本当の承詔必謹論(1)からのつづき
本当の承詔必謹論(2)
日本国憲法改正は明治天皇の御名御璽に反する
【マイナス価値の負担者】
さらに道義的に観察するとこうなります。
自分達国民が国家一丸となって行った戦争の責任、国家(=天皇)に対する国民達の輔翼が十分でなかったことによる「敗戦の責任」につづく「占領憲法出現の責任」を自分達の力量の不足や占領軍への屈伏の事実をなかったことのようにたなあげして、その責任、効力の有無の根拠をひとり天皇になすりつけすずしい顔をしているのはおかしい異常なことなのです。
本来憲法の改正は国家が自律的に運営されている平常時に行われなければならず日本人の自由意思により帝国憲法に則って行われなければならなかったのです。
75条もそのようなあたりまえのことを規定しているだけです。
しかし、被占領下で抵抗不能の状態で連合国の要求を受諾する形で自律的改正を擬装しながら行わざるを得なかった。つまり、天皇統治に対する国民の十分な輔翼が不可能な時期のものであったのです。
そして、本来的でなかった改正を擬装された占領憲法と占領典範からくる「マイナス価値の負担」をだれが背負ったのか。
国民は国民主権という傲慢思想を手に入れたから一切負担などしていません。天皇は財産的にもおいやられ法規的にもその自治権を奪われ占領典範等によってがんじがらめにされ週刊天皇、国民の傀儡天皇に成り下がっています。
国民は「日本国憲法」によって日本の伝統から切り離された国民主権という傲慢思想を奉る精神的な第三国人に成り上がっているからいわば戦勝国民です。
敗戦したのは天皇と皇室のみです。
【「国民主権」なんてだれが本気で欲しがった?大政奉還しましょう!】
「生存国民は神聖にしておかすべからず」という生存国民無答責条項を連合国が言い換えてあたえたのが「国民主権」なんでしょう。簡単に言えば「死人にくちなし」思想です。
責任を負わない生存者ばかりなら、守るものを持たない日本人ばかりなら連合国は安心なことでしょう。
連合国の総意によって日本の礎が定まったことを連合国が深くよろこんだのも当然です。
連合国の喜びを書きとどめたのがあの天皇による公布文です。
もしこのような構図を知っていてでも、へいこらしていられるヘタレ国民なら国民は敗戦して万々歳ではないか?そこまで腐りきっているなら戦争に負けてよかったではないか・・・
そうではないのです!
なぜ!今の日本人は、天皇に
「連合国に屈服させられたとはいえ天皇さまをこんなに長く占領憲法と占領典範でがんじがらめにして申しわけありませんでした、我々は万死に値します」
と正直に誤りを認め大政奉還しようとしないのでしょうか?
公布を否定することは天皇の権威失墜をまねくなどというよりも、異民族による、異教徒による「日本国憲法」を憲法扱いすることによる国家解体と民族浄化こそが天皇の権威を失墜させているのではないのでしょうか?
国民の輔翼が十分にできなかったのは屈伏させる存在がいたからです。屈服したのなら「相手のあった法律行為」でしょう。
73条行為ではく13条行為です。
被占領下に屈服するのはあたりまえです。屈服させるために占領するのです。屈服させたなかで合意にもっていくのです。それが講和です。
しかし講和が成就し占領から脱したのちは通常の法治国家にもどればいいだけです。
講和は講和とみとめればいいのです。
講和(双方行為)であるものを利権と保身がらみで憲法(単独行為)といいだすから50年以上話がややこしくなっただけなのです。
まるで「原爆が落ちた」と同じ発想です。敵を認識できていません。原爆攻撃を災害のように言う「原爆が落ちた」。
戦闘による攻撃なのに相手の存在を抹消すれば災害にみえます。
講和による合意の履行なのに相手の存在を抹消して描写してみせれば一国の憲法改正(単独行為)にみえます。これは詐術です。「押し付け憲法」などという言葉は矛盾語なのです。「押し付け」(つまり受諾強要に対する受諾)なら憲法(国家単独行為)であるはずがなく講和(国家間の双方行為=簡単に言えば「取引」)なのです。
憲法として無効でも取引としては有効でしょう、というのが新無効論(新有効論)です。
天皇の裁可や公布や御名御璽もその「取引」の結果に応じた「憲法改正の偽装」という事実行為を帝国憲法の規定に則り行なわれただけです。
日本には超人はいません。すべて生身をもつ普通の人間で構成されているのだから被占領下で「日本国憲法」を憲法として公布するのは当然のことです。「東京裁判」が裁判として実施されるのを受容したようにです。
そしていずれもその原因が合意取引の帰結、つまり講和の履行であれば13条行為が行われたまでです。現にそれによって独立回復が早まったといえるし独立回復時点までの傷も少なくて済んだ(天皇の存在が護られた)ともいえます。戦争を終結させるために相手国と為す行為は、法理論として憲法改正ではなく講和です。
【天皇も被害者】
──拉致被害者が北朝鮮に居るあいだに「ここの生活のままがよい」と言ったってその意思表示は真正意思として認められず無効であることは了解されるでしょう。つまり被害者であり受益者である者が被害や受益の区域に身を置いている間には現状を評価する(追認する)資格がないから、なにはともあれ本人の意思とかかわりなく原状回復が第一にめざされます。
そうであればGHQによって帝国憲法体制から「日本国憲法」体制へ拉致された国民、つまり「日本国憲法」からの受益者であり被害者である現在の日本人が被拉致体制たる「日本国憲法」体制内で「この憲法のままがよい」と護憲論や改正論のように「日本国憲法」をどうするかという論点で論陣をはったとしても、その欲求も意思表示も本来の国家からみれば、つまり祖先や子孫に責任をもつ国民が構成する時間的な共同体からみれば無効であることが了解されるでしょう。
我々日本人は祖先を敬いそういうお天道様に恥じない生きざまを大切にしてきたんでしょう。
被占領期(戦争末期)にGHQによって帝国憲法体制から「日本国憲法」体制へ、本人の意思にかかわらず実力によって拉致された国民、つまり今となっては「日本国憲法」からの受益者で同時に被害者である現在の日本人が「日本国憲法」体制内(拉致体制内)で
・「この憲法のままがよい」と護憲論のように論陣をはる、又
・「この憲法の一部が気にくわないからココを変えよう」などと改正論のように論陣をはる、さらには
・「全部が気にくわないから新たにつくろう」と新憲法制定、自主憲法制定論をはる(=原状復帰をさける)、
つまり拉致体制内で「日本国憲法」に軸足を置いたままその距離間隔をどうとるかという論陣をはったとしてもその欲求も意思表示もすべて無効なのです。結局、これから行おうとしている憲法改正行為も本来の国家からみれば無効なことが了解できるでしょう。国家も憲法も今生きている人間だけのものではありませんからね。自分たちがどれほど幼稚なことをやっているか気づくべきです。
いずれも、いったんは原状回復、折り目正しく原点(祖国や帝国憲法)に立ち返ってから意思表示しなければ話になりません。
しかし護憲論も改正論もこの原状復帰を拒否し「日本国憲法」を憲法として有効と認める護憲派で拉致継続追認派なのです。そのまま護憲するか一部を変えて護憲するかの違いがあるのみです。つまりマッカーサーの手のひらの上でおどる 護憲派護憲論 と 護憲派改正論 という反日兄弟なのです。
これらの被害者と受益者には国民だけでなく天皇も含まれます。つまり天皇ごと我々は法体系を拉致されているのです。
天皇による「公布」は拉致体制に倒錯した権威を与えているだけです。
原状回復されなければなりません。
【一天皇に国体を変更する権限はありません---神々との関係】
天皇が公布したから有効であり否定できないという発想は主権論による説明です。国体論の我国にはなじまない発想です。
1、 神々(皇祖皇宗) ←― 現行憲法無効論者の考える憲法の正統性の基礎(法の支配・国体論による国家)
↑
<つつしみてさだめる=欽定方式>
|
2、天皇 ←― 承詔必謹有効論者の考える憲法の正統性の基礎(主権論による国家)
|
|
3、国民(人民) ←― 生きている人間が認めていれば有効と考える有効論者(実体は受益者の自画自賛でしかない)、 護憲派護憲論、護憲派改正論、護憲派破棄論、自主憲法制定論など憲法を「つくる」という発想の戦後民主主義者(国民主権教信者)の考える正統性の基礎
(実力の支配・主権論による国家)
http://blog.livedoor.jp/inosisi8000/archives/1880993.html
教育勅語を読めば、現在の天皇や国民に「主権」がないのは当然にわかるはずです。それなのに占領憲法に国民主権が書かれたからといってそれを守ろうなどとは不真面目な人達です。
教育勅語は道徳も色々かいてありますが、基本中の基本は、日本国を守りぬいてきた過去の天皇と現在の天皇と未来の天皇の命が連綿とつながってて、天皇と運命をともに活躍してきた国民の命も連綿とつながっており、日本国の主権(絶対的な源泉)がもしどこかにあるというなら、その命の連続体にあるのですよと言ってるのです。
そしてあなたたち自身もその連続体の一過程をあずかっているのですよ、と言っているのです。
教育勅語の中心的思考法が戦後抹殺されているから自称保守の人でも憲法無効論や占領典範無効論には理解が進まないのです。憲法改正などという刹那的な思考になり祖先の視線は感じないらしい、困ったものです。
その姿勢・構えがさらに生きている我々そのものの生活、思考法を虚無的なものにしていて考えなければならないことが何なのかを分からなくしているのに、そのことにも気づかないのです。
生者のうちのどちらに主権があるのか天皇にあるのか国民にあるのかというような軽薄な観念にしばられてそれより上位のものが、見えなくなる状態が続いています。
欽定ということは、結局、天皇と国民の共通の祖先に対して「欽(つつしんで)定(さだめる)」ということです。
天皇が上から下の国民にさしあたえたのが「欽定」憲法だなんていうのは、戦争末期被占領中のGHQ(敵)から指令を受けた転向学者の保身理論です。
欽定憲法の意味は「天皇と雖も国体のもとにある」ということで法の支配、神々、皇祖皇宗のまなざしのもとにあるということです。 歴史上の特定時期をあずかる一天皇に国体(国柄)を変革する権能はもともとないのです。
欽定は神々に対し「つつしみてさだめる」の意であり、
<神々 ←← 天皇>の関係、神々への報告様式をとらえた概念です。
この関係を、戦後になって学問的に破壊し<支配者・天皇 → 国民>の図式を強調したのは敗戦利得者の戦後憲法業者です。
< 神々・皇祖皇宗 ←A← 天皇(最高祭主) →B→ 国民 >
戦後憲法学者が A の欽定の概念(国体論)を B の天皇主権概念にすり替えて承詔必謹論とともに正当化した「日本国憲法」の中に国民を封じこめたのです。
「欽定」の本当の意味 A を国民の意識の上に昇らせると、船中八策が五箇條の御誓文にまで進化し、その煥発方式が「欽定」として神々への誓文として再出発したこと、それと同じく大日本帝国憲法も欽定であったように、国の根幹にかかわることは、日本の神々(祖先)に誓い報告するという確立されたこの大原則(不文法)をふんでいない「日本国憲法」の有効性が明瞭に否定されてしまうからなんです。
日本の憲法の正統性は神々との関係で確定するわけです。
その確定行為を、国民を代表して日本の神々に欽定儀式を通じて報告するのが祭祀王・神々の直近におられる天皇の責務です。
ゆえに、いくら、生きている人間だけで、天皇主権から国民主権に変わったなどとたわごと言っていても、遠い祖先や、まだみぬ子孫との関係では・・・・・言い換えて・・・・日本の神々との関係では、日本式には憲法として成立していないことは明白なのです。
占領中の「日本国憲法」を昭和天皇が神々に報告(欽定)しているはずがないし、もしそんなことが出来ているとしたら神々を冒涜しているというようなものです。
なぜなら、生身をもつ人間には占領が可能ですが、日本の神々までも占領できませんからね。
我々の祖先はこういう民族固有の占領のできない不動の固定点を憲法理論の中に残してくれたのです。それが「欽定」の意味です。
一時の世情の影響を受けやすい生存者、生身をもつものがどう揺らごうとも確固とした動かない国家の永続性の中心軸、憲法の固定点(欽定点)が我国にも存在していることを、国民みんなが思い出せばいいのです。
「正統」ということと、「憲法」ということと「国家の存続」ということとは我国では同義なのです。その目印が欽定点です。
祖先や子孫を冒涜する「日本国憲法」の改正はできないはずです。そんなものは「欽定」できないはずです。
憲法改正や皇室典範改正に賛成する人々に問いたいが、その改正の土台(現行憲法や典範)が、改正などと論ずるまえに、日本の神々(=祖先やこれから生まれる子孫)との関係で本当に憲法や典範として成立しているとでもお思いですか?本心からそう思っているのですか?
「現行憲法改正という手続きを使って、実質は大日本帝国憲法を現代に合うように改良したものを制定するのが一番だと思っています。 」との論がよく言われます。
保守派仲間うちならこれで話はチャンチャンですが、実際には日本国憲法の改正手続をつかって大日本帝国憲法を現代に合うように改良したものを制定すると言っても改正は「日本国憲法」を叩き台にした多数決原理ですから「やきなおし」程度になるの既にみえています。
なぜなら、
「やきなおし」もしたくない者。
「やきなおし」をしたい者。
「やきなおし」以上のことをしたい者。
の3者で多数決原理に基づいて綱引きをやっても、「やきなおし」程度に落ち着くのは目に見えています。
それどころか護憲論者も最後は改憲論の多数決原理になだれ込んでくるのですから天皇条項がなくなる可能性だってあるのです。
理論的に帝国憲法違反を侵しているとする解釈をしてまで講和であるものを憲法と主張することによる法的な利益は我が国になにかあるのでしょうか?
(その利益は東大あほう学部など憲法業者だけにしかないでしょう?)
(あとは朝日新聞などだけ)
既述のとおり講和の要素(講和条約群のひとつ)とみても、「日本国憲法」の実効性の面は帝国憲法と一体となり十分確保されます。戦後の秩序、法的安定も問題なく説明できます。
したがって理論的に成立しない有効論にわざわざたって、さらに多数決原理のあぶない手法の中へ入っていってもやる意味がありませんし成功の見込みもありません。やる前からそんなものは幻想との答えは出ています。
そういうバクチのようなことをするのはまちがいです。我々にはそんなバクチのようなことをして国家の根本を決定してしまうような資格はありません。やれば取り返しがつかないことになります。
結局、平成の改憲論者が空前絶後の国体破壊の実行者だったと後世の者から非難されることになります。
もともと「日本国憲法」は「理」や、「理」を立てたうえでの多数決原理によって生まれたのでなないのです。法理の皮をかぶった戦闘行為、暴力、実力でした。
暴力の端くれに対抗して本物の是正をするためには、あくまでも多数決原理ではなく「理」で対抗しなければなりません。その「理」を立てた世論喚起の結果を回収する場合の手段が多数決原理です。
初めから「理」を無視した改正論は体裁のよい連合国へのさらなる屈服です。独立の精神を根底で崩壊させます。
また、改正しても改正版憲法は「日本国憲法」に変わりがなく昭和21,22年当時の成立過程を教えたり説明しなければなりませんが、既に赤い教授達がやっているように、正当化のための歴史偽造、東京裁判史観は余計に必要になります。改憲派は左派に対し自虐史観が持続されるための原因、いわば反日による国家崩壊の癌(原因)を提供しているのです。
このことからも護憲派護憲論と護憲派改正論はともに反日の兄弟といえるのです。
「日本国憲法」を憲法として扱うことは帝国憲法違反なのです。つまり明治天皇の御名御璽に違反しているのです。そんな者に昭和天皇の公布だけは守れなどという資格がありますか?
それを主張するのなら新無効論のように両方守らなければなりません。
改正で正統な国家理念が確保できるでしょうか?
これこそは、国家の同一性、存続か滅亡かにかかわる重大ごと(←これは、生きている人間だけの問題ではありません。祖先や子孫にも関わります)ですので、本物の憲法学者が慎重に「日本国憲法」の効力判断に取り組むべき問題でした。
しかし、事実はそれとは反対に、帝国憲法違反であり実効性の面からも憲法と解釈するメリットもなく他に法的利益もないのに、外国からの偽物の国家理念を主体的に我が国が受容したとか受容して当然であるかのような理論や物語を創作してまで伝統的国家理念を否定する傾向のウソ学問をやってきました。ことの発端、動機は右も左も被占領下に「憲法学」が「憲法業者」という「保身業者」になったときからです。
昭和天皇は戦前から清水澄博士の憲法講義を受けておられます。「摂政を置くの間」程度の変局時でも憲法改正が禁止されていることは当然ご存じであったはずです。
昭和天皇は13条講和大権に則り自分がポツダム宣言受諾の判断を発し、戦争行為の延長上の講和段階に国家が属していることの自覚は明確にあったはずです。当時は、事実行為としてはともかく憲法改正などという有効な法律行為はできないことはご存知であったはずです。
また、天皇ご自身の主観がどうであれ帝国憲法(=明治天皇の御名御璽)に則ればそういう法律行為(73条ではなく13条)しかできないのです。
「日本国憲法」が講和段階で発布されたということの構造を示すと、講和大権13条に乗っかった73条行為が行なわれたのです。天皇からみてもこうなります。
国民が必死に天皇を守ってなるべく早期の独立回復を果たそうと連合国の無理な要求でもなんとか受け入れて履行しようとしていることを天皇が公布しない(講和内容の履行をしない)わけにはいかないでしょう。
当時の天皇と国民にとって、帝国憲法73条上の憲法改正手続きという事実行為(←帝国憲法の制限があるので法的意味を帯びない)を履行することが13条上の「和を講じ」という法律行為、講和大権の発動となります。
このことからも「日本国憲法」は憲法として無効と評価されると同時に講和条約としては有効と評価されます。「憲法改正の必要があるやいなや」という指示が天皇から政府に出ていたとしても、13条講和大権に乗っかった改正の事実行為(法律行為ではない、法律行為としては講和だけ)の必要性の有無であろう。
国体と憲法の関係についても、憲法によってさえ国体の根本は変革できないとの憲法理論の講義を受けておられます。憲法でさえできないのであるから、一時代の一天皇の公布行為によって変革できないのは当然です。
「我が国は万世一系の天皇を仰て終始し、天皇を以って統治権の主体なりと為す観念は歴史の成果、国民の確信にして千古動かず、憲法中、国体に関する規定ありと雖もそは国体を創設したるものに非ずして唯国体を宣明したるに過ぎず、従って国体に関する憲法の規定は将来永久に其の変更を為すことを得ず、仮に之を変更したりとするも其の変更は何等の効力をも発するものに非ず、即ち国体の根本は憲法の克く左右し得べき所に非ず、天皇の統治権は憲法によりて成立せず、何ぞ憲法を以って之を変更するを得んや」
そうであるならば、被占領下での公布によって国体が変更しえない、傷つけることはないと昭和天皇がお考えになるのは当然です。国体が憲法によって変更できないのであれば、わが身がどうなろうとも国民を救いたいとおっしゃるまでの天皇が、国民を被占領下の窮乏から救うために、13条の講和大権の発動として講和の内容を履行するために「日本国憲法」を憲法として公布するのは当然のことなのです。
占領解除後の学者がこのように説明すれば、国民を50年以上幻想の中で生活させる必要などなかったのではないのか?うまくやれば保身さえ両立できたはずです。憲法でないものを憲法であるとこじつけたものは被占領下の憲法学(=憲法業)が発端です。これだけです。講和であるものを憲法と言い出すから話が50年以上ややこしくなっただけではないですか?
いまからでも十分間に合います。
講和は講和と認めましょう。
何が憲法で何が講和かをハッキリと自分の頭で思考して把握しましょう。
もし、講和であることが納得できるのであれば「日本国憲法」の法的地位は左図の位置、帝国憲法直下にあるはずです。
幻想と実体?さてどちらでしょう?
時系列での説明は↓
http://blog.livedoor.jp/inosisi8000/archives/1880937.html
新無効論の概略理解を早めるなら↓
http://blog.livedoor.jp/inosisi8000/archives/1880939.html
したがって、今の国会議員の先生方が、
「と言っても我々はねえ、現行憲法のもとで選出されているんだからなあ」
とおっしゃった場合には、
「と言ってもですねえ、先生方は帝国憲法のもとでも選出されているんですよ」
と言ってあげてください。
本当の承詔必謹論(1)へ
新無効論書籍・最新刊
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/DetailωrefShinCode=0100000000000031877444&Action_id=121&Sza_id=A0

本当の承詔必謹論(2)
日本国憲法改正は明治天皇の御名御璽に反する
【マイナス価値の負担者】
さらに道義的に観察するとこうなります。
自分達国民が国家一丸となって行った戦争の責任、国家(=天皇)に対する国民達の輔翼が十分でなかったことによる「敗戦の責任」につづく「占領憲法出現の責任」を自分達の力量の不足や占領軍への屈伏の事実をなかったことのようにたなあげして、その責任、効力の有無の根拠をひとり天皇になすりつけすずしい顔をしているのはおかしい異常なことなのです。
本来憲法の改正は国家が自律的に運営されている平常時に行われなければならず日本人の自由意思により帝国憲法に則って行われなければならなかったのです。
75条もそのようなあたりまえのことを規定しているだけです。
しかし、被占領下で抵抗不能の状態で連合国の要求を受諾する形で自律的改正を擬装しながら行わざるを得なかった。つまり、天皇統治に対する国民の十分な輔翼が不可能な時期のものであったのです。
そして、本来的でなかった改正を擬装された占領憲法と占領典範からくる「マイナス価値の負担」をだれが背負ったのか。
国民は国民主権という傲慢思想を手に入れたから一切負担などしていません。天皇は財産的にもおいやられ法規的にもその自治権を奪われ占領典範等によってがんじがらめにされ週刊天皇、国民の傀儡天皇に成り下がっています。
国民は「日本国憲法」によって日本の伝統から切り離された国民主権という傲慢思想を奉る精神的な第三国人に成り上がっているからいわば戦勝国民です。
敗戦したのは天皇と皇室のみです。
【「国民主権」なんてだれが本気で欲しがった?大政奉還しましょう!】
「生存国民は神聖にしておかすべからず」という生存国民無答責条項を連合国が言い換えてあたえたのが「国民主権」なんでしょう。簡単に言えば「死人にくちなし」思想です。
責任を負わない生存者ばかりなら、守るものを持たない日本人ばかりなら連合国は安心なことでしょう。
連合国の総意によって日本の礎が定まったことを連合国が深くよろこんだのも当然です。
連合国の喜びを書きとどめたのがあの天皇による公布文です。
もしこのような構図を知っていてでも、へいこらしていられるヘタレ国民なら国民は敗戦して万々歳ではないか?そこまで腐りきっているなら戦争に負けてよかったではないか・・・
そうではないのです!
なぜ!今の日本人は、天皇に
「連合国に屈服させられたとはいえ天皇さまをこんなに長く占領憲法と占領典範でがんじがらめにして申しわけありませんでした、我々は万死に値します」
と正直に誤りを認め大政奉還しようとしないのでしょうか?
公布を否定することは天皇の権威失墜をまねくなどというよりも、異民族による、異教徒による「日本国憲法」を憲法扱いすることによる国家解体と民族浄化こそが天皇の権威を失墜させているのではないのでしょうか?
国民の輔翼が十分にできなかったのは屈伏させる存在がいたからです。屈服したのなら「相手のあった法律行為」でしょう。
73条行為ではく13条行為です。
被占領下に屈服するのはあたりまえです。屈服させるために占領するのです。屈服させたなかで合意にもっていくのです。それが講和です。
しかし講和が成就し占領から脱したのちは通常の法治国家にもどればいいだけです。
講和は講和とみとめればいいのです。
講和(双方行為)であるものを利権と保身がらみで憲法(単独行為)といいだすから50年以上話がややこしくなっただけなのです。
まるで「原爆が落ちた」と同じ発想です。敵を認識できていません。原爆攻撃を災害のように言う「原爆が落ちた」。
戦闘による攻撃なのに相手の存在を抹消すれば災害にみえます。
講和による合意の履行なのに相手の存在を抹消して描写してみせれば一国の憲法改正(単独行為)にみえます。これは詐術です。「押し付け憲法」などという言葉は矛盾語なのです。「押し付け」(つまり受諾強要に対する受諾)なら憲法(国家単独行為)であるはずがなく講和(国家間の双方行為=簡単に言えば「取引」)なのです。
憲法として無効でも取引としては有効でしょう、というのが新無効論(新有効論)です。
天皇の裁可や公布や御名御璽もその「取引」の結果に応じた「憲法改正の偽装」という事実行為を帝国憲法の規定に則り行なわれただけです。
日本には超人はいません。すべて生身をもつ普通の人間で構成されているのだから被占領下で「日本国憲法」を憲法として公布するのは当然のことです。「東京裁判」が裁判として実施されるのを受容したようにです。
そしていずれもその原因が合意取引の帰結、つまり講和の履行であれば13条行為が行われたまでです。現にそれによって独立回復が早まったといえるし独立回復時点までの傷も少なくて済んだ(天皇の存在が護られた)ともいえます。戦争を終結させるために相手国と為す行為は、法理論として憲法改正ではなく講和です。
【天皇も被害者】
──拉致被害者が北朝鮮に居るあいだに「ここの生活のままがよい」と言ったってその意思表示は真正意思として認められず無効であることは了解されるでしょう。つまり被害者であり受益者である者が被害や受益の区域に身を置いている間には現状を評価する(追認する)資格がないから、なにはともあれ本人の意思とかかわりなく原状回復が第一にめざされます。
そうであればGHQによって帝国憲法体制から「日本国憲法」体制へ拉致された国民、つまり「日本国憲法」からの受益者であり被害者である現在の日本人が被拉致体制たる「日本国憲法」体制内で「この憲法のままがよい」と護憲論や改正論のように「日本国憲法」をどうするかという論点で論陣をはったとしても、その欲求も意思表示も本来の国家からみれば、つまり祖先や子孫に責任をもつ国民が構成する時間的な共同体からみれば無効であることが了解されるでしょう。
我々日本人は祖先を敬いそういうお天道様に恥じない生きざまを大切にしてきたんでしょう。
被占領期(戦争末期)にGHQによって帝国憲法体制から「日本国憲法」体制へ、本人の意思にかかわらず実力によって拉致された国民、つまり今となっては「日本国憲法」からの受益者で同時に被害者である現在の日本人が「日本国憲法」体制内(拉致体制内)で
・「この憲法のままがよい」と護憲論のように論陣をはる、又
・「この憲法の一部が気にくわないからココを変えよう」などと改正論のように論陣をはる、さらには
・「全部が気にくわないから新たにつくろう」と新憲法制定、自主憲法制定論をはる(=原状復帰をさける)、
つまり拉致体制内で「日本国憲法」に軸足を置いたままその距離間隔をどうとるかという論陣をはったとしてもその欲求も意思表示もすべて無効なのです。結局、これから行おうとしている憲法改正行為も本来の国家からみれば無効なことが了解できるでしょう。国家も憲法も今生きている人間だけのものではありませんからね。自分たちがどれほど幼稚なことをやっているか気づくべきです。
いずれも、いったんは原状回復、折り目正しく原点(祖国や帝国憲法)に立ち返ってから意思表示しなければ話になりません。
しかし護憲論も改正論もこの原状復帰を拒否し「日本国憲法」を憲法として有効と認める護憲派で拉致継続追認派なのです。そのまま護憲するか一部を変えて護憲するかの違いがあるのみです。つまりマッカーサーの手のひらの上でおどる 護憲派護憲論 と 護憲派改正論 という反日兄弟なのです。
これらの被害者と受益者には国民だけでなく天皇も含まれます。つまり天皇ごと我々は法体系を拉致されているのです。
天皇による「公布」は拉致体制に倒錯した権威を与えているだけです。
原状回復されなければなりません。
【一天皇に国体を変更する権限はありません---神々との関係】
天皇が公布したから有効であり否定できないという発想は主権論による説明です。国体論の我国にはなじまない発想です。
1、 神々(皇祖皇宗) ←― 現行憲法無効論者の考える憲法の正統性の基礎(法の支配・国体論による国家)
↑
<つつしみてさだめる=欽定方式>
|
2、天皇 ←― 承詔必謹有効論者の考える憲法の正統性の基礎(主権論による国家)
|
|
3、国民(人民) ←― 生きている人間が認めていれば有効と考える有効論者(実体は受益者の自画自賛でしかない)、 護憲派護憲論、護憲派改正論、護憲派破棄論、自主憲法制定論など憲法を「つくる」という発想の戦後民主主義者(国民主権教信者)の考える正統性の基礎
(実力の支配・主権論による国家)
http://blog.livedoor.jp/inosisi8000/archives/1880993.html
教育勅語を読めば、現在の天皇や国民に「主権」がないのは当然にわかるはずです。それなのに占領憲法に国民主権が書かれたからといってそれを守ろうなどとは不真面目な人達です。
教育勅語は道徳も色々かいてありますが、基本中の基本は、日本国を守りぬいてきた過去の天皇と現在の天皇と未来の天皇の命が連綿とつながってて、天皇と運命をともに活躍してきた国民の命も連綿とつながっており、日本国の主権(絶対的な源泉)がもしどこかにあるというなら、その命の連続体にあるのですよと言ってるのです。
そしてあなたたち自身もその連続体の一過程をあずかっているのですよ、と言っているのです。
教育勅語の中心的思考法が戦後抹殺されているから自称保守の人でも憲法無効論や占領典範無効論には理解が進まないのです。憲法改正などという刹那的な思考になり祖先の視線は感じないらしい、困ったものです。
その姿勢・構えがさらに生きている我々そのものの生活、思考法を虚無的なものにしていて考えなければならないことが何なのかを分からなくしているのに、そのことにも気づかないのです。
生者のうちのどちらに主権があるのか天皇にあるのか国民にあるのかというような軽薄な観念にしばられてそれより上位のものが、見えなくなる状態が続いています。
欽定ということは、結局、天皇と国民の共通の祖先に対して「欽(つつしんで)定(さだめる)」ということです。
天皇が上から下の国民にさしあたえたのが「欽定」憲法だなんていうのは、戦争末期被占領中のGHQ(敵)から指令を受けた転向学者の保身理論です。
欽定憲法の意味は「天皇と雖も国体のもとにある」ということで法の支配、神々、皇祖皇宗のまなざしのもとにあるということです。 歴史上の特定時期をあずかる一天皇に国体(国柄)を変革する権能はもともとないのです。
欽定は神々に対し「つつしみてさだめる」の意であり、
<神々 ←← 天皇>の関係、神々への報告様式をとらえた概念です。
この関係を、戦後になって学問的に破壊し<支配者・天皇 → 国民>の図式を強調したのは敗戦利得者の戦後憲法業者です。
< 神々・皇祖皇宗 ←A← 天皇(最高祭主) →B→ 国民 >
戦後憲法学者が A の欽定の概念(国体論)を B の天皇主権概念にすり替えて承詔必謹論とともに正当化した「日本国憲法」の中に国民を封じこめたのです。
「欽定」の本当の意味 A を国民の意識の上に昇らせると、船中八策が五箇條の御誓文にまで進化し、その煥発方式が「欽定」として神々への誓文として再出発したこと、それと同じく大日本帝国憲法も欽定であったように、国の根幹にかかわることは、日本の神々(祖先)に誓い報告するという確立されたこの大原則(不文法)をふんでいない「日本国憲法」の有効性が明瞭に否定されてしまうからなんです。
日本の憲法の正統性は神々との関係で確定するわけです。
その確定行為を、国民を代表して日本の神々に欽定儀式を通じて報告するのが祭祀王・神々の直近におられる天皇の責務です。
ゆえに、いくら、生きている人間だけで、天皇主権から国民主権に変わったなどとたわごと言っていても、遠い祖先や、まだみぬ子孫との関係では・・・・・言い換えて・・・・日本の神々との関係では、日本式には憲法として成立していないことは明白なのです。
占領中の「日本国憲法」を昭和天皇が神々に報告(欽定)しているはずがないし、もしそんなことが出来ているとしたら神々を冒涜しているというようなものです。
なぜなら、生身をもつ人間には占領が可能ですが、日本の神々までも占領できませんからね。
我々の祖先はこういう民族固有の占領のできない不動の固定点を憲法理論の中に残してくれたのです。それが「欽定」の意味です。
一時の世情の影響を受けやすい生存者、生身をもつものがどう揺らごうとも確固とした動かない国家の永続性の中心軸、憲法の固定点(欽定点)が我国にも存在していることを、国民みんなが思い出せばいいのです。
「正統」ということと、「憲法」ということと「国家の存続」ということとは我国では同義なのです。その目印が欽定点です。
祖先や子孫を冒涜する「日本国憲法」の改正はできないはずです。そんなものは「欽定」できないはずです。
憲法改正や皇室典範改正に賛成する人々に問いたいが、その改正の土台(現行憲法や典範)が、改正などと論ずるまえに、日本の神々(=祖先やこれから生まれる子孫)との関係で本当に憲法や典範として成立しているとでもお思いですか?本心からそう思っているのですか?
「現行憲法改正という手続きを使って、実質は大日本帝国憲法を現代に合うように改良したものを制定するのが一番だと思っています。 」との論がよく言われます。
保守派仲間うちならこれで話はチャンチャンですが、実際には日本国憲法の改正手続をつかって大日本帝国憲法を現代に合うように改良したものを制定すると言っても改正は「日本国憲法」を叩き台にした多数決原理ですから「やきなおし」程度になるの既にみえています。
なぜなら、
「やきなおし」もしたくない者。
「やきなおし」をしたい者。
「やきなおし」以上のことをしたい者。
の3者で多数決原理に基づいて綱引きをやっても、「やきなおし」程度に落ち着くのは目に見えています。
それどころか護憲論者も最後は改憲論の多数決原理になだれ込んでくるのですから天皇条項がなくなる可能性だってあるのです。
理論的に帝国憲法違反を侵しているとする解釈をしてまで講和であるものを憲法と主張することによる法的な利益は我が国になにかあるのでしょうか?
(その利益は東大あほう学部など憲法業者だけにしかないでしょう?)
(あとは朝日新聞などだけ)
既述のとおり講和の要素(講和条約群のひとつ)とみても、「日本国憲法」の実効性の面は帝国憲法と一体となり十分確保されます。戦後の秩序、法的安定も問題なく説明できます。
したがって理論的に成立しない有効論にわざわざたって、さらに多数決原理のあぶない手法の中へ入っていってもやる意味がありませんし成功の見込みもありません。やる前からそんなものは幻想との答えは出ています。
そういうバクチのようなことをするのはまちがいです。我々にはそんなバクチのようなことをして国家の根本を決定してしまうような資格はありません。やれば取り返しがつかないことになります。
結局、平成の改憲論者が空前絶後の国体破壊の実行者だったと後世の者から非難されることになります。
もともと「日本国憲法」は「理」や、「理」を立てたうえでの多数決原理によって生まれたのでなないのです。法理の皮をかぶった戦闘行為、暴力、実力でした。
暴力の端くれに対抗して本物の是正をするためには、あくまでも多数決原理ではなく「理」で対抗しなければなりません。その「理」を立てた世論喚起の結果を回収する場合の手段が多数決原理です。
初めから「理」を無視した改正論は体裁のよい連合国へのさらなる屈服です。独立の精神を根底で崩壊させます。
また、改正しても改正版憲法は「日本国憲法」に変わりがなく昭和21,22年当時の成立過程を教えたり説明しなければなりませんが、既に赤い教授達がやっているように、正当化のための歴史偽造、東京裁判史観は余計に必要になります。改憲派は左派に対し自虐史観が持続されるための原因、いわば反日による国家崩壊の癌(原因)を提供しているのです。
このことからも護憲派護憲論と護憲派改正論はともに反日の兄弟といえるのです。
「日本国憲法」を憲法として扱うことは帝国憲法違反なのです。つまり明治天皇の御名御璽に違反しているのです。そんな者に昭和天皇の公布だけは守れなどという資格がありますか?
それを主張するのなら新無効論のように両方守らなければなりません。
改正で正統な国家理念が確保できるでしょうか?
これこそは、国家の同一性、存続か滅亡かにかかわる重大ごと(←これは、生きている人間だけの問題ではありません。祖先や子孫にも関わります)ですので、本物の憲法学者が慎重に「日本国憲法」の効力判断に取り組むべき問題でした。
しかし、事実はそれとは反対に、帝国憲法違反であり実効性の面からも憲法と解釈するメリットもなく他に法的利益もないのに、外国からの偽物の国家理念を主体的に我が国が受容したとか受容して当然であるかのような理論や物語を創作してまで伝統的国家理念を否定する傾向のウソ学問をやってきました。ことの発端、動機は右も左も被占領下に「憲法学」が「憲法業者」という「保身業者」になったときからです。
昭和天皇は戦前から清水澄博士の憲法講義を受けておられます。「摂政を置くの間」程度の変局時でも憲法改正が禁止されていることは当然ご存じであったはずです。
昭和天皇は13条講和大権に則り自分がポツダム宣言受諾の判断を発し、戦争行為の延長上の講和段階に国家が属していることの自覚は明確にあったはずです。当時は、事実行為としてはともかく憲法改正などという有効な法律行為はできないことはご存知であったはずです。
また、天皇ご自身の主観がどうであれ帝国憲法(=明治天皇の御名御璽)に則ればそういう法律行為(73条ではなく13条)しかできないのです。
「日本国憲法」が講和段階で発布されたということの構造を示すと、講和大権13条に乗っかった73条行為が行なわれたのです。天皇からみてもこうなります。
国民が必死に天皇を守ってなるべく早期の独立回復を果たそうと連合国の無理な要求でもなんとか受け入れて履行しようとしていることを天皇が公布しない(講和内容の履行をしない)わけにはいかないでしょう。
当時の天皇と国民にとって、帝国憲法73条上の憲法改正手続きという事実行為(←帝国憲法の制限があるので法的意味を帯びない)を履行することが13条上の「和を講じ」という法律行為、講和大権の発動となります。
このことからも「日本国憲法」は憲法として無効と評価されると同時に講和条約としては有効と評価されます。「憲法改正の必要があるやいなや」という指示が天皇から政府に出ていたとしても、13条講和大権に乗っかった改正の事実行為(法律行為ではない、法律行為としては講和だけ)の必要性の有無であろう。
国体と憲法の関係についても、憲法によってさえ国体の根本は変革できないとの憲法理論の講義を受けておられます。憲法でさえできないのであるから、一時代の一天皇の公布行為によって変革できないのは当然です。
「我が国は万世一系の天皇を仰て終始し、天皇を以って統治権の主体なりと為す観念は歴史の成果、国民の確信にして千古動かず、憲法中、国体に関する規定ありと雖もそは国体を創設したるものに非ずして唯国体を宣明したるに過ぎず、従って国体に関する憲法の規定は将来永久に其の変更を為すことを得ず、仮に之を変更したりとするも其の変更は何等の効力をも発するものに非ず、即ち国体の根本は憲法の克く左右し得べき所に非ず、天皇の統治権は憲法によりて成立せず、何ぞ憲法を以って之を変更するを得んや」
そうであるならば、被占領下での公布によって国体が変更しえない、傷つけることはないと昭和天皇がお考えになるのは当然です。国体が憲法によって変更できないのであれば、わが身がどうなろうとも国民を救いたいとおっしゃるまでの天皇が、国民を被占領下の窮乏から救うために、13条の講和大権の発動として講和の内容を履行するために「日本国憲法」を憲法として公布するのは当然のことなのです。
占領解除後の学者がこのように説明すれば、国民を50年以上幻想の中で生活させる必要などなかったのではないのか?うまくやれば保身さえ両立できたはずです。憲法でないものを憲法であるとこじつけたものは被占領下の憲法学(=憲法業)が発端です。これだけです。講和であるものを憲法と言い出すから話が50年以上ややこしくなっただけではないですか?
いまからでも十分間に合います。
講和は講和と認めましょう。
何が憲法で何が講和かをハッキリと自分の頭で思考して把握しましょう。
もし、講和であることが納得できるのであれば「日本国憲法」の法的地位は左図の位置、帝国憲法直下にあるはずです。
幻想と実体?さてどちらでしょう?
時系列での説明は↓
http://blog.livedoor.jp/inosisi8000/archives/1880937.html
新無効論の概略理解を早めるなら↓
http://blog.livedoor.jp/inosisi8000/archives/1880939.html
したがって、今の国会議員の先生方が、
「と言っても我々はねえ、現行憲法のもとで選出されているんだからなあ」
とおっしゃった場合には、
「と言ってもですねえ、先生方は帝国憲法のもとでも選出されているんですよ」
と言ってあげてください。
本当の承詔必謹論(1)へ
新無効論書籍・最新刊
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/DetailωrefShinCode=0100000000000031877444&Action_id=121&Sza_id=A0


コメント