリフが与えられます。

阪本さんの作品は、その物語から想起される場面を描くのですが、けして説明的になることはなく、見るものが想像力を働かせて、各々の場面のシチュエーションや、意味を手繰り寄せて行くような面白さがあります。

もとのストーリーからイメージを増幅させている結果、作品は何か預言めいた、謎めいた雰囲気を醸し出していきます。

また、薄く塗られた油彩のデリケートなグラデーション。色鉛筆を駆使したラインのもたらす軽やか且つ力強いアクセント。透けて見えるキャンバス地。奥行きを感じさせる透明感のある遠景など、独自の雰囲気も効果的です。

構図にも念入りな探求の後が見られます。
特に注目したいのは、今回のメインとなった大作。女性が、植物の群生する中に埋もれて行こうとする男性を、なんとか捕まえようとしている作品です。

埋もれてゆく男性の姿態が曖昧にされ、それがかえって画面にダイナミックな波紋と、無限のような奥行きをもたらしていることに驚きます。

少し大げさな表現になって恐縮なのですが、私は昔ヨーロッパで見たティントレットや、ルーベンスの作品を思い出しました。要の部分が、敢えて不安定に、一面的には認識し難く描かれており、作品の面白さになっている点です。バロック的な幻惑とでも言うのでしょうか。

阪本さんにはギャラリーで色々と興味深いお話を伺いましたが、この作品のその部分について言及すると、意識してなさっているとのことでしたので、とても感心しました。

孤独と憂愁に苛まれる人間が描かれているにもかかわらず、画面には病的で、神経質なところはなく、むしろ健全で透徹された意識が漂っています。

その辺りの均衡を保ち絵筆を走らせるのは、心も体も相当にタフでなければ難しいかもしれないですが、若いアーチストの、そんなバイタリティを感じた個展でした。

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鑑賞者の視点を巧みに捉えた大作。王道ではあるが新鮮な画面は見所が多い。

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物語性と内面性を感じさせる作品群。ストーリーから増幅された絵の世界は説明的なものに陥らない。

http://www.kunstarzt.com/top/top.htm

猪熊亭なう

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このブログを始めたのは
まだ凍てつくように寒い真冬でした。
ボロボロのタイルや壁板を塗って、
畳を変えて、、
猪熊亭で寝泊まりするのも
チャレンジでした。

あれから半年、
なんとか、形にはしました。が、
満足できるものではありません。
業者を入れてやるべきところは、
やらないといけないかなと思いつつ、
ここまでやるとそれなりに気持ちも入っているので、とりあえずこのままにしておこうかなと思ってます。

夏場は虫と湿気との戦いです。
毎日掃除して、換気して、
手入れをしなければなりません。

近いうちにカメラマンさんに来てもらい、ホームページ用の撮影をする予定です。楽しみです。

お暇な方は遊びに来て下さい。

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玄関のドアはグリーン→グレーに塗り替えました。

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一階展示室

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一階展示室

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登るのが危険な階段

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二階展示室

アート見て歩き〜赤土 浩介 展〜

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Gallery Morningでは赤土浩介(しゃくど こうすけ)個展〜ニュートラル〜を見てきました。

アーチストの身近にある古墳をモチーフにした風景画や、車を題材にした作品、そしてデザイン的な面白さを持った小品のいくつかが展示されています。

ニュートラル、というタイトルは、自分を何かの枠から自由にして、もう一度ニュートラルな視点で作品に向き合うというアーチスト自身の決意表明。

そんな心境で周りを見て、身近な風景を描いたものが古墳であり、車なのでしょうか。

ギャラリーモーニングさんのDMが表しているように、なかなかマルチな方で、これまでにも色んな作品を描いてきたようです。

風景一つとっても、濃厚な油彩の風情のものもあれば、抽象的なものもあり、また、画面の一部を削ったり、アクリルを貼り合わせるコラージュもあり。その表現は多彩です。

私が好きだったのは奥の部屋にあったパーキングの絵。何台も車が描かれていて、地面は明るいトーンのカラフルなストライプで、全体にポップな雰囲気が良かったです。

また、古墳を描いたものも、風景の一部が巧みに抽象化されていて、リアリティからイデアの世界へと繋がる空間を予感させます。先の絵と異なり暗めの色調なのですが、さりげなく飛び散らせた絵の具の遊び心もあいまって、重たさを感じさせません。
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赤土さんがステートメントに挙げている最後の言葉は、「ミスマッチ」。何かミスマッチな面白さ、そこから新しい表現の可能性を切り開こうとする意欲を、先の二つの風景画に見たように思います。

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http://gallerymorningkyoto.com/2014exhibition/shakudokosuke2014.html



アート見て歩き〜岡部淳史 展〜

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今日はまずKUNST ARZTの岡部淳史 個展〜Artificial view〜を見てきました。

初めて本格的なカメラを手にして撮影に臨んだ時に、偶然生じた不具合をキッカケに編み出した技術で、独自で美しい作品を展示していました。

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私はカメラについては全くの無知なのですが、カメラのシャッターを開けっ放しにして、微妙に動かしながら撮影をするようです。

普通に写真を撮ることを目的としたら、失敗に類するようなことをあえてやっているわけで、そのために非常に多く撮影をして、作品になりうるものを厳選しているとのこと。

岡部さんがこうした撮影を始めたキッカケのルービックキューブの作品。そして、漫画雑誌の紙の層を撮影した作品は、被写体からは想像できない独自の美しさです。
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ルービックキューブも漫画雑誌も、全く新しいビジョンとして生まれ変わる。

現在は植物という有機物へと被写体を移して、植物園で撮影をしているとのことですが、岡部さんはレンズを通して自然を違うビジュアルに変化させる、あるいはデザイン化する、というのではなくて、レンズを通して、全くの新しい美的世界を確立しています。

この辺りの彼の意図は、なぜ植物園なのか、という点も含めて、ギャラリーに掲載されているステートメントにもはっきりと現れていると思います。

生々しい光の躍動、流れ、放射が生み出す力強い美しさ。私は彼の作品から、まるで光の絵の具で描いたような生命力を感じます。

植物園で何時間も撮り続け、膨大なフィルムの中から選ばれた風景に、技術や記録とは違う、写真芸術ならではの魅力を見た気がしました。

今回の個展、作品だけでなく、被写体も展示することで、岡部さんならではの表現の飛躍がわかりやすかったし、アクリルのマウントによって硬質な感じが作られているのも、良いアイデアだと思いました。

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http://www.kunstarzt.com/top/top.htm

アート見て歩き~齋藤 華奈子 展~

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昨日は京都造形芸術大学の近くのPrinz2Fギャラリーで齋藤華奈子 個展~アブサンとファンタジア~を見てきました。


前回、彼女の作品を見た時、私は「客観的、形而上的に存在への問いかけを作品に映しだそうとしている」「存在の法則を見出そうとする哲学者の思考を思い起こさせる」などと書いていましたが、今日はアーチストに直接お話を伺うことができて、もう少し理解が進んだように思いました。


展示室の入口には、齋藤さんが即興で書いた短い物語が掲示されています。女の子が魔法使いによってネズミに変えられてしまい、嘆いていたところで日食の神が出てきて、日食が終わると少女は女になっており、「ネズミも悪くなかったわよ」と言ったというお話。この物語には齋藤さんが直観的に捉えたイメージのブレが現れていますが、実際には今回のインスタレーションの端緒に過ぎません。


展示室はひとつの町、ひとつの世界に見立てられ、現代の一般的な消費物のイメージが寄せ集められ、あるいは散らばっています。広告やテレビで映し出されるイメージ、ケーキに見える煉瓦、レバーに見える石、ラベルを消され、割られた酒瓶など、意味をはく奪、あるいはねつ造されたものなどが点在し、イメージの曖昧さと非存在性を誇示します。


前回も登場していた黄金比率の12面体をベースに、桶や陶器、酒瓶の蓋などが積み上げられた大きな塔は、この世界のイメージを創り出す動力源として、支配的な存在感を示しています。これは、世界で繰り返されるイメージの浪費と、それにもかかわらずそこに働いている或るシステム、あるいは世界の秩序というものの比喩でしょうか?


齋藤さんは自身が詩や小説をお書きになるということです。私も詩を書くのですが、書かれたものの意味やイメージは、造形作品にするとどうなるのかな? などと思ったことは結構あります。文字として書かれたものの第一義は意味やイメージを伝えることなのですが、それを視覚的なものに落とし込んだ時、その意味は思わぬ方向へ飛躍したり、違う断面を見せたり、あるいは意味をなさないことを証明してしまい空中分解するかもしれません。齋藤さんの作品の面白さや緊張感は、そうしたところに由来しているのかもしれません。


(個展に寄せた齋藤さんのステートメント)


「イメージの消費が顕著な昨今。
その中をすごしている私は
スーパーにある既成品とテレビ、
そしてインターネットに
アップロードされているイメージを使用して
インスタレーションをすることにしました。

既成の物の意味と名前を変形させることで
abcence (
非存在)自体を掴もうとこころみています。
その工程はイメージと現実のすき間が繋がってゆくニヒルなファンタジーのようです。



極端に抽象化された京都市

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ネズミと日食の物語

 
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12面体を基礎とする塔

齋藤3

 

 

 

 

 

 

 

 

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