神の差し替え工作(2-1)
憲法の上位価値
神道神学論考 上田賢治著 大明堂 2700円 第三章 実践・応用神学
Ⅰ 天皇論 はじめに
キリスト教の信ずる神は、我々の知る、或は将来知るであろう一切の存在世界を、絶対無において創造した神である。神は既存者であり、何の素材(物実・モノザネ)を持つこともなく、世界を創った。人間もまた、特別に創造(つく)られたとは言え、一被造物に外ならない。このようにキリスト教の神は、存在世界からの<超越性>をもって、その根本属性の一つとしている。
勿論、キリスト教の神学史において、神の内在性を説く神学者は、確かに存在した。しかし、そこで説かれる内在性は、現実に存在する如何なる具体とも同一化されることを拒否する性格のものであり、たかだかそれは、この世界の存在が神の御手に成り、或は御手の及ぶものなる故に尊い、とされるに過ぎぬ性質の論であったと思われる。
イスラエルの族長モーセへの啓示(いわゆる十戒)の第二戒「汝、われの為に如何なる偶像をも造るべからず」の信仰は、まがりなりにも、今日まで生きて伝承されて来ているのである。このような宗教的価値を<権威>とする立場は、この世界に造られた如何なる政治権力をも、これと並ぶ権威として位置づける事はありえない。
それはせいぜいこのような超越を権威とする権力を、他の権力に比して優位に置く可能性を持つだけである。ヨーロッパにおいて<教権>が<政権>を従属せしめ得た歴史のあるのは、この原理に発している。
しかしその歴史も、決して永続きはしなかった。そこで闘われた血みどろの戦い、即ち教権支配の非現実性・非生産性が、<政教の分離>という特殊西洋的、宗教対政治の妥協政策を生み出したのだと言ってよいだろう。
神道の場合、その根底にある価値の体系は、キリスト教と根本的に異なるものである。そこでは存在が先行し、これが<所与>として認識されている。従って<カミ>は本来、存在に内在する<ちから>、働き・生命力として感得されていた。<自ずから>なるものそのものの中に、神を見ていたのである。
従って宗教的活動は、単なる物、法則としての自然を支配し、啓示によって与えられた超越者からの「汝かくあるべし」という戒律に従うこと、教誡の実践にその指針があるのではなく、個別自(おの)ずからなるものの<いのち>の成長・育成・展開に置かれて来た。
存在世界、個別生命力への感謝と畏敬、感動と自(おの)ずからなるものの躍動とは、<まつり>となって表われ、その意志(生命意志)は、日常なるものの整序、より大いなる力へ向けての政治となって結実される。この意味で、<祭政>は本来、一つであることが最も自然だったのである。
しかし不幸な事に、科学的・分析的な発想は、自然を<物>、法則の世界として捉える存在世界理解の世界、即ち<超越>を立てる西洋において成長発展し、その文明が世界を現実的に支配することとなった。或はそこに、生命(いのち)の自然があるのかも知れない。しかし他方、西洋の没落、科学による人類滅亡の危機が叫ばれている現実をも、我々は無視することが出来ない。
戦後の日本は、占領権力による強制、敗戦による民族的自己嫌悪、及び本来神道(日本民族の持つ価値志向性)に備わる実利傾向に動かされ、一切を西洋的価値(キリスト教文化を前提とする)によって律し、方向づける教育を行って来た。
当然、意識の西洋化(これは現在の日本人大多数は、普遍真理の受容展開として、殆ど疑っていない)と伝統的な生活実践との間に、多くの矛盾・乖離を生じている。日本語版現憲法は、その一つの表象だと言ってもよい。
従って今日、天皇問題についての議論も、日本人一般の意識のレヴェルにおける西洋化を前提とし、その思考・発想の相対化と共に、我が国伝統文化の根底にある価値志向性を浮上させ、その自覚、再評価の途を踏む手順で行われるのでない限り、何らかの稔りを齎すとは言い難い。以下の論旨展開は、その意味で、強く応用神学の性格を、その内に蔵しているものである。
一、 先行する二・三の課題
まず、現行憲法における象徴天皇と国民主権との関係、延いては民主主義原理理解の問題について、論じておかなければならない。
キリスト教文化圏、それが最初に成立したいわゆる西洋では、すでに述べた通り、不変の実在、即ち価値の本体を<超越>に見る真理観を展開し、その故に被造物たる存在世界は、有限相対、究極において<無>に帰するが故に、本質的には、それ自体として価値たり得ないもの、とする現存在理解の方向を生み出した。
たとえ被造物であるとしても、絶対者による創造にかかるもの、その故にそれがそのあるがままにおいて良きものとする志向を、その発想の本源においては内包しながらも、この方向での存在理解が十分成長し得なかったのは、それが、西洋における歴史の現実であったと言う外はない。(これを悲劇と見るかどうかは、評者の立脚点、その視点によって異なる)。
同じ超越を立てるインド、その文化圏に成立した印度教或は後期仏教が、<一即多>の論理によって、むしろ後者の展開を示し、日本文化と習合し得たのも、歴史の現実として、直接的な評価は避けておきたい。
何れにしても、超越としての<一>、即ち絶対と、有限なる相対的存在とを峻別するキリスト教的発想は、当初、神による選別信仰、或はインカーネイション(受肉)信仰に基づく専制・独裁の政治形態を成立させ、後、この非現実性から結果された批判を受けて、絶対の前に相対の相対的差異を本質的に否定する相対の平等観を生むに至った。
戦後我が国が手本としたアメリカの民主主義・人権思想は、正にこのようなキリスト教(プロテスタンティズム)の人間被造物信仰を根幹としている。
政治が君主制を認めず、国民主権、投票による大統領、而も任期を持つ大統領制を理想とするのは当然である、と言ってよいだろう。法の前に平等という人権思想も、超越者(神)の啓示によって与えられた律法の前においては、如何なる被造物も本質的に区別される理由はない、という思想に基づいているのである。
このような戦後民主主義思想は、当然、日本の伝統的な天皇観、特に明治以降、意識的に強調せられた天皇神聖観と対立する。従って天皇制の復活は、民主主義の否定、人権の抑圧に直接つながってくる、というのが、現行憲法擁護、いわゆる擁護派の共通した天皇制理解であり、民主主義理解であるように思われる。
果たしてそうした理解が正しいのかどうか、その論を抜きにして、今日の天皇論は、戦後教育を受けた世代に、有効性を持ちうるとは考えられない。
1 天皇は神か人間か
昭和二十一年の元旦、昭和天皇が、いわゆる<天皇の人間宣言>とジャーナリストによって命名された、詔書をお出しになった。護憲派・天皇象徴論者によると、この詔書は、正しく、天皇が戦前<神>とされていた事実を雄弁に物語る絶好の証拠であり、かつその神聖を天皇自(みず)からが否定されたのであるから、戦後の天皇の戦前のそれと本質的に異なるものであること、また異なるものでなければならぬことも明らかだとされる。
一年遅れた昭和二十二年一月、恐らく詔書を受けての事であろう、国文学者・古典学者、詩人であり同時に神道学者としても著名であった折口信夫が、<天子非即神論>を夕刊「新大阪」に発表する。詔書については、占領軍による工作、若しくは日本政府による迎合として、悲憤の涙を飲んでいた当時の神社神道界にとって、この論は変節裏切りと取られ、大きな衝撃であった。それ以降の天皇論が、戦前の否定を前提とするようになり、従って神道理解に基づく天皇論さえ、反動の名によって一蹴されるようになったのも、時の勢いとしか評しようはない。
しかし、天皇が神であられるのか、それとも単なる人間に過ぎない御存在であるのかの論は、すでに決着済みとなっているのでもなく、また現状のまま放置しておいて良いわけのものでもない。
そもそも一般におけるこの問題理解に関しては、まず、日本語(大和言葉)における<カミ>とは何か、について論議しておく必要があろう。それについて、近世国学の大成者と評価されて来た本居宣長は、その著『古事記伝』三之巻で、次のように述べている。
さて凡て迦微(カミ)とは、古御典(ミフミ)に見えたる天地(アメツチ)の諸(モロモロ)の神たちを始めて、其を祀れる社(ヤシロ)に坐御霊(スミタマ)をも申し、又人はさらにも云ヮず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其の余(ホカ)何にまれ、世常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて、可畏(カシコ)き物を迦微とは云なり。(中略) さて人の中の神は、先ヅかけまくもかしこき天皇(スメラミコト)は、御世々々みな神に坐(マシマス)こと、申すもさらなり、其は遠つ神とも申して、凡人(タダビト)とは遥に遠く、尊くか可畏く坐ますが故なり、かくて次々にも神なる人、古も今もあることなり、又天下に浮けばりてこそあらね。一国一里一家の内につきても、ほどほどに神なる人あるぞかし云々(『本居宣長全集』第九巻・125頁・筑摩書房)
これによれば、天皇を神として説くことに、何の不思議もありはしない。そして筆者は、古今、神道、日本人の中に生きて来た<神>に関する限り、これに勝る定義はないと考えている。
しかし残念な事に、宣長によって自覚的に正されたこの神観念も、明治四年、日本のプロテスタント・キリスト教徒が、新約書を初めて邦訳し、その信ずる造物主を、大和言葉<カミ>を用いて表現したことにより、再び中世の混乱同一化の状態に引戻されてしまった。
我が国において、教養を身につけるということは、悲しい事ながら、有史以来、常に海外に学び、海外からの知識を身につける事に外ならなかった。明治以降、そして敗戦後もまた、それは欧米から学び、欧米を学ぶことを意味している。
かつて国学の興起を見るまで、万葉の歌が仏典・漢籍を典拠として解釈されたように、戦後は、自国文化を西洋キリスト教文化の価値基準、規範をもって理解・説明する事が、何の不思議もなく行われている事実が、その事の深刻さを、雄弁に物語っている。
<カミ>と聞いて、意識に浮かぶその属性が<絶対>であり、<唯一>であり、<全知全能>であるのも、その一つの代表例である。
このような神理解、意識の上での神感覚から言えば、天皇が神であることなどありえない。それを敢えて神と信ずるよう教育し、或は強制したとされる戦前の在りようが、異常であり、間違っていたと断定するのも、決して無理ではないと認められよう。
勿論、少し注意深くさえあれば、我が国の民間で、今日もなお多くの<生神様>が活動している事実を見落とすことはありえない。いや更に、神話に伝承され、現実神社に奉祀されている神々でさえ、我が国には、絶対の神、創造神、全知全能なる神格が、存在された事のないのも、言うまでもない。
国生みの祖神、伊邪那岐・伊邪那美の大神たちも、その営みの最初に過ちを犯され、つまずきを経験しておられる。最高至貴と記紀が伝える天照大御神も、その御弟須佐之男命の御心を誤解され、誓約(ウケヒ)に負ける姿を示しておられるのである。
その御孫としての天皇(崇神)は、天照大御神の御霊代(ミタマシロ)(八咫の御鏡)と、同じ殿、御床を共にしていますことを恐れられ、それが伊勢神宮の創祀につながった事実を、我が古典は伝えている。天皇が絶対神であられよう筈は、はじめから有りえないのである。
昭和二十一年元旦の詔書は、国民の間にあったと思われるこのような天皇の神聖性に対する理解の混乱、それを前提として理解されなければならない。まして時は、連合軍による軍事占領下である。アメリカ人、キリスト教を前提とする宗教理解、神の観念を持つ人たちが、日本人の天皇に対する態度、特に自殺攻撃と評された特攻隊攻撃が、神たる天皇の御名において命令され、その天皇のいます国を護る行為として強制されたと説明されていた時の事である。
再び日本が戦うことを不可能にする、それを勝者として確実にしたいと願っていた占領軍の支配下に、我が国が置かれていた事実を忘れてはならない。
「現御神(アキツミカミ)」を「架空ナル観念」と述べられた詔書を楯として、天皇(スメラミコト)を神と称えごと申す日本人の信仰伝統を否定するのは、日本人が自ら日本文化の伝統を放棄し、民族ごとキリスト教に改宗することを宣言したことにさえなりうる。事の重大さを、我々は日本人として自覚しなければならないであろう。
2 天皇制と民主主義
先にも述べたように、キリスト教の如く、超越を立て、価値の本質・本源を<永遠>にのみ求める信仰の下では、地上的具体存在の一切は、超越との関係においてのみ、第二義的に相対的な価値を認められる。民族宗教の性格を持つユダヤ教には存在し、今日もなお生きている「汝、父母を敬え」(十戒の第五戒、倫理戒律の第一条)が、普遍宗教となったキリスト教では、「福音書」にイエスの言葉によっても教えられているに拘らず、実践面で欠如している事実は、注目に値いしよう。
信徒からの強い要請を受けて、仏教流先祖供養に参加することを認めた日本のカトリック(プロテスタントは、今なお強く反対し批判している)は、仏前で、彼らの<神>を祈れと教えているのである。
地上における人間関係は、あくまでも第二義的なものとされ、一人一人が個人として信仰的に神と結ばれる時、救われるのだと、彼らは信じている。従って、神の前にすべての人間は平等であり、差別されてはならない。
もし右のような意味で民主主義が理解されるのなら、天皇がキリスト教徒となられぬ限り、天皇制と民主主義とが矛盾すると考えられるのは、事の自然だと言って、恐らく間違いはないであろう。
しかし、民主主義思想の起源は、一つではない。人間の人間としての権利が保障され、その自由な成長が可能な限り促進される道は、キリスト教的発想以外にも、存在するからである。
日本人は、個別・具体の中に、生命(いのち)の本質を見、感得して来た。神道に八百万(ヤオロズ)の神々の信仰が生き続けている事実は、こうした真理観の生命力を如実に物語っている。八百万が字の示す数としての八百万に限定されるのではなく、本居宣長の説くように、弥万(いやよろず)であることは、極めて重要な意味を持っている。
神(真理)は、人間の生の営み、その在りように応じて、これを支え成長させる力として、弥増しにその数を増してゆかれるのである。日本人は、真理が唯一であり、<一>に限られるとは考えて来なかった。対立する両者が存在した場合、一方が正しければ他は不正であるとするのが、唯一真理主義の立場である。
しかし日本人は、喧嘩両成敗、三方一両損の現実的・具体的問題処理方法を発想し、実践して来ている。具体には常に言い分、部分的な真理があると、考えているのである。絶対なる真理の具現は、現実には在りえない。それぞれが欠点、弱点、誤謬を含みながらも、生きた力として存在し続けている。その具体にこそ、存在の真実、人間が最も大切にしなければならぬ価値があるのだと考えて来た。
人間の魂に神を見、人間の生命(いのち)を生命たらしめている自然、ぞして祖宗以来の生命(いのち)の営みに、神を感得して来た歴史が、その真理観の在り処(か)を物語っている、と言いえよう。個々人の生命(いのち)、その存在価値に畏敬の念を持つ民主主義が、このような思想・信仰伝統の中に有り得ない筈はない、と言って間違いはない筈である。
右のような信仰、発想の在り方は、日本人が自(みず)からを神の生みの子、神々の子孫として自覚し、神話に登場する神々、そして祖先代々の霊(ミタマ)を、神霊として祭祀して来た歴史によっても確認することが出来る。
国家祭祀としての天皇祭祀の成立は、歴史的に部族祭祀として行われてきたものの統合、その基盤の上に成立し、その祭祀を構造的な原型とするものであることは、否定し得ない。日本の国家成立が、部族連合であり、その統合、相互共存の中心に天皇家を持つ形になっている事実と、問題の在り方は整一なのである。天皇家は、権力によって成立したのではない。むしろ権力によって求められ、権威として成立したのである。
しかし、何故そのような形がありえたのか。それを問うてみることも忘れてはならないであろう。恐らく、真実は極めて単純明解である。即ち、個々真理を内包する神としての具体は、それ自身決して完全なものでは有りえない。その故に、歴史的に蓄積され、継承された智慧、更には、具体相互による補完と協力によってしか、自己の資質・能力の発揚・成長を期し、これを促すことは出来ない。規制なき自由が現実にありえないのと同理である。
然も、個別は個別の真理、力を内包している。自然に放置すれば、相対の争いを生じ、常に遠心力として働く性格を備えている。中心、即ちこれを統合する力を求めなければならないのが、理の当然である、歴史の必然であった。と見ることが出来る。日本の歴史が、この事実を物語っており、現在の世界が、その方向への必要に迫られていることも、或は否定し得ないであろう。
事実、我が民族は、大陸から離れた列島に成立し、国を建てた。民族の持つ価値観、生活への姿勢、その必然の帰結が、天皇制なのである。民主主義と天皇制とは、我が国において不可分であり、神道の原理であったと言いえよう。
かつて日本の政体を現す言葉として、<一君万民>という表現を用いられた事がある。今日も、諸外国の眼から見て、我が国が君主国であることに変化はない。国民の間に、相互を本質的に差別する原理は存在しなかったのである。歴史を顧みて、我が国ほど、階層上の可変性、移動性の頻繁であった共同体も少ないのではないか。貴族社会から武家時代、そして明治における近代への脱皮。新しい時代は、常に当代権力とは無縁の階層によって生み出されて来た。
そして、それらの権力が権力として国民の納得を得られたのは、天皇の権威によって、それが認証されたからに外ならなかった。各時代に於ける権力の交代のみならず、それは敗戦後の変革においてさえ、同様であった。超越にではなく、具体の世界内存在、天皇に、日本人は現実を受容し、現実を改革向上せしめる基軸、生の営みの本質、その意味(それは超越を立てぬ故に、自己否定によってではなく、自己同一性の確認によってのみ得られる)を求めて来たのである。天皇家が一系であることは、基本的な国民の要請であった、と言ってよい。
(略)
神の差し替え工作(2-2)へつづく
憲法の上位価値
神道神学論考 上田賢治著 大明堂 2700円 第三章 実践・応用神学
Ⅰ 天皇論 はじめに
キリスト教の信ずる神は、我々の知る、或は将来知るであろう一切の存在世界を、絶対無において創造した神である。神は既存者であり、何の素材(物実・モノザネ)を持つこともなく、世界を創った。人間もまた、特別に創造(つく)られたとは言え、一被造物に外ならない。このようにキリスト教の神は、存在世界からの<超越性>をもって、その根本属性の一つとしている。
勿論、キリスト教の神学史において、神の内在性を説く神学者は、確かに存在した。しかし、そこで説かれる内在性は、現実に存在する如何なる具体とも同一化されることを拒否する性格のものであり、たかだかそれは、この世界の存在が神の御手に成り、或は御手の及ぶものなる故に尊い、とされるに過ぎぬ性質の論であったと思われる。
イスラエルの族長モーセへの啓示(いわゆる十戒)の第二戒「汝、われの為に如何なる偶像をも造るべからず」の信仰は、まがりなりにも、今日まで生きて伝承されて来ているのである。このような宗教的価値を<権威>とする立場は、この世界に造られた如何なる政治権力をも、これと並ぶ権威として位置づける事はありえない。
それはせいぜいこのような超越を権威とする権力を、他の権力に比して優位に置く可能性を持つだけである。ヨーロッパにおいて<教権>が<政権>を従属せしめ得た歴史のあるのは、この原理に発している。
しかしその歴史も、決して永続きはしなかった。そこで闘われた血みどろの戦い、即ち教権支配の非現実性・非生産性が、<政教の分離>という特殊西洋的、宗教対政治の妥協政策を生み出したのだと言ってよいだろう。
神道の場合、その根底にある価値の体系は、キリスト教と根本的に異なるものである。そこでは存在が先行し、これが<所与>として認識されている。従って<カミ>は本来、存在に内在する<ちから>、働き・生命力として感得されていた。<自ずから>なるものそのものの中に、神を見ていたのである。
従って宗教的活動は、単なる物、法則としての自然を支配し、啓示によって与えられた超越者からの「汝かくあるべし」という戒律に従うこと、教誡の実践にその指針があるのではなく、個別自(おの)ずからなるものの<いのち>の成長・育成・展開に置かれて来た。
存在世界、個別生命力への感謝と畏敬、感動と自(おの)ずからなるものの躍動とは、<まつり>となって表われ、その意志(生命意志)は、日常なるものの整序、より大いなる力へ向けての政治となって結実される。この意味で、<祭政>は本来、一つであることが最も自然だったのである。
しかし不幸な事に、科学的・分析的な発想は、自然を<物>、法則の世界として捉える存在世界理解の世界、即ち<超越>を立てる西洋において成長発展し、その文明が世界を現実的に支配することとなった。或はそこに、生命(いのち)の自然があるのかも知れない。しかし他方、西洋の没落、科学による人類滅亡の危機が叫ばれている現実をも、我々は無視することが出来ない。
戦後の日本は、占領権力による強制、敗戦による民族的自己嫌悪、及び本来神道(日本民族の持つ価値志向性)に備わる実利傾向に動かされ、一切を西洋的価値(キリスト教文化を前提とする)によって律し、方向づける教育を行って来た。
当然、意識の西洋化(これは現在の日本人大多数は、普遍真理の受容展開として、殆ど疑っていない)と伝統的な生活実践との間に、多くの矛盾・乖離を生じている。日本語版現憲法は、その一つの表象だと言ってもよい。
従って今日、天皇問題についての議論も、日本人一般の意識のレヴェルにおける西洋化を前提とし、その思考・発想の相対化と共に、我が国伝統文化の根底にある価値志向性を浮上させ、その自覚、再評価の途を踏む手順で行われるのでない限り、何らかの稔りを齎すとは言い難い。以下の論旨展開は、その意味で、強く応用神学の性格を、その内に蔵しているものである。
一、 先行する二・三の課題
まず、現行憲法における象徴天皇と国民主権との関係、延いては民主主義原理理解の問題について、論じておかなければならない。
キリスト教文化圏、それが最初に成立したいわゆる西洋では、すでに述べた通り、不変の実在、即ち価値の本体を<超越>に見る真理観を展開し、その故に被造物たる存在世界は、有限相対、究極において<無>に帰するが故に、本質的には、それ自体として価値たり得ないもの、とする現存在理解の方向を生み出した。
たとえ被造物であるとしても、絶対者による創造にかかるもの、その故にそれがそのあるがままにおいて良きものとする志向を、その発想の本源においては内包しながらも、この方向での存在理解が十分成長し得なかったのは、それが、西洋における歴史の現実であったと言う外はない。(これを悲劇と見るかどうかは、評者の立脚点、その視点によって異なる)。
同じ超越を立てるインド、その文化圏に成立した印度教或は後期仏教が、<一即多>の論理によって、むしろ後者の展開を示し、日本文化と習合し得たのも、歴史の現実として、直接的な評価は避けておきたい。
何れにしても、超越としての<一>、即ち絶対と、有限なる相対的存在とを峻別するキリスト教的発想は、当初、神による選別信仰、或はインカーネイション(受肉)信仰に基づく専制・独裁の政治形態を成立させ、後、この非現実性から結果された批判を受けて、絶対の前に相対の相対的差異を本質的に否定する相対の平等観を生むに至った。
戦後我が国が手本としたアメリカの民主主義・人権思想は、正にこのようなキリスト教(プロテスタンティズム)の人間被造物信仰を根幹としている。
政治が君主制を認めず、国民主権、投票による大統領、而も任期を持つ大統領制を理想とするのは当然である、と言ってよいだろう。法の前に平等という人権思想も、超越者(神)の啓示によって与えられた律法の前においては、如何なる被造物も本質的に区別される理由はない、という思想に基づいているのである。
このような戦後民主主義思想は、当然、日本の伝統的な天皇観、特に明治以降、意識的に強調せられた天皇神聖観と対立する。従って天皇制の復活は、民主主義の否定、人権の抑圧に直接つながってくる、というのが、現行憲法擁護、いわゆる擁護派の共通した天皇制理解であり、民主主義理解であるように思われる。
果たしてそうした理解が正しいのかどうか、その論を抜きにして、今日の天皇論は、戦後教育を受けた世代に、有効性を持ちうるとは考えられない。
1 天皇は神か人間か
昭和二十一年の元旦、昭和天皇が、いわゆる<天皇の人間宣言>とジャーナリストによって命名された、詔書をお出しになった。護憲派・天皇象徴論者によると、この詔書は、正しく、天皇が戦前<神>とされていた事実を雄弁に物語る絶好の証拠であり、かつその神聖を天皇自(みず)からが否定されたのであるから、戦後の天皇の戦前のそれと本質的に異なるものであること、また異なるものでなければならぬことも明らかだとされる。
一年遅れた昭和二十二年一月、恐らく詔書を受けての事であろう、国文学者・古典学者、詩人であり同時に神道学者としても著名であった折口信夫が、<天子非即神論>を夕刊「新大阪」に発表する。詔書については、占領軍による工作、若しくは日本政府による迎合として、悲憤の涙を飲んでいた当時の神社神道界にとって、この論は変節裏切りと取られ、大きな衝撃であった。それ以降の天皇論が、戦前の否定を前提とするようになり、従って神道理解に基づく天皇論さえ、反動の名によって一蹴されるようになったのも、時の勢いとしか評しようはない。
しかし、天皇が神であられるのか、それとも単なる人間に過ぎない御存在であるのかの論は、すでに決着済みとなっているのでもなく、また現状のまま放置しておいて良いわけのものでもない。
そもそも一般におけるこの問題理解に関しては、まず、日本語(大和言葉)における<カミ>とは何か、について論議しておく必要があろう。それについて、近世国学の大成者と評価されて来た本居宣長は、その著『古事記伝』三之巻で、次のように述べている。
さて凡て迦微(カミ)とは、古御典(ミフミ)に見えたる天地(アメツチ)の諸(モロモロ)の神たちを始めて、其を祀れる社(ヤシロ)に坐御霊(スミタマ)をも申し、又人はさらにも云ヮず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其の余(ホカ)何にまれ、世常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて、可畏(カシコ)き物を迦微とは云なり。(中略) さて人の中の神は、先ヅかけまくもかしこき天皇(スメラミコト)は、御世々々みな神に坐(マシマス)こと、申すもさらなり、其は遠つ神とも申して、凡人(タダビト)とは遥に遠く、尊くか可畏く坐ますが故なり、かくて次々にも神なる人、古も今もあることなり、又天下に浮けばりてこそあらね。一国一里一家の内につきても、ほどほどに神なる人あるぞかし云々(『本居宣長全集』第九巻・125頁・筑摩書房)
これによれば、天皇を神として説くことに、何の不思議もありはしない。そして筆者は、古今、神道、日本人の中に生きて来た<神>に関する限り、これに勝る定義はないと考えている。
しかし残念な事に、宣長によって自覚的に正されたこの神観念も、明治四年、日本のプロテスタント・キリスト教徒が、新約書を初めて邦訳し、その信ずる造物主を、大和言葉<カミ>を用いて表現したことにより、再び中世の混乱同一化の状態に引戻されてしまった。
我が国において、教養を身につけるということは、悲しい事ながら、有史以来、常に海外に学び、海外からの知識を身につける事に外ならなかった。明治以降、そして敗戦後もまた、それは欧米から学び、欧米を学ぶことを意味している。
かつて国学の興起を見るまで、万葉の歌が仏典・漢籍を典拠として解釈されたように、戦後は、自国文化を西洋キリスト教文化の価値基準、規範をもって理解・説明する事が、何の不思議もなく行われている事実が、その事の深刻さを、雄弁に物語っている。
<カミ>と聞いて、意識に浮かぶその属性が<絶対>であり、<唯一>であり、<全知全能>であるのも、その一つの代表例である。
このような神理解、意識の上での神感覚から言えば、天皇が神であることなどありえない。それを敢えて神と信ずるよう教育し、或は強制したとされる戦前の在りようが、異常であり、間違っていたと断定するのも、決して無理ではないと認められよう。
勿論、少し注意深くさえあれば、我が国の民間で、今日もなお多くの<生神様>が活動している事実を見落とすことはありえない。いや更に、神話に伝承され、現実神社に奉祀されている神々でさえ、我が国には、絶対の神、創造神、全知全能なる神格が、存在された事のないのも、言うまでもない。
国生みの祖神、伊邪那岐・伊邪那美の大神たちも、その営みの最初に過ちを犯され、つまずきを経験しておられる。最高至貴と記紀が伝える天照大御神も、その御弟須佐之男命の御心を誤解され、誓約(ウケヒ)に負ける姿を示しておられるのである。
その御孫としての天皇(崇神)は、天照大御神の御霊代(ミタマシロ)(八咫の御鏡)と、同じ殿、御床を共にしていますことを恐れられ、それが伊勢神宮の創祀につながった事実を、我が古典は伝えている。天皇が絶対神であられよう筈は、はじめから有りえないのである。
昭和二十一年元旦の詔書は、国民の間にあったと思われるこのような天皇の神聖性に対する理解の混乱、それを前提として理解されなければならない。まして時は、連合軍による軍事占領下である。アメリカ人、キリスト教を前提とする宗教理解、神の観念を持つ人たちが、日本人の天皇に対する態度、特に自殺攻撃と評された特攻隊攻撃が、神たる天皇の御名において命令され、その天皇のいます国を護る行為として強制されたと説明されていた時の事である。
再び日本が戦うことを不可能にする、それを勝者として確実にしたいと願っていた占領軍の支配下に、我が国が置かれていた事実を忘れてはならない。
「現御神(アキツミカミ)」を「架空ナル観念」と述べられた詔書を楯として、天皇(スメラミコト)を神と称えごと申す日本人の信仰伝統を否定するのは、日本人が自ら日本文化の伝統を放棄し、民族ごとキリスト教に改宗することを宣言したことにさえなりうる。事の重大さを、我々は日本人として自覚しなければならないであろう。
2 天皇制と民主主義
先にも述べたように、キリスト教の如く、超越を立て、価値の本質・本源を<永遠>にのみ求める信仰の下では、地上的具体存在の一切は、超越との関係においてのみ、第二義的に相対的な価値を認められる。民族宗教の性格を持つユダヤ教には存在し、今日もなお生きている「汝、父母を敬え」(十戒の第五戒、倫理戒律の第一条)が、普遍宗教となったキリスト教では、「福音書」にイエスの言葉によっても教えられているに拘らず、実践面で欠如している事実は、注目に値いしよう。
信徒からの強い要請を受けて、仏教流先祖供養に参加することを認めた日本のカトリック(プロテスタントは、今なお強く反対し批判している)は、仏前で、彼らの<神>を祈れと教えているのである。
地上における人間関係は、あくまでも第二義的なものとされ、一人一人が個人として信仰的に神と結ばれる時、救われるのだと、彼らは信じている。従って、神の前にすべての人間は平等であり、差別されてはならない。
もし右のような意味で民主主義が理解されるのなら、天皇がキリスト教徒となられぬ限り、天皇制と民主主義とが矛盾すると考えられるのは、事の自然だと言って、恐らく間違いはないであろう。
しかし、民主主義思想の起源は、一つではない。人間の人間としての権利が保障され、その自由な成長が可能な限り促進される道は、キリスト教的発想以外にも、存在するからである。
日本人は、個別・具体の中に、生命(いのち)の本質を見、感得して来た。神道に八百万(ヤオロズ)の神々の信仰が生き続けている事実は、こうした真理観の生命力を如実に物語っている。八百万が字の示す数としての八百万に限定されるのではなく、本居宣長の説くように、弥万(いやよろず)であることは、極めて重要な意味を持っている。
神(真理)は、人間の生の営み、その在りように応じて、これを支え成長させる力として、弥増しにその数を増してゆかれるのである。日本人は、真理が唯一であり、<一>に限られるとは考えて来なかった。対立する両者が存在した場合、一方が正しければ他は不正であるとするのが、唯一真理主義の立場である。
しかし日本人は、喧嘩両成敗、三方一両損の現実的・具体的問題処理方法を発想し、実践して来ている。具体には常に言い分、部分的な真理があると、考えているのである。絶対なる真理の具現は、現実には在りえない。それぞれが欠点、弱点、誤謬を含みながらも、生きた力として存在し続けている。その具体にこそ、存在の真実、人間が最も大切にしなければならぬ価値があるのだと考えて来た。
人間の魂に神を見、人間の生命(いのち)を生命たらしめている自然、ぞして祖宗以来の生命(いのち)の営みに、神を感得して来た歴史が、その真理観の在り処(か)を物語っている、と言いえよう。個々人の生命(いのち)、その存在価値に畏敬の念を持つ民主主義が、このような思想・信仰伝統の中に有り得ない筈はない、と言って間違いはない筈である。
右のような信仰、発想の在り方は、日本人が自(みず)からを神の生みの子、神々の子孫として自覚し、神話に登場する神々、そして祖先代々の霊(ミタマ)を、神霊として祭祀して来た歴史によっても確認することが出来る。
国家祭祀としての天皇祭祀の成立は、歴史的に部族祭祀として行われてきたものの統合、その基盤の上に成立し、その祭祀を構造的な原型とするものであることは、否定し得ない。日本の国家成立が、部族連合であり、その統合、相互共存の中心に天皇家を持つ形になっている事実と、問題の在り方は整一なのである。天皇家は、権力によって成立したのではない。むしろ権力によって求められ、権威として成立したのである。
しかし、何故そのような形がありえたのか。それを問うてみることも忘れてはならないであろう。恐らく、真実は極めて単純明解である。即ち、個々真理を内包する神としての具体は、それ自身決して完全なものでは有りえない。その故に、歴史的に蓄積され、継承された智慧、更には、具体相互による補完と協力によってしか、自己の資質・能力の発揚・成長を期し、これを促すことは出来ない。規制なき自由が現実にありえないのと同理である。
然も、個別は個別の真理、力を内包している。自然に放置すれば、相対の争いを生じ、常に遠心力として働く性格を備えている。中心、即ちこれを統合する力を求めなければならないのが、理の当然である、歴史の必然であった。と見ることが出来る。日本の歴史が、この事実を物語っており、現在の世界が、その方向への必要に迫られていることも、或は否定し得ないであろう。
事実、我が民族は、大陸から離れた列島に成立し、国を建てた。民族の持つ価値観、生活への姿勢、その必然の帰結が、天皇制なのである。民主主義と天皇制とは、我が国において不可分であり、神道の原理であったと言いえよう。
かつて日本の政体を現す言葉として、<一君万民>という表現を用いられた事がある。今日も、諸外国の眼から見て、我が国が君主国であることに変化はない。国民の間に、相互を本質的に差別する原理は存在しなかったのである。歴史を顧みて、我が国ほど、階層上の可変性、移動性の頻繁であった共同体も少ないのではないか。貴族社会から武家時代、そして明治における近代への脱皮。新しい時代は、常に当代権力とは無縁の階層によって生み出されて来た。
そして、それらの権力が権力として国民の納得を得られたのは、天皇の権威によって、それが認証されたからに外ならなかった。各時代に於ける権力の交代のみならず、それは敗戦後の変革においてさえ、同様であった。超越にではなく、具体の世界内存在、天皇に、日本人は現実を受容し、現実を改革向上せしめる基軸、生の営みの本質、その意味(それは超越を立てぬ故に、自己否定によってではなく、自己同一性の確認によってのみ得られる)を求めて来たのである。天皇家が一系であることは、基本的な国民の要請であった、と言ってよい。
(略)
神の差し替え工作(2-2)へつづく

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