(2-1)からのつづき
●男系継承のみ認めた新「皇室典範」
こうして、「日本国憲法」成立過程において、日本の国体を基本的に否定するという枠組みが、GHQと極東委員会によって作られてしまった。また、GHQは「天皇財閥」なるレッテル貼りを行って徹底的に皇室財政を圧迫したので、もはや十一宮家の臣籍降下は必至であった。
この枠組みと臣籍降下を前提にして、新「皇室典範」が作られていく。「日本国憲法」の審議と併行して、六月、臨時法制審議会が設置され、この審議会の第一部会で、七月から九月にかけて新「皇室典範」の立案が行われる。そして、十二月には新「皇室典範」案が第九一帝国議会に提出され、簡単な審議の上、原案通り可決される。この間、第一部会の幹事たちは、少なくとも十二回以上、GHQと連絡を取りながら、新典範の内容を決めてゆくのである。
翌二十二年一月十六日、新典範は法律として公布される。その後、五月二日、旧典範が、皇族会議と枢密院の議を経て、天皇の勅定という形で廃止される。翌三日、「日本国憲法」と新典範が施行される。そして十月十三日、新典範で作られた皇室会議は、十一宮家の臣籍降下を決定していくのである。
新典範の内容を見ると、皇室自治主義の精神は、かけらも存在しない。旧典範では、皇室の大事を審議する機関として、天皇を主宰者とし皇族を中心メンバーとする皇族会議が存在した。これに対して、新典範では、皇族会議に代って皇室会議が置かれることになった。皇室会議に天皇は参加できず、皇族は十名のメンバー中二名のみであり、残る八名は衆参両院の正副議長や内閣総理大臣らで占められることになった。しかも、最高権力者の内閣総理大臣が議長を務めるのである。これでは、まさしく皇室は、時々の権力者によって圧迫される事態となろう。
神道の最高祭主という性格も、宗教と国家の徹底分離を説いた神道指令に拘束され、否定されている。すなわち、旧典範にあった大嘗祭や神器継承の規定が消えてしまうのである。
ただし、万世一系だけは、新典範の規定によって守られることになった。新典範第一条は、万世一系という言葉こそ使わないが、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と規定し、男系継承を明確にしたからである。
●議論すべき五つの論点
以上のように、「日本国憲法」と新典範は、GHQの日本弱体化政策に基づき、国体の四ポイントのうち、万世一系=男系継承=以外の三ポイントをことごとく否定した。そして平成に入って、国体を死滅させることを狙った共産党系の学者たちが、女系天皇容認論を展開し、それに乗せられる形で政府による女系天皇容認論が展開されているのである。
しかし、繰り返すが、日本国家が千五百年以上も国家として継続し、独立国であり続けた最大の理由は、国体を維持してきたことである。戦後の日本国が、サンフランシスコ講和条約によって独立しながらも、実質的に米国や中国などの「属国」であり続けてきたのは、「日本国憲法」と新典範によって、自衛戦力を奪われたからであり、天皇が最高の政治的権威であるという国体を大きく毀損させてきたからである。日本国が自立し、実質的にも独立国になるためには、万世一系=男系継承=を維持するとともに、憲法改正と皇室典範改正によって、毀損した国体の三ポイントを取り戻す必要がある。
したがって、皇室典範改正論議は、憲法改正論議とセットで行わなければならない。また、男系女系論争だけでなく、政治的権威か象徴か、皇室自治主義をどうするか、大嘗祭などの皇室祭事の位置づけ、といった三点についても行われなければならないと言えよう。
しかし、皇室典範改正論議は、このような内容面に関する議論だけでは足りない。拙稿で見てきたように、「日本国憲法」成立過程も、皇室典範の成立過程も、議会や政府の自由意思が基本的に存在しなかったし、GHQによって統制されていた。さらに皇室典範成立過程について言えば、そもそも皇室典範が国法兼皇室の家法という性格を有しているにもかかわらず、天皇及び皇室の自由意思は存在しなかった。そして、「日本国憲法」と新典範は、内容的にも、日本の国体を大きく毀損するものであった。それゆえ、両者は、本来、無効なものである。もしも無効だとすれば、「日本国憲法」と新典範の無効を確認し、復原した明治憲法と旧典範を改正する形で、憲法改正と皇室典範改正を行わなければならないことになろう。
それゆえ、皇室典範改正論は、憲法改正論議とともに行い、内容的な四点とともに、無効か有効かという形式的な点についても行う必要があると言えよう。
●明治憲法と国際法に反する新典範制定
「日本国憲法」については、多少とも無効か否かが議論されてきた。だが、新典範についてはほとんど議論されてこなかった。そこで、特に重要と思われる無効理由を紹介しておこう。
第一の無効理由は、明治憲法違反ということである。前に引用したように、明治憲法第七十四条①は、「皇室典範の改正は帝国議会の議を経るを要せず」と規定していた。ところが、新典範は、議会の議決に基づき、法律として制定された。明らかに七十四条①違反である。「日本国憲法」の場合はまだしも、一番表面的なところでは、明治憲法七十三条の定める手続きにそって作られた。これに対し新典範は、明確に明治憲法の定める手続に違反して作られたのである。
また明治憲法第七十五条は、「憲法及皇室典範は摂政を置くの間之を変更することを得ず」と定めていた。第七十五条によれば、摂政を置く間さえも憲法と皇室典範の改正は禁止されるのだから、統治者の自由意思が完全に欠落する占領中には尚更、憲法と皇室典範の改正は許されないことになる。それゆえ、明治憲法第七十五条違反で、「日本国憲法」も新皇室典範も無効となる。
第二の無効理由は、旧皇室典範違反ということである。旧典範第六十二条は、「将来此の典範の条項を改正し又は増補すべき必要あるに当ては皇族会議及枢密顧問に諮詢して之を勅定すべし」と規定していた。この条文には、改正や増補の言葉はあっても、廃止の言葉はない。そもそも旧典範からすれば廃止はできない。いくら「皇族会議及枢密顧問に諮詢して」廃止を決めたとて、その廃止は無効なものである。それゆえ、あくまで旧典範が有効なものとして生き残っていることになり、新典範は無効なものとなる。
第三の無効理由は、国際法違反ということである。国際法と言えば、ハーグ陸戦法規違反の問題もあるが、ここでは、ポツダム宣言及びバーンズ回答違反ということを指摘しておこう。昭和二十年七月二十六日、ポツダム宣言が発せられるが、宣言受諾過程で、米国のバーンズ国務長官によって日本側に対する回答が行われる。いわゆるバーンズ回答である。日本側は八月十四日に至って、バーンズ回答を受け入れ、ポツダム宣言受諾を決定する。バーンズ回答は、第五項で「日本国の最終的の政治形態は(The ultimate form of government of japan)、『ポツダム』宣言に遵い、日本国国民の自由に表明する意思に依り決定せらるべきものとす」と述べ、「日本国国民の自由に表明する意思」による「政治形態」の決定を定めている。続いて第六項で「聯合国軍隊は、『ポツダム』宣言に掲げられたる諸目的が完遂せらるる迄、日本国内に留まるべし」と占領撤退について述べているから、バーンズ回答第五項は、占領中に「政治形態」を決定することを定めた規定であるといえよう。
では、「政治形態」(form of government)とは何か。「八月革命」説に立つ宮澤俊義によれば、form of governmentとは国体と政体を併せたものと解することになる。しかし、八月十三日に米軍機が「日本の皆様」というビラを撒いているが、そこでは、第五項は「ポツダム宣言の条項に則り究極に於ける日本政府の政体が自由に表明された日本国民の意思に副つて定めらるべきである」と訳されている。
当時の日本人は、国体と政体を区別してとらえていた。米国でも、form of government(政府の形態)は form of state(国家の形態)と区別されてとらえられていた。当時の日本の憲法学の用語にあてはめれば、form of state が国体、form of government が政体に相当する。実は、宮澤自身も、元々は、国体と政体を区別してとらえていた。『憲法略説』(昭和十七年)の中で、宮澤は次のように述べていた。
「天皇が国の元首として統治権を総攬し給うこと(「主権の体」)は、さきにのべられたように、わが国における固有且つ不変の統治体制原理であるが、その行使の態様(「主権の用」)は時と共に変化し得る。国家における統治権行使の態様に関する原理はあるいは政体と呼ばれる。さきにのべられた国体が不変的・絶対的な性格を有するのに対して、この意味の政体はむしろ可変的・相対的な性格を有する」
宮澤が傍線部のように、国体を絶対に守るべきものと考えていたことが注目される。宮澤を含めて、国体と政体を区別する考え方は一般的なものだった。どう考えても、form of government は、国体と区別された政体のことを指しているのである。つまり、バーンズ回答第五項は、国体の継続を認めており、国体と区別された意味の政体を「日本国国民の自由に表明する意思」によって決定するようにと要求していたのである。
しかし、GHQは、「日本国憲法」と新典範の作成を強制することによって、天皇が最高の政治的権威であるという国体の根幹にさえも手を付けた。しかも、その際、日本政府の自由意思、議会に代表される国民の自由意思を顧慮することは全く無かった。それゆえ、「日本国憲法」及び皇室典範は、ポツダム宣言及びバーンズ回答違反として、無効な存在なのである。
●国体法と自然法に反する新典範
第四の無効理由は、国体法違反ということである。日本国が絶対に守り続けなければならない国体の要点を整理しなおしておこう。その一は、最も本質的な事柄であるが、天皇が国家最高の政治的権威たることである。その二は、万世一系ということ、そしてそのための男系継承である。その三は、皇室自治主義である。その四は、神器継承や大嘗祭等に公的性格を持たせた上で継続することである。この四点は、男系継承という点を除けば、全て「日本国憲法」と新典範によって無視された。男系継承という点も、憲法の中で、又は準憲法的な性格を与えた皇室典範の中で規定すべきものである。単なる法律にすぎない新典範で規定するなど、言語道断である。それゆえ、「日本国憲法」前文及び第一条と新典範は、国体法違反で絶対無効の存在である。
第五の無効理由は、自然法違反ということである。皇室典範とは、国法の性格を持つけれども、同時に皇室の家法ともいうべき存在である。自然法の立場から言えば、皇室典範は―――仮に法律と称するにしても―――、通常の法律とは違った特別の手続きを踏んで、制定及び改正されるべきものである。特別の手続とは、国家側と皇室側との相談・交渉である。
ところが、新典範は単なる法律として作られたし、新典範を見ても典範改正のための特別手続きが定められているわけではない。典範の改正は、天皇及び皇族の意見を全く聞かずとも、合法的にできることになっているのである。結局、新典範は、完全に、一種の自然法違反の存在といえよう。
しかも、前述のように、皇族会議の代わりに置かれることになった皇室会議の中には、皇室の家長ともいうべき天皇は入っていないし、皇族はわずか二名しか入れない。新典範は、皇室自身の事柄を、皇室自身の意見は反映させない形で決めていこうという、極めて非人間的な立場をとっている。換言すれば、「日本国憲法」と新典範の下にある戦後日本は、皇室の衰微した武家政治よりもはるかに、天皇及び皇室を圧迫してきたのである。
以上五点の理由から、「日本国憲法」の場合以上に、新典範は無効な存在である。無効だとすれば、皇位継承問題について、新典範改正という形はとるべきではないことになる。そして、新典範成立と一体の動きとして行われた十一宮家の臣籍降下も本来無効なものとなる。とすれば、女系天皇を認める法をつくるべきだと仮定しても、新典範を改正する形ではなく、「日本国憲法」と新典範の無効を確認した上で明治憲法と旧典範の復原改正という形で行うべきだろう(具体的な憲法の復原改正方法については、拙著『憲法無効論とは何か』展転社、参照)。新典範の無効を確認すれば、十一宮家も原則的に復活することになるし、十一宮家には皇位継承候補たるべき男子が相当数存在する。それゆえ、新典範無効論の立場に立てば、女系天皇ばかりか女性天皇さえも認める必要性はなくなるであろう。
しかし、なぜ、万世一系否定、王朝交代肯定、ひいては易姓革命に道を開く女系天皇容認論が出てきたのであろうか。戦後六十年間、「日本国憲法」という名の占領管理基本法を研究する学問である「憲法学」は、人権論ばかりに力を入れて、国家論も天皇論も研究してこなかった。公民教育は、「憲法学」以上に、国家論や天皇論を教えてこなかった。例えば、今年度から使用された中学公民教科書は、全八社中、東京書籍、日本書籍新社、教育出版、帝国書院の四社が、何の見出しも付けずに「象徴天皇」について記している。天皇は「日本国憲法」第一条で規定されている存在である。にもかかわらず、採択率第一位の東京書籍などは、極めて軽く天皇を扱うのである。(拙著『公民教科書は何を教えてきたのか』二〇〇五年、展転社)。 極めておかしなことと言わねばならない。
戦後六十年間、日本国民は、このような非天皇教育、非国家教育を中学から大学まで受け続けてきた。したがって、戦後社会では、元「優等生」の多い政治家、学者、教員とマスコミ関係者さえも、あるいは保守派さえも、天皇論や国家論に関する基礎的な知識を欠くことになった。天皇及び皇室に関する国民的な規模での知識の欠如こそが、ムード的な女性天皇論、女系天皇容認論を招き寄せたのである。
天皇論や国家論の研究は、却って、天皇制廃止を狙う共産主義者や共産主義シンパによって行われてきた。前述のように、彼らは、皇帝打倒の易姓革命にあこがれる傾向がある。しかし、易姓革命を否定したところにこそ、日本国家の発展があったということを忘れてはいけない。彼らは、女系天皇容認→王朝交代・易姓革命→天皇制廃止という筋道を考えている。彼らのもくろみは、今の段階で砕いておかなければならない。そして、彼らのもくろみを砕くためには、天皇の本質について、前述の五つの論点に関する議論を展開し深めることが必要となろう。
《主要参考文献⊿美濃部達吉『憲法撮要』大正12年初版、昭和7年改訂第5版、有斐閣⊿美濃部達吉『日本国憲法原論』1948年、有斐閣⊿小森義峯『天皇と憲法』1985年、皇學館大學出版部⊿芦部信喜・高見勝利編著『日本立法資料全集1 皇室典範』1990年、信山社⊿小山常実『「日本国憲法」無効論』2002年、草思社⊿中川八洋『皇統断絶』05年、ビジネス社⊿八木秀次『本当に女帝を認めてもいいのか』05年、洋泉社⊿竹田恒泰『語られなかった皇族たちの真実』06年、小学館⊿小山常実『憲法無効論とは何か』06年、展転社》
(参考)現行「皇室典範」無効宣言 南出喜久治
http://www.meix-net.or.jp/~minsen/kako/bunko/m17.htm
現行憲法と皇室典範 南出喜久治
正論 4月号
いまこそ皇室の重みに思いをいたせ
渡部昇一
P105
・・・・・(略)・・・・・
最後に、憲法改正とからめて皇室の伝統を守る方策について述べてみたい。先述・米長永世棋聖との対談でのべたように、私は現在議論されている憲法改正に反対である。主権のない占領時代につくられた憲法の定める手続きによって改正すれば、日本人が一切異見を差しはさむことができなかった占領軍の憲法に、わざわざ日本人自身がレジティマシー(正統性)を与えることになる。絶対にしてはいけないことである。
必要なのは現憲法の無効を宣言することである。そこで現憲法が無効になれば、明治憲法を改正する形で新しい憲法をつくることになる。そうすれば、明治の皇室典範がそのまま息を吹き返し、皇室の問題を心配する必要性はなくなる。明治の皇室典範に戻るのであるから、戦後に臣籍降下された旧宮家は自動的に復活するし、男系継承も維持される。改正すべき点があれば、明治の典範を改正すればよいのだ。このようなことも、憲法改正に関わる人たちには視野に入れていただきたい。
●男系継承のみ認めた新「皇室典範」
こうして、「日本国憲法」成立過程において、日本の国体を基本的に否定するという枠組みが、GHQと極東委員会によって作られてしまった。また、GHQは「天皇財閥」なるレッテル貼りを行って徹底的に皇室財政を圧迫したので、もはや十一宮家の臣籍降下は必至であった。
この枠組みと臣籍降下を前提にして、新「皇室典範」が作られていく。「日本国憲法」の審議と併行して、六月、臨時法制審議会が設置され、この審議会の第一部会で、七月から九月にかけて新「皇室典範」の立案が行われる。そして、十二月には新「皇室典範」案が第九一帝国議会に提出され、簡単な審議の上、原案通り可決される。この間、第一部会の幹事たちは、少なくとも十二回以上、GHQと連絡を取りながら、新典範の内容を決めてゆくのである。
翌二十二年一月十六日、新典範は法律として公布される。その後、五月二日、旧典範が、皇族会議と枢密院の議を経て、天皇の勅定という形で廃止される。翌三日、「日本国憲法」と新典範が施行される。そして十月十三日、新典範で作られた皇室会議は、十一宮家の臣籍降下を決定していくのである。
新典範の内容を見ると、皇室自治主義の精神は、かけらも存在しない。旧典範では、皇室の大事を審議する機関として、天皇を主宰者とし皇族を中心メンバーとする皇族会議が存在した。これに対して、新典範では、皇族会議に代って皇室会議が置かれることになった。皇室会議に天皇は参加できず、皇族は十名のメンバー中二名のみであり、残る八名は衆参両院の正副議長や内閣総理大臣らで占められることになった。しかも、最高権力者の内閣総理大臣が議長を務めるのである。これでは、まさしく皇室は、時々の権力者によって圧迫される事態となろう。
神道の最高祭主という性格も、宗教と国家の徹底分離を説いた神道指令に拘束され、否定されている。すなわち、旧典範にあった大嘗祭や神器継承の規定が消えてしまうのである。
ただし、万世一系だけは、新典範の規定によって守られることになった。新典範第一条は、万世一系という言葉こそ使わないが、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と規定し、男系継承を明確にしたからである。
●議論すべき五つの論点
以上のように、「日本国憲法」と新典範は、GHQの日本弱体化政策に基づき、国体の四ポイントのうち、万世一系=男系継承=以外の三ポイントをことごとく否定した。そして平成に入って、国体を死滅させることを狙った共産党系の学者たちが、女系天皇容認論を展開し、それに乗せられる形で政府による女系天皇容認論が展開されているのである。
しかし、繰り返すが、日本国家が千五百年以上も国家として継続し、独立国であり続けた最大の理由は、国体を維持してきたことである。戦後の日本国が、サンフランシスコ講和条約によって独立しながらも、実質的に米国や中国などの「属国」であり続けてきたのは、「日本国憲法」と新典範によって、自衛戦力を奪われたからであり、天皇が最高の政治的権威であるという国体を大きく毀損させてきたからである。日本国が自立し、実質的にも独立国になるためには、万世一系=男系継承=を維持するとともに、憲法改正と皇室典範改正によって、毀損した国体の三ポイントを取り戻す必要がある。
したがって、皇室典範改正論議は、憲法改正論議とセットで行わなければならない。また、男系女系論争だけでなく、政治的権威か象徴か、皇室自治主義をどうするか、大嘗祭などの皇室祭事の位置づけ、といった三点についても行われなければならないと言えよう。
しかし、皇室典範改正論議は、このような内容面に関する議論だけでは足りない。拙稿で見てきたように、「日本国憲法」成立過程も、皇室典範の成立過程も、議会や政府の自由意思が基本的に存在しなかったし、GHQによって統制されていた。さらに皇室典範成立過程について言えば、そもそも皇室典範が国法兼皇室の家法という性格を有しているにもかかわらず、天皇及び皇室の自由意思は存在しなかった。そして、「日本国憲法」と新典範は、内容的にも、日本の国体を大きく毀損するものであった。それゆえ、両者は、本来、無効なものである。もしも無効だとすれば、「日本国憲法」と新典範の無効を確認し、復原した明治憲法と旧典範を改正する形で、憲法改正と皇室典範改正を行わなければならないことになろう。
それゆえ、皇室典範改正論は、憲法改正論議とともに行い、内容的な四点とともに、無効か有効かという形式的な点についても行う必要があると言えよう。
●明治憲法と国際法に反する新典範制定
「日本国憲法」については、多少とも無効か否かが議論されてきた。だが、新典範についてはほとんど議論されてこなかった。そこで、特に重要と思われる無効理由を紹介しておこう。
第一の無効理由は、明治憲法違反ということである。前に引用したように、明治憲法第七十四条①は、「皇室典範の改正は帝国議会の議を経るを要せず」と規定していた。ところが、新典範は、議会の議決に基づき、法律として制定された。明らかに七十四条①違反である。「日本国憲法」の場合はまだしも、一番表面的なところでは、明治憲法七十三条の定める手続きにそって作られた。これに対し新典範は、明確に明治憲法の定める手続に違反して作られたのである。
また明治憲法第七十五条は、「憲法及皇室典範は摂政を置くの間之を変更することを得ず」と定めていた。第七十五条によれば、摂政を置く間さえも憲法と皇室典範の改正は禁止されるのだから、統治者の自由意思が完全に欠落する占領中には尚更、憲法と皇室典範の改正は許されないことになる。それゆえ、明治憲法第七十五条違反で、「日本国憲法」も新皇室典範も無効となる。
第二の無効理由は、旧皇室典範違反ということである。旧典範第六十二条は、「将来此の典範の条項を改正し又は増補すべき必要あるに当ては皇族会議及枢密顧問に諮詢して之を勅定すべし」と規定していた。この条文には、改正や増補の言葉はあっても、廃止の言葉はない。そもそも旧典範からすれば廃止はできない。いくら「皇族会議及枢密顧問に諮詢して」廃止を決めたとて、その廃止は無効なものである。それゆえ、あくまで旧典範が有効なものとして生き残っていることになり、新典範は無効なものとなる。
第三の無効理由は、国際法違反ということである。国際法と言えば、ハーグ陸戦法規違反の問題もあるが、ここでは、ポツダム宣言及びバーンズ回答違反ということを指摘しておこう。昭和二十年七月二十六日、ポツダム宣言が発せられるが、宣言受諾過程で、米国のバーンズ国務長官によって日本側に対する回答が行われる。いわゆるバーンズ回答である。日本側は八月十四日に至って、バーンズ回答を受け入れ、ポツダム宣言受諾を決定する。バーンズ回答は、第五項で「日本国の最終的の政治形態は(The ultimate form of government of japan)、『ポツダム』宣言に遵い、日本国国民の自由に表明する意思に依り決定せらるべきものとす」と述べ、「日本国国民の自由に表明する意思」による「政治形態」の決定を定めている。続いて第六項で「聯合国軍隊は、『ポツダム』宣言に掲げられたる諸目的が完遂せらるる迄、日本国内に留まるべし」と占領撤退について述べているから、バーンズ回答第五項は、占領中に「政治形態」を決定することを定めた規定であるといえよう。
では、「政治形態」(form of government)とは何か。「八月革命」説に立つ宮澤俊義によれば、form of governmentとは国体と政体を併せたものと解することになる。しかし、八月十三日に米軍機が「日本の皆様」というビラを撒いているが、そこでは、第五項は「ポツダム宣言の条項に則り究極に於ける日本政府の政体が自由に表明された日本国民の意思に副つて定めらるべきである」と訳されている。
当時の日本人は、国体と政体を区別してとらえていた。米国でも、form of government(政府の形態)は form of state(国家の形態)と区別されてとらえられていた。当時の日本の憲法学の用語にあてはめれば、form of state が国体、form of government が政体に相当する。実は、宮澤自身も、元々は、国体と政体を区別してとらえていた。『憲法略説』(昭和十七年)の中で、宮澤は次のように述べていた。
「天皇が国の元首として統治権を総攬し給うこと(「主権の体」)は、さきにのべられたように、わが国における固有且つ不変の統治体制原理であるが、その行使の態様(「主権の用」)は時と共に変化し得る。国家における統治権行使の態様に関する原理はあるいは政体と呼ばれる。さきにのべられた国体が不変的・絶対的な性格を有するのに対して、この意味の政体はむしろ可変的・相対的な性格を有する」
宮澤が傍線部のように、国体を絶対に守るべきものと考えていたことが注目される。宮澤を含めて、国体と政体を区別する考え方は一般的なものだった。どう考えても、form of government は、国体と区別された政体のことを指しているのである。つまり、バーンズ回答第五項は、国体の継続を認めており、国体と区別された意味の政体を「日本国国民の自由に表明する意思」によって決定するようにと要求していたのである。
しかし、GHQは、「日本国憲法」と新典範の作成を強制することによって、天皇が最高の政治的権威であるという国体の根幹にさえも手を付けた。しかも、その際、日本政府の自由意思、議会に代表される国民の自由意思を顧慮することは全く無かった。それゆえ、「日本国憲法」及び皇室典範は、ポツダム宣言及びバーンズ回答違反として、無効な存在なのである。
●国体法と自然法に反する新典範
第四の無効理由は、国体法違反ということである。日本国が絶対に守り続けなければならない国体の要点を整理しなおしておこう。その一は、最も本質的な事柄であるが、天皇が国家最高の政治的権威たることである。その二は、万世一系ということ、そしてそのための男系継承である。その三は、皇室自治主義である。その四は、神器継承や大嘗祭等に公的性格を持たせた上で継続することである。この四点は、男系継承という点を除けば、全て「日本国憲法」と新典範によって無視された。男系継承という点も、憲法の中で、又は準憲法的な性格を与えた皇室典範の中で規定すべきものである。単なる法律にすぎない新典範で規定するなど、言語道断である。それゆえ、「日本国憲法」前文及び第一条と新典範は、国体法違反で絶対無効の存在である。
第五の無効理由は、自然法違反ということである。皇室典範とは、国法の性格を持つけれども、同時に皇室の家法ともいうべき存在である。自然法の立場から言えば、皇室典範は―――仮に法律と称するにしても―――、通常の法律とは違った特別の手続きを踏んで、制定及び改正されるべきものである。特別の手続とは、国家側と皇室側との相談・交渉である。
ところが、新典範は単なる法律として作られたし、新典範を見ても典範改正のための特別手続きが定められているわけではない。典範の改正は、天皇及び皇族の意見を全く聞かずとも、合法的にできることになっているのである。結局、新典範は、完全に、一種の自然法違反の存在といえよう。
しかも、前述のように、皇族会議の代わりに置かれることになった皇室会議の中には、皇室の家長ともいうべき天皇は入っていないし、皇族はわずか二名しか入れない。新典範は、皇室自身の事柄を、皇室自身の意見は反映させない形で決めていこうという、極めて非人間的な立場をとっている。換言すれば、「日本国憲法」と新典範の下にある戦後日本は、皇室の衰微した武家政治よりもはるかに、天皇及び皇室を圧迫してきたのである。
以上五点の理由から、「日本国憲法」の場合以上に、新典範は無効な存在である。無効だとすれば、皇位継承問題について、新典範改正という形はとるべきではないことになる。そして、新典範成立と一体の動きとして行われた十一宮家の臣籍降下も本来無効なものとなる。とすれば、女系天皇を認める法をつくるべきだと仮定しても、新典範を改正する形ではなく、「日本国憲法」と新典範の無効を確認した上で明治憲法と旧典範の復原改正という形で行うべきだろう(具体的な憲法の復原改正方法については、拙著『憲法無効論とは何か』展転社、参照)。新典範の無効を確認すれば、十一宮家も原則的に復活することになるし、十一宮家には皇位継承候補たるべき男子が相当数存在する。それゆえ、新典範無効論の立場に立てば、女系天皇ばかりか女性天皇さえも認める必要性はなくなるであろう。
しかし、なぜ、万世一系否定、王朝交代肯定、ひいては易姓革命に道を開く女系天皇容認論が出てきたのであろうか。戦後六十年間、「日本国憲法」という名の占領管理基本法を研究する学問である「憲法学」は、人権論ばかりに力を入れて、国家論も天皇論も研究してこなかった。公民教育は、「憲法学」以上に、国家論や天皇論を教えてこなかった。例えば、今年度から使用された中学公民教科書は、全八社中、東京書籍、日本書籍新社、教育出版、帝国書院の四社が、何の見出しも付けずに「象徴天皇」について記している。天皇は「日本国憲法」第一条で規定されている存在である。にもかかわらず、採択率第一位の東京書籍などは、極めて軽く天皇を扱うのである。(拙著『公民教科書は何を教えてきたのか』二〇〇五年、展転社)。 極めておかしなことと言わねばならない。
戦後六十年間、日本国民は、このような非天皇教育、非国家教育を中学から大学まで受け続けてきた。したがって、戦後社会では、元「優等生」の多い政治家、学者、教員とマスコミ関係者さえも、あるいは保守派さえも、天皇論や国家論に関する基礎的な知識を欠くことになった。天皇及び皇室に関する国民的な規模での知識の欠如こそが、ムード的な女性天皇論、女系天皇容認論を招き寄せたのである。
天皇論や国家論の研究は、却って、天皇制廃止を狙う共産主義者や共産主義シンパによって行われてきた。前述のように、彼らは、皇帝打倒の易姓革命にあこがれる傾向がある。しかし、易姓革命を否定したところにこそ、日本国家の発展があったということを忘れてはいけない。彼らは、女系天皇容認→王朝交代・易姓革命→天皇制廃止という筋道を考えている。彼らのもくろみは、今の段階で砕いておかなければならない。そして、彼らのもくろみを砕くためには、天皇の本質について、前述の五つの論点に関する議論を展開し深めることが必要となろう。
《主要参考文献⊿美濃部達吉『憲法撮要』大正12年初版、昭和7年改訂第5版、有斐閣⊿美濃部達吉『日本国憲法原論』1948年、有斐閣⊿小森義峯『天皇と憲法』1985年、皇學館大學出版部⊿芦部信喜・高見勝利編著『日本立法資料全集1 皇室典範』1990年、信山社⊿小山常実『「日本国憲法」無効論』2002年、草思社⊿中川八洋『皇統断絶』05年、ビジネス社⊿八木秀次『本当に女帝を認めてもいいのか』05年、洋泉社⊿竹田恒泰『語られなかった皇族たちの真実』06年、小学館⊿小山常実『憲法無効論とは何か』06年、展転社》
(参考)現行「皇室典範」無効宣言 南出喜久治
http://www.meix-net.or.jp/~minsen/kako/bunko/m17.htm
現行憲法と皇室典範 南出喜久治
正論 4月号
いまこそ皇室の重みに思いをいたせ
渡部昇一
P105
・・・・・(略)・・・・・
最後に、憲法改正とからめて皇室の伝統を守る方策について述べてみたい。先述・米長永世棋聖との対談でのべたように、私は現在議論されている憲法改正に反対である。主権のない占領時代につくられた憲法の定める手続きによって改正すれば、日本人が一切異見を差しはさむことができなかった占領軍の憲法に、わざわざ日本人自身がレジティマシー(正統性)を与えることになる。絶対にしてはいけないことである。
必要なのは現憲法の無効を宣言することである。そこで現憲法が無効になれば、明治憲法を改正する形で新しい憲法をつくることになる。そうすれば、明治の皇室典範がそのまま息を吹き返し、皇室の問題を心配する必要性はなくなる。明治の皇室典範に戻るのであるから、戦後に臣籍降下された旧宮家は自動的に復活するし、男系継承も維持される。改正すべき点があれば、明治の典範を改正すればよいのだ。このようなことも、憲法改正に関わる人たちには視野に入れていただきたい。

コメント
コメント一覧 (2)
戦術面や方針はさておき、ご自身のまとめの2段落はほぼ同意見です。
その部分に関しては、嬉しいです。
コメントありがとうございます。