5.すべては國體の下に
本来の意味とは違った訳語をあてられた國體は、政体の対語として使われるようになってしまいました。そんな中でも國體論争がありました。特にノモス論争では、主権に理念を入れたことに意義があります。ここではその論争を通して、國體の真の意味を探ります。
戦前、政体に対する言葉として國體という言葉が用いられました。
しかし、ここでいう國體は、「主権は誰に属するのか」といった、政治の形態(政体)についての論議の中で使われたものでした。
当時の国法学や憲法学の本にも、國體とは「統治権の所在によって分かれる国家の特色を言う」とあり、また政体については「統治権行使の形式によって分かれる統治の体様をいう」とあります。
簡単にいえば、國體は「主権のあるところによって決められる=誰がこの国を支配するか」で、政体は「その主権をどう使うか」ということになります。
戦前、治安維持法という法律がありました。これは「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者」あるいは「私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者」を罰するという法律でした。
ここに出てくる「国体」とはまさしく、権力的要素、つまり「誰がこの国を支配するか」という意味で使われている例です。
どうしてこのような誤解が生まれたかといえば、ドイツから持ち込んだ国法学や憲法学の翻訳に、國體という訳語をあてたためでした。
つまり、国家の形態(FORM Of STATE)と、政府の形態(FORM OF GOVERNMENT)とを区別するドイツ国法学の影響を受けて、前者には國體、後者には政体という訳語をつけたのです。
江戸時代に開花した国学から生まれたほんとうの意味での國體は、憲法学では単なる訳語としての意味しか与えられず、このように戦前において、もう、すでに死んでいたのでした。
後にドイツでは、この國體と政体の区別をなくし、一つのものとしてみる「一元論」が有力となりました。それは日本でも一部で唱えられたのですが、本来の國體の概念は、ついに生き返ることはありませんでした。
不毛な論争
こうして國體は、「誰がこの国を支配するのか」という主権の所在を表すものとなってしまいましたが、このような意味の中でも、國體論争とよばれるものが、過去二回ありました。
もともとは、本来の意味とは違った訳語での論争ですから、実際は國體論争ではなく、主権論争であったというのがほんとうのところです。そのひとつが天皇機関説論争、そしてもうひとが戦後のノモス主権論争です。
いずれも「主権とは何か」そして「主権を制約し、それを超える価値があるかどうか」といった本質論に迫ることのないお粗末な論争でした。
まず、天皇機関説論争というのは、ドイツの国家法人説という学説をそのまま取り入れ、「日本という国は法律学上の法人」とし、天皇はその法人の機関であるとする学説(天皇機関説:美濃部達吉)に対して、天皇に主権があるとする学説(天皇主権説:上杉慎吉)で反論した論争のことです。
要するに、会社でいえば、天皇は「何でも好き勝手にできるオーナー(または創業者の血筋を引く)社長」なのか(天皇主権説)、いや、そうではなく「社長であっても、株主総会や重役会議に諮りながらことを進めていくべきサラリーマン社長」(天皇機関説)か-ということです。
この論争には原因があります。
そもそも帝国憲法では第一条で、「天皇が大日本帝国を統治する」と謳っています。また第四条では「天皇は元首である」とも謳っています。つまり第一条からは主権説が、第四条からは機関説が、それぞれ導かれます。
このように、すでに帝國憲法の中で絶対君主制と立憲君主制が混在していたために起こった論争で、決着には憲法の改正しかなかったのですが、それ以前に、軍部と内務省は、天皇機関説に自由主義者のレッテルを貼り、弾圧してしまいました。
天皇の地位を公務員の地位と同じ意味となる「機関」という言葉を使って語るなど許されないということです。
また軍部にとっては、天皇主権の方が、天皇親政の名を借りて好き勝手をしやすかったという背景もあります。
ともあれこの論争は、機関説の完敗でした。
しかし、繰り返すようにこれは、両者とも、本来の意味の國體について論争したものでもなく、実証法学と自然法学といった対立でもありませんでした。
先にも述べたように、この論争で両者に欠けていることは、会社の社長の例でいうと、「創業者の精神を見ていない」ということです。
たとえ創業者の血筋を引くオーナー社長であっても、株主総会や重役会議に縛られるサラリーマン社長であっても、「創業者がどんな思いで会社を立ち上げたか」ということを無視してことを進めることはできません。
それは天皇にも同じことが言えるのです。
つまり、国家に主権があって、天皇がその機関であるとしても、また天皇自らが主権者であったとしても、いまの天皇や現在生きている人間だけで、すべてを決定することができるのでしょうか。
皇祖皇宗を含む私たち祖先の意思も、子や孫の将来をも、ともに無視し、あるいは犠牲にして、国家の歩むべき道を決めることはできないのです。
機関説も主権説も、このことが語られなくてはならなかったのです。
主権に理念を
さて、もう一方のノモス主権説について説明しましょう。
そのまえに、宮澤俊義が提唱した「八月革命説」から述べなければなりません。
現行憲法は、まったく新たにつくられたものではなく、帝国憲法を改正し、公布されたものです。
そして改正には、「変えてはならないものがある」といった限界説と、「どこまででも変えていい」という無限界覿があります。
限界説は当然、「現行憲法は無効だ(帝国憲法の原理を超えている)」とする結論が導かれ、一方、無限界税は「いまの憲法は有効だ」とする説に導かれます。
宮澤は限界説の立場でした。しかし彼は、自己保身からGHQの占領政策に迎合するため、現行憲法を「有効だ」としなければなりませんでした。
このとき考え出された“ウルトラC”が八月革命説です。
彼は、ポツダム宣言(大東亜戦争中、日本に降伏を勧めた宣言)を受諾(受け入れること)したとき、一種の革命があったと唱えました。
すなわち「帝国憲法は廃止されていないが、その革命は重大な変革を起こした。そして、新たに成立した国民主権主義が、第七十三条(天皇による改正発議)を便宜借用して民定憲法を成立させた」としたのです。
このような論理は変節学者の詭弁です。
これに反論したのが尾高朝雄でした。
彼は「法の上に(革命などという)力が存在することは許されない。法の上には、ノモスというべき“法正義”の神が存在し、すべては法正義たるノモスに帰結する」と主張したのです。
つまり、正義と法の理念(ノモス)が主権をもっている-と唱えたのでした。
彼は敗戦後、主権が天皇から国民に変わっても、「戦前戦後と通じてノモスは不変である」としました。
宮澤はこれに反論しましたが、主権のとらえ方を宮澤は「支配のための権力を誰がもつのか」ということを強調するのに対し、尾高は「権力ではなく、法や正義といった理念にある」と強調し、同じ土俵での論議とはいえず、決着がつくこともありませんでした。
法=正義の支配で対抗を
ともあれこの論争は、主権のとらえ方に、権力ではなく理念が必要であることを思い起こさせたところに意義があります。
国民であろうと天皇であろうと、いずれに主権があるとしても、現実には一部の者に権力が集中する、つまり少数支配となってしまいます。
天皇に主権があるとされた戦前においても、実際に権力を握ったのは軍の上層部と内閣、官僚でした。また国民主権であるとされる現代でも、実際に権力を握っているのは一部の政治家や官僚です。
こうした現実を見れば、誰が主権をもったとしても、あまり意味をもたなくなっていることに気付きます。
たとえば、少数の支配者が不正を行ったとしましょう。私たちはそれを理由に政権交代を求めます。しかし選挙では、その少数の支配者を支持するものがたくさんいれば、民主主義の多数決原理によってその政権を倒すことはできません。
汚職や詐欺など破廉恥な不道徳行為をしても、巧妙に司直の手を逃れた国会議員がいたとします。私たちがどれほど政治的責任を問うても、次の総選挙で当選すれば、彼はまた、何ごともなかったかのように国会議員を続けることができます。
現行憲法の制定や破壊活動防止法、暴力団対策法のように、全会一致か、またはそれに近い絶対多数で可決成立した法令は、その合憲性に疑問があっても誰も何もいえないのが現実です。国民主権は無謬であり、絶対です。その国民が選んだ代表が、多数決によって決めたこともまた絶対だからです。
しかしこのような不条理に対抗できる唯一の手段は、やはり「正義とはこうあるべき」という理念としての正義です。
その意味では、ノモス主権論には正しい方向性が見出せます。
しかしノモスの内容が必ずしも明確ではありませんでした。
やはり、法の根源的なものをさらに探し求めていかなければなりません。そのためにも國體を真ん中に据えた論議が必要となってきます。
正義=法=國體
これまで繰り返し、國體と主権について述べてきました。
もはやわが国だけでなく、よその国においても、複雑化する政治のありようを無視して、「誰が主権をもっているか」ということを簡単に決めたり、特定の主権者を「絶対なもの」としたり「誤りを犯さないもの」としてとらえることは通用しなくなってきています。
これからは、主権を語るとき「力は正義なり」ではく、「正義こそ力なり」という発想で論議されなければなりません。すなわち主権に必要なものは、権力に片寄った論議ではなく、正義という理念なのです。
このことでノモス主権論の先見性に気づくことができ、主権をもっているのは、天皇でも国民でも、ましてや国家でもないことがわかります。
私たちは祖先から子や孫への橋渡しの存在であり、たまたま“いま”という現在に居合わせて生きているだけです。
前でも述べましたが、すでに亡くなってしまったことをよいことに、あるいは選挙権がなかったり、まだこの世に生まれていないことをよいことに、いま楽をしたい、楽しみたいというだけで、将来に多額のツケを押し付けたり、汚れたままの地球を次の世代に渡してはならないのです。
そう考えると、「誰が支配するか」という考え方と、そこに「いまいる者だけ」をみる主権というものは、そもそも間違いであって、天皇主権も国民主権も国家主権もすべて誤っています。
憲法を超えた國體にこそ、私たちの根本的な規範を見出すべきです。
あえて主権を言うならば、いま生を受けているものだけでなく、祖先の意思や子孫からの期待も含め、国家や民族を過去から現在まで一貫するDNAで構成されるもの、つまり國體こそ主権なのです。
国王といえども法の下にある-。法の支配を言い表したことわざです。その法とは正義(ノモス)であるとしたノモス主権論にならい、法や正義を國體に置き換えることができます。
天皇といえども國體の下にある
国民といえども國體の下にある
国家といえども國體の下にある
國體の下に 序章
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/DetailωrefShinCode=0100000000000031877444&Action_id=121&Sza_id=A0
戦前、政体に対する言葉として國體という言葉が用いられました。
しかし、ここでいう國體は、「主権は誰に属するのか」といった、政治の形態(政体)についての論議の中で使われたものでした。
当時の国法学や憲法学の本にも、國體とは「統治権の所在によって分かれる国家の特色を言う」とあり、また政体については「統治権行使の形式によって分かれる統治の体様をいう」とあります。
簡単にいえば、國體は「主権のあるところによって決められる=誰がこの国を支配するか」で、政体は「その主権をどう使うか」ということになります。
戦前、治安維持法という法律がありました。これは「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者」あるいは「私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者」を罰するという法律でした。
ここに出てくる「国体」とはまさしく、権力的要素、つまり「誰がこの国を支配するか」という意味で使われている例です。
どうしてこのような誤解が生まれたかといえば、ドイツから持ち込んだ国法学や憲法学の翻訳に、國體という訳語をあてたためでした。
つまり、国家の形態(FORM Of STATE)と、政府の形態(FORM OF GOVERNMENT)とを区別するドイツ国法学の影響を受けて、前者には國體、後者には政体という訳語をつけたのです。
江戸時代に開花した国学から生まれたほんとうの意味での國體は、憲法学では単なる訳語としての意味しか与えられず、このように戦前において、もう、すでに死んでいたのでした。
後にドイツでは、この國體と政体の区別をなくし、一つのものとしてみる「一元論」が有力となりました。それは日本でも一部で唱えられたのですが、本来の國體の概念は、ついに生き返ることはありませんでした。
不毛な論争
こうして國體は、「誰がこの国を支配するのか」という主権の所在を表すものとなってしまいましたが、このような意味の中でも、國體論争とよばれるものが、過去二回ありました。
もともとは、本来の意味とは違った訳語での論争ですから、実際は國體論争ではなく、主権論争であったというのがほんとうのところです。そのひとつが天皇機関説論争、そしてもうひとが戦後のノモス主権論争です。
いずれも「主権とは何か」そして「主権を制約し、それを超える価値があるかどうか」といった本質論に迫ることのないお粗末な論争でした。
まず、天皇機関説論争というのは、ドイツの国家法人説という学説をそのまま取り入れ、「日本という国は法律学上の法人」とし、天皇はその法人の機関であるとする学説(天皇機関説:美濃部達吉)に対して、天皇に主権があるとする学説(天皇主権説:上杉慎吉)で反論した論争のことです。
要するに、会社でいえば、天皇は「何でも好き勝手にできるオーナー(または創業者の血筋を引く)社長」なのか(天皇主権説)、いや、そうではなく「社長であっても、株主総会や重役会議に諮りながらことを進めていくべきサラリーマン社長」(天皇機関説)か-ということです。
この論争には原因があります。
そもそも帝国憲法では第一条で、「天皇が大日本帝国を統治する」と謳っています。また第四条では「天皇は元首である」とも謳っています。つまり第一条からは主権説が、第四条からは機関説が、それぞれ導かれます。
このように、すでに帝國憲法の中で絶対君主制と立憲君主制が混在していたために起こった論争で、決着には憲法の改正しかなかったのですが、それ以前に、軍部と内務省は、天皇機関説に自由主義者のレッテルを貼り、弾圧してしまいました。
天皇の地位を公務員の地位と同じ意味となる「機関」という言葉を使って語るなど許されないということです。
また軍部にとっては、天皇主権の方が、天皇親政の名を借りて好き勝手をしやすかったという背景もあります。
ともあれこの論争は、機関説の完敗でした。
しかし、繰り返すようにこれは、両者とも、本来の意味の國體について論争したものでもなく、実証法学と自然法学といった対立でもありませんでした。
先にも述べたように、この論争で両者に欠けていることは、会社の社長の例でいうと、「創業者の精神を見ていない」ということです。
たとえ創業者の血筋を引くオーナー社長であっても、株主総会や重役会議に縛られるサラリーマン社長であっても、「創業者がどんな思いで会社を立ち上げたか」ということを無視してことを進めることはできません。
それは天皇にも同じことが言えるのです。
つまり、国家に主権があって、天皇がその機関であるとしても、また天皇自らが主権者であったとしても、いまの天皇や現在生きている人間だけで、すべてを決定することができるのでしょうか。
皇祖皇宗を含む私たち祖先の意思も、子や孫の将来をも、ともに無視し、あるいは犠牲にして、国家の歩むべき道を決めることはできないのです。
機関説も主権説も、このことが語られなくてはならなかったのです。
主権に理念を
さて、もう一方のノモス主権説について説明しましょう。
そのまえに、宮澤俊義が提唱した「八月革命説」から述べなければなりません。
現行憲法は、まったく新たにつくられたものではなく、帝国憲法を改正し、公布されたものです。
そして改正には、「変えてはならないものがある」といった限界説と、「どこまででも変えていい」という無限界覿があります。
限界説は当然、「現行憲法は無効だ(帝国憲法の原理を超えている)」とする結論が導かれ、一方、無限界税は「いまの憲法は有効だ」とする説に導かれます。
宮澤は限界説の立場でした。しかし彼は、自己保身からGHQの占領政策に迎合するため、現行憲法を「有効だ」としなければなりませんでした。
このとき考え出された“ウルトラC”が八月革命説です。
彼は、ポツダム宣言(大東亜戦争中、日本に降伏を勧めた宣言)を受諾(受け入れること)したとき、一種の革命があったと唱えました。
すなわち「帝国憲法は廃止されていないが、その革命は重大な変革を起こした。そして、新たに成立した国民主権主義が、第七十三条(天皇による改正発議)を便宜借用して民定憲法を成立させた」としたのです。
このような論理は変節学者の詭弁です。
これに反論したのが尾高朝雄でした。
彼は「法の上に(革命などという)力が存在することは許されない。法の上には、ノモスというべき“法正義”の神が存在し、すべては法正義たるノモスに帰結する」と主張したのです。
つまり、正義と法の理念(ノモス)が主権をもっている-と唱えたのでした。
彼は敗戦後、主権が天皇から国民に変わっても、「戦前戦後と通じてノモスは不変である」としました。
宮澤はこれに反論しましたが、主権のとらえ方を宮澤は「支配のための権力を誰がもつのか」ということを強調するのに対し、尾高は「権力ではなく、法や正義といった理念にある」と強調し、同じ土俵での論議とはいえず、決着がつくこともありませんでした。
法=正義の支配で対抗を
ともあれこの論争は、主権のとらえ方に、権力ではなく理念が必要であることを思い起こさせたところに意義があります。
国民であろうと天皇であろうと、いずれに主権があるとしても、現実には一部の者に権力が集中する、つまり少数支配となってしまいます。
天皇に主権があるとされた戦前においても、実際に権力を握ったのは軍の上層部と内閣、官僚でした。また国民主権であるとされる現代でも、実際に権力を握っているのは一部の政治家や官僚です。
こうした現実を見れば、誰が主権をもったとしても、あまり意味をもたなくなっていることに気付きます。
たとえば、少数の支配者が不正を行ったとしましょう。私たちはそれを理由に政権交代を求めます。しかし選挙では、その少数の支配者を支持するものがたくさんいれば、民主主義の多数決原理によってその政権を倒すことはできません。
汚職や詐欺など破廉恥な不道徳行為をしても、巧妙に司直の手を逃れた国会議員がいたとします。私たちがどれほど政治的責任を問うても、次の総選挙で当選すれば、彼はまた、何ごともなかったかのように国会議員を続けることができます。
現行憲法の制定や破壊活動防止法、暴力団対策法のように、全会一致か、またはそれに近い絶対多数で可決成立した法令は、その合憲性に疑問があっても誰も何もいえないのが現実です。国民主権は無謬であり、絶対です。その国民が選んだ代表が、多数決によって決めたこともまた絶対だからです。
しかしこのような不条理に対抗できる唯一の手段は、やはり「正義とはこうあるべき」という理念としての正義です。
その意味では、ノモス主権論には正しい方向性が見出せます。
しかしノモスの内容が必ずしも明確ではありませんでした。
やはり、法の根源的なものをさらに探し求めていかなければなりません。そのためにも國體を真ん中に据えた論議が必要となってきます。
正義=法=國體
これまで繰り返し、國體と主権について述べてきました。
もはやわが国だけでなく、よその国においても、複雑化する政治のありようを無視して、「誰が主権をもっているか」ということを簡単に決めたり、特定の主権者を「絶対なもの」としたり「誤りを犯さないもの」としてとらえることは通用しなくなってきています。
これからは、主権を語るとき「力は正義なり」ではく、「正義こそ力なり」という発想で論議されなければなりません。すなわち主権に必要なものは、権力に片寄った論議ではなく、正義という理念なのです。
このことでノモス主権論の先見性に気づくことができ、主権をもっているのは、天皇でも国民でも、ましてや国家でもないことがわかります。
私たちは祖先から子や孫への橋渡しの存在であり、たまたま“いま”という現在に居合わせて生きているだけです。
前でも述べましたが、すでに亡くなってしまったことをよいことに、あるいは選挙権がなかったり、まだこの世に生まれていないことをよいことに、いま楽をしたい、楽しみたいというだけで、将来に多額のツケを押し付けたり、汚れたままの地球を次の世代に渡してはならないのです。
そう考えると、「誰が支配するか」という考え方と、そこに「いまいる者だけ」をみる主権というものは、そもそも間違いであって、天皇主権も国民主権も国家主権もすべて誤っています。
憲法を超えた國體にこそ、私たちの根本的な規範を見出すべきです。
あえて主権を言うならば、いま生を受けているものだけでなく、祖先の意思や子孫からの期待も含め、国家や民族を過去から現在まで一貫するDNAで構成されるもの、つまり國體こそ主権なのです。
国王といえども法の下にある-。法の支配を言い表したことわざです。その法とは正義(ノモス)であるとしたノモス主権論にならい、法や正義を國體に置き換えることができます。
天皇といえども國體の下にある
国民といえども國體の下にある
国家といえども國體の下にある
國體の下に 序章
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