4月28日問題!
嗚呼、憲法改正論者と護憲論者には独立回復記念日が祝えない件!
「日本国憲法」が憲法だったら、大東亜戦争はどうやって戦争終結できたの?


國體護持(条約考)
 南出喜久治
http://kokutaigoji.com/reports/rp_kg_h180107-1p.html

 
最終講和条約の締結権限

 ところで、この最終講和条約の締結は、主権の委譲を受けたとする占領憲法下の政府によつてなされたのであるから、内閣の条約締結権を定めた占領憲法第73条第3号に基づくものであつて、帝國憲法第13条の講和大権に基づくものではないのではないかとの疑問が生ずるのも無理からぬところである。

 しかし、内閣の権限は、国家の有する権限の範囲内のものであつて、占領憲法の予定する国家の権限には、講和条約の締結権限はない。ここでいふ内閣の条約締結権とは、平時における一般の条約を意味するのであつて、講和条約を意味しないのである。

 なぜならば、占領憲法第9条第1項で戦争放棄を規定し、同条第2項後段には、「国の交戦権は、これを認めない。」とあるため、交戦権を有しない国家には、交戦(宣戦から講和まで)に関する一切の権限がないからである。

 最終講和条約第1条には、「日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。」として、同条約の効力発生(昭和27年4月28日)までは、我が国には「完全な主権」がなく、征服状態(subject to)であるものの、未だ「戦争状態」にあつたのである。

 「戦争状態」であるといふことは、戦争は終結してゐないのであつて、交戦権のない国家がその終結のための戦争講和をする権限もまた「交戦権」に含まれるのであるから、占領憲法を前提とすること自体に決定的な矛盾がある。

 ところで、この「交戦権」の概念には、広義と狭義の区別がある。広義では、文字通り、「国家が戦争を行へる権利」であり、帝國憲法第13条の宣戦大権らか講和大権に至るまでの一体的な権利であつて、いはば、戦争の初めから終はりまで(宣戦から講和まで)を支配するものである。また、狭義では、「戦時において交戦当事国に与へられる国際法上の諸権利(船舶の臨検・拿捕、貨物の没収など)」であり、この区別は古典期(17、18世紀の近代国際法)以来の区別であつて、現在の国際法の用例では、交戦権(right of belligerentcy)を狭義の意味として用ゐられる。

 そして、政府のこれまでの見解は、占領憲法第9条第2項後段の「交戦権」は狭義の意味であるとする見解(狭義説)に立つてゐる。たとへば、昭和55年5月15日の稲葉誠一衆議院議員の質問主意書に対する答弁書における政府見解は、第9条第2項の交戦権とは、「戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」を言ふとされ、相手国領土の占領、及び占領行政などを例示したのである。しかし、同条第1項の「戦争放棄」は戦争の事実及び権利の放棄(事実上の禁止と法律上の禁止)であつて、広義の交戦権を放棄してゐると解釈されてきた。つまり、占領憲法第9条第2項の「交戦権」を広義に解釈する見解(広義説)はもちろんのこと、これを狭義に解釈する見解(狭義説)であつても同条第1項により広義の交戦権も放棄したとされるのであるから、いづれの見解によつても、占領憲法は、広義の交戦権を放棄してゐることには変はりはないのである。

 ましてや、放棄した「国権の発動たる戦争」といふのは、当然に「自衛戦争」を含むものである。自衛とは、国権の発動の最たるものであつて、仮に、第9条第1項でこれが放棄されてゐないとする牽強附会の見解に立つたとしても、大東亜戦争は、占領憲法の前文で「侵略戦争」であつたとして指弾するのであるから、侵略戦争である大東亜戦争の最終段階における交戦権の行使である講和ができるはずもない。占領憲法の立場であれば、永久に講和はできず、そして独立はできないことになるはずである。

 従つて、法理論上においても、最終講和条約を締結する権限は、帝國憲法第13条の講和大権に基づくことになるのである。


(抜粋おわり)


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       新無効論による帝国憲法上の国家権限の行使期間一覧


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●■ (昭和16年)宣戦布告  
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●■ 戦闘行為 
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●■  ▼ 
●■□(昭和20年)ポツダム宣言受諾 
●■□ 降伏文書調印 (両者あわせて独立喪失条約)   
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●■□ ▼      
●■□独立喪失条約の履行具体化としての講和条約(合意)群 
●■□ ・独立喪失条約を具体化した合意。 
●■□ ・この合意には事実行為に対する合意も法律行為(もちろん規範創設行為)も両方含まれる。 
●■□ ・規範化の原因根拠がこの合意のみによっている場合は講和条約であると評価される。 
●■□ ・占領軍には連合国を代表して独立喪失条約に基づく占領政策のために独立喪失条約の内容を具体化
●■□ する権限がある。 
●■□ ・日本側から言えば独立喪失条約の履行のための具体化であり13条講和大権に基づく独立回復のため
●■□ の条件を整備する国家行為である。  
●■□ 【具体例の一部をあげてその効力を考察すれば次のとおりである】        
●■□ ・新しい法律 国内的─制定過程に自律性があれば有効なければ無効  国際的(=講和として)─有効  
●■□ ・「東京裁判」を受容  国内的──無効  国際的(=講和として)──有効    
●■□○・日本国憲法を受容 国内的──無効  国際的(=講和として)──有効   
●■□○・領土の侵奪されるを受容                   
●■□○・経済産業に対する統制と制限を受容               
●■□○・自由主義の否定(=特定思想)を受容             
●■□○・その他                          
●■□○ ▼
●■□○ ▼
●■□○ ▼ 
●■□○(最終講和締結地位の取得) 
●■□○昭和26年)サンフランシスコ講和条約締結
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●■□○ ▼
●■□○(昭和27年)サンフランシスコ講和条約(独立回復条約)発効 
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●○
●○ 
●○    ▼ 
●○現在に至る。


● =【帝国憲法稼動期間】 
■ =【戦争中】─────── 帝国憲法上の交戦権の行使された期間 
□ =【講和中】─────── 帝国憲法上の講和大権も行使された期間 
○ =【「日本国憲法」稼動期間】───万全な帝国憲法体制に対する制限規範(講和条約)として稼動している期間

講和大権とは、戦争を終結させ、そのための諸条件などを合意するなど、対手国と停戦講和に関する合意を行う権限であって、その内容は、国家滅亡を回避するための広範な権限を含む。


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左翼の論理であり、またマスコミが宣伝する次の「すりこみ」の

あ)「日本国憲法」が憲法として有効。
い)昭和20年8月15日が終戦日。その後の出来事は戦後の出来事。 


この(あ)と(い)は論理的にセットなのです。 
保守派が片方で歴史認識の整序を願い教科書是正運動をやりながら、片方で「日本国憲法」を憲法として有効と認識したうえで「改正論(改憲論)」や「自主憲法制定論」を主張するのは論理矛盾なのです。

昭和27年4月28日を独立回復記念日として本当にお祝いしたかったら新無効論を受け入れるしかありませんよ。 
たしかに正しい歴史認識に整序したかったら昭和27年4月28日を独立回復日「本当の終戦日」としなければならないし、そうであるなら新無効論によって、昭和26、27年当時も現在も「日本国憲法」の上層に<講和の権限を国家に予定している>大日本帝国憲法が厳存していることも受け入れなければならないよ。 


ゆえに、我が国にとっての憲法改正論議の対象は大日本帝国憲法ただひとつしかないという事実も受け入れなければならないのです。 
大日本帝国憲法の法的存在の有無という重大項目を検討の外部において「改正論」「新憲法制定」「自主憲法制定」をいうのは論外です。

問題は全部つながってるんだよ。はやくそれらを悟ってね。
何が正しいんだろうね、まず、現況把握からはじめないとね。

                        
 

【戦後がやってくる為の帝国憲法と「日本国憲法」の階層構造図】 
http://www.meix-net.or.jp/~minsen/kako/bunko/kokutai/kokutai6/page2.pdf
【有効説と無効説の図解】 
http://www.meix-net.or.jp/~minsen/kako/bunko/kokutai/kokutai6/page1.pdf





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ものごとの序列・親子関係

 日本政府は、憲法改正を言うまえに、なぜ「日本国憲法」が憲法なのか説明してね。
交戦権を持たない「日本国憲法」の予定する国家、つまり戦争行為の最終ステップである講和締結行為も予定しない、放棄している国家に、なぜ、連合国との講和締結が有効になされ戦争終結・独立回復ができたのか説明してね。

子亀の背中に親亀をのせるようなものだが?


 もともと、帝国憲法が予定する日本国家の権能の行使として大東亜戦争をおこなった。 
その過程の中、被占領下の連合国による国際法違反の各種行為の負の果実(戦争犯罪)までをも、自ら内発的であったとして我国が引き取ってみた場合、下記の親子関係の連続、序列となる。 


1.帝国憲法>2.大東亜戦争>3.連合国のさまざまな戦争犯罪>4.「日本国憲法」>5.法律>6.命令
 


 我が国が大東亜戦争を始めたのは帝国憲法という正統憲法の13条稼働の結果であり、戦争の始末、講和締結能力までも当然に国家の権能として具備していた。

13条 天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス

したがって、 


帝国憲法(親)>大東亜戦争(子) 


である。
 つまり帝国憲法は大東亜戦争を終始制御する権能をもった「親」の地位にある。 
 もし大東亜戦争が宣戦布告と同じく、この正統憲法にもとづく講和により始末をつけたのなら能力的に不足なく問題がまったくない。 
 親が子を従わせたまでである。若しくは刀を抜いた本人が刀をサヤにおさめたまでである。 
「新無効論」はまさにこの考え方によるものである。 


 ところが今の政府解釈は「日本国憲法」が憲法だというのだから「日本国憲法」が規定する国家の能力行使によって大東亜戦争の終結の始末をつけたというのである。そうなら帝国憲法秩序のケースと同じく親子関係は、 


「日本国憲法」(親)>大東亜戦争(子) 


でなければならない。が、そんな関係は事実の中に見い出せない。 
いろいろ起想しても見い出せるのは、その逆の構図である。左が親、右が子である。 


大東亜戦争>「日本国憲法」 


連合国の戦争犯罪>「日本国憲法」 


武力、戦力>「日本国憲法」 


大東亜戦争>戦争犯罪>「日本国憲法」 


などであり、「日本国憲法」の方が大東亜戦争の「子」である。 

子亀が親亀を背負ったのか?

 被占領下の学問は、前記4と1とが同じレベルにあり、正当な手続によって入れ替わったと説明するのであるが事実経過の中に形式以外には実体がないのである。

法的に見いだせるのは、以下の   帝国憲法の講和大権>「日本国憲法」   である。 


 帝国憲法は戦争の開始と終結の権能の源泉となりえるが、述べたとおり「日本国憲法」はなり得ない。 
 なり得ないばかりか、(違法な占領統治に屈伏する形であるにせよ)戦争を終結する際の交渉材料(講和の一要素)が「日本国憲法」であるから、これを行なう権限、つまり終結の権能の源泉はやはり別途に求められることになり帝国憲法の13条講和大権に着目しなければならなくなる。 


 戦争を終結する際の交渉材料(講和の要素)として出現し、そのまま、存在が固定された「日本国憲法」と。
 「日本国憲法」の稼働(権能の行使)によって大東亜戦争が終結したという意味とは大きな差異、矛盾がある。講和の要素はあくまで講和の要素であり講和行為自体の権限根拠にはなりえない。


 思考はぐるぐるまわるが、やはり帝国憲法体制が13条によって宣戦布告した戦争を同じく13条の講和大権の稼働によって戦争終結の交渉材料のひとつ(講和の要素)として「日本国憲法」を出現させたことによって、サ講和にたどりつくことが早まった。と考えるしかない。それが自然であり、矛盾がない。 
 やはり、帝国憲法(講和大権)>「日本国憲法」の関係があきらかになるだけである。 



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