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2015年04月

アート見て歩き〜ディズニー美術〜

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今日は東山のKUNST ARZT で、同ギャラリー主宰で現代美術家の岡本光博さんの企画による「ディズニー美術」を見てきました。

出展作家は入江早耶、岡本光博、ピルビ・タカラ、高須健市、福田美蘭。テキストは作田知樹。

展示のコンセプトは、世界的な大企業であり、ミッキーマウスをはじめとする多くのデザインキャラクターの著作権を保有するウォルト・ディズニー社のイメージを使用したアートを通じて、私たちに著作権とアートの問題、そしてアートの存在意義を提示するものです。

現代アートが時代を映し出す鏡だとすれば、世に氾濫するイメージを作品の中に取り入れるのはごく自然な成り行きではあります。が、果たしてそれはどこまで許されるものなのでしょうか? アーチストによる商標イメージの使用問題は、昨今では非常に大きなテーマですが、その線引きは未だ明確ではありません。

アーチスト側からすれば、作品は巷に氾濫しているようなコピー商品とは別の真摯な芸術表現、自由な表現として認められるべきである、という考えがあります。一方、そのイメージから生まれる利益を守る側からすれば、相手がアーチストであろうが芸術だろうが、そんなことは関係なく、著作権への侵害に当たるという考え方があります。

その辺りの問題については、同ギャラリーのホームページに家本真実さんが具体例を挙げて分かりやすく解説されているので、私がここで浅薄な見解を述べるのは差し控えますが、作品を見ていて思ったのは、ディズニーを単なる消費対象として見るのではなく、そのイメージの始原を探ったり、そこから新たな着想を得て、創意工夫を凝らしてみせてくれる、アーティストの仕事の奥深さでした。

一方的に、当たり前のように洗脳され、知らぬ間にこびりついたイメージに、アートは新しい光を与え、発見を促し、固定観念に囚われた脳を活性化してくれます。

私たちの生活を支配していく大企業の戦略の一方に、こうしたアーチストたちの自由で創造的な営みがあるというのは、とても健全で、幸せなことなのではないでしょうか?

夢と希望と正義を世界中に売ってきたディズニーワールドの、圧倒的なイメージに向き合うアーチストたち。その切り口の巧みさ、愛憎半ばした思い、機知に富んだ遊び心、さらにそこからこだましている現代社会への警告…、鋭利な感性と創意に満ちた意欲的な企画だと思いました。

(会期は5月10日(日)まで)

http://www.kunstarzt.com/top/top.htm


福田美蘭 誰ヶ袖図…ディズニーの衣装を日本画に挿入した…だけではない、風刺を超えて戦慄する世界。

岡本光博 Mickey humanoid(手前)とSUHAMA /  Recycling kills the copyright(奥)…ミッキーマウスのぬいぐるみの首を切断してがま口に。

Pilvi Takara(ピルビ・タカラ) Real Snow White…白雪姫になってディズニーランドの前で子供たちの人気者になっていたら職員に連行される。

高須健一  ミッキーマウス (商標登録に関する書類付)… 購入すると延々と更新する登録料の支払いもついてくるかも?

入江早耶 ディズニーダスト…ディズニー絵本のキャラクターを消しゴムで消して、なんとその消しカスで立体化。










アート見て歩き 土田智子、ARTZONE、水口菜津子 、中川雅文

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今日はまずギャラリーマロニエのあるマロニエビル二階のにしかわで、土田智子さんの素敵な革製品をみました。
土田さんの選んだ革は、いかにも馴染みそうな柔らかさと強さ、そして軽いさがあり、ぴっちりとした手縫いのステッチも、ほんとに良いものでした。作家さんとお話ししましたが、スタイルとしては東京でウケそうな雰囲気でした。土田さんは工房があるそうなので、今度はそちらにお邪魔してみるつもりです。

www.kyoto-wel.com/shop/S81055/?device=pc

www.tihaku.com/apple1/


それからARTZONEの展示へ。今回は建物をフルに使って、屋上にも行けるとのことで、有料でしたが入ってみました。迷路のようなビルを巡って、色々と考えさせられる作品をみました。何を考えさせられたか、それは一言では難しいのですが、今という時代にアートに向き合う若者の、哀愁のようなものでしょうか。大掛かりではあっても威圧的にならないところに惹かれる展示でした。

artzone.jp/


そのあとはKUNSTARZTでガリ版による水口菜津子さんの個展。昨年も味のある作風に強く惹かれましたが、今年はさらに磨きがかかって、興味深い秀作が沢山並んでいました。ガリ版に魅了された水口さんの地道な研鑽が、いよいよ花を開き始めた感じでした。
http://www.kunstarzt.com/top/top.htm


最後はGalleryMorningで中川雅文さんの個展を見ました。それは中川さんの思い描く思想、というかオリジナルな世界観が絵になったような、不思議で楽しい世界でした。こちらの定義に何も当てはまるものがないので、最初はちょっと不安な気持ちになるのですが、慣れてくるとその中川ワールドがとても自由で、豊かで、居心地の良いものに思われてくるのでした。
http://gallerymorningkyoto.com


アート見て歩き 山原晶子 個展

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アート見て歩き 山原晶子 個展

今日は山原晶子さんの個展「そこ こそ ここ」を東山のKUNST ARZT で見てきました。
山原さんについては、このブログでもおよそ1年前に紹介していて、その時私は、彼女の作品の持つ空間表現に独特の魅力を感じたことを書いています。

今回も、モチーフは実像と虚像が交差するような風景と、浮遊するような人物という点で、基本的な方向性に変わりはないのですが、明らかに進化していると感じられた点があります。

まず、画面の強さが増していること。山原さん独特の異素材を重ね合わせるやり方がさらに強調され、色使いも大胆になり、スケールが大きく感じられました。前回の個展で見られた広がり、浮遊感に、奥行きと重厚感がさらに加わった印象です。

そして次には、表現に鋭さが出てきていること。昨年の個展では、柔らかな色彩と調和するようにラインも柔らかく処理されていたものが、今回は色彩がやや多くなったのに歩を合わせるように、描線にも大胆な扱いが目に付くようになりました。画面に挿入される抽象的な柄も、より自由に、唐突感を増していて、緊張感が増していました。

全体として山原さんの今回の新作については、琳派的な装飾性が出てきたように思われます。また、手作業の巧みさが更に前進して、今の作家の限界点まで目一杯に表現を尽くしていることが感じられました。

常に妥協を許さず、現時点での表現の全てを突き詰めて行く山原さん。今でさえ時として限界と感じらるような巧みさが、さらにその限界を超えた時、その絵はさらに人工的な美しさを獲得し、鋭利で強固なものとなるのではないだろうか?

詩的で情緒的な画風から、さらに踏み込んできた作品たちを眺めなから、私は彼女の絵が、コンテンポラリーの世界に独特のユニークな地位を築きつつあるように感じていました。


http://www.kunstarzt.com/top/top.htm

色彩の豊かさ、装飾的な面白さ、琳派を思わせる強さを感じさせる新作。

珍しく人物を置かない一点。抽象的な模様の意外な取り入れ方が独特。

毎回進化していく山原作品。

額を上手く利用して奥行きへの興味を作品に転化した一点。

京都の春。個人的な体験。

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今年は桜の花を見に宇多野、山越あたりを歩いて、美しい自然と、生き物に出会った忘れがたい春でした。

ぼくの頭上へ、まるでなにかを伝えに来たように舞い降りて来た小鳥、林の中から姿を現し、ぼくをじっと見つめていた美しい鹿。
それは都会育ちのぼくには、ほとんど衝撃的とさえ言いたくなる体験でした。

ぼくの先祖は京都とゆかりが深いと言うことですか、ここで暮らすまでは墓参りと観光名所を見て回る程度でした。素晴らしい文化財、奇跡のような美しさを保つそれらを日常的に楽しめる京都。ですが、僕にとって最も強いインパクトを与えてくれたのは、身近な自然の美しさと、生き物たちのイキイキとした姿なのかもしれません。 

繊細な光と影と風の中で移りゆくそれらの景色は、虚心になって見つめていると、自分自身がその中へ溶け込み、無の境地へと誘うように思われました。

今週は東京へ帰省しています。立ち並ぶ高層ビルの下を歩いていると、春の日差しの中で黙々と歩いていたあの山道が、はるか遠い桃源郷のように思われるのでした。



アート見て歩き 児玉 彩 個展

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今日はもう一件、Gallery Morningの児玉 彩 個展 「花のような人」を見ました。

展覧会のご案内を見た限りでは、柔らかく美しい色彩の絵という印象でしたが、実物の明るさとキリッとした雰囲気に、鋭い観察力と、美意識を感じました。

児玉さんがいらしたので少しお話を聞かせていただいたのですが、下絵はなく、いきなり描くとのこと。その素早く的確に捉えられた表情や色彩には舌を巻くばかりです。

大きなキャンバスの油彩画も、そのように一発勝負で描くということでしたが、私にはとてもそのようには見えなくて、計算された構成美を感じるほどでした。

奥のスベースにはペン画が飾られているので、児玉さんの描写力を感じることができると思います。

水彩の作品も、油彩も、何かしら日本人離れしたような、カルフォルニアのサラッとした明るい空気感のようなものに包まれていて、見ていると気持ちもスカッと晴れて行くようでした。

この頃は暗いニュースが多くて、世界に暗雲が立ち込めているように思われますが、こんな時こそ そういうものとは別世界の、身の回りのキラリと光るものを描きたい、という児玉さんのスタンスが鮮明に現れた展示に思いました。


http://gallerymorningkyoto.com

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