日本国憲法の誕生-9/占領軍制定無効憲法

「日本国憲法」無効論 小山常実著 草思社 1995円
国務大臣の任命をめぐって
国民主権、皇室財産とともに、GHQの大きな圧力によって修正されたものに、国務大臣規定がある。前述のように、極東委員会は、内閣総理大臣および国務大臣のすべてが文民であり、大臣の過半数が国会議員であることを要求していた。GHQは、この要求を実現するために、日本政府と議会に対して圧力をかけていくのである。
「帝国憲法改正案」第64条は、第一項で「内閣総理大臣は、国会の承認により、国務大臣を任命する」と規定し、第二項で「内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる」と規定していた。この規定は、GHQ案(第六二条)以来、存在したものである。
だが、衆議院で審議が始まると、自由、進歩、社会の三大政党と協同民主党という第四党とが、第一項から「国会の承認により」の削除を求める。たとえば、自由党の北は、六月二五日の衆議院本会議で、「或る閣僚が不当のことをした場合には・・・・不信任案を提起する」(前掲清水第三巻、329頁)わけだから、国会の同意は不要であろう、と主張する。また、原健三郎は、7月20日の特別委員会で「最初に於ては国会の承認を得て居る、国会の承認を得たものを罷免する場合には、勝手に今度は罷免する、この間に非常に私は矛盾があると思うのであります」(同、332頁)と述べている。
しかし、GHQは、衆議院の動きに反対する。すなわち、ケーディスは、前に何度も言及した7月23日の人江との会談で、「もし国務大臣を全部議員から任命するならば考える余地もあるが、議員外から任命する場合には絶対に国会の承認が必要であると、きわめて強硬な意向を示」(前掲入江『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題』366頁)している。すると、三大政党は、7月31日の小委員会において、協同民主党と新政会が「国会の承認により」を削除した修正案を提出すると、こぞって反対するのである。
ところが、8月20日の最終回の第一三回小委員会において、またまた三大政党の意見が変わる。この日の小委員会は、第六四条①から「国会の承認により」を削除することを決定し、「但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない」を挿入する。と同時に、突然、政府提出案第六三条①「内閣総理大臣は、国会の議決で、これを指名する」を「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」へ修正している。「国会議員の中から」が新たに挿入されたわけである。これらはすべて全党一致で決まっている。
三大政党の態度はなぜ変化したのか
では、なにゆえに、三大政党は、小委員会はまたも立場を変えたのか。それは、8月19日のマッカーサーと吉田首相との会談の様子が、小委員会で説明されたからである。吉田首相は、マッカーサーに呼ばれ、極東委員会からの要望であるとして、第一に内閣総理大臣その他の国務大臣はシヴィリアン(文民)であるべきこと、第二に内閣総理大臣は国会議員から選ぶこと、第三にその他の国務大臣もすべて国会議員から選ぶこと、以上三点を憲法に明記することを要求される。
しかし、第三点についていえば、極東委員会が要求していたのは、内閣総理大臣を含めた国務大臣の過半数が国会議員であることである。マッカーサーは、極東委員会の要望を過大に日本側に伝えたのである。
第一点について、政府側は、シヴィリアン云々の規定は軍備を放棄した以上不要ではないかと主張し、GHQの同意をとりつけている。第二点については、当然に内閣総理大臣は国会議員から選ばれるものであるとして受け入れる。この交渉で問題になったのは、第三点であった。
入江によれば、交渉の経緯は、「総理大臣については、国会議員から選ぶことはむしろ当然と思うたが、・・・・その他の国務大臣は全部国会議員とするのは困る場合もあろうというので、種々折衝の結果結局過半数を国会議員とするということに了解をとりつけました。同時にわが方は、・・・・原案は内閣総理大臣が国務大臣を任命するについては国会の承認を必要としていたので、かねてから削除方希望しておつたこともあるので、この際の中入れを機会に、・・・・『国会の承認により』を削ることを相手方に了承せしめました」(前掲入江、376頁)というものであった。
つまり、「過半数を国会議員とするということ」と引き替えに、「『国会の承認により』を削ること」がGHQによって承認されたのである。
金森によるGHQとの交渉経過の説明
19日の吉田・マッカーサー会談の様子は、さっそく、芦田委員長に伝えられる。そして、金森は、小委員会の場で、GHQとの交渉経過を詳しく説明している。ただし、その説明は、英訳では大幅に削除されている。その削除部分は、次のとおりである。
実ハ昨日即チ八月十九日ノ朝二至りマシテ、突然「マッカーサー」元帥ノ方カラ吉田総理大臣ノ向フニ行力レルコトヲ求メテ参リマシタ、ソシテ向フヘ行ツテ話合ヒヲサレマシタ所、先方ノ意見ト致シマシテハ(この部分はそのまま英訳されている――引用者)、極東委員会ノ意向トシテ主張セラレタモノガアツテ、ソレガ「ワシントン」カラ電報ヲ以テコチラ二伝へラレテ来タ、其ノコトハ大キナ憲法問題ノ全体カラ見レバソンナ二重要ナ論点デハナイヤウ二思フガ、随テ又其ノ内容ヲ能ク考ヘテ旨ク善処シテ貰ヒタイ、斯ウ云フヤウナ希望ヲ加へラレタノデアリマシテ、ソシテ其ノ中味ノ事情ハ、是ハ先方ガハツキリ云ツタカドウカ私ハ聴キ落トシマシタケレドモ、途中ノ経緯ノ色々ナ道行キヲ経マシタ話ガ私ノ耳二入ツテ居リマスル所二依りマスルト、国務大臣ヲ選任致シマスル二付テ、如何ナル者カラ之ヲ選任スベキカト云フコト二付キマシテ正直ナ所、政府提出ノ憲法ノ改正原案二付キマシテハ、「アメリ力」流ノ議論トモ言ハルベキモノガアル訳デアリマス、所ガ極東委員会ノ空気ト致シマシテハ、「アメリカ」流ノ考へ方二対スル相当ノ反対ノ声ガ強イノデアリマシテ、寧ロ之ヲ「イギリス」流ノ原理二依ルベキモノデアルト云フヤウナ訳デ、可ナリ内部二議論ガアツテ、ソレガ可ナリノ多数ヲ以テ「イギリス」流ノ原理ヲ採ルベシト云フヤウナ結論二ナツタラシイ、是ハ私ガ途中デ挟ミ込ンダモノデアリマス(前掲『帝国憲法改正案委員小委員会速記録』271頁)
さらに右引用で注目すべきことは、GHQが新聞へ審議経過の実能が出ることを嫌がっていることである。GHQは、憲法改正審議が議会の自由意思によって行なわれている、という虚構をあくまで維持しようとして、日本側の政府と議会を統制していくのである。
貴族院における「文民」規定の挿入
以上のような修正を経て、「帝国憲法改正案」は衆議院から貴族院に送られる。貴族院では、第一に法律案審議の場合に両院協議会を開催することのできる旨の規定が新設(衆議院修正案第59条③)され、第二に「文民」規定が挿入され(第66条②)、第三に「成年者による普通選挙」規定が挿入されている(第15条③)。第二と第三の点は、GHQの命令または要請によって行なわれたものである。
このうち重要な修正は、第二の「文民」規定である。前述のように、8月1日の衆議院の小委員会では第9条の修正が行なわれ、8月24日の本会議で可決されている。この修正によって、自衛戦力を肯定する第9条解釈が発生する可能性が生まれ、論理的には、再び軍人が日本政治において力を得る可能性が登場していた。GHQは、8月19日の段階では、「文民」規定を新設しないことを容認していた。
だが、オーストラリアと中国を中心にして、9月21日の極東委員会は、自衛戦力肯定論の可能性に留意した。そして、万一自衛戦力を肯定する第9条解釈にもとづき、あるいは第9条削除により日本が再武装しても、軍人が力をもてないようにするために、大臣が文民であるべきことの規定を日本に挿入させようという意見が、多数を占めるのである(西修『日本国憲法の誕生を検証する』学陽書房、1986年、162~166頁、前掲古関、247~251頁)。
そうなると、GHQも動かざるをえない。9月23日、吉田首相を訪ねたホイットニーとケーディスは、「文民」規定の挿入と「成年者による普通選挙」規定の挿入はマッカーサーからの要求であると伝えた。

「日本国憲法」無効論 小山常実著 草思社 1995円
国務大臣の任命をめぐって
国民主権、皇室財産とともに、GHQの大きな圧力によって修正されたものに、国務大臣規定がある。前述のように、極東委員会は、内閣総理大臣および国務大臣のすべてが文民であり、大臣の過半数が国会議員であることを要求していた。GHQは、この要求を実現するために、日本政府と議会に対して圧力をかけていくのである。
「帝国憲法改正案」第64条は、第一項で「内閣総理大臣は、国会の承認により、国務大臣を任命する」と規定し、第二項で「内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる」と規定していた。この規定は、GHQ案(第六二条)以来、存在したものである。
だが、衆議院で審議が始まると、自由、進歩、社会の三大政党と協同民主党という第四党とが、第一項から「国会の承認により」の削除を求める。たとえば、自由党の北は、六月二五日の衆議院本会議で、「或る閣僚が不当のことをした場合には・・・・不信任案を提起する」(前掲清水第三巻、329頁)わけだから、国会の同意は不要であろう、と主張する。また、原健三郎は、7月20日の特別委員会で「最初に於ては国会の承認を得て居る、国会の承認を得たものを罷免する場合には、勝手に今度は罷免する、この間に非常に私は矛盾があると思うのであります」(同、332頁)と述べている。
しかし、GHQは、衆議院の動きに反対する。すなわち、ケーディスは、前に何度も言及した7月23日の人江との会談で、「もし国務大臣を全部議員から任命するならば考える余地もあるが、議員外から任命する場合には絶対に国会の承認が必要であると、きわめて強硬な意向を示」(前掲入江『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題』366頁)している。すると、三大政党は、7月31日の小委員会において、協同民主党と新政会が「国会の承認により」を削除した修正案を提出すると、こぞって反対するのである。
ところが、8月20日の最終回の第一三回小委員会において、またまた三大政党の意見が変わる。この日の小委員会は、第六四条①から「国会の承認により」を削除することを決定し、「但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない」を挿入する。と同時に、突然、政府提出案第六三条①「内閣総理大臣は、国会の議決で、これを指名する」を「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」へ修正している。「国会議員の中から」が新たに挿入されたわけである。これらはすべて全党一致で決まっている。
三大政党の態度はなぜ変化したのか
では、なにゆえに、三大政党は、小委員会はまたも立場を変えたのか。それは、8月19日のマッカーサーと吉田首相との会談の様子が、小委員会で説明されたからである。吉田首相は、マッカーサーに呼ばれ、極東委員会からの要望であるとして、第一に内閣総理大臣その他の国務大臣はシヴィリアン(文民)であるべきこと、第二に内閣総理大臣は国会議員から選ぶこと、第三にその他の国務大臣もすべて国会議員から選ぶこと、以上三点を憲法に明記することを要求される。
しかし、第三点についていえば、極東委員会が要求していたのは、内閣総理大臣を含めた国務大臣の過半数が国会議員であることである。マッカーサーは、極東委員会の要望を過大に日本側に伝えたのである。
第一点について、政府側は、シヴィリアン云々の規定は軍備を放棄した以上不要ではないかと主張し、GHQの同意をとりつけている。第二点については、当然に内閣総理大臣は国会議員から選ばれるものであるとして受け入れる。この交渉で問題になったのは、第三点であった。
入江によれば、交渉の経緯は、「総理大臣については、国会議員から選ぶことはむしろ当然と思うたが、・・・・その他の国務大臣は全部国会議員とするのは困る場合もあろうというので、種々折衝の結果結局過半数を国会議員とするということに了解をとりつけました。同時にわが方は、・・・・原案は内閣総理大臣が国務大臣を任命するについては国会の承認を必要としていたので、かねてから削除方希望しておつたこともあるので、この際の中入れを機会に、・・・・『国会の承認により』を削ることを相手方に了承せしめました」(前掲入江、376頁)というものであった。
つまり、「過半数を国会議員とするということ」と引き替えに、「『国会の承認により』を削ること」がGHQによって承認されたのである。
金森によるGHQとの交渉経過の説明
19日の吉田・マッカーサー会談の様子は、さっそく、芦田委員長に伝えられる。そして、金森は、小委員会の場で、GHQとの交渉経過を詳しく説明している。ただし、その説明は、英訳では大幅に削除されている。その削除部分は、次のとおりである。
実ハ昨日即チ八月十九日ノ朝二至りマシテ、突然「マッカーサー」元帥ノ方カラ吉田総理大臣ノ向フニ行力レルコトヲ求メテ参リマシタ、ソシテ向フヘ行ツテ話合ヒヲサレマシタ所、先方ノ意見ト致シマシテハ(この部分はそのまま英訳されている――引用者)、極東委員会ノ意向トシテ主張セラレタモノガアツテ、ソレガ「ワシントン」カラ電報ヲ以テコチラ二伝へラレテ来タ、其ノコトハ大キナ憲法問題ノ全体カラ見レバソンナ二重要ナ論点デハナイヤウ二思フガ、随テ又其ノ内容ヲ能ク考ヘテ旨ク善処シテ貰ヒタイ、斯ウ云フヤウナ希望ヲ加へラレタノデアリマシテ、ソシテ其ノ中味ノ事情ハ、是ハ先方ガハツキリ云ツタカドウカ私ハ聴キ落トシマシタケレドモ、途中ノ経緯ノ色々ナ道行キヲ経マシタ話ガ私ノ耳二入ツテ居リマスル所二依りマスルト、国務大臣ヲ選任致シマスル二付テ、如何ナル者カラ之ヲ選任スベキカト云フコト二付キマシテ正直ナ所、政府提出ノ憲法ノ改正原案二付キマシテハ、「アメリ力」流ノ議論トモ言ハルベキモノガアル訳デアリマス、所ガ極東委員会ノ空気ト致シマシテハ、「アメリカ」流ノ考へ方二対スル相当ノ反対ノ声ガ強イノデアリマシテ、寧ロ之ヲ「イギリス」流ノ原理二依ルベキモノデアルト云フヤウナ訳デ、可ナリ内部二議論ガアツテ、ソレガ可ナリノ多数ヲ以テ「イギリス」流ノ原理ヲ採ルベシト云フヤウナ結論二ナツタラシイ、是ハ私ガ途中デ挟ミ込ンダモノデアリマス(前掲『帝国憲法改正案委員小委員会速記録』271頁)
金森によれば、極東委員会の中で、米国的な政府と議会との分離を行う考え方ではなく、英国的な議会との円滑な連携を重視する考え方が多数を占めたために、GHQは、総理大臣が国会議員であることなどを要求してきたのである。この後に、金森は、入江メモと多少ちがうが、基本的に同じような交渉経過を紹介し、最後に、英語版では全面的に削除された次の言葉で締めくくっている。
以上ハ実ハ今日ハモウ全クアリノ儘二、一言一句ヲ粉飾スルコトナクシテ申上ゲタ訳デアリマスルガ、此ノ点ハ淳に恐入リマスケレドモ、先方ノタツテノ希望モアリマスルシ、又国際関係モアリマスルノデ、事已ムヲ得ザルト同時二、斯ウ云フコト二付テ「プレッス」二発表サレルト云フコトヲ非常二嫌ツテ居リマスカラ、其ノ点ヲ一ツ十分二御含ミヲ願ヒタイト思ツテ居リマス、今日既二新聞二、事柄ノ本筋デハアリマセヌケレドモ、一端ガ出テ居リマスケレドモ、其ノ歴史ガ出ルト云フコトハ非常二拙イノデアリマスカラ、皆サンドウゾ御含ミ願ヒタイト思ツテ居リマス、私ノ申上ゲマスコトハ是ダケデゴザイマス(同、272頁)
右に見てきたように、極東委員会の要望を、政府側は小委員会に対して明確に伝えていた。GHQだけでなく極東委員会の意向によっても、憲法改正案の内容が決定されることを、議員たちは明確に認識していた。三党は、最初、首相が国会の承認を得ずに自由に大臣を任命できるほうがよいと考え、「国会の承認により」の削除を主張していた。だが、7月下旬には、GHQ側の意向の強さを知り、削除をいったんあきらめる。だが、三党は、小委員会は、吉田・マッカーサー会談の交渉結果を聞き、その交渉結果どおりの修正案を決定していくのである。
さらに右引用で注目すべきことは、GHQが新聞へ審議経過の実能が出ることを嫌がっていることである。GHQは、憲法改正審議が議会の自由意思によって行なわれている、という虚構をあくまで維持しようとして、日本側の政府と議会を統制していくのである。
貴族院における「文民」規定の挿入
以上のような修正を経て、「帝国憲法改正案」は衆議院から貴族院に送られる。貴族院では、第一に法律案審議の場合に両院協議会を開催することのできる旨の規定が新設(衆議院修正案第59条③)され、第二に「文民」規定が挿入され(第66条②)、第三に「成年者による普通選挙」規定が挿入されている(第15条③)。第二と第三の点は、GHQの命令または要請によって行なわれたものである。
このうち重要な修正は、第二の「文民」規定である。前述のように、8月1日の衆議院の小委員会では第9条の修正が行なわれ、8月24日の本会議で可決されている。この修正によって、自衛戦力を肯定する第9条解釈が発生する可能性が生まれ、論理的には、再び軍人が日本政治において力を得る可能性が登場していた。GHQは、8月19日の段階では、「文民」規定を新設しないことを容認していた。
だが、オーストラリアと中国を中心にして、9月21日の極東委員会は、自衛戦力肯定論の可能性に留意した。そして、万一自衛戦力を肯定する第9条解釈にもとづき、あるいは第9条削除により日本が再武装しても、軍人が力をもてないようにするために、大臣が文民であるべきことの規定を日本に挿入させようという意見が、多数を占めるのである(西修『日本国憲法の誕生を検証する』学陽書房、1986年、162~166頁、前掲古関、247~251頁)。
そうなると、GHQも動かざるをえない。9月23日、吉田首相を訪ねたホイットニーとケーディスは、「文民」規定の挿入と「成年者による普通選挙」規定の挿入はマッカーサーからの要求であると伝えた。
GHQの命令を受けて、9月26日の貴族院委員会で「文民」規定の新設が提案される。
織田信恒(研究会)は、「日本は武装を解除して居りますから、総てはシヴイルでありますけれども、将来矢張り総理大臣とか国務大臣と云うものは昔みたいに軍人がなると云うことを避けて、シヴィリアンに依ってその地位が占められて行くと云うことが、・・・・将来確保したい一つの行き方だろうと思います」前掲清水第三巻、294頁)と提案する。これについで金森も「精神に於きましては大いに考うべき問題がある」(同、295頁)と同意する。そして、貴族院小委員会が9月28日から10月2日まで四回開かれ、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という「文民」規定を作成する。同時に、「公務員の選挙についでは、成年者による普通選挙を保障する」という普通選挙の規定も作成する。
その結果、7月2日の「日本の新憲法についての基本原則」における極東委員会の五点の要求は、例外なくすべて、帝国議会による修正という形で実現したのでぁる。
議員には、客観的にも主観的にも自由意思はなかった
以上の経過から知られるように、重要な事項ほど、GHQと極東委員会が見事に、帝国議会の審議を統制していた。
私は、10年前に「日本国憲法」成立過程史をまとめたとき、政府が主観的にも客観的にも自由意思をもっていなかったこと、議員たちも客観的に自由意思をもっていなかったことを明らかにした。しかし、議員たちが、主観的には自由意思をもつていたか否か、どの程度GHQや極東委員会からの要求にさからえないと意識していたか、もう一つわからないところがあった。
だが、「日本国憲法」成立後49年経過した1995年に衆議院小委員会の議事録がようやく公開され、1996年に議事録を検討し紀要論文をまとめてみる過程で、議員たちが主観的にも自由意思をもっていなかったこと、GHQや極東委員会にはまつたくさからえないと認識していたことを確認した。そして、今回、議事録を再検討してみて、その思いをさらに強くした。
特に衆議院小委員会の議事録を見ると、国民主権の明記問題や皇室財産問題、文民問題および国務大臣任命をめぐる問題について、議員たちは、明確な形で、GHQや極東委員会の意向について政府側委員から説明されていた。そして、GHQ等の意向どおりに政府案に対する修正案を提出したり、逆に自分たちの立てた修正案を引つ込めたりしていた。
三大政党などのほとんどの政党が希望した参議院議員職能代表制案も、政府側からGHQが反対していると明確に告げられたため、小委員会は条文化をあきらめている。戦力放棄にいたっては、三大政党は、共産党と同じく本当は反対でありながら、マツカーサーの声明があるため、自衛戦力を承認する第9条修正を最初からあきらめていた。
要するに、議員たちは、客観的にも主観的にも、自由意思などをもつてはおらず、GHQの統制下にあったのである。
この点は、1996年に公開された貴族院憲法改正小委員会筆記要旨によると、貴族院憲法改正小委員会の委員たちも共通に認識していた。たとえば、田所美治は、「我々の本意はこの憲法を初めから全部お断りしたい所であるが、それはとても出来ない」(『読売新聞』1996年1月22日)と述べている。
そして、戦後憲法学の第一人者であり続けた宮沢俊義も、同様の認識をもっていた。宮沢は、9月末からの貴族院憲法改正小委員会の審議に委員として参加し、GHQの要求により文民条項の挿入にしぶしぶ賛成している。宮沢の賛成理由は、「憲法全体が自発的に出来て居るものでなぃ、指令されて居る事実はやがて一般に知れると思ふ。重大なことを失った後で此こで頑張った所でさう得る所はなく、多少とも自主性を以ってやったと云ふ自己欺瞞にすぎないから」(同)ということであった。
ところが、宮沢俊義は、彼自身がしりぞけたはずの自己欺瞞を行なっていく。前述のょうに、宮沢をはじめとした有力な憲法学者は、「八月革命」と議会の自由意思による修正、という二つの虚構をつくりあげ、この虚構にもとづき民定憲法論を展開し、「日本国憲法」を独立国の永久憲法として有効であると説いてきた。この自己欺瞞的考え方は、大学教育や高校までの教育を通じて、国民一般に広められていく。そして、「日本国憲法は、米国の圧力があったとしても、基本的に日本の国民や議会がつくりあげたもので、永久平和主義の理想を説いたきわめて素晴らしい憲法である」という神話が流布されていくのである。
「日本国憲法」は占領憲法である
さて、第4章の課題に答えるときがきた。「日本国憲法」成立過程において、日本政府は自由意思をもって自主的に政府案をつくったか。答えは否である。議会審議中において、議会は自由意思をもって目由に原案を修正することができたか。答えは否である。ポツダム宣言の「日本国民の自由な意思表明」が保障されたか。答えは否である。
最初から最後まで、GHQと連合国によって強制され、統制される形で、「日本国憲法」は成立した。しかも、個々の議員においてさえも、有力政党の有力議員であればあるほど、客観的にだけでなく、主観的にも自由意思は存在しなかった。一から十まで、「日本国憲法」の成立過程を掌握していたのは、日本政府でも議会でもなく、明らかにGHQであった。つまり、「日本国憲法」は、民定憲法や欽定憲法ではなく、占領軍制定の新憲法、すなわち占領憲法である。それゆえ、「日本国憲法」は、少なくとも独立国の永久憲法としては無効である。
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もくじ
新無効論概略
新無効論概説・問答編
新無効論の目的・論理概略・現実対処法
新無効論と旧無効論
憲法違反と条約違反 ―― 新無効論と旧無効論
改正?破棄?廃止?無効確認?
大日本帝国憲法75条違反
法律論議以前!事実関係からの無効
日本国憲法の死亡 ―― 有効論への即効解毒剤
日本国憲法の誕生 ―― 日本国憲法は講和条約の限度で有効
日本国憲法改正論の欺瞞
憲法業者のペテンにひっかかるな!
法定追認有効説の論理破綻
追認有効説の変形――事実の規範力
保守の思想と保身の欲望
追認有効説の破綻と自画自賛
改憲派は「保守」派ではない!小山常実
4月28日問題!大東亜戦争はどうやって戦争終結できたの?
護憲派改正論者に告ぐ!
護憲派護憲論と護憲派改正論は蚤の曲芸!
憲法改正とは祖先との協同作業のことである
憲法学者の騙しテクニック
元凶は東大法学部
(1)「君主殺し」を叫ぶ国立国会図書館HP監修者
(2)「君主殺し」を叫ぶ国立国会図書館HP監修者
大日本帝国憲法に殉死・清水澄博士
「祓庭復憲」現行憲法無効宣言
「憲法無効宣言」南出喜久治講演録
橿原の宮のおきて
神聖をもとめる心 ──祭祀の統治への影響──
神の差し替え工作(2-1) 神道神学論考
神の差し替え工作(2-2) 神道神学論考
史上最悪宗教「利を権ることを尊べ!」
「生きていく」と「生かされている」
欽定憲法とは76箇条の御誓文
(動画)大日本帝国憲法とは?
大日本帝国憲法とは何か 3-1 小山常実
大日本帝国憲法とは何か 3-2 小山常実
大日本帝国憲法とは何か 3-3 小山常実
國體の下に 序章
國體の下に 1-1 何が私たちを決めるのか
國體の下に 1-2 何が私たちを決めるのか
國體の下に 2 生きている者だけの天国
國體の下に 3 命と人権を越えるもの
國體の下に 4 憲法の向こうにあるもの
國體の下に 5 すべては國體の下に
戦後の「疚しさ」(1)
戦後の「疚しさ」(2)
再考 皇室典範改正 議論すべき五つの論点 (2-1) 小山常実
再考 皇室典範改正 議論すべき五つの論点 (2-2) 小山常実
チャンネル桜 渡部昇一の大道無門 ゲスト:小山常実(3-1)
チャンネル桜 渡部昇一の大道無門 ゲスト:小山常実(3-2)
チャンネル桜 渡部昇一の大道無門 ゲスト:小山常実(3-3)
日本国憲法の誕生-1/政府草案/松本乙案
日本国憲法の誕生-2/松本乙案≒民間草案
日本国憲法の誕生-3/GHQ案押付プロセス
日本国憲法の誕生-4/ポツダム宣言違反
日本国憲法の誕生-5/GHQ統制帝国議会
日本国憲法の誕生-6/其ノ筋ノ意向「国民主権」
日本国憲法の誕生-7/皇室自治・職能代表制
日本国憲法の誕生-8/第9条修正ドタバタ劇
日本国憲法の誕生-9/占領軍制定無効憲法
その結果、7月2日の「日本の新憲法についての基本原則」における極東委員会の五点の要求は、例外なくすべて、帝国議会による修正という形で実現したのでぁる。
議員には、客観的にも主観的にも自由意思はなかった
以上の経過から知られるように、重要な事項ほど、GHQと極東委員会が見事に、帝国議会の審議を統制していた。
私は、10年前に「日本国憲法」成立過程史をまとめたとき、政府が主観的にも客観的にも自由意思をもっていなかったこと、議員たちも客観的に自由意思をもっていなかったことを明らかにした。しかし、議員たちが、主観的には自由意思をもつていたか否か、どの程度GHQや極東委員会からの要求にさからえないと意識していたか、もう一つわからないところがあった。
だが、「日本国憲法」成立後49年経過した1995年に衆議院小委員会の議事録がようやく公開され、1996年に議事録を検討し紀要論文をまとめてみる過程で、議員たちが主観的にも自由意思をもっていなかったこと、GHQや極東委員会にはまつたくさからえないと認識していたことを確認した。そして、今回、議事録を再検討してみて、その思いをさらに強くした。
特に衆議院小委員会の議事録を見ると、国民主権の明記問題や皇室財産問題、文民問題および国務大臣任命をめぐる問題について、議員たちは、明確な形で、GHQや極東委員会の意向について政府側委員から説明されていた。そして、GHQ等の意向どおりに政府案に対する修正案を提出したり、逆に自分たちの立てた修正案を引つ込めたりしていた。
三大政党などのほとんどの政党が希望した参議院議員職能代表制案も、政府側からGHQが反対していると明確に告げられたため、小委員会は条文化をあきらめている。戦力放棄にいたっては、三大政党は、共産党と同じく本当は反対でありながら、マツカーサーの声明があるため、自衛戦力を承認する第9条修正を最初からあきらめていた。
要するに、議員たちは、客観的にも主観的にも、自由意思などをもつてはおらず、GHQの統制下にあったのである。
この点は、1996年に公開された貴族院憲法改正小委員会筆記要旨によると、貴族院憲法改正小委員会の委員たちも共通に認識していた。たとえば、田所美治は、「我々の本意はこの憲法を初めから全部お断りしたい所であるが、それはとても出来ない」(『読売新聞』1996年1月22日)と述べている。
そして、戦後憲法学の第一人者であり続けた宮沢俊義も、同様の認識をもっていた。宮沢は、9月末からの貴族院憲法改正小委員会の審議に委員として参加し、GHQの要求により文民条項の挿入にしぶしぶ賛成している。宮沢の賛成理由は、「憲法全体が自発的に出来て居るものでなぃ、指令されて居る事実はやがて一般に知れると思ふ。重大なことを失った後で此こで頑張った所でさう得る所はなく、多少とも自主性を以ってやったと云ふ自己欺瞞にすぎないから」(同)ということであった。
ところが、宮沢俊義は、彼自身がしりぞけたはずの自己欺瞞を行なっていく。前述のょうに、宮沢をはじめとした有力な憲法学者は、「八月革命」と議会の自由意思による修正、という二つの虚構をつくりあげ、この虚構にもとづき民定憲法論を展開し、「日本国憲法」を独立国の永久憲法として有効であると説いてきた。この自己欺瞞的考え方は、大学教育や高校までの教育を通じて、国民一般に広められていく。そして、「日本国憲法は、米国の圧力があったとしても、基本的に日本の国民や議会がつくりあげたもので、永久平和主義の理想を説いたきわめて素晴らしい憲法である」という神話が流布されていくのである。
「日本国憲法」は占領憲法である
さて、第4章の課題に答えるときがきた。「日本国憲法」成立過程において、日本政府は自由意思をもって自主的に政府案をつくったか。答えは否である。議会審議中において、議会は自由意思をもって目由に原案を修正することができたか。答えは否である。ポツダム宣言の「日本国民の自由な意思表明」が保障されたか。答えは否である。
最初から最後まで、GHQと連合国によって強制され、統制される形で、「日本国憲法」は成立した。しかも、個々の議員においてさえも、有力政党の有力議員であればあるほど、客観的にだけでなく、主観的にも自由意思は存在しなかった。一から十まで、「日本国憲法」の成立過程を掌握していたのは、日本政府でも議会でもなく、明らかにGHQであった。つまり、「日本国憲法」は、民定憲法や欽定憲法ではなく、占領軍制定の新憲法、すなわち占領憲法である。それゆえ、「日本国憲法」は、少なくとも独立国の永久憲法としては無効である。
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もくじ
新無効論概略
新無効論概説・問答編
新無効論の目的・論理概略・現実対処法
新無効論と旧無効論
憲法違反と条約違反 ―― 新無効論と旧無効論
改正?破棄?廃止?無効確認?
大日本帝国憲法75条違反
法律論議以前!事実関係からの無効
日本国憲法の死亡 ―― 有効論への即効解毒剤
日本国憲法の誕生 ―― 日本国憲法は講和条約の限度で有効
日本国憲法改正論の欺瞞
憲法業者のペテンにひっかかるな!
法定追認有効説の論理破綻
追認有効説の変形――事実の規範力
保守の思想と保身の欲望
追認有効説の破綻と自画自賛
改憲派は「保守」派ではない!小山常実
4月28日問題!大東亜戦争はどうやって戦争終結できたの?
護憲派改正論者に告ぐ!
護憲派護憲論と護憲派改正論は蚤の曲芸!
憲法改正とは祖先との協同作業のことである
憲法学者の騙しテクニック
元凶は東大法学部
(1)「君主殺し」を叫ぶ国立国会図書館HP監修者
(2)「君主殺し」を叫ぶ国立国会図書館HP監修者
大日本帝国憲法に殉死・清水澄博士
「祓庭復憲」現行憲法無効宣言
「憲法無効宣言」南出喜久治講演録
橿原の宮のおきて
神聖をもとめる心 ──祭祀の統治への影響──
神の差し替え工作(2-1) 神道神学論考
神の差し替え工作(2-2) 神道神学論考
史上最悪宗教「利を権ることを尊べ!」
「生きていく」と「生かされている」
欽定憲法とは76箇条の御誓文
(動画)大日本帝国憲法とは?
大日本帝国憲法とは何か 3-1 小山常実
大日本帝国憲法とは何か 3-2 小山常実
大日本帝国憲法とは何か 3-3 小山常実
國體の下に 序章
國體の下に 1-1 何が私たちを決めるのか
國體の下に 1-2 何が私たちを決めるのか
國體の下に 2 生きている者だけの天国
國體の下に 3 命と人権を越えるもの
國體の下に 4 憲法の向こうにあるもの
國體の下に 5 すべては國體の下に
戦後の「疚しさ」(1)
戦後の「疚しさ」(2)
再考 皇室典範改正 議論すべき五つの論点 (2-1) 小山常実
再考 皇室典範改正 議論すべき五つの論点 (2-2) 小山常実
チャンネル桜 渡部昇一の大道無門 ゲスト:小山常実(3-1)
チャンネル桜 渡部昇一の大道無門 ゲスト:小山常実(3-2)
チャンネル桜 渡部昇一の大道無門 ゲスト:小山常実(3-3)
日本国憲法の誕生-1/政府草案/松本乙案
日本国憲法の誕生-2/松本乙案≒民間草案
日本国憲法の誕生-3/GHQ案押付プロセス
日本国憲法の誕生-4/ポツダム宣言違反
日本国憲法の誕生-5/GHQ統制帝国議会
日本国憲法の誕生-6/其ノ筋ノ意向「国民主権」
日本国憲法の誕生-7/皇室自治・職能代表制
日本国憲法の誕生-8/第9条修正ドタバタ劇
日本国憲法の誕生-9/占領軍制定無効憲法

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