【国立国会図書館のHPの監修者・高見勝利氏】
                  http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html  
 
          日本国憲法の誕生
の先頭ページの『ごあいさつ』を左クリックすると末尾に記述のある監修者『高見勝利氏』はこんな論文を書く方です。


一刀両断「先生、もっと勉強しなさい!」  新田均著  国書刊行会

P67
高見勝利先生、それって本心ですか?

 北海道大学法学部教授・高見勝利氏から「架空のRegicide―国民主権下の「天孫降臨」神話―」(『法政研究』第六六巻第二号、平成11年6月)と題する論文をいただいた。天皇制度に批判的な憲法学者の考え方が端的に示されていて興味深いばかりでなく、私の研究分野に多少とも重なってくる部分も含まれていた。そこで、お礼の意味もあって、当該論文に対する私の批評を述べることにした。

一、高見論文の基本的主張

この論文で高見教授が主張されていることを、私なりに要約すると以下のようである。

(1)天皇主権と国民主権は「原理的に」対立するものである。
(2)したがって、天皇主権を原理とする大日本帝国憲法と、国民主権を原理とする日本国憲法とでは、天皇制度は全く異質のものである。
(3)それにもかかわらず、国民の深層心理の中では天皇制度は連続している。
(4)この国民の深層心理を改造しなければ、国民主権原理は実際に国民のものとはならない。
 このように要約できると考えられる根拠を、高見論文の記述の中から抜き出せば左のようである。

「天皇が統治権を総攬する明治憲法体制から国民主権の原理を採用し、天皇を国民統合の象徴とする日本国憲法体制へと原理的に転換し、神格を備えた天皇から人間天皇に変わったにもかかわらず、上述のような神話に彩られた皇位継承儀式[大嘗祭―引用者註]が行われたのである。このことは、天皇という制度が、合理的な根拠によってではなく、ゆるぎない伝統に支えられたものであることを示している」(273頁)
「憲法上、単なる象徴としての役割しか与えられていない天皇も、国民の深層心理の中では、戦前との連続の上に、ある種の特別な存在として持続しているように思われる」(285頁)
「天皇の神格が否定され、天皇は『人間』になった現在でも、天皇に対して、一般国民に対すると等しい敬意を表する、ということは、文字どおりには行われていない。日本人の社会生活に奥深くしみこんだ意識ないし習俗は、容易に変わるものではない」(286頁)
「その批判なくしては、憲法が採用した国民主権原理は、実際に国民のものとはなり得ず、1945年8月に行ったはずの君主殺し(regicide)も架空のものにとどまり続けるであろう」(287頁)
“日本国民は敗戦と共に「君主殺し」を行ったのだ”というのは尋常でない物言いだが、そのように言われる高見教授の主張について、以下、いくつかの論点を取り上げて私の考えを述べて行くことにしたい。


二、「国民」に対する認識について

 国民心理の改造を主張する高見教授の議論は、実に奇妙な論理構成となっている。それがもし、国民の考え方・感じ方を改めなければ「私が望む国家が実現しない」と言うのであれば話は分かる。しかし、実際に行われているのは、国民の考え方・感じ方を改めなければ「国民主権の実があがらない」との主張なのだ。主権者国民が天皇を「ある種の特別な存在」と感じているならば、それをそのまま国制・国政の上に反映させることこそ、国民主権の実をあげることではないか、と私などは単純に考えてしまうのだが、どうもそれではいけないらしい。この高見教授の主張を理解するためには、「高見教授は、主権者たる国民として、現実のありのままの国民ではなく、特定の思想をもった国民を想定している」と考えなければならないだろう。事実、高見教授は樋口陽一教授の説に言及する中で次のように述べている。



 「樋口は、天皇を『憧れの中心』とする共同体拘束から個人を解放し、近代的な市民を形成することに、努力してきた。それは、国民主権原理を担い得る主体的な市民を生み出すことができなければ、日本は、憲法の予定する自由で民主的な国民国家とはなり得ないとするものである」(286頁)



 ここで述べられているような日本国憲法観が正しいとすれば、「共同体的拘束」の意味を重視している私などは、さしずめ憲法の目から見て「非国民」と言われてしまいそうだが、果たして、そうなのだろうか。私が憲法学者の書いたものを読んでいて時々感ずる疑問は、この人は憲法規範の客観的意味を解き明かそうとしているのか、それとも、自己の欲求を憲法規範を通じて表現しようとしているのか、ということである。日本国憲法第1条に関して言えば、憲法が述べていることは、象徴たる天皇の地位は「国民の総意に基づいている」とうことだけであって、憲法がこのように断定している根拠の推定や、国民の総意に基づいた天皇という地位をどの程度の重みをもって受けとめるのかについては何も語っていない。だから、それについては色々な説を立てることができるとして、国民の深層心理を憲法が問題にし、その改造を要求しているなどと解するのはいくらなんでも恣意的にすぎる、と思う。



 また、高見教授は、共同体的拘束から解放された合理的で主体的な個人は、理性のみに基づいて「国民」としての一体感を保ち、「国民」として行動できると考えておられるようだが、果たしてこの認識に問題はないのであろうか。最近の国民国家研究の教えるところによれば、「国民」の来歴はそれほど合理的なものではない。非合理な要素を多量に動員して、ようやくにして創り上げた「幻想の共同体」であるらしい。そうであるとするならば、「非合理な要素を除去した時に、国民はその存在を保ち得るのか」という疑問が当然に生ずる。この疑問に答えることなく、人間は理性によって国民たりえるという実にナイーブな理性信仰を表明し続けたところで、ベネディクト・アンダーソン、エリック・ホブズボウム、アントニー・D・スミスらの洗礼を受けた若い研究者を納得させることができるとは思えない。非合理なるものを除去してしまえば、国民はエスニック・グループに解体されて、収集のつかない事態に陥るのではないか。このような危惧を抱くことなく「国民」について語っているとすれば、それこそ、日本独自の「共同体的拘束」に安易に寄り掛かる議論ではないか、と思う。



三、大日本帝国憲法に対する認識について

 私は、何かを批判するには、それなにの「批判の作法」というものがあると考えている。それは、批判する対象を正確に理解することを第一義とし、その上で、実証的・論理的にその問題点を指摘するということである。これは実に当たり前のことのようでありながら、実はそうでもない。私たちが目にする批判の中には、自らの批判に有利なように、「批判の対象を恣意的に加工して描き出す」という手法や、「具体的事象の総合的な検討から帰納的に、理解に適切なモデルを構想するのではなく、予め極端な善悪のモデルを設定してそれに具体的事象を強引に当てはめる」といった手法が、実にしばしば用いられているからである。この論文の中で高見教授が展開されている議論、特に大日本帝国憲法(の原理)と日本国憲法(の原理)についての議論は、その典型のように思える。



 高見教授は、善なる国民主権と悪なる君主主権というモデルを予め設定し、両者は「原理的に対立する」という判断を大前提とされているようである。そして、前者に日本国憲法が、後者に大日本帝国憲法が当てはめられ、「国民の意思にしたがって国制が定められ、国政が運営されること」と「天皇が統治権を総攬すること」とは、全く矛盾するかのように記述しておられる。
「明治憲法では、天皇制の根拠は、『神勅』ないし『神意』にあるとされた。そこでは、国民の意思は、まったく問題にされなかった。国民がそう欲するから、天皇が日本を統治するのではなく、国民が欲しようが欲しまいが、日本は、天照大神の子孫が『王たるべき地』であることが『神勅』で決まっているから、天皇が日本を統治するのだ、とされた」(273頁)



 この論法については、以下のように、さし当たり三つほど問題点を指摘できるように思う。
 第一は、大日本帝国憲法制定史に関する理解の仕方についてである。高見論文は、端的に言って、明治神宮編『大日本帝国憲法制定史』(サンケイ新聞社、昭和55年3月)が提起した問題にまったく答えていない。『大日本帝国憲法制定史』によれば、帝国憲法の基本原理は、幕末維新期の具体的政治過程の中から導き出されたものであり、日本古典の研究や欧米憲法の研究は、その原理を日本の伝統と欧米の思想・制度とに合致させるための努力であった。この見方からすると、天皇の権威の上昇過程と民主化(政治的意思決定過程への参加資格の拡大)過程とは平行しており、原理的に対立するどころか相互補完的な原則として確立されたということになる。

「『欽定』とは、外国の覇権者の独断決定などとは全く相反して、臣民の苦闘経験の結果が、すべての者の熱望として統合されて来たときに、それを天皇の精神的権威によって、荘重に確認され公定されるといふことなのである」(『大日本帝国憲法制定史』38-9頁)
このような問題提起が、具体的な歴史過程の叙述を通して行われている以上、伊藤博文『憲法義解』の解説だけを根拠として、観念的な説明を繰り返すだけでは説得力に乏しい。



 第二は、帝国憲法の解釈・運用史に対する理解の仕方についてである。高見論文を読んでいると、帝国憲法時代には、天皇主権論が有力学説であり、しかも神勅主権論が当たり前であったかのような印象を受ける。しかし、これは明らかな誤りである。昭和十年の天皇機関説事件までは、美濃部達吉の天皇機関説(国家主権説)が支配的であったことはすでに周知の事実である。しかも、天皇主権論者がすべて神勅主権論を唱えていたわけでもない。例えば、穂積八束は「国体ハ歴史ノ成果ニシテ国民ノ確信ニ由リテ定マル(拙著『近代政教関係の基礎的研究』大明堂、207頁)と述べて、主権の根拠を日本神話に求めようとはしなかった。


 第三は、「国体観念」や「神国思想」といったものに対する理解の仕方についてである。高見教授は神話や神勅から“国民の意思は、まったく問題にされず、国民が欲しようが欲しまいが、日本は天照大神の子孫が「王たるべき地」であることが「神勅」で決まっているから、天皇が日本を統治するのだ、とされた”との結論が必然的に導かれると考えておられるようだ。こうした考え方に立つ人々においては、“神あるいは天皇の意思と国民の意思とは対立するものである”との図式的理解が前提とされているに違いない。何故なら、神の意思が国民の意思と対立しないならば、神の意思を統治の根拠としたとしても、ただちに“国民の意思は無視されていた”とは言えないからである。それでは、この対立図式は「国体観念」や「神国思想」の解釈として本当に妥当なのだろうか。このような疑問を提出する根拠を、取りあえず二つだけ上げておこう。



 一つは、帝国憲法発布の勅語である。ここでは、天皇の国家統治の大権が皇祖皇宗から授けられたものであることを述べると同時に、「帝国ノ肇創」(建国)が天皇の祖先と臣民の祖先との「協力補翼」によって行われたことを強調し、祖先たちの意を体して互いに協力しあって行くことが呼びかけられている。ここでは、天皇の意思と国民の意思とが、互いの祖先に対する尊敬心を媒介として、調和・統合されることが期待されている。


 もう一つは、高見教授が、戦後天皇は人間になったと述べる根拠となっている昭和21年のいわゆる「人間宣言」と元々は一体のものとして起草された、いわゆる「神道指令」(昭和20年12月15日)である。この「神道指令」においては、否定されるべきイデオロギーとして、「日本の天皇はその家系、血統或は特殊なる起源の故に他国の元首に優るとする主義」の他に、「日本の国民はその家系、血統或は特殊なる起源の故に他国民に優るとする主義」と「日本の諸島は神に起源を発するが故に或は特殊なる起源を有するが故に他国に優るとする主義」の二つが併せて列挙されている。換言すれば、この指令が否定しようとしたのは「神の子孫たる神聖な天皇によって統治される、神々の子孫たる神聖な国民が住む、神々が生みたもうた神聖な国土」という、いわば三位一体の思想なのだ。この思想自体をどのように評価するかはともかく、この三位一体の思想の論理からすれば、国民の意思はどうでもよいなどという発想は出てこない。この思想の中から「天皇」のみを抜き出して、その地位だけを強調することは、一面的に過ぎよう。「人間宣言」を根拠に天皇の人間への転換を述べておられる高見教授は、この詔書の前提となっている占領軍の神国思想の理解の仕方をも肯定しておられるものと推察する。ところが、占領軍が理解していたような神国思想からは、神や天皇の意思と国民の意思とを対立させる構図を必然的に導き出すことはできないのである。それにもかかわらず、今日の国民が「神国思想」をもって、天皇のみを神聖と考え尊ぶ思想と思い込んでしまっているのは、天皇を神聖と考える思想については、「人間宣言」の解説などによって教えられるものの、国民や国土の神聖性についてはまったく教えられる機会がなく、そのためにいっそう深く忘れてしまっているからであろう。



 このことと関連して、神意に基づく天皇の統治という思想が、あたかも天皇個人の恣意的な統治とイコールであったかのように理解している向きもあるようなので、そのことについても、ここで一言しておきたい。神意に基づく統治という思想が、実は、天皇に対して厳しい自己規制を課すものであることについては、天皇制度に批判的な研究者の中にも、これを認める論者が現れてきている。例えば、鈴木正幸氏は「憲法発布が、国民に公布するに先立って皇祖皇宗に誓う『告文』から行われた」のは、「『主権者』天皇の上に存在する皇祖皇宗に対して『しらす』型[=公共的―引用者註]統治という遺訓を守ることを“義務”づける」(「近代日本君主制の一特質」『日本史研究』326号、平成元年10月、139頁)ためであったと述べている。事実、伊藤博文の『憲法義解』も第一条の解釈を次のような言葉で結んでいる。
「所謂『しらす』とは即ち統治の義に外ならず。蓋し祖宗其の天職を重んじ、君主の徳は八洲臣民を統治するに在て一人一家に享奉するの私事に非ざることを示されたり。此れ乃ち憲法の拠って以って其の基礎と為す所なり」岩波文庫、13頁)



四、福沢・植木・中江の評価について

 第二節「『契約』の観念と人民主権」の後半部分において、高見教授は、日本において、「契約図式を用いて、個人を起点に国家の統治を基礎づけた」(276頁)人物として、福沢諭吉の議論を紹介している。そして、残念ながらとでも言いたいような語り口で、「福沢は、明治維新による明治政府の成立についても、人民の『約束』があるのだと説明し、そこから新政府への政治的服従と遵法の義務を説いた」(277頁)とつけ加えている。



 その後で、「この社会契約による人民の政府の設立、人民の『同意』が擬制に過ぎないことを鋭く突いたのが、植木枝盛であった」(277頁)として、植木の言説を引用している。



 そして、最後に「中江兆民は、『政権を以って全国人民の公有物となす』人民主権こそが、政治社会の『正則の理』であるとし、人民の『合意』としての社会契約にあたる役割を、現実に果すのが憲法と国会だとする」(278頁)と述べ、兆民は憲法制定権力が人民にあるとし、人民が制定した憲法によって国会が組織されることによって、人民の代表による民意に基づく統治が可能となると主張した、と説明している。

 これらの解説が高見論文の中でどのような位置を与えられているのか、私にはうまく理解できなかった。というのも、契約の図式を用いて個人を起点に国家の統治を基礎づけたという福沢、人民の「同意」が擬制にすぎないことを鋭く突いたという植木、人民主権を主張したという中江らが、どのような天皇観をいだき、それと右の主張がどのような関係にあったのかについて、全く説明されていないからである。これについて語らなければ、当時の人々にとって天皇の統治とは何だったのか、天皇統治と民意による政治とは本当に矛盾するものと考えられていたのか、について理解することはできない。そして、そのような過程を経なければ、高見教授が設定しているモデルが有効なものかどうかも検証され得ないし、福沢らの議論と高見教授の国民心理改造の志とがどのような関係に立つのかについても、読者には理解できないであろう。



 そこで、私の方で議論を補うために、彼らの天皇論を少し紹介してみたい。福沢の『帝室論』『尊皇論』は有名なので知っておられる方もいるだろうが、兆民の天皇論についてはご存じない方も多いのではないかと思われるので、『平民の目さまし』(明治20年)の一節を次に引用してみよう。
「問 国会の事は略ぼ相分りました、ソコデ国家と我々人民は傭主にて尊く、政府の役人は傭人にて卑きと申訳柄なるときは、恐れ多くも天子様は何様の理屈の物でござり升か、
 答 此は善い事を尋ねられた、成程国会や我々人民が尊くて政府が卑きといふと、勿体無くも天子様の御位に付て不審の起るは尤も千万なり、然るに天子様の尊きことは上も無き事にて、国会や我々人民や政府や皆いづれが尊くいづれが卑きと言ふ事が出来るなれど、天子様は尊きが上にも尊くして外に比べ物の有る訳のものでは無い、畢竟天子様は政府方でも無く国会や我々人民方でも無く、一国民衆の頭上に在て別に御位を占させ給ふて神様も同様なり、別して我日本の天子様は神武天皇以来皇統連綿として絶ること無く、御世毎に聡明仁慈に渡らせ給ひ民を恵むこと父母の如し、されば古より折々は叛逆を企る者無きには非ざれども、真に御位に向ふて弓をひきし者は一人も有ること無し、時勢如何に転ずればとて人情如何に変ずればとて、我国人民の身として、天子様の御位に対し奉りて兎や角と喙を動す者はよも有らじ、英国杯は昔より王家の御姓屢々革まりたることにて我国と較ぶ可きに非ず、然れども 天子様は矢張り遥に政府と別段の訳柄にて、天子様の御了簡はいつも誤らせ給ふこと無く御身体は微塵も犯し奉る可きものに非ずとの定則が有るが故に、政府の処置に於いて錯誤有るときは内閣諸大臣が其責に当りて天子様は少しも関らせ給ふこと無し 一口に言へば内閣の更迭とか国会の争論とかは譬へば海洋の波濤の様なもので、天子様は堅牢なる鉄艦の様なものジャ、波濤が如様程荒々しくとも鉄艦は常に其上に在て破損することは無い、況てや我国の 天子様は御位の尊きことは世界万国其例無き者なれば、我輩が政府は傭人にて卑しと云へるは無論内閣諸大臣計を云ふことにて、内閣が如何に屢々更迭するも天子様は常に一天万乗の君にて、国家の未だ開けざる今日と既に開けたる二十三年後と少しも変る訳の物では無きと心得可し」(『中江兆民全集』10、岩波書店、14―5頁)。     

(2)へつづく