戦後の「疚しさ」(1)
「国家についての考察」
佐伯啓思著 飛鳥新社 1800+税
戦後民主主義の「主体」の擬装
ここでもう一度丸山真男の議論に戻ってみると、丸山の議論がその基本的な認識において、アメリカ占領政策と全く同一の認識に立っていることは明らかだろう。むろんだからといって、丸山がアメリカ占領政策の影響下にこの論文を書かされたというわけでは全くないし、丸山が占領軍と結託したというわけでもない。ただ丸山の日本ファシズム批判の諸論文が書かれた時期は、連合国、とりわけアメリカによる日本占領期であり、基本的に文学も思想論文も占領軍の「検閲下」にあったのである。だからこそ四五年の八・一五をもって「終戦」そしてそれ以降を「戦後」とするわけにはいかないのである。桶谷秀昭(1932~。文芸評論家)の言い方を借りれば次のようになる。
意識的ないし無意識的に、占領下を即戦後として受け容れてゐる作品は、すべてこの時期を代表することができないといふのが私の考へである。日本国家の言論統制はいつさい占領軍によつて撤廃された。そこに生まれた言論空間を何でも自由にものがいへる時代が来たと考へ、その考へを発想の基盤とする作品形成は、日本国家を支配してゐる占領軍権力の言論の拘束を自覚しないゆゑに、文学が本来もつている筈の時代への抵抗を失つてゐる。
(『昭和精神史・戦後編』文芸春秋)
要するに、占領下においてはアメリカの検閲が隠然と行われていた。だから「終戦」によって言論が全く自由になったと考えるのはとんでもない間違いだ、というのである。敗戦後に出現した状況はあくまで「占領」なのである。それは、戦闘は終了したが、真に敵対状態が終了したわけではないということである。この事実に対して全く無自覚なままで、終戦によって自由と民主主義の「戦後」が到来したとする言論を信じることはできない、と桶谷は述べている。
これは文学だけのことではない。あらゆる思想的・社会科学的言説にも当てはまることであろう。丸山真男に代表される進歩主義的言説が、はたしてこの事実にどこまで鋭敏であったのか、わたしはそれを大いに疑問に思う。ファシズムと民主主義の抗争という構図、天皇と軍国主義者の引き起こした侵略戦争。こうした認識が何もアメリカから示唆されたわけではなく、丸山個人の、あるいは当時の進歩主義者たち自身の考えであったという抗弁は十分可能だろう。それはそれでかまわない。だがそれでも彼らが、例えば「太平洋戦争史」などによってアメリカにより「公式化」された歴史観が何であったかを知らなかったわけはない。彼らの立場とアメリカ占領政策の立場が基本的に同一のものであることを知らなかったはずはない。当然、その前提のもとで書いているのである。だからこそ、例えば丸山真男の議論の骨格は、基本的に占領軍の対日占領政策の思想と全く符合しているという指摘はやはり必要なのだ。
言い換えれば、丸山と占領軍の関係如何ということは別としても、丸山の論文は占領政策に対する日本側からの見事な思想的レスポンスとなっているのである。そしてそのゆえにこそ、これは当時多くの知識人に受け入れられ、戦後日本の思想上の「公式的言説」を作り上げることとなった。これは重要なことである。つまり戦後日本は、それ自身を表現する「公式的言説」を、ただ占領軍のプロパガンダやアナウンスメントから受動的に受け取ったのではなく、まさに日本側からの「主体的な」翻案によって生み出したからである。いや少なくとも、そのように自己暗示にかけるぐらいの効果は確実に持ったのであった。これは戦後憲法が事実上アメリカによって作成されながら、日本人の手で作られたかのように装われたのといくぶん似ている。重要なことは、ここに日本という「主体」が存在するかのように見なされねばならなかったということである。
どうしてであろうか?それは、そのような「主体」の構成こそが戦後日本の「民主化」に不可欠な作業だったからである。それなしでは民主主義は基礎づけられないものであったからである。しかも問題は、この民主主義の基礎づけが、実際にはアメリカによって与えられたという点にあり、それにもかかわらずそのことが隠蔽されたという点にある。
確かに日本の国民あるいは人民を「主体」とする戦後民主主義がアメリカから植え付けられるというのはどう見てもなさけない話である。アメリカによってさずけられた「主体」という欺瞞の上にはたして民主主義などというものがありうるのか。これは大きな問題であろう。いかにこの「主体」を、アメリカという「見えざる手」から救済するか、いかに日本の中に主体を再生させるか、これが戦後民主主義の立ち上げにおける火急の、しかも最重要なテーマであったことはまちがいない。
ここにこそ、アメリカがあの図式、「軍国主義者に支配され騙されていた国民」という図式を持ち出さざるをえなかった理由もある。日本を民主化するためには、民主主義の「主体」がなければならなかったのである。日本の国民が最後の一人に至るまでも軍国主義者や天皇主義者では困るのだ。「国民(人民)」は無傷でなければならなかった。「国民」はどうしても反軍国主義的でなければならなかった。さもないと、戦後日本に民主主義など立ち現れることは不可能なのである。こうして「軍国主義者」の手から「国民」を救い出さねばならなかった。そこでアメリカがその思想的なお膳立てを提供し、例えば丸山真男に象徴される進歩派知識人がそれを「日本の文脈」に翻案して唱えたのである。
ファシズムvs.民主主義というフィクション
そもそも、「あの戦争」を軍国主義・ファシズムと民主主義の戦いと見る考えにはアメリカの立場が色濃く反映されていることはいうまでもない。さらにいえば、それはアメリカだからこそ打ち出すことのできる立場であった。そのことを改めて強調しておくことは重要なことである。なぜなら、第二次世界大戦を、ドイツ、イタリア、日本の軍国主義・ファシズムに対する世界的な民主主義の防衛線として見る思考は、「自由と民主主義のために参戦した」アメリカの立場をそのまま正当化するものだからである。
だが例えば中国にとってはどうか?日中戦争はあくまで日本帝国主義に対する中国人民の解放戦争であった。ソ連にとっては、第二次世界大戦は資本主義国(帝國主義)の間の矛盾の表出であり、また来るべき冷戦への準備でもあった。イギリスにとってはいささか事情は複雑である。対独戦はヨーロッパにおけるドイツの覇権に抗する戦いであり、アジアにおける対日戦は、イギリス植民地に対する日本の侵略(!)に抗する戦争ということになる。
つまり、「あの戦争」を「第二次世界大戦」とひとくくりにして、明確に軍国主義・ファシズムに抗する世界の民主主義のための戦いと宣言して何の痛痒も感じることのなかったのはアメリカだけであった。むろん今となっては、これさえもいささか善意に過ぎる理解というべきものであろう。ルーズベルトが部分的には、日本を追い込んだことは今日ではよく知られているし、戦争末期にはアメリカは明らかに戦後の冷戦体制、つまりソ連との対決を予定した上でその布石を打っていたのだから、民主主義の防衛でさえ一つの宣伝であり、またイデオロギーであったことは明らかである。だがしかし、対日戦争が軍国主義に対する民主主義の戦いであったことを強調するために、例えばマッカーサーは次のように述べる。「日本民族は太平洋地域の他の民族-------中国人、マレー人、インド人、白人------と異なり、何世代にもわたって戦争技術と武士階級の忠実なる信奉者であった。彼らは太平洋で武力をふるうべく生まれついた民族であった」(1946年9月2日)。GHQは、日本人は本性上、侵略的で拡張主義的な民族であることをことさら強調するが、この前提のもとで初めて、日本をそして日本人を「民主化」するというプログラムも意味を持ったのであった。
このプログラムが、つまり日本を「民主化」するというプログラムが最も功を奏したのは、教育改革であた。軍国主義者・天皇主義者によって洗脳されて封建的道徳と独善的神話に毒されている国民を「民主化」するために、教育を通じた日本人の精神の改革が占領政策の最も重要な軸の一つとなった。四五年の暮れにはGHQは日本史や地理、道徳の授業の中止を命じ、教科書を回収した、その上で「民主教育」を唱える教育基本法の制定を指導した。これについてもミアーズは書いている。
仮に歴史の正確さを求める私たち自身の基準が完全であるにしても、占領軍が被占領国民の歴史を検閲することが、本当に民主的であるかどうか。アメリカ人はもっと議論する必要がある。私たち自身が日本の歴史を著しく歪曲してきた。だから政治意識の高い日本人からみれば、日本の教科書の「民主的改革」は、私たちが意図しているようなものではなく、単に日本人の国家意識とアメリカの国家意識を入れ替えるにすぎないことなのだ。(前出『アメリカの鏡・日本』)
「民主的教育」の名のもとに、アメリカはアメリカの歴史観を日本に押しつけようとしている。と彼女は述べているのである。問題は「日本の教科書を検閲し神話を追放することだけではない。わたしたち(アメリカ)は日本人にどういう近代史と現代史を教えようとしているかである」という点にある。むしろ、アメリカが教えようとしている近代史・現代史とは、繰り返し述べている進歩主義的歴史観であり、全体主義・ファシズムに抗する民主主義という歴史観であった。結局これはまた別の思想統制であり洗脳である、とミアーズはいう。
私たちは、どうやらそうとは気づかないまま、占領国日本に「思想統制」を敷いているようだ。私たちの制度は確かに私たちが「嘆かわしい」とする日本の制度とは違う。いままでの日本人の思想は日本政府の見解を反映すべく統制されていたが、これからは、アメリカの公式見解を反映させていく。そこが変わった点だが、思想統制であることは以前と変わらない。(同前)
ミアーズは明瞭に占領政策がファシズムに抗する民主主義というフィクションにささえられていることを知っていた。だが、このフィクションこそが戦後日本の民主主義を可能とするものだったのである。このフィクションによってかろうじて、日本の「民衆」を罪責から救い出すことができたからである。民主主義は普遍的なものである。それゆえ、軍国体制下の日本にも民主主義は潜在的には存在する。それは弾圧され、民主的であるはずの民衆は一部の軍国主義者に支配されているだけだということになる。だから、国家を動かしてした一部の軍閥の支配を取り除けば、民主主義は復活するわけである。民主主義の担い手である民衆は、本当は無傷のままでそこにあるのだ。これが、「軍国主義VS.民主主義」、そして「軍国主義者VS.国民」という図式の意味であった。
「戦後」を立ち上げる欺瞞
ここに、戦後という時代経験の根幹にかかわる「欺瞞」があったといってよいだろう。もしそれが「戦後」を立ち上げるために必要だったというならば、「不可避の欺瞞」といえばよいかもしれない。いずれにせよ、そこには、ある「ごまかし」があった。
というのも、戦時中に国民(と総称していえば)は、決して潜在的な民主主義者などではなく、天皇主権を信じ、軍国日本を支持したからである。むろん、一人一人の心中を眺めれば、ことはそれほど容易ではなかったろう。声に出して表明はしないものの、反戦論者もいただろうし、厭戦的気分を持つ者も多かっただろうし、「天皇陛下万歳」も表面的な擬装だったという者もいただろう。だがそれにもかかわらず、少なくとも額面上は大衆は天皇を絶対的な存在だと見なし、国家主義者としてふるまったことはまちがいない。丸山真男が「超国家主義の論理と心理」を書いたのと同じころ(1946年)、大熊信行は次のように書いていた。「軍国主義というものは、一部少数の軍人の中にのみあったのではない。われわれ日本人のほとんどすべてにおいてあったものなのだ」(「戦争体験における国家」)、それゆえ「これまでの日本的な超国家主義の一切を分析したり、批判したりすることで自足することは、わたしには許されていない」(「精神の革命とは何か」)。
この丸山の方法に対する批判の中から大熊が辿りついたものが、国家への忠誠義務、つまり「愛国心」という根本問題だということであった。
すべての日本人の思想の公約数をなしたものは「戦争となった以上は国家に殉ずるよりほかはない。応分の働きをするのだ」というひとつの想念ではなかったか。天皇主権でもなければ、日本主義でもない。ただ国家に奉仕するという義務感。論理的にいえばやはり国家至上主義。(「個における国家問題」1947年、『国家悪』<潮出版社>所収)
大熊は、「すべての日本人の思想の公約数をなしたものは『戦争となった以上は国家に殉ずるよりほかはない。応分の働きをするのだ』というひとうの想念」だったという。個々人の内面・本心にはさまざまな偏差はあろうものの、これが「国民」の基本的な態度であたろう。
そもそも戦前の天皇主権国家とは、天皇があたかも絶対君主のように権力を占取した独裁体制ではない。むしろ天皇制度の意味は、天皇という存在が大衆の心理の奥底にまで投錨していたところに意味がある。それゆえ、軍部が仮に天皇を独占的に活用して大衆操作を行ったと主張するにしても、大衆が天皇を中心とした国家体制を支持し、天皇の名をもって遂行した戦争を支持したことはまちがいない。
それが軍部によって支配されていたというのはせいぜい事態の一面に過ぎないし、「騙されていた」かどうかはここではさして問題ではない。しかも「天皇制ファシズム」といったときには、すでに天皇へ向けて求心的に収斂する全体的な意志が存在することが前提となっている。だからマッカーサーも、日本民族は好戦的で侵略的だなどと平気で述べたのであった。丸山真男は、大衆は「騙されていた」ということと「日本はファシズム国家だった」ということを調和させるために、日本のファシズムは「上から」のもので、西欧のそれは「下から」のものだったといういささか奇妙な論理を持ち出したが、このとき丸山は、日本の国家体制をファシズムと呼びうるようなものではないことに気づいていたはずではなかっただろうか?
だがこのような論理が欺瞞に過ぎないことに大衆は気づいていた。それが知識人の辻褄合わせに過ぎないことに。なぜなら大衆は基本的にあの戦争を支持したからである。この戦争支持は、内心はいやだとか本心は反戦であるといったこととは決して矛盾するものではない。むしろ渡辺京二がいうように、この国の「基底的住民」は戦争に取り憑かれていたとさえいってよいのかもしれない。「戦争という憑きもの」は決して一部の軍国主義者にのみ取り憑いたのではない。「義勇公に奉じる熱誠」は「部族共同体に対する古風な義務感」を持った基層大衆のものであったからである。
一兵卒として出兵する兵士にとって死は究極の平等である。国家もしくは天皇のための死という一点においてあらゆる死は対等であり、ここに死を媒介にした共同体が成立するのである。この共同体の一員として認められること、名誉ある存在として承認されること、そしてその裏返しとしての不名誉に対する恥の意識、それが一平卒としての大衆を動かした。したがって、ここにわれわれが見るのは、民主主義の潜在的担い手である「市民」などでは決してない。さしあたり「日本的」としか名づけようのない心情を抱いた基層大衆であり、ひとつの共同体に住む住人なのである。
したがって、大衆の側からいえばこういうことになろう。
自分たちは戦争の一翼を担っていた。国家のために応分の働きをしたはずだ。そしてその働きを称賛されたはずだ。ところが敗戦後、お前たちが遂行した戦争は誤った戦争だったといわれる。自分たちの行動は間違いだったとされる。もしそうなら自分たちは免責されるものではないだろう。ところがその次に、お前たちは「騙されていた」のだから悪くはない、と免罪される。そして最後に、お前たちこそが戦後民主主義の担い手だといわれる。
これが戦後民主主義の「主体」なるものの実相というほかない。この奇妙な論理、幾十かに重なり合った方便の上に民主主義が構成された。丸山真男はそこに立ち戻れというのである。だが「復初」にわれわれが見出すのはこの無残な光景である。
この無残な光景はまた次のような所にも見出される。それを(実際には日本の地に足を踏み入れたことのなかった)ルース・ベネディクトは確かに見て取っていた。
ベネディクトと「無気力」な日本
ルース・ベネディクトは、『菊と刀』において、日本人のあまりにも原則をもたない変わり身の早さについて驚きを隠そうとはしていない。最後の一平卒に至るまで戦うといっていた日本人が、八月十五日を境にして、全く従順な国民に変身してしまった、という事実についてである。戦いに敗れたヨーロッパ人は、戦争が終わってからも地下活動を続けたり、連合国に対する抵抗を続けた。ところが戦後のアメリカ人は、単独で日本国内を歩いても何の危険も感ぜずに、それどころか「道端に子供達が並んで『ハロー』、『グッバイ』と叫び、自分で手を振ることのできない小さな赤ん坊の場合には、母親がその手を持ってアメリカ兵に向かって手を振ってやる」(『菊と刀』長谷川松治訳、現代教養文庫)、こういう光景を目撃するのである。これはアメリカ人には理解できない態度であった。昨日までの敵に対するこの全く手のひらを返した親善ぶり、これは西欧では考えられないことである。西欧人は「主義」に熱中する。戦争はこの主義の発動の結果である。したがって、たとえ負けたとしても、決して考えを変えることはなく、依然として前と同じ考えを抱き続ける。ところが日本人は、この「主義」を持たないように見える。
「主義」の代わりに日本人は天皇に対する「忠」を持っていた。それゆえ、天皇の命令で戦争をはじめ、天皇の命令で戦争をやめ、天皇の命令で占領軍を受け入れた、というのは一つのよくなされる解釈である。しかし赤ん坊を抱いた母親は、まさか天皇の御真影を思いうかべて子供の手を振ったわけではあるまい。天皇の命令で戦争をやめたとしても、その後の進駐軍に対する、かなり広範に見られた好意的態度はとても天皇の命令では説明はつかない。
もう一つのよくなされる説明は、これとは正反対のもので、そもそも大衆は、実際には天皇に対する忠義というほどのものも持たず、戦争もいやだった。アメリカが憎いわけでもない。要するに軍国主義者の手によって戦争に引きずりこまれただけであって、それゆえ進駐軍の与えてくれた平和と民主主義を心底歓迎したのである、というものである。わたしは、戦後すぐの状況で、その種の説明に多くの人が飛びついたとも思わないし、それで得心できたとも思えない。繰り返し主張しているように、これは一つの「与えられた解釈」であり、事後的な説明であった。しかし、年月がたつにつれてこの種の解釈がほとんど唯一のものであるかのように横行し出したのも事実である。
ベネディクト自身は、日本人の態度のこの大転換について次のように述べている。日本人の行動原理を最も深いところで規定しているものは「名誉」の観念である。とりわけ名誉が汚されたとき、日本人は行動する「義」が発生すると考える。名に対する義理である。こうして名誉が汚されたと感じたとき(実際、戦争前の日本人は、国際は制裁などにより国家的名誉が汚されたと感じていた)、日本人はきわめて熱狂的で攻撃的となる。しかし、こうしたモチーフがなくなったとき、日本人は全く無気力になる。この熱狂と無気力のいささか突然の交替、これはアメリカ人には、きわめて無原則で非道徳的にうつる。しかし、名誉や義理を軸にした日本人の思考からすればこれは別に変なことではない。そして、日本の国際的名誉という「義」のかかった戦争が終わるやいなや、日本人は、「名に対する義理」の対象を失ってしまい、たちどころに無気力になってしまった。こうベネディクトは述べる。さらにベネディクトは、日本人の無気力を裏づけるべく、ある日本人の次のような言葉を引用する。「戦争がすむと、まるで目的がなくなってしまった。みんなぼうっとしていて、物事をうわのそらでやっている。・・・・国民全体が入院患者のようだ」(同前)。
この入院患者になってしまったような状態は「名誉」を失った日本人の放心だとベネディクトはいうのだ。だから進駐軍に対する一見歓迎と見える態度も、心底からの歓迎というよりは、むしろほとんど放心状態での現実への適応といった方がよいであろう。あるいはベネディクトがいうように、日本人は、終戦後、「敗戦国としての名誉」を擁護することに意を注いだ。そして連合国に対して友好的態度をとることによってこの名誉は達成されると考えた。「その必然的結果として、日本人は何事によらず、あなたまかせの態度をとることが目的達成の最も安全な道であると考えている」(同前)。こうしてますます無気力が広がってゆく。
『学徒出陣』 昭和18年 文部省映画(2-1)
戦後の「疚しさ」(2)へつづく
「国家についての考察」
佐伯啓思著 飛鳥新社 1800+
ここでもう一度丸山真男の議論に戻ってみると、
意識的ないし無意識的に、
(『昭和精神史・戦後編』文芸春秋)
要するに、
これは文学だけのことではない。あらゆる思想的・社会科学的言説にも当てはまることであろう。丸山真男に代表される進歩主義的言説が、
言い換えれば、
どうしてであろうか?
確かに日本の国民あるいは人民を「主体」とする戦後民主主義がアメリカから植え付けられるというのはどう見てもなさけない話である。アメリカによってさずけられた「主体」という欺瞞の上にはたして民主主義などというものがありうるのか。これは大きな問題であろう。いかにこの「主体」を、
ここにこそ、
ファシズムvs.民主主義というフィクション
そもそも、
だが例えば中国にとってはどうか?
つまり、
このプログラムが、
仮に歴史の正確さを求める私たち自身の基準が完全であるにしても、
「民主的教育」の名のもとに、
私たちは、
ミアーズは明瞭に占領政策がファシズムに抗する民主主義というフィクションにささえられていることを知っていた。だが、
「戦後」を立ち上げる欺瞞
ここに、
というのも、
この丸山の方法に対する批判の中から大熊が辿りついたものが、
すべての日本人の思想の公約数をなしたものは「戦争となった以上は国家に殉ずるよりほかはない。応分の働きをするのだ」というひとつの想念ではなかったか。天皇主権でもなければ、
大熊は、
そもそも戦前の天皇主権国家とは、
それが軍部によって支配されていたというのはせいぜい事態の一面に過ぎないし、
だがこのような論理が欺瞞に過ぎないことに大衆は気づいていた。それが知識人の辻褄合わせに過ぎないことに。なぜなら大衆は基本的にあの戦争を支持したからである。この戦争支持は、
一兵卒として出兵する兵士にとって死は究極の平等である。国家もしくは天皇のための死という一点においてあらゆる死は対等であり、
したがって、
自分たちは戦争の一翼を担っていた。国家のために応分の働きをしたはずだ。そしてその働きを称賛されたはずだ。ところが敗戦後、
これが戦後民主主義の「主体」なるものの実相というほかない。この奇妙な論理、
この無残な光景はまた次のような所にも見出される。それを(実際には日本の地に足を踏み入れたことのなかった)ルース・ベネディクトは確かに見て取っていた。
ベネディクトと「無気力」な日本
ルース・ベネディクトは、
「主義」の代わりに日本人は天皇に対する「忠」を持っていた。それゆえ、
もう一つのよくなされる説明は、
ベネディクト自身は、
この入院患者になってしまったような状態は「名誉」を失った日本人の放心だとベネディクトはいうのだ。だから進駐軍に対する一見歓迎と見える態度も、
『学徒出陣』 昭和18年 文部省映画(2-1)
戦後の「疚しさ」(2)へつづく

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