橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本の国をたもたむ


2月11日は建国記念日
(動画中解説、天皇の年齢、長寿に関し末尾に参考動画を掲げました)
憲法正統論 相原良一著 展転社 3800円 http://tendensha.co.jp/syakai/syakai125.html
国家の憲法の基礎法とは、成文憲法以前の問題、成文憲法典の基礎をなす法である。これを「立国法」と称する。ところが、立国法のごとき、普通一般の学者はその名さえ知らず、いはんやその存在を認める者は殆どをらぬと思はれる。しかし、立国法が、国家の憲法、即ち国憲の窮極の基礎法なりといふことは、少し深く考へれば容易に理解されるところである。
即ち、憲法典成立以前のわが国の歴史を考へても、立国法の存在は洞察されるし、また、大日本帝国憲法が制定せられねばならなかつた明治日本の事情を観ても、更に戦後、旧憲法典が新憲法典に変換する場合を考へて、その制定や変換の準拠すべき基礎法の存在すべきは、疑ひ得ないところである。
立国法は国のはじめより、立国の基を定める法である。従つて、国を肇むる法「肇国法」といつてもよい。しかして、立国法は、この肇国法が、国の歴史を一貫して現代に至り、現代国家法の窮極の妥当根拠となつてゐる法である。それは純粋法学的に考へれば、純粋法学にいはゆる「根本規範」のごときものといへるであらう。
しかし、純粋法学において説かれる「根本規範」は、実定法認識の最後の妥当根拠として仮説的に設定された最高規範であつて、当為の論理が要請する仮設である。従つて絶対的な実質的妥当性をもつものではなく、単に相対的に妥当する仮言的命題であるに過ぎない。
即ち、「根本規範」は論理的要請としての抽象的規範であつて、既に実定法そのものではなく、具体的な歴史的実在ではない。しかるに、立国法は、具体的な歴史的事実の根底を貫いて脈々として生動してゐる実在的規範である。それは民族の固有法であり、歴史法である。民族的確信そのものの法的表現であるといつてもよい。
かくのごとき立国法が、畏くも明治天皇の御製に「橿原の宮のおきて」と詠ませられてゐるものと拝されるのである。
橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本の国をたもたむ
この橿原の宮、即ち、神武天皇の時代に、成文法典の存在すべくもないから、この「おきて」の存在形式は不文法である。不文憲法であるとせねばならぬ。その実効的顕現は、日本の全歴史にうかがひうるものであるが、就中、『日本書紀』の神武紀に最も明らかに存するものといはねばならぬ。
明治天皇が「橿原の宮のおきて」と詠ませられてゐるものを、神武紀を通じて洞察するに多くの事が挙げられることと思はれるが、最重要眼目は祭祀であるとせねばならぬ。神武天皇の御治政の根底は常に祭祀におかれてゐる。御東征の難局に処し、ゆきづまりにあはれては、必ず、神祇を祀り、神意をうかがひ、神慮を体されて行動せられてゐる。危機の突破には不思議に必ず天佑神助がある。即ち、ふつのみたまの剣・頭八咫烏・金色の霊しがあらはれて、遂に目的を達せられる。
既にして、天下統一、海内をさまりては、橿原の地を国のもなかとして皇都を経営せられ、御即位になられる。やがて、霊(まつり)のにはを鳥見山に立てられ、天神を郊(ま)祀(つ)りて、大孝(おやにしたがうこと)を申べたまひ、御報告があるのである。御治政のすべてが祭祀にはじまり祭祀に終るところに、わが国天皇統治の本義があることが察せられる。「橿原の宮のおきて」とは、この点をいはれたものと拝されるのである。
神を祀り、神意を体されるといふのは、更に具体的にいへば、皇祖を祀り、皇祖の御意志を継承・奉体・奉行せられるといふことである。皇祖は日神として万物育成の徳をそなへさせられる神と崇められるのであるから、その御意思を奉体するとは即ち万民を恵撫滋養したまふの御意志を継承せられることである。
明治の御代において、三権分立・司法権の独立・民選議会による立法権の確立等の、近代立憲主義的諸制度の採用があつたが、その目的とするところは、日本の近代化によつて、国民の康福を増進し、その威徳良能を発達せしめ、その翼賛により与に倶に国家の進運を扶持(大日本帝國憲法上論による)せしめたまはむとせられるにある。
換言すれば、天皇統治とは、民を恵まれる目的をもつて、万民をしてその処を得しめるといふのが、そのはたらきであると拝される。このことが、実に、祭祀から出づる統治の根本義になつてゐる。
しかも更に、このことは言葉の上からも説明できる。統治は、大和言葉では「まつりごと」であるが、この語が「まつり」を根幹とし、その延長乃至展開として成立してゐることは明らかである。
「まつりごと」をみそなはす前に、先づ「まつり」がなければならぬ。順徳天皇御撰の『禁秘抄』に「凡禁中作法先神事後他事」と拝し、明治天皇の御製に、
神風の伊勢の宮居ををがみての後こそきかめ朝まつりごと
と拝される所以である。さうして、この「まつりごと」の帰着するところが、また、「まつり」である。統治は祭祀に出でて祭祀に復る。祈願・祈請・祈誓に発して、復命・報告・感謝に終る。祈年祭ありて神嘗祭・新嘗祭がある。--------その終始の全体が祭祀である。従つて、前に、「まつりごと」を「まつり」の延長乃至展開といつたが、その延長なり展開なりには、必ず帰結「むすび」がなければならぬ。この帰結・むすびが祭祀をして全からしめるのである。
明治天皇は、日露の役日本海海戦の大捷に際して、「祖宗ノ神霊ニ対フルヲ得ルヲ悦ブ」と仰せられ、今上陛下は、終戦の詔書において、「朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖 皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ」をのたまわれたのである。
かくのごとく見来れば、祭祀は国家統治の根底であり、国家存立の基礎である。国政の一部分、宗教行政の一端どころの沙汰ではない。
祭祀こそ実に国礎である。従つてこれに関する現実の法律制度は、単なる行政法規といふごときものではなく、憲法の基礎法、即ち立国法であり、もし憲法典の中に取入れられるならば、憲法典中の核心部分を形成するものと考えねばならぬ。
このことは、大日本帝國憲法の存在形式においては明瞭であつた。尤も、統治(まつりごと)の洪範の紹術としての帝國憲法には、直接祭祀(まつり)について規定した条章は存在しない。
しかし、憲法発布といふ最も重大なる統治行為にあたつて、「茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス」といふことを、「皇祖 皇宗ノ神霊ニ誥ケ」られ、「庶幾クハ神霊此レヲ鑒ミタマヘ」と「誓」ひ給うた「告文」が存在する。憲法発布の式典に先立つて、その制定の旨を奉告・誓願された賢所大前の儀の祭典があつた。祭典と式典があり、告文と憲法発布勅語があつて、憲法上諭、憲法条章があるといふ、----------その存在形式それ自体が、超憲法的立国法規範の実証的顕現である。
その内容について考へて見るに、「皇祖 皇宗ノ後裔ニ胎シタマエル統治ノ洪範」といはれるものが即ち立国法であるが、これを奉体することは「まつり」であり、これを紹述することは、「まつり」の展開としての「まつりごと」の基礎的行動である。
紹述の語義は、「紹(つ)ぎ」「述(の)ぶ」ることであるが、「つぐ」といふのは主として、祖宗即神、上、過去に対する関係であり、「のぶ」といふのは、子孫、民、下、現在及び将来に対する関係である。
即ち、紹述には上に対する奉体と下に対する展開の両面の意義がある。この両義の中特に奉体の意義を制度的、儀式的に表現するものが、万世一系の天皇がその御先祖、即ち、皇祖をまつられる祭祀、-------天皇祭祀である。
ここにいふ天皇祭祀とは、皇祖の御霊代である神鏡を奉祀する賢所を中心とする宮中祭祀と、及び、その神鏡の御本体である八咫鏡を奉祀する伊勢神宮の祭祀とを意味する。約言すれば、天皇祭祀とは宮中祭祀と神宮祭祀のことである。神宮祭祀を、天皇祭祀の外にあるもの、別個のものと考へるのは、大いなる誤謬である。神宮に奉仕せられる祭主をはじめ、大宮司・少宮司以下の神職は、いづれも、天皇祭祀の御親祭を翼賛しまつるものである。
既に述べたやうに、祭祀は国家統治の根底であるから、天皇祭祀は天皇統治の根源として、天皇の国家的行動の中で最高のものであるといへる。その天皇祭祀である宮中祭祀や神宮祭祀を、個人的な私的行事のごとく解する見方があるとすれば、そのやうな見解自体が上述の立国法に違反する。
立国法は、国家存立の基礎であるから、肇国法として、肇国とともに存在する。論理的には肇国以前とも考へられよう。しかし歴史的事実としては国家の成立と同時に、同時存在的に存在するといはねばならない。しかしてその具体的細目的な内容は、肇国の最初において全部露呈するとは限らない。否、むしろ、歴史的事実としては、歴史的時間の経過とともに漸次その内容が明確化してゆくものなのである。
────────────────────────
先頭の <歴史街道 ─ロマンへの扉─> 番組動画での解説中の天皇の年齢(長寿)に関する理解の方法ですが参考になるものがあります。
それによると神武天皇は、
15歳で皇太子 → 7歳で皇太子
45歳で東征進軍 → 22歳東征進軍
76年の在位 → 38年の在位
127歳で崩御(日本書紀) → 63歳で崩御
137歳で崩御(古事記) → 68歳で崩御
ということになります。
(参考動画) 古代天皇はなぜ殺されたのか 八木荘司
http://www.youtube.com/watchωv=WF98DjA_VZ0
http://www.youtube.com/watchωv=uGMrayzxTnI
http://www.youtube.com/watchωv=hhMbtGmLpMY (該当解説は7:00~)
http://www.youtube.com/view_play_listωp=BFFFD918A5733D5F
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/large/4048838962.jpg
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(参考動画)
軍学者 兵頭二十八
間接侵略を防いできた「神聖首長つまり君主は自我をもっていないけれども神聖で不可侵である」という日本の伝統文化
間接侵略を防いできた神聖首長という伝統文化


2月11日は建国記念日
(動画中解説、天皇の年齢、長寿に関し末尾に参考動画を掲げました)
憲法正統論 相原良一著 展転社 3800円 http://tendensha.co.jp/syakai/syakai125.html
国家の憲法の基礎法とは、成文憲法以前の問題、成文憲法典の基礎をなす法である。これを「立国法」と称する。ところが、立国法のごとき、普通一般の学者はその名さえ知らず、いはんやその存在を認める者は殆どをらぬと思はれる。しかし、立国法が、国家の憲法、即ち国憲の窮極の基礎法なりといふことは、少し深く考へれば容易に理解されるところである。
即ち、憲法典成立以前のわが国の歴史を考へても、立国法の存在は洞察されるし、また、大日本帝国憲法が制定せられねばならなかつた明治日本の事情を観ても、更に戦後、旧憲法典が新憲法典に変換する場合を考へて、その制定や変換の準拠すべき基礎法の存在すべきは、疑ひ得ないところである。
立国法は国のはじめより、立国の基を定める法である。従つて、国を肇むる法「肇国法」といつてもよい。しかして、立国法は、この肇国法が、国の歴史を一貫して現代に至り、現代国家法の窮極の妥当根拠となつてゐる法である。それは純粋法学的に考へれば、純粋法学にいはゆる「根本規範」のごときものといへるであらう。
しかし、純粋法学において説かれる「根本規範」は、実定法認識の最後の妥当根拠として仮説的に設定された最高規範であつて、当為の論理が要請する仮設である。従つて絶対的な実質的妥当性をもつものではなく、単に相対的に妥当する仮言的命題であるに過ぎない。
即ち、「根本規範」は論理的要請としての抽象的規範であつて、既に実定法そのものではなく、具体的な歴史的実在ではない。しかるに、立国法は、具体的な歴史的事実の根底を貫いて脈々として生動してゐる実在的規範である。それは民族の固有法であり、歴史法である。民族的確信そのものの法的表現であるといつてもよい。
かくのごとき立国法が、畏くも明治天皇の御製に「橿原の宮のおきて」と詠ませられてゐるものと拝されるのである。
橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本の国をたもたむ
この橿原の宮、即ち、神武天皇の時代に、成文法典の存在すべくもないから、この「おきて」の存在形式は不文法である。不文憲法であるとせねばならぬ。その実効的顕現は、日本の全歴史にうかがひうるものであるが、就中、『日本書紀』の神武紀に最も明らかに存するものといはねばならぬ。
明治天皇が「橿原の宮のおきて」と詠ませられてゐるものを、神武紀を通じて洞察するに多くの事が挙げられることと思はれるが、最重要眼目は祭祀であるとせねばならぬ。神武天皇の御治政の根底は常に祭祀におかれてゐる。御東征の難局に処し、ゆきづまりにあはれては、必ず、神祇を祀り、神意をうかがひ、神慮を体されて行動せられてゐる。危機の突破には不思議に必ず天佑神助がある。即ち、ふつのみたまの剣・頭八咫烏・金色の霊しがあらはれて、遂に目的を達せられる。
既にして、天下統一、海内をさまりては、橿原の地を国のもなかとして皇都を経営せられ、御即位になられる。やがて、霊(まつり)のにはを鳥見山に立てられ、天神を郊(ま)祀(つ)りて、大孝(おやにしたがうこと)を申べたまひ、御報告があるのである。御治政のすべてが祭祀にはじまり祭祀に終るところに、わが国天皇統治の本義があることが察せられる。「橿原の宮のおきて」とは、この点をいはれたものと拝されるのである。
神を祀り、神意を体されるといふのは、更に具体的にいへば、皇祖を祀り、皇祖の御意志を継承・奉体・奉行せられるといふことである。皇祖は日神として万物育成の徳をそなへさせられる神と崇められるのであるから、その御意思を奉体するとは即ち万民を恵撫滋養したまふの御意志を継承せられることである。
明治の御代において、三権分立・司法権の独立・民選議会による立法権の確立等の、近代立憲主義的諸制度の採用があつたが、その目的とするところは、日本の近代化によつて、国民の康福を増進し、その威徳良能を発達せしめ、その翼賛により与に倶に国家の進運を扶持(大日本帝國憲法上論による)せしめたまはむとせられるにある。
換言すれば、天皇統治とは、民を恵まれる目的をもつて、万民をしてその処を得しめるといふのが、そのはたらきであると拝される。このことが、実に、祭祀から出づる統治の根本義になつてゐる。
しかも更に、このことは言葉の上からも説明できる。統治は、大和言葉では「まつりごと」であるが、この語が「まつり」を根幹とし、その延長乃至展開として成立してゐることは明らかである。
「まつりごと」をみそなはす前に、先づ「まつり」がなければならぬ。順徳天皇御撰の『禁秘抄』に「凡禁中作法先神事後他事」と拝し、明治天皇の御製に、
神風の伊勢の宮居ををがみての後こそきかめ朝まつりごと
と拝される所以である。さうして、この「まつりごと」の帰着するところが、また、「まつり」である。統治は祭祀に出でて祭祀に復る。祈願・祈請・祈誓に発して、復命・報告・感謝に終る。祈年祭ありて神嘗祭・新嘗祭がある。--------その終始の全体が祭祀である。従つて、前に、「まつりごと」を「まつり」の延長乃至展開といつたが、その延長なり展開なりには、必ず帰結「むすび」がなければならぬ。この帰結・むすびが祭祀をして全からしめるのである。
明治天皇は、日露の役日本海海戦の大捷に際して、「祖宗ノ神霊ニ対フルヲ得ルヲ悦ブ」と仰せられ、今上陛下は、終戦の詔書において、「朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖 皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ」をのたまわれたのである。
かくのごとく見来れば、祭祀は国家統治の根底であり、国家存立の基礎である。国政の一部分、宗教行政の一端どころの沙汰ではない。
祭祀こそ実に国礎である。従つてこれに関する現実の法律制度は、単なる行政法規といふごときものではなく、憲法の基礎法、即ち立国法であり、もし憲法典の中に取入れられるならば、憲法典中の核心部分を形成するものと考えねばならぬ。
このことは、大日本帝國憲法の存在形式においては明瞭であつた。尤も、統治(まつりごと)の洪範の紹術としての帝國憲法には、直接祭祀(まつり)について規定した条章は存在しない。
しかし、憲法発布といふ最も重大なる統治行為にあたつて、「茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス」といふことを、「皇祖 皇宗ノ神霊ニ誥ケ」られ、「庶幾クハ神霊此レヲ鑒ミタマヘ」と「誓」ひ給うた「告文」が存在する。憲法発布の式典に先立つて、その制定の旨を奉告・誓願された賢所大前の儀の祭典があつた。祭典と式典があり、告文と憲法発布勅語があつて、憲法上諭、憲法条章があるといふ、----------その存在形式それ自体が、超憲法的立国法規範の実証的顕現である。
その内容について考へて見るに、「皇祖 皇宗ノ後裔ニ胎シタマエル統治ノ洪範」といはれるものが即ち立国法であるが、これを奉体することは「まつり」であり、これを紹述することは、「まつり」の展開としての「まつりごと」の基礎的行動である。
紹述の語義は、「紹(つ)ぎ」「述(の)ぶ」ることであるが、「つぐ」といふのは主として、祖宗即神、上、過去に対する関係であり、「のぶ」といふのは、子孫、民、下、現在及び将来に対する関係である。
即ち、紹述には上に対する奉体と下に対する展開の両面の意義がある。この両義の中特に奉体の意義を制度的、儀式的に表現するものが、万世一系の天皇がその御先祖、即ち、皇祖をまつられる祭祀、-------天皇祭祀である。
ここにいふ天皇祭祀とは、皇祖の御霊代である神鏡を奉祀する賢所を中心とする宮中祭祀と、及び、その神鏡の御本体である八咫鏡を奉祀する伊勢神宮の祭祀とを意味する。約言すれば、天皇祭祀とは宮中祭祀と神宮祭祀のことである。神宮祭祀を、天皇祭祀の外にあるもの、別個のものと考へるのは、大いなる誤謬である。神宮に奉仕せられる祭主をはじめ、大宮司・少宮司以下の神職は、いづれも、天皇祭祀の御親祭を翼賛しまつるものである。
既に述べたやうに、祭祀は国家統治の根底であるから、天皇祭祀は天皇統治の根源として、天皇の国家的行動の中で最高のものであるといへる。その天皇祭祀である宮中祭祀や神宮祭祀を、個人的な私的行事のごとく解する見方があるとすれば、そのやうな見解自体が上述の立国法に違反する。
立国法は、国家存立の基礎であるから、肇国法として、肇国とともに存在する。論理的には肇国以前とも考へられよう。しかし歴史的事実としては国家の成立と同時に、同時存在的に存在するといはねばならない。しかしてその具体的細目的な内容は、肇国の最初において全部露呈するとは限らない。否、むしろ、歴史的事実としては、歴史的時間の経過とともに漸次その内容が明確化してゆくものなのである。
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先頭の <歴史街道 ─ロマンへの扉─> 番組動画での解説中の天皇の年齢(長寿)に関する理解の方法ですが参考になるものがあります。
それによると神武天皇は、
15歳で皇太子 → 7歳で皇太子
45歳で東征進軍 → 22歳東征進軍
76年の在位 → 38年の在位
127歳で崩御(日本書紀) → 63歳で崩御
137歳で崩御(古事記) → 68歳で崩御
ということになります。
(参考動画) 古代天皇はなぜ殺されたのか 八木荘司
http://www.youtube.com/watchωv=WF98DjA_VZ0
http://www.youtube.com/watchωv=uGMrayzxTnI
http://www.youtube.com/watchωv=hhMbtGmLpMY (該当解説は7:00~)
http://www.youtube.com/view_play_listωp=BFFFD918A5733D5F
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/large/4048838962.jpg
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(参考動画)
軍学者 兵頭二十八
間接侵略を防いできた「神聖首長つまり君主は自我をもっていないけれども神聖で不可侵である」という日本の伝統文化
間接侵略を防いできた神聖首長という伝統文化

コメント
コメント一覧 (5)
TBありがとうございます。
エントリー読ませていただいてさまざまな面から勉強していきたいと思っています。
わざわざ、ありがとうございます。
こちらこそ勉強させていただいております。