もって生まれたものを失なわしめるために
【蚤の曲芸】 虫のいろいろ 尾崎一雄 新潮日本文学全集19 p139-140
また、虫のことだが、蚤の曲芸という見世物、あの大夫の仕込み方を、昔何かで読んだことがある。
蚤をつかまえて、小さな丸い硝子玉に入れる。
彼は得意の脚で跳ね廻る。
だが、周囲は鉄壁だ。
散々跳ねた末、若しかしたら跳ねるということは間違っていたのじゃないかと思いつく。
試しにまた一つ跳ねて見る。
やっぱり無駄、彼は諦めて音なしくなる。
すると、仕込手である人間が、外から彼を脅かす。
本能的に彼は跳ねる。
駄目だ、逃げられない。
人間がまた脅かす、跳ねる、無駄だという蚤の自覚。
この繰り返しで、蚤は、どんなことがあっても跳躍をせぬようになるという。
そこで初めて芸を習い、舞台に立たされる。
このことを、私は随分無慙な話と思ったので覚えている。
持って生まれたものを、手軽に変えてしまう。
蚤にしてみれば、意識以前の、したがって疑問以前の行動を、一朝にして、われ誤てり、と痛感しなくてはならぬ、これほど無慙な理不尽さは少なかろう、と思った。
実際ひどい話だ。どうしても駄目か、判った、という時の蚤の絶望感というものは―――想像がつくというかつかぬというか、一寸同情に値する。
「しかし、頭かくして尻かくさずという、元来どうも彼は馬鹿者らしいから・・・・・・それにしても、もう一度跳ねてみたらどうかね、たった一度でいい」
東京から見舞いがてら遊びに来た若い友人にそんなことを私はいった。
彼は笑いながら、
「蚤にとっちゃあ、もうこれでギリギリ絶対というところなんでしょう。最後のもう一度を、彼としたらやってしまったんでしょう」
「そうかなア。残念だね」
私は残念という顔をした。
―――――――――――――――――――――
『戦後思想』克服のために 6
~ 極まればまた蘇る道ありて ~ 小柳陽太郎 ≪≪蚤の曲芸≫≫
皆さまは蚤の曲芸という話をご存知でしょうか。
これは尾崎一雄という小説家の「虫のいろいろ」という作品の中に出てくるものです。
蚤は実に小さな虫ですが、自分の背丈とは桁外れに長い距離を跳ぶことができる。
だからこの蚤に曲芸を仕込むのは容易な業ではない。
そのため一番最初には、この蚤を小さな丸いガラスの玉の中に入れるのです。
当然蚤は得意の脚で跳ね回るのですが、周囲は堅いガラスの壁です。
そうしているうちに蚤は跳ねることに絶望し、あげくの果てはそのガラスの玉の中だけが自分の世界だと思ってしまう。
そうして跳ぶのをやめる。
そうなってしまえばガラスの中から取り出してももう跳ぼうとはしないのだそうです。
曲芸師はそこまで仕込んだあとで、蚤に芸を教えて舞台に立たせるのだそうです。
私は戦後の無惨な日本の状況を思うと、いつもそのことが頭に浮かぶのです。
尾崎一雄さんもこの話を聞いた時は実に「無惨な話」だと思ったと書いておられる。
持って生まれたものを、手軽に変えてしまう。
・・・・・これほど無惨な理不尽さは少ないだろう
本当にのそのとおりで、まさに戦後の日本人は、すでに占領というガラスの玉から抜け出したはずなのですが、そのガラスの玉の中に生きていた時の習性が身についてしまって、自分は跳ぶことが出来ない、それが自分の生まれつきの能力なのだと思いこんでしっまて、目に見えない占領軍の目を意識して文章を書くようになったのです。
戦後思想、戦後教育の問題はすべてこのおびえのような意識から生まれてきているのです。そして占領軍も、ちょうど蚤の曲芸師のように、もう跳ぼうとはしないことを見届けて、我が事成れりと考えて占領を解いたのです。
だが、日本人すべてがこの錯覚の中に陥っていたその中に、ただ一人、錯覚の中から免れた方、ガラスの玉の外に身を置かれた方がおられる。それが実は昭和天皇だったのです。天皇は占領が終わった時、「これでいよいよ占領は終わった。あとは日本人が思いっきり自分たちの手で自分たちの力で日本を再建していける。そういう時が来た」とお喜びになったのです
風さゆるみ冬は過ぎてまちにまちし
八重桜咲く春となりけり
あの冷たい風が吹いていた冬は終わって、待ちに待った八重桜が咲く春となった─。平和条約発効の日は、先ほど申し上げたように昭和二十七年四月二十八日、ちょうど八重桜が咲く季節です。
この爛漫と八重桜が咲きほこる時を迎えた。そういうあふれるような喜びのお歌ですね。さらにもう一首。
国の春と今こそはなれ霜こほる
冬にたへこし民のちからに
いよいよ春が来たのだ、霜の凍りつくような寒い冬の中で耐えに耐えてきた国民の力によって─。国民は本当によく耐えてくれた、我慢してくれた、そのお前たちの力によって今日を迎えることができたとおっしゃったのです。「占領が終わったからよかった」というのではない、皆がよくぞ我慢してくれたからこそ今日の日を迎えることができた、それがうれしいとおっしゃったのです。このお歌をお詠みになった時、天皇の御心の中には、おそらく終戦の翌年の春、歌会始の折りにお詠みになった次の一首が浮かんでおられたに違いない。それは「松上の雪」と題する一首でした。
ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ
松ぞををしき人もかくあれ
これからはいよいよ占領下という想像を絶する苦しみの中に、日本再建の営みが始まる。お前たちはさぞかしつらいだろうが、「ふりつもる雪」の中でも、美しい色を変えない松、あの松のように節操を守って、日本人の心をしっかりと守り抜いて、この難局に耐えてほしい、「松ぞををしき人もかくあれ」、あの松のように雄々しい日本人であってくれよと、思いを込めてこの一首をお詠みになったのです。
占領が解けた今、この六年前のお歌をみ心に浮かべながら、あの時自分が詠んだように、お前たちはじっと耐えて、松の緑をしっかり守ってくれたに違いない。だからこそ今こうして占領が終わったのだとおっしゃったのでしょう。
しかし本当に申し訳ないことに、国民はこの昭和天皇の深いご信頼を完全に裏切ったのです。あれほど熱い思いで天皇は今日の日をお迎えになったのに、国民は、ポツダム宣言にあったように、彼らの「新秩序」の中に見事に組み込まれてしまっていたのです。
そしてその日から五十年、いまだに日本人はこのガラスの玉の中から出ることができないでいる。それどころか、昭和天皇が御崩御になったあとは、政治家の世代が戦後教育の中で育った人々に入れ替わってきた事もあって、状況はさらに悪くなってきている。占領軍が考えていたよりさらに先回りして、日本の心を踏みにじろうとする人々が時代を動かそうとしているのです。
蚤の曲芸図
護憲派護憲論と護憲派改正論は蚤の曲芸!
原状回復こそが問題解決の原則
◆被害者及び受益者の追認能力◆
◆国家の正統憲法奪還義務・原状回復義務◆
◆主権意識の欠落◆
拉致被害者が帰還まえに、つまり北朝鮮に居るあいだに「この北朝鮮での生活のままでよい」と言ったってその意思の表明は真正な意思として認められず無効であることは了解されるでしょう。
そうであればGHQによって帝国憲法体制から「日本国憲法」体制へ拉致された国民、つまり「日本国憲法」からの受益者であり拉致被害者である現在の日本人が「日本国憲法」体制内で「この憲法のままでよい」と護憲論や改正論のように「日本国憲法」をどうするかという論点で論陣をはったとしても、その欲求や意思の表明は本来の国家(=祖先や子孫に責任をもつ国民が構成する時間的共同体)からみれば無効であることが理解されるでしょう。
やはり、いずれの件も、いったんは原状回復、つまり折り目正しく原点(祖国や帝国憲法)に立ち返ってから意思表示しなければ話になりません。(実はこのブログの目的は、この原状回復などが認識の転換で必要なくなることを説明することなのですが・・・)
つまり護憲論も改正論も「日本国憲法」を憲法として有効と認める護憲派、拉致継続追認派なのです。そのまま護憲するか一部を変えて護憲するかの違いがあるのみです。いわば護憲派護憲論と護憲派改正論という同じ護憲派反日兄弟による綱引きが戦後ずっとマッカーサーの手のひらのうえで行なわれてきたのです。
どちらも問題の急所は、国家主権、時間的共同体たる国家の問題として正統憲法奪還の義務、拉致被害者奪還の義務が既に発生しているという意識の欠落しているところにあります。
実力によって改廃させられたものは、いったんは瞬間的にでも原状回復されなければなりません。折り目正しく原点に立ち返り、正統性を保持し、そこから筋道を通して時宜に応じた改変により憲法が確立されなければならないのです。あたりまえの道理です。
帝国憲法さえも遵守できない国民ならば、今後、どんな憲法をもっても、その時々に現れた実力の前に屈服してゆく歴史の繰り返しになるでしょう。
実力によって改廃されたものを修正するに、また実力(クーデター、革命、征服)によって実現するなら、それは法の支配からのさらなる脱却でしかなく、自ら進んで実力の前に屈服するをよしとし、他人を実力でもって屈服させるをよしとすると同列の恥の上塗りでしかありません。
又、自覚がないようなのですが、改正論は、ちょっとおとなしい外形をしているだけでこの現実の力によってものごとを実現しようとしたり、奴隷になって屈服してゆこうとする上記の恥の上塗り族と本質的に同じ精神構造です。
もともと、その自分の精神の虚無状態即ち憲法を語るに必要不可欠な自らの独立心の欠如を自覚しえないがゆえに、法の支配という高邁なことが感知できない不自由な方たちなのでしょう。
滅亡の回避!民族浄化を受容するのか?原状回復か?
憲法改正を唱えながら東京裁判を否定する人がいます
矛盾しませんか?
現行憲法の理念は東京裁判の思想と歴史観と共に成立しています
憲法改正を言いながら
教育勅語の復活を訴える人がいます
何かおかしくありませんか?
教育勅語は現行憲法の理念から
悪しき物として排除されました
憲法改正は
現行憲法を正統なる憲法として認め
その理念をも認めることが前提です
今一度、既成概念を捨て
憲法というものを真剣に考えてみませんか?
美しき
歴史・伝統・文化の国
祖国 日本の為に
平泉 澄著 「先哲に仰ぐ」 より
今憲法について考へますに、われわれが個人個人の感情を述べ、意見を通して議論をいたし、構想を練らうとしたしますならば、各人各様の意見が出まして、到底まとまるものではあるまいと思ひます。これについて参考にすべきものは、幕末の俊傑、然もわが国古来幾千年の間における最大の俊傑の一人であります橋本景岳の国是の論であります。この国是の論は、安政三年の四月二十六日に中根雪江に送りました手紙の中に見えてをりますが、
「国是と申す者は、国家祖宗の時、既に成り居り候者にて、後代子孫に在りては、其の弊を救い候へば宜しき義に御座候。子孫の代に在りて別段国是を営立すると申す例もなく、道理もなし」
かういふことを申してをります。すなはち国体とか国是といひますのは、今日は憲法とか国家の大方針とかいふ意味でありますが、これは歴史がこれを決定してをるものであつて、後世子孫のときになつて勝手にこれを構想すべきものでないといふことを言つてをるのであります。…・・(昭和二十九年六月三十日)
改憲論・新憲法制定論のおろかさ
占領下完全なる主権も自由意思も持たなかった時期において、占領軍の威力をもって強要改正した占領憲法を、独立を回復した現在、自由意思をもってこれを追認、合法化し、永久化せんとする改正論は、占領下抗拒不能の時、現行憲法を作成したる者以上に屈辱的であり、法理無視であり、その責任は重大である。
新憲法制定論も占領終了後廃棄までは現行憲法の有効を肯認するものであって、その過誤は改正論に同じだ。ことに注意すべきは、この説は自己の理想的と信ずるところに従って新憲法を制定せんとするところに憲法を無視し、政権争奪の度ごとに憲法の改正をもたらし、フランス同様の混乱に導かんとする革命主義に坐すことである。
<国書刊行会 「東京裁判の正体」 菅原 裕 著>
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336044503
著者紹介
明治27年(1894)長崎県に生まれる。
明治大学法科卒。東京弁護士会会長。
法曹政治連盟副理事長等を勤める。
昭和21年(1946)からの「東京裁判」で元陸軍大将荒木貞夫弁護人として公判にあたる。
昭和54年(1979)9月逝去。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336044759
<日本国憲法失効論>

=昭和36年に発行されたものの復刊=
第九章 む す び
今日、わが国の当面するあらゆる混乱の原因は、国の基本法である憲法が確立せず、占領中の暫定基本法が、憲法を僭称し、十数年間もそのままの状態で放置されているからである。
祖国日本の再建は、権力や金力や暴力などいわゆる実力の横行をやめて、法の支配を遵奉するところから出発すべきで、そのためには国の根本法たる憲法がまず普遍的法理と、国家民族の伝統とにしたがって確立されなければならぬ。
本論を終わるに当たっていま一度わが国の指導者たちが、終戦後、帝国憲法の改廃に関し、いかに占領軍の実力に屈伏し、法の支配を無視したかを列挙しておこう。
1.力の支配への屈伏
一、占領軍が、理不尽にも、無条件降伏のいいがかりをつけて、武力を背景として横暴をふうるのを放任した。
二、明瞭なハーグ規約違反を黙過して、あえて占領軍当局に抗議する者もなかった。
三、憲法改正に限界ありという明白な憲法法理を無視して、法的持続性を肯認せしめんとした占領軍の無理強いに対して政府も国会も屈伏した。
四、学会の大勢は、憲法を擁護すべき学者の使命に背き、憲法を蹂躙する革命説を強調して、偽憲法を真正憲法として宣伝し、国民を錯覚に陥れた。
五、「新憲法普及会」なる半官半民の団体をつくり、わが国の経費をもって憲法凌辱の加害者たる占領軍の宣伝係をつとめた。
六、保守党は、当初、帝國憲法の改廃を放任しながら、いまや再軍備のために、この占領憲法の一部を改正して、砂上に楼閣を築き、二重の過ちを犯さんとしている。
七、共産党や、社会党は、憲法擁護運動と銘打って、この法理無視の偽憲法の擁護運動を展開して、日本国民の正統憲法に対する遵法精神を悪用し、冒涜しつつある。
八、国粋主義者たちは、このインチキ憲法は、実力をもって廃棄するもさしつかえなしと、クーデター論を合理化せんとしている。
以上は、いずれも、法理を無視し、実力をもって非違を遂行したものに屈伏し、さらに自らもまた、実力をもって、恥の上塗りをせんとするものであって、法の支配に反すること甚だしいものである。
2.法の支配を貫け
一、民族の伝統に即し、国家の組織や、政治の基本を定めた帝国憲法を、棚上げされたままに放任しておいては、法の支配する国とはいえぬ。
二、普遍的法理に従って、この筋道を正すことが、文化国家として、はたまた民本主義国家としての第一の条件ではあるまいか。
三、真理は、これを古今に通じて謬らず、これを中外に施して悖らないものでなければならぬ。伝統を無視し、歴史を否定し、普遍的法理に反するものは、真理とはいえぬ。
四、暴力をおさえて、法の支配を確立するためには、非常な叡智と、勇気とが必要である。戦争に敗けても、正義を貫き通し、国法を護り抜く決意を持ち、艱難を意とせず堂々と大行進する民族の国こそ、真の文化国家というべきであろう。
五、敗けたから仕方がないと、自暴自棄に陥ったり、自分らの忠誠心に欠けたがための敗戦の責任を、ものいわぬ憲法や、弁解されぬ天皇に転嫁し、占領終了後九年、未だに占領管理法を真憲法として奉戴して恥としないようでは法治国とはいえない。もちろん独立国でもない。いわんや民主主義など論ずる資格はない。
3.祖国復興の礎石
一、占領統治の行き過ぎを是正し、本来の状態に復帰することを企図しない民族は、敗北主義の奴隷である。盤根錯節に屈せず、毅然として起ち上がり、独立国家を確立すべきである。
二、「憲法の復活」をもって、祖国復興の礎石たらしめたい。禍を転じて福とし、失敗をもって成功の縁とし、弥栄の御代を祈念したい。新日本国民の行くべき道は、独立国日本の天皇の最後の詔書「終戦の詔勅」に明示されている。
三、九千万国民の信念と、奉仕とによって、今一度日本の民族の魂を呼び起こし、雲霧を排して天日を仰がんと欲するものである。これまさに、日本の日本たらんとする世紀の大事業である。
新無効論による現実対処法
http://ameblo.jp/tonarisann/entry-10024909224.html
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/DetailωrefShinCode=0100000000000031877444&Action_id=121&Sza_id=A0

【蚤の曲芸】 虫のいろいろ 尾崎一雄 新潮日本文学全集19 p139-140
また、虫のことだが、蚤の曲芸という見世物、あの大夫の仕込み方を、昔何かで読んだことがある。
蚤をつかまえて、小さな丸い硝子玉に入れる。
彼は得意の脚で跳ね廻る。
だが、周囲は鉄壁だ。
散々跳ねた末、若しかしたら跳ねるということは間違っていたのじゃないかと思いつく。
試しにまた一つ跳ねて見る。
やっぱり無駄、彼は諦めて音なしくなる。
すると、仕込手である人間が、外から彼を脅かす。
本能的に彼は跳ねる。
駄目だ、逃げられない。
人間がまた脅かす、跳ねる、無駄だという蚤の自覚。
この繰り返しで、蚤は、どんなことがあっても跳躍をせぬようになるという。
そこで初めて芸を習い、舞台に立たされる。
このことを、私は随分無慙な話と思ったので覚えている。
持って生まれたものを、手軽に変えてしまう。
蚤にしてみれば、意識以前の、したがって疑問以前の行動を、一朝にして、われ誤てり、と痛感しなくてはならぬ、これほど無慙な理不尽さは少なかろう、と思った。
実際ひどい話だ。どうしても駄目か、判った、という時の蚤の絶望感というものは―――想像がつくというかつかぬというか、一寸同情に値する。
「しかし、頭かくして尻かくさずという、元来どうも彼は馬鹿者らしいから・・・・・・それにしても、もう一度跳ねてみたらどうかね、たった一度でいい」
東京から見舞いがてら遊びに来た若い友人にそんなことを私はいった。
彼は笑いながら、
「蚤にとっちゃあ、もうこれでギリギリ絶対というところなんでしょう。最後のもう一度を、彼としたらやってしまったんでしょう」
「そうかなア。残念だね」
私は残念という顔をした。
―――――――――――――――――――――
『戦後思想』克服のために 6
~ 極まればまた蘇る道ありて ~ 小柳陽太郎 ≪≪蚤の曲芸≫≫
皆さまは蚤の曲芸という話をご存知でしょうか。
これは尾崎一雄という小説家の「虫のいろいろ」という作品の中に出てくるものです。
蚤は実に小さな虫ですが、自分の背丈とは桁外れに長い距離を跳ぶことができる。
だからこの蚤に曲芸を仕込むのは容易な業ではない。
そのため一番最初には、この蚤を小さな丸いガラスの玉の中に入れるのです。
当然蚤は得意の脚で跳ね回るのですが、周囲は堅いガラスの壁です。
そうしているうちに蚤は跳ねることに絶望し、あげくの果てはそのガラスの玉の中だけが自分の世界だと思ってしまう。
そうして跳ぶのをやめる。
そうなってしまえばガラスの中から取り出してももう跳ぼうとはしないのだそうです。
曲芸師はそこまで仕込んだあとで、蚤に芸を教えて舞台に立たせるのだそうです。
私は戦後の無惨な日本の状況を思うと、いつもそのことが頭に浮かぶのです。
尾崎一雄さんもこの話を聞いた時は実に「無惨な話」だと思ったと書いておられる。
持って生まれたものを、手軽に変えてしまう。
・・・・・これほど無惨な理不尽さは少ないだろう
本当にのそのとおりで、まさに戦後の日本人は、すでに占領というガラスの玉から抜け出したはずなのですが、そのガラスの玉の中に生きていた時の習性が身についてしまって、自分は跳ぶことが出来ない、それが自分の生まれつきの能力なのだと思いこんでしっまて、目に見えない占領軍の目を意識して文章を書くようになったのです。
戦後思想、戦後教育の問題はすべてこのおびえのような意識から生まれてきているのです。そして占領軍も、ちょうど蚤の曲芸師のように、もう跳ぼうとはしないことを見届けて、我が事成れりと考えて占領を解いたのです。
だが、日本人すべてがこの錯覚の中に陥っていたその中に、ただ一人、錯覚の中から免れた方、ガラスの玉の外に身を置かれた方がおられる。それが実は昭和天皇だったのです。天皇は占領が終わった時、「これでいよいよ占領は終わった。あとは日本人が思いっきり自分たちの手で自分たちの力で日本を再建していける。そういう時が来た」とお喜びになったのです
風さゆるみ冬は過ぎてまちにまちし
八重桜咲く春となりけり
あの冷たい風が吹いていた冬は終わって、待ちに待った八重桜が咲く春となった─。平和条約発効の日は、先ほど申し上げたように昭和二十七年四月二十八日、ちょうど八重桜が咲く季節です。
この爛漫と八重桜が咲きほこる時を迎えた。そういうあふれるような喜びのお歌ですね。さらにもう一首。
国の春と今こそはなれ霜こほる
冬にたへこし民のちからに
いよいよ春が来たのだ、霜の凍りつくような寒い冬の中で耐えに耐えてきた国民の力によって─。国民は本当によく耐えてくれた、我慢してくれた、そのお前たちの力によって今日を迎えることができたとおっしゃったのです。「占領が終わったからよかった」というのではない、皆がよくぞ我慢してくれたからこそ今日の日を迎えることができた、それがうれしいとおっしゃったのです。このお歌をお詠みになった時、天皇の御心の中には、おそらく終戦の翌年の春、歌会始の折りにお詠みになった次の一首が浮かんでおられたに違いない。それは「松上の雪」と題する一首でした。
ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ
松ぞををしき人もかくあれ
これからはいよいよ占領下という想像を絶する苦しみの中に、日本再建の営みが始まる。お前たちはさぞかしつらいだろうが、「ふりつもる雪」の中でも、美しい色を変えない松、あの松のように節操を守って、日本人の心をしっかりと守り抜いて、この難局に耐えてほしい、「松ぞををしき人もかくあれ」、あの松のように雄々しい日本人であってくれよと、思いを込めてこの一首をお詠みになったのです。
占領が解けた今、この六年前のお歌をみ心に浮かべながら、あの時自分が詠んだように、お前たちはじっと耐えて、松の緑をしっかり守ってくれたに違いない。だからこそ今こうして占領が終わったのだとおっしゃったのでしょう。
しかし本当に申し訳ないことに、国民はこの昭和天皇の深いご信頼を完全に裏切ったのです。あれほど熱い思いで天皇は今日の日をお迎えになったのに、国民は、ポツダム宣言にあったように、彼らの「新秩序」の中に見事に組み込まれてしまっていたのです。
そしてその日から五十年、いまだに日本人はこのガラスの玉の中から出ることができないでいる。それどころか、昭和天皇が御崩御になったあとは、政治家の世代が戦後教育の中で育った人々に入れ替わってきた事もあって、状況はさらに悪くなってきている。占領軍が考えていたよりさらに先回りして、日本の心を踏みにじろうとする人々が時代を動かそうとしているのです。
蚤の曲芸図
護憲派護憲論と護憲派改正論は蚤の曲芸!
原状回復こそが問題解決の原則
◆被害者及び受益者の追認能力◆
◆国家の正統憲法奪還義務・原状回復義務◆
◆主権意識の欠落◆
拉致被害者が帰還まえに、つまり北朝鮮に居るあいだに「この北朝鮮での生活のままでよい」と言ったってその意思の表明は真正な意思として認められず無効であることは了解されるでしょう。
そうであればGHQによって帝国憲法体制から「日本国憲法」体制へ拉致された国民、つまり「日本国憲法」からの受益者であり拉致被害者である現在の日本人が「日本国憲法」体制内で「この憲法のままでよい」と護憲論や改正論のように「日本国憲法」をどうするかという論点で論陣をはったとしても、その欲求や意思の表明は本来の国家(=祖先や子孫に責任をもつ国民が構成する時間的共同体)からみれば無効であることが理解されるでしょう。
やはり、いずれの件も、いったんは原状回復、つまり折り目正しく原点(祖国や帝国憲法)に立ち返ってから意思表示しなければ話になりません。(実はこのブログの目的は、この原状回復などが認識の転換で必要なくなることを説明することなのですが・・・)
つまり護憲論も改正論も「日本国憲法」を憲法として有効と認める護憲派、拉致継続追認派なのです。そのまま護憲するか一部を変えて護憲するかの違いがあるのみです。いわば護憲派護憲論と護憲派改正論という同じ護憲派反日兄弟による綱引きが戦後ずっとマッカーサーの手のひらのうえで行なわれてきたのです。
どちらも問題の急所は、国家主権、時間的共同体たる国家の問題として正統憲法奪還の義務、拉致被害者奪還の義務が既に発生しているという意識の欠落しているところにあります。
実力によって改廃させられたものは、いったんは瞬間的にでも原状回復されなければなりません。折り目正しく原点に立ち返り、正統性を保持し、そこから筋道を通して時宜に応じた改変により憲法が確立されなければならないのです。あたりまえの道理です。
帝国憲法さえも遵守できない国民ならば、今後、どんな憲法をもっても、その時々に現れた実力の前に屈服してゆく歴史の繰り返しになるでしょう。
実力によって改廃されたものを修正するに、また実力(クーデター、革命、征服)によって実現するなら、それは法の支配からのさらなる脱却でしかなく、自ら進んで実力の前に屈服するをよしとし、他人を実力でもって屈服させるをよしとすると同列の恥の上塗りでしかありません。
又、自覚がないようなのですが、改正論は、ちょっとおとなしい外形をしているだけでこの現実の力によってものごとを実現しようとしたり、奴隷になって屈服してゆこうとする上記の恥の上塗り族と本質的に同じ精神構造です。
もともと、その自分の精神の虚無状態即ち憲法を語るに必要不可欠な自らの独立心の欠如を自覚しえないがゆえに、法の支配という高邁なことが感知できない不自由な方たちなのでしょう。
滅亡の回避!民族浄化を受容するのか?原状回復か?
憲法改正を唱えながら東京裁判を否定する人がいます
矛盾しませんか?
現行憲法の理念は東京裁判の思想と歴史観と共に成立しています
憲法改正を言いながら
教育勅語の復活を訴える人がいます
何かおかしくありませんか?
教育勅語は現行憲法の理念から
悪しき物として排除されました
憲法改正は
現行憲法を正統なる憲法として認め
その理念をも認めることが前提です
今一度、既成概念を捨て
憲法というものを真剣に考えてみませんか?
美しき
歴史・伝統・文化の国
祖国 日本の為に
平泉 澄著 「先哲に仰ぐ」 より
今憲法について考へますに、われわれが個人個人の感情を述べ、意見を通して議論をいたし、構想を練らうとしたしますならば、各人各様の意見が出まして、到底まとまるものではあるまいと思ひます。これについて参考にすべきものは、幕末の俊傑、然もわが国古来幾千年の間における最大の俊傑の一人であります橋本景岳の国是の論であります。この国是の論は、安政三年の四月二十六日に中根雪江に送りました手紙の中に見えてをりますが、
「国是と申す者は、国家祖宗の時、既に成り居り候者にて、後代子孫に在りては、其の弊を救い候へば宜しき義に御座候。子孫の代に在りて別段国是を営立すると申す例もなく、道理もなし」
かういふことを申してをります。すなはち国体とか国是といひますのは、今日は憲法とか国家の大方針とかいふ意味でありますが、これは歴史がこれを決定してをるものであつて、後世子孫のときになつて勝手にこれを構想すべきものでないといふことを言つてをるのであります。…・・(昭和二十九年六月三十日)
改憲論・新憲法制定論のおろかさ
占領下完全なる主権も自由意思も持たなかった時期において、占領軍の威力をもって強要改正した占領憲法を、独立を回復した現在、自由意思をもってこれを追認、合法化し、永久化せんとする改正論は、占領下抗拒不能の時、現行憲法を作成したる者以上に屈辱的であり、法理無視であり、その責任は重大である。
新憲法制定論も占領終了後廃棄までは現行憲法の有効を肯認するものであって、その過誤は改正論に同じだ。ことに注意すべきは、この説は自己の理想的と信ずるところに従って新憲法を制定せんとするところに憲法を無視し、政権争奪の度ごとに憲法の改正をもたらし、フランス同様の混乱に導かんとする革命主義に坐すことである。
<国書刊行会 「東京裁判の正体」 菅原 裕 著>
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336044503
著者紹介
明治27年(1894)長崎県に生まれる。
明治大学法科卒。東京弁護士会会長。
法曹政治連盟副理事長等を勤める。
昭和21年(1946)からの「東京裁判」で元陸軍大将荒木貞夫弁護人として公判にあたる。
昭和54年(1979)9月逝去。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336044759
<日本国憲法失効論>

=昭和36年に発行されたものの復刊=
第九章 む す び
今日、
祖国日本の再建は、
本論を終わるに当たっていま一度わが国の指導者たちが、
1.
一、
二、
三、
四、
五、
七、
八、
以上は、
2.
一、
二、
三、
四、
五、
3.
一、
三、
http://ameblo.jp/tonarisann/entry-10024909224.html
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/DetailωrefShinCode=0100000000000031877444&Action_id=121&Sza_id=A0


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