日本国憲法の誕生-6/其筋ノ意向「国民主権」

「日本国憲法」無効論 小山常実著 草思社 1995円
4 「其ノ筋ノ意向」で決まった国民主権の明記
衆議院の国民主権不明記の意向
帝国議会における主な修正は衆議院で行なわれており、日本側のヘゲモニーで行われたものもある。「日本国民たる要件」(「日本国憲法」10条)と納税の義務(同、第30条)の二つの条文の新設、官吏の不法行為に対する賠償請求権の規定(同、第17条)、生活権の新設、教育条項の修正などである。だが、全体から見れば、小さな修正にすぎないし、連合国側にとってはどうでもよい事柄であった。
これに対して、議会が政府案に対して施した最大の修正は、前文と第1条に国民主権を明記することである。これはGHQの命令あるいは主導によって行なわれた。
日本政府は、GHQの目を逃れて、the sovereign will of the people を「国民の至高の総意」という意訳をしていた。この意訳の問題を取り上げたのは、社会党と共産党であった。
最初に問題化したのは、6月26日の衆議院本会議における社会党の鈴木義男である。鈴木は、前文および第1条の英文と日本文とが異なるとしたうえで、「政府は平明に主権在民の原則を明かにする御意思はありませぬか」(清水伸『日本国憲法審議録』第1巻、原書房、1976年、210頁)と質問する。これに対して、金森徳次郎国務大臣は、4月22日の第1回枢密院審査委員会における幣原首相の言葉を受け継ぎ、「この憲法の改正案を起案致しまする基礎としての考え方は、主権は天皇を含みたる国民全体に在りと云うことでございます」(同、210頁)と答えている。
ところが、社会党は、前述のようにもともと国民と天皇を含む国民共同体(国家)に主権を認めていた。それゆえ、社会党の黒田寿男は、7月2日の衆議院特別委員会で、金森の見解に賛意を表明したうえで、国民主権の明記を主張する。すなわち、「国政上の最終の決定権が国民にある、その国民の中に天皇を含むと云う解釈になって居りますが、要するに国民が従来の如く単なる被支配者でなくなって、国政上最終決定権を持つことになったと云うことに、私は重点があると思うのでありまして、この意味に於て、私は本草案に於て主権の所在が日本国民全体に在ると云うことが明瞭に言い得られると思うと同時に、政府の草案に於ては、この点の表現が甚だ曖昧な、遠回りな言い方になって居ると思いますので、私ははっきりと主権が国民に在ると云うことを明示する条文を挿入して戴きたいと思うのであります」(同、193頁)と述べるのである。
これに対して、進歩党の原夫次郎は、6月26日の衆議院本会議において、社会党と同じく金森の主権に対する考え方に賛意を表明したうえで、主権を天皇と国民で共有することを明記せよと主張する。すなわち、「若しこの天皇を国民に加えたる一体であると云う建前で行きますならば、この草案の各所の書き方に多少の狂いが来やしないかと思うのでありまして、私は先ず金森国務相にこの点を御尋ねして置く次第であります」(同、191頁)と述べている。原の意見のほうが、黒田の意見より理にかなっていよう。
しかし、7月4日の衆議院特別委員会では、第四党である協同民主党の林平馬は、主権の所在の問題は「政治問題と云うよりは学説じゃないでしょうか」(同、195頁)と述べ、「民主主義政治を行うことが出来るならば、主権のありかは何処でも宜いじゃないかと思う。又ポツダム宣言に見ましても、日本の主権のありかを何処に在れと要求しては居りませぬ。・・・・随て日本が、主権が国民に在りと云ったように決めなくてはならぬと云うことは、どうも考えられないのでありまする」(同、196~7頁)としている。金森も、林の「学説じゃないでしょうか」に賛意を表している。
結局、金森は、主権は天皇を含む国民にあるという説を維持し、これを憲法に明記しないという方法で一貫しようとする。そもそも、7月4日の林平馬が整理しているとおり、自由党は国家主権説、進歩党は天皇主権説、社会党は「主権は天皇を含む国民協同体に在る」という説、共産党は人民主権説をとっていた。共産党はほんの数名の政党で、厳密には国民主権説ではなかったし、社会党も国民・天皇共同主権説であっても国民主権説ではなかった。議会の多数派は国民・天皇共同主権説どころか、本来は国家主権説ないしは天皇主権説的な立場だったのである。
GHQの要求にもとづく国民主権の明記
しかし、7月2日になると、極東委員会は「日本の新憲法についての基本原則」を決定する。これを6日にうけとると、GHQは、すぐさま日本側に対して圧力をかけてくる。「日本の新憲法についての基本原則」では、第一に「日本国憲法は、主権が国民に存することを認めなければならない」と規定していた。そして、この基本原則と関連して、第二に「成年者による普通選挙」、第三に内閣総理大臣と国務大臣が「文民」であること、第四に内閣総理大臣を含めて大臣の過半数が国会議員の中から選ばれること、第五にすべての皇室財産を国の財産とすること、までも要求していた。
この五点の中でも、GHQがもっとも重視したのは国民主権の明記であった。7月10日に入江法制局長官と佐藤次長は、ケーディスを訪ねている。入江の証言によれば、そのとき「ケーディスは前文中にある日本文の用語では主権の所在が判然としないように思われるということをしきりに言つておりました」(入江俊郎『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題』第一法規、1976年、364頁)という。さらにケーディスは17日に金森と、23日には、金森、入江、佐藤と会談している。入江によれば、ケーディスは、23日、「対外関係も考慮して適当に修正するよう努力してもらいたい」(同、367頁)と前文の修正を強硬に主張する。ついに金森も修正を考えてみよう、と約束したとのことである。
この約束は、すぐさま、衆議院の憲法改正小委員会で果たされる。7月25日に開かれた第一回小委員会において、自由党の北昤吉は、進歩党と意見を一致させたうえで、前文修正案を提出している。その修正案は、「ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し、この憲法を確定する」の部分を、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」に表現を改めるものであった。
だが、北は、国民主権の意味内容そのものは金森説にしたがい、「人民ヲ避ケテ、天皇ヲ含ンダ国民全体ニ主権ガ存スル、之ヲハツキリ此処デ述ベタ方ガ宜シカラウ」(衆議院事務局編『衆議院帝国憲法改正案小委員会速記録』衆栄会発行、1995年、8頁)と述べている。つまり、政府や自由党、進歩党は、7月23日のケーディス・金森会談を受けて、国民主権の明記の方針に転換したものの、国民・天皇共同主権説を維持しつづけるのである。
ただし、北の本音は、国民・天皇共同主権説どころか、国家主権説のほうにあった。右の言葉に続けて、北は、「『主権が国民に存することを宣言』スル、斯ウスレバ連合国ナドモ相当ニ納得シハシナイカ、政府モ国民主権ハ認メテ居ル、国家主権ト国民主権トハ実質ニ於テサウ違ヒハナイ」(同)と述べているからである。そして、自由党の本音も、さらには金森などの本音も、国民・天皇共同主権説どころか、国家主権説のほうにあったと考えられよう。ちなみに、「斯ウスレバ連合国ナドモ相当ニ納得シハシナイカ」とは英訳版にはない部分である。
小委員会はGHQの意向に逆らえないと認識していた
第一回小委員会を受けて、1946(昭和21)年7月26日の第二回小委員会は、政府案前文の「ここに国民の総意が至高なるものであることを宣言し」を、「ここに主権が国民に存することを宣言し」へ修正することを決めた。この重要な委員会における発言が、GHQに提出された英訳版では相当程度削除されているが、それは以下のようなものであった。
笠井委員 是ハ聞イテ見マスト、相当英文ト云フモノガ重要ナ部分トシテ残ルト思ヒマス。「マッカーサー」ノ方デモ、此ノ前文ニハ相当筆ヲ下シテ居ルコトト云フコトヲ聞イテ居リマス(前掲『衆議院帝国憲法改正案委員小委員会速記録』21頁)
笠井委員 併シ事実ニ於テハ既ニ「マッカーサー」ノ方デ筆ヲ入レ、練ツタモノデスカラ、之ヲ無視スルコトハ出来ナイト云フコトガ最近段々分ツテ参リマシタガ・・・(同、21頁)
芦田委員長 森戸君ノ御意見モ、私モ個人トシテハ、サウ云フ風ニ簡潔ニ日本人ニ本当ニピント来ルヤウニシタイト思フケレドモ、併シ之ヲ日本人ノ手デ、而モ進駐軍本部ノ承諾ヲ得ラレルヤウナ思想ノ内容ヲ持ツタモノヲ書クト云フコトニナルト、中々三日ヤ一週間デハ出来ナイ仕事ダト思ヒマス、本当ノ大事業ダト思ヒマス(同、22頁)
政府案が修正されて国民主権が明記された背景に、極東委員会の意向を受けたGHQから政府に対する強烈な圧力があったことは、前述のように、当時の法制局長官である入江俊郎のメモ等によって、これまでも知られてきた。しかし、議員の主観的な意識のうえでは、GHQなどの外国の圧力というものをどの程度認識していたか、どの程度自主的に審議を行なったのか、という点がもう一つ不鮮明であった。ところが、右記のように、議員たちは、マッカーサーや進駐軍本部の意向というものを無視できないと明確に認識していた。だからこそ、本来、国民主権の明記に反対であった自由党や進歩党の議員が、率先して修正案を提案したのである。
しかし、社会党はもともとの提案者であり、すんなりと了承したものの、協同民主党の林平馬は抵抗している。この抵抗を、北は次のようにつぶしていっている。
北 国民ニ主権ガ在ルト云フ点ダケハ、此ノ小委員会デ意見ガ一致シタト云フコトデス

「日本国憲法」無効論 小山常実著 草思社 1995円
4 「其ノ筋ノ意向」で決まった国民主権の明記
衆議院の国民主権不明記の意向
帝国議会における主な修正は衆議院で行なわれており、日本側のヘゲモニーで行われたものもある。「日本国民たる要件」(「日本国憲法」10条)と納税の義務(同、第30条)の二つの条文の新設、官吏の不法行為に対する賠償請求権の規定(同、第17条)、生活権の新設、教育条項の修正などである。だが、全体から見れば、小さな修正にすぎないし、連合国側にとってはどうでもよい事柄であった。
これに対して、議会が政府案に対して施した最大の修正は、前文と第1条に国民主権を明記することである。これはGHQの命令あるいは主導によって行なわれた。
日本政府は、GHQの目を逃れて、the sovereign will of the people を「国民の至高の総意」という意訳をしていた。この意訳の問題を取り上げたのは、社会党と共産党であった。
最初に問題化したのは、6月26日の衆議院本会議における社会党の鈴木義男である。鈴木は、前文および第1条の英文と日本文とが異なるとしたうえで、「政府は平明に主権在民の原則を明かにする御意思はありませぬか」(清水伸『日本国憲法審議録』第1巻、原書房、1976年、210頁)と質問する。これに対して、金森徳次郎国務大臣は、4月22日の第1回枢密院審査委員会における幣原首相の言葉を受け継ぎ、「この憲法の改正案を起案致しまする基礎としての考え方は、主権は天皇を含みたる国民全体に在りと云うことでございます」(同、210頁)と答えている。
ところが、社会党は、前述のようにもともと国民と天皇を含む国民共同体(国家)に主権を認めていた。それゆえ、社会党の黒田寿男は、7月2日の衆議院特別委員会で、金森の見解に賛意を表明したうえで、国民主権の明記を主張する。すなわち、「国政上の最終の決定権が国民にある、その国民の中に天皇を含むと云う解釈になって居りますが、要するに国民が従来の如く単なる被支配者でなくなって、国政上最終決定権を持つことになったと云うことに、私は重点があると思うのでありまして、この意味に於て、私は本草案に於て主権の所在が日本国民全体に在ると云うことが明瞭に言い得られると思うと同時に、政府の草案に於ては、この点の表現が甚だ曖昧な、遠回りな言い方になって居ると思いますので、私ははっきりと主権が国民に在ると云うことを明示する条文を挿入して戴きたいと思うのであります」(同、193頁)と述べるのである。
これに対して、進歩党の原夫次郎は、6月26日の衆議院本会議において、社会党と同じく金森の主権に対する考え方に賛意を表明したうえで、主権を天皇と国民で共有することを明記せよと主張する。すなわち、「若しこの天皇を国民に加えたる一体であると云う建前で行きますならば、この草案の各所の書き方に多少の狂いが来やしないかと思うのでありまして、私は先ず金森国務相にこの点を御尋ねして置く次第であります」(同、191頁)と述べている。原の意見のほうが、黒田の意見より理にかなっていよう。
しかし、7月4日の衆議院特別委員会では、第四党である協同民主党の林平馬は、主権の所在の問題は「政治問題と云うよりは学説じゃないでしょうか」(同、195頁)と述べ、「民主主義政治を行うことが出来るならば、主権のありかは何処でも宜いじゃないかと思う。又ポツダム宣言に見ましても、日本の主権のありかを何処に在れと要求しては居りませぬ。・・・・随て日本が、主権が国民に在りと云ったように決めなくてはならぬと云うことは、どうも考えられないのでありまする」(同、196~7頁)としている。金森も、林の「学説じゃないでしょうか」に賛意を表している。
結局、金森は、主権は天皇を含む国民にあるという説を維持し、これを憲法に明記しないという方法で一貫しようとする。そもそも、7月4日の林平馬が整理しているとおり、自由党は国家主権説、進歩党は天皇主権説、社会党は「主権は天皇を含む国民協同体に在る」という説、共産党は人民主権説をとっていた。共産党はほんの数名の政党で、厳密には国民主権説ではなかったし、社会党も国民・天皇共同主権説であっても国民主権説ではなかった。議会の多数派は国民・天皇共同主権説どころか、本来は国家主権説ないしは天皇主権説的な立場だったのである。
GHQの要求にもとづく国民主権の明記
しかし、7月2日になると、極東委員会は「日本の新憲法についての基本原則」を決定する。これを6日にうけとると、GHQは、すぐさま日本側に対して圧力をかけてくる。「日本の新憲法についての基本原則」では、第一に「日本国憲法は、主権が国民に存することを認めなければならない」と規定していた。そして、この基本原則と関連して、第二に「成年者による普通選挙」、第三に内閣総理大臣と国務大臣が「文民」であること、第四に内閣総理大臣を含めて大臣の過半数が国会議員の中から選ばれること、第五にすべての皇室財産を国の財産とすること、までも要求していた。
この五点の中でも、GHQがもっとも重視したのは国民主権の明記であった。7月10日に入江法制局長官と佐藤次長は、ケーディスを訪ねている。入江の証言によれば、そのとき「ケーディスは前文中にある日本文の用語では主権の所在が判然としないように思われるということをしきりに言つておりました」(入江俊郎『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題』第一法規、1976年、364頁)という。さらにケーディスは17日に金森と、23日には、金森、入江、佐藤と会談している。入江によれば、ケーディスは、23日、「対外関係も考慮して適当に修正するよう努力してもらいたい」(同、367頁)と前文の修正を強硬に主張する。ついに金森も修正を考えてみよう、と約束したとのことである。
この約束は、すぐさま、衆議院の憲法改正小委員会で果たされる。7月25日に開かれた第一回小委員会において、自由党の北昤吉は、進歩党と意見を一致させたうえで、前文修正案を提出している。その修正案は、「ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し、この憲法を確定する」の部分を、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」に表現を改めるものであった。
だが、北は、国民主権の意味内容そのものは金森説にしたがい、「人民ヲ避ケテ、天皇ヲ含ンダ国民全体ニ主権ガ存スル、之ヲハツキリ此処デ述ベタ方ガ宜シカラウ」(衆議院事務局編『衆議院帝国憲法改正案小委員会速記録』衆栄会発行、1995年、8頁)と述べている。つまり、政府や自由党、進歩党は、7月23日のケーディス・金森会談を受けて、国民主権の明記の方針に転換したものの、国民・天皇共同主権説を維持しつづけるのである。
ただし、北の本音は、国民・天皇共同主権説どころか、国家主権説のほうにあった。右の言葉に続けて、北は、「『主権が国民に存することを宣言』スル、斯ウスレバ連合国ナドモ相当ニ納得シハシナイカ、政府モ国民主権ハ認メテ居ル、国家主権ト国民主権トハ実質ニ於テサウ違ヒハナイ」(同)と述べているからである。そして、自由党の本音も、さらには金森などの本音も、国民・天皇共同主権説どころか、国家主権説のほうにあったと考えられよう。ちなみに、「斯ウスレバ連合国ナドモ相当ニ納得シハシナイカ」とは英訳版にはない部分である。
小委員会はGHQの意向に逆らえないと認識していた
第一回小委員会を受けて、1946(昭和21)年7月26日の第二回小委員会は、政府案前文の「ここに国民の総意が至高なるものであることを宣言し」を、「ここに主権が国民に存することを宣言し」へ修正することを決めた。この重要な委員会における発言が、GHQに提出された英訳版では相当程度削除されているが、それは以下のようなものであった。
笠井委員 是ハ聞イテ見マスト、相当英文ト云フモノガ重要ナ部分トシテ残ルト思ヒマス。「マッカーサー」ノ方デモ、此ノ前文ニハ相当筆ヲ下シテ居ルコトト云フコトヲ聞イテ居リマス(前掲『衆議院帝国憲法改正案委員小委員会速記録』21頁)
笠井委員 併シ事実ニ於テハ既ニ「マッカーサー」ノ方デ筆ヲ入レ、練ツタモノデスカラ、之ヲ無視スルコトハ出来ナイト云フコトガ最近段々分ツテ参リマシタガ・・・(同、21頁)
芦田委員長 森戸君ノ御意見モ、私モ個人トシテハ、サウ云フ風ニ簡潔ニ日本人ニ本当ニピント来ルヤウニシタイト思フケレドモ、併シ之ヲ日本人ノ手デ、而モ進駐軍本部ノ承諾ヲ得ラレルヤウナ思想ノ内容ヲ持ツタモノヲ書クト云フコトニナルト、中々三日ヤ一週間デハ出来ナイ仕事ダト思ヒマス、本当ノ大事業ダト思ヒマス(同、22頁)
政府案が修正されて国民主権が明記された背景に、極東委員会の意向を受けたGHQから政府に対する強烈な圧力があったことは、前述のように、当時の法制局長官である入江俊郎のメモ等によって、これまでも知られてきた。しかし、議員の主観的な意識のうえでは、GHQなどの外国の圧力というものをどの程度認識していたか、どの程度自主的に審議を行なったのか、という点がもう一つ不鮮明であった。ところが、右記のように、議員たちは、マッカーサーや進駐軍本部の意向というものを無視できないと明確に認識していた。だからこそ、本来、国民主権の明記に反対であった自由党や進歩党の議員が、率先して修正案を提案したのである。
しかし、社会党はもともとの提案者であり、すんなりと了承したものの、協同民主党の林平馬は抵抗している。この抵抗を、北は次のようにつぶしていっている。
北 国民ニ主権ガ在ルト云フ点ダケハ、此ノ小委員会デ意見ガ一致シタト云フコトデス
林 其処ハマダ一致シナイ、此ノ点ガ私ノ方ハ中々難カシイ、・・・其処ニ主権ガアルト云フ文字ヲ明瞭ニ現ハス必要ハナイノヂヤナイカ
北 『至高なものであることを宣言』モ除クノデスカ
林 『発生させまいと決意し、この憲法を確定する』
芦田委員長 一寸速記ヲ止メテ・・・
〔速記中止〕
北 林君、其ノ事情ヲ打チマケルト穏カデアイカラ、色々国際情勢ニ鑑ミテ、国民主権ト云ウ言葉ヲハツキリ出サヌト具合悪イノダ、各派モサウ考ヘヲ持ツテ居ルト云フヤウニ御報告ヲシテ、御諒解ヲ求メル訳ニイカヌデセウカ
林 ソレハ出来ナイコトモナイデス、努力シテ見マスガ、併シ中々難カシイ所デス(同、25頁)
このように「国民の総意が至高なものであることを宣言し」の部分をそっくり抜いてしまえと林は主張した。これに驚いた芦田は、速記を中断させた。速記中断中になにが話し合われたのであろうか。おそらく、北と芦田が、ソ連やオーストラリアなどが極東委員会内で天皇制の廃止を主張していることを説明したのではないか。こうして、無理やり、北と芦田は林を納得させたのである。「日本国民の自由な意思」どころか、議員の自由な意思さえもない状態がうかがえる。
前文修正の決まった26日には、ケーディスからまたも要求が出される。第一条でも国民主権を明記せよ、と要求したのである。29日の会談でケーディスは「(1)主権在民の規定をbody(条文本体---引用者)へ加えよとの点はallied powers(連合国---同)とマッカーサーとのディスカッションの結果をホイットニーがきき、その線に沿って去る26日の申入れをしたのである」(前掲入江『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題』369頁)と宣言する。ケーディスは、入江が「説明というよりもむしろ命令の如きものである」(同)と感じるほど、強い調子で要求した。それゆえ、政府は、GHQ側の申し入れを受け入れ、第1条でも国民主権を明記することにする。
政府の方針が変わると、さっそく小委員会の方針も変化していく。芦田も、7月27日の第三回小委員会で「余リ広ク話シテ宣イノカ悪イノカマダ分カリマセヌガ、前文ニ於テ既ニ主権ガ国民ニアルトハツキリ書イタノデアルカラ、第一章ノ条文ニ於テモ、主権ガ国民ニアルヤウナ意味ヲ現シテハドウカト云フノガ、其ノ筋ノ意向ダサウデス」(前掲『衆議院帝国憲法改正案委員小委員会速記録』70~71頁)と、GHQの意向にふれたうえで、「来週ノ初メマデニ各派ニ於テモ此ノ問題ヲ一ツ能ク御考ヘ置キヲ願ツテ、サウシテ来週ニナツテカラ、第1条ノ問題ヲ御相談シタラドウカト思ヒマス」(同、71頁)と発言している。
ついで8月1日の第7回小委員会では、速記を止めて第1条の議論を行なっている。2日の第8回小委員会では、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と芦田みずから、修正提案を行なっている。社会党以外の党派はすべて賛成し、ここに、国民主権を第1条に明記することがほぼ決定されるのである。
場面3 21.7.17 政府及帝国議会「国民主権」受諾/13条行為 (6-4)
日本国憲法の誕生-7/皇室自治・職能代表制 へつづく
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もくじ
新無効論概略
新無効論概説・問答編
新無効論の目的・論理概略・現実対処法
新無効論と旧無効論
憲法違反と条約違反 ―― 新無効論と旧無効論
改正?破棄?廃止?無効確認?
大日本帝国憲法75条違反
法律論議以前!事実関係からの無効
日本国憲法の死亡 ―― 有効論への即効解毒剤
日本国憲法の誕生 ―― 日本国憲法は講和条約の限度で有効
日本国憲法改正論の欺瞞
憲法業者のペテンにひっかかるな!
法定追認有効説の論理破綻
追認有効説の変形――事実の規範力
保守の思想と保身の欲望
追認有効説の破綻と自画自賛
改憲派は「保守」派ではない!小山常実
4月28日問題!大東亜戦争はどうやって戦争終結できたの?
護憲派改正論者に告ぐ!
護憲派護憲論と護憲派改正論は蚤の曲芸!
憲法改正とは祖先との協同作業のことである
憲法学者の騙しテクニック
元凶は東大法学部
(1)「君主殺し」を叫ぶ国立国会図書館HP監修者
(2)「君主殺し」を叫ぶ国立国会図書館HP監修者
大日本帝国憲法に殉死・清水澄博士
「祓庭復憲」現行憲法無効宣言
「憲法無効宣言」南出喜久治講演録
橿原の宮のおきて
神聖をもとめる心 ──祭祀の統治への影響──
神の差し替え工作(2-1) 神道神学論考
神の差し替え工作(2-2) 神道神学論考
史上最悪宗教「利を権ることを尊べ!」
「生きていく」と「生かされている」
欽定憲法とは76箇条の御誓文
(動画)大日本帝国憲法とは?
大日本帝国憲法とは何か 3-1 小山常実
大日本帝国憲法とは何か 3-2 小山常実
大日本帝国憲法とは何か 3-3 小山常実
國體の下に 序章
國體の下に 1-1 何が私たちを決めるのか
國體の下に 1-2 何が私たちを決めるのか
國體の下に 2 生きている者だけの天国
國體の下に 3 命と人権を越えるもの
國體の下に 4 憲法の向こうにあるもの
國體の下に 5 すべては國體の下に
戦後の「疚しさ」(1)
戦後の「疚しさ」(2)
再考 皇室典範改正 議論すべき五つの論点 (2-1) 小山常実
再考 皇室典範改正 議論すべき五つの論点 (2-2) 小山常実
チャンネル桜 渡部昇一の大道無門 ゲスト:小山常実(3-1)
チャンネル桜 渡部昇一の大道無門 ゲスト:小山常実(3-2)
チャンネル桜 渡部昇一の大道無門 ゲスト:小山常実(3-3)
日本国憲法の誕生-1/政府草案/松本乙案
日本国憲法の誕生-2/松本乙案≒民間草案
日本国憲法の誕生-3/GHQ案押付プロセス
日本国憲法の誕生-4/ポツダム宣言違反
日本国憲法の誕生-5/GHQ統制帝国議会
日本国憲法の誕生-6/其ノ筋ノ意向「国民主権」
日本国憲法の誕生-7/皇室自治・職能代表制
日本国憲法の誕生-8/第9条修正ドタバタ劇
日本国憲法の誕生-9/占領軍制定無効憲法

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